11/27/2022

記憶 69年新宿

 昨日NHKで「声は届くのか」という番組を見た。
友人から紹介されなければきっと観ずに終わってしまったと思う。
それを観た。

本質的な話は置いといて、私を含め、彼らの記憶は正しいのだろうか?
と疑問に思った。
最たるものは地方からわざわざ新宿西口にやってきた人の話で、
「ウッドストックの映画が頭にあって、ああいう格好いい人たちが
歌っていると思っていた」とかなんとか言っていたけれど、
ウッドストックが開かれたのは西口の後だし、映画が日本で
公開されたのは確か次の年1970年だ。
たぶん彼の頭の中ではそういう”面白い”話として記憶されてしまって
いるのだと思う。
そう思うと他の人の話はどうなの?と思ってしまう。

あの番組は「未公開映像」とか言っているのであれば、
映像のみが当時の証拠として語ることができるものだとして
放送すべきだったと思う。

かく言う私の記憶が一番あてにならない。
ほんとにそうだったの?
といつも自分に問いている。
長い年月のうちに都合のいいように記憶を書き換えている
かもしれない。
現在の彼らの言うことは現在(今)だから言えることであって、
あの映像のサウンドトラックとして言えるだろうか?
と思ってしまう。
あの映像から感じるのは皆が皆不安で、訳もわからず、
模索中で、何が正しいかわからないということだ。
今だってそうだ。
誰れも何が正しいかわからない。

高田渡がどこかのコンサートでフォークゲリラを茶化して
彼らが逮捕されたことを自慢しているような言い方をしていた。
あれは逆に高田渡自身の価値を著しく下げているように思う。
少なくとも私はそう感じている。

フォークゲリラの人たちが当時あれをやったことは
だれも批判できないし、たぶんすごいことなんだと思う。

11/18/2022

運び屋

 クリント・イーストウッドの「運び屋」を今テレビでやっているので
見ている。これで3回目かもしれない。
皆に嫌味を言われ続ける爺さん。
どこかで聞いたような会話だらけだ。
全部自分に突き刺さってくる。
聞くたびにどうしようもなく悲しくなる。
でもどうしてもクリント・イーストウッドに同情してしまう。
彼は私だ。
いや、私が彼なのかもしれない。
私は今まで一体何を運んでいたんだろう?
皆を不幸にしてきた。
それだけだ。

11/16/2022

引っ越し

 引っ越しすることにした。
今住んでいるところももう20年になる。
駅の改札まで走れば3分のところに今すんでいるのだけれど、
あまりに街中過ぎる。
仕事をしてる時は便利で良かったけれど、
もうあんまり駅近の意味もなくなってきたから、
海と山の見えるところに引っ越すことにした。
あと2週間くらいで引っ越しだ。
一抹の不安と寂しさはあるけれど、
それはいつものことだ。
今何かしないともう残りのページもあとわずかだから。
したいことをすることにした。

11/08/2022

Carry ON( 'till to morrow)

 Bad FingerのCarry ON。「なぜこの歌がアジアで人気なの?」という
コメントがYouTubeにあった。
確かに私もこの歌を載せているのだけど香港人からのコメントが来る。
たぶん何かの香港映画にこの歌が使われているのだろうと思っていた。
その映画が何だったのかわからない。
あるいはテレビドラマか?とも思っている。
確か前に香港から来たコメントに返信して理由を聞いたような
きもするけれど、忘れてしまった。
いろいろ調べてみると香港のポップスバンドThe Pawsという
バンドが解散直前にこの歌を録音したらしい。
ということはThe Pawsというのは人気のあったバンドなのだろう。


11/05/2022

世界で一番懐かしい感覚

 SNSなどでやたらと「懐かしい」が連発されているのがうっとうしい。
昔の歌を聴いて懐かしく思う。
昔の町の風景を見て懐かしく思う。
幼馴染に会ってなつかしく思う。
街を歩いていてふと沈丁花の匂いがして懐かしく思う。
全部確かに懐かしいのだけど、
私が思う一番懐かしい感覚は夢の中で好きな人に出会う感覚だと思う。
いや、正確には夢の中で好きな人に出会った感覚を
目覚めてから思い出して感じる感覚だと思う。
もうずっと感じたことの無い、
誰かを好きになって誰かから好かれる感覚。
今誰かを愛しているとかいないとかいうことではない。
ずっと昔に人生で初めて味わったあの感覚だ。
その感覚が夢の中では再現される。
とても残酷なことだけれど、
全くあの頃のまま再現される。
目覚めてから残っているその感覚が
たぶん世界で一番懐かしい感覚だと思う。




11/02/2022

やせっぽちのデニス

 ガイクラークが亡くなったのはいつだったかもう忘れてしまった。
今更検索する気も無い。

ガイクラークのLAフリーウェイを最初に聞いたのは札幌の
地下のレコード屋だった。
たぶんそれはもう書いた。
そのLAフリーウェイだけどずっと気になっていたことがある。
それはまだ書いていないと思う。
それはLA Freewayの途中の歌詞

Here's to you old skinny Dennis  やせっぽちのデニスに乾杯
Only one I think I will miss    私が恋しいと思うただ一人
I can hear your old base singin'  君の懐かしいベースが歌うのが聞こえるよ
Sweet and low like a gift your bringin' 低く優しく、君からの贈り物
Play it for me one more time now  さあ、もう一度弾いてみてくれないか
Got to give it all we can now    できることなら何でもするから
I belive everything your saying        君が言ってたことは全て信じてるよ
Just keep on keep on playing   ずっと演奏を続けて行くよ、とか

歌詞からデニスが死んでしまっていることはわかるけれど
このデニスというベーシストはいったいどんな人だったんだろう?
と思っていた。
そのデニスについて書かれているものを見つけた。

デニスはガイ・クラークの仲間のベーシストだった。
ある時酔ったデニスとガイ・クラークの奥さん(スザンナ)を
後部座席に乗せてガイが運転している途中で酔ったデニスが
スザンナのいる方のドアを開けて飛び降りようとした。
当然間にいたスザンナも車から落ちそうになった。
ガイは猛然と怒ってデニスを押し込み、そのままデニスを家に
送り帰した。
それ以来ガイ・クラークはデニスと口をきいていない。
そしてある日デニスは心不全で死んだ。
ガイクラークは葬式に行ったが、涙は流さず、何も言わず
静かにしていた。そして帰る時に一言
「俺はまだ怒ってる」と言った。

そのデニスなのだ。
この歌で歌われているのは。
歌の中で彼は会えずに寂しいと言っている。

私も先日友人を亡くし、今切に会っていろいろ謝りたいと
思っている。
この歌はそんな気持ちを良く歌っていると思う。

10/31/2022

群衆

 ほんとに悲しい事故が起きてしまった。
だれもあんなことになるとは思ってもいなかっただろう。
ニュースを見ていて思い出したことがある。
群衆に押しつぶされそうになった時のことを。
あれは国会議事堂の近くだった。
デモの群衆の中にいた。
あの時は何のデモだったか忘れたけれど、数万人いたと思う。
だから6・15か10・21だったと思う。
私はべ平連の人たちと一緒にいた。
どこだったかの緩い坂道だった。
前には多分200メートルくらいデモの人々が歩いていた。
左右が壁だったところで列が止まった。
前方に機動隊がいると誰かが言っていた。
前には進めないのに後ろからどんどん押してきた。
何分くらいだったかわからないけれど、
だんだん足を進める場所も無くなってきて
ものすごい圧力で前後から圧迫された。
呻いているひともいた。
全く動くこともできない状態で、
足が浮いた。
私は178cmあるので大きい方だと思うけれど、
押し上げられて足が浮いた。
その時にはもう息をするのも苦しかった。
たぶんそんなに長い時間じゃなかったと思う。
記憶では長いけれど、
5分くらいだったと思うけれど、
人々の圧力を知った。

昨日の事故はあれのもっとすごい状態だったと思うと、
とても止めるとか、逃げるとかはできなかっただろうことは
想像できる。
悲しい事故だった。

指揮者無しのオーケストラ 第九に挑む

 というNHKの番組を見ていた。
いろいろな場面での楽団員たちのやりとりが入るのはいいのだけど、
最後に全曲を流して欲しかった。
最後に通しで流した際にも途中で何回も解説が入り、
しかも曲が細切れだった。
とても残念。

しかし、あの演奏はマジですごかった。
後半第四楽章の弦楽器がすごかった。
あんなに緊張感のある劇的な演奏は聞いたことがない。
トスカニーニでさえあんな密な演奏はしていない。
録画しなかったのが残念だ。
特に合唱が入ってからの弦がとにかくすごかった。
あんなに全弦楽器が全体で歌っている演奏は。
聞いていて息が止まった。
本当に「え?!」って思った。
単に演奏のタイミングが合っているとかいうことではなく
全体が一つの楽器のようだった。

例のレスタティーボ in tempo のところだけど、一度厳格なテンポ通りの
演奏を聞いてしまうと、いわゆる歌うような演奏をしているほとんどの
オーケストラの演奏が非常に軽く(軽薄に)聞こえる。
試しに今著名な演奏をいくつか聞いてみたけれど、
さっきの演奏に比べるとまるでメロメロしている。
ああ、録画しておくんだった。
終楽章だけでも全部聞きたいと思う。

10/28/2022

星を見に行こう

 いつだったか日光の戦場ヶ原で見た星空がすごかった。
その記憶をもう一度経験したいので行きたい。
でも電車だと星が見れる時間にそこにいるともう横浜には
戻ってこれない。
だから車かな?
車もしばらく運転していないな。

北海道に住んでいた時に見た星空がすごかったのは、
石狩の今は港になっているところだ。
周りは真っ暗で上は一面の星空だった。
はっきりと覚えている。

数年前北海道に行った時は十勝平野だ。
畑の真ん中に車を停めるともう周りは真っ暗。
そら一面に星空だった。
もっとゆっくり見ていたかったけれど、
正直怖かった。
幽霊が出そうとかそういうのではなく、
一面の空を見ていると自分のいる場所というか
時間が現実的でなくなって、自分が失われて
しまうような錯覚に陥る。
車に飛び込んでルームライトを付けて、エンジンを回して
ヘッドライトを付けて、やっと落ち着いた。

一人だとまたあの感覚に陥るかもしれないと思うと怖い。
でも日光は大丈夫かもしれない。
近くにお店もあるし。
戦場ヶ原の中まで入らなければ大丈夫だろう、きっと。

ちょっと待て、もうすぐ雪が降らないか?
雪の前にはちょっと無理だ。
来月は引っ越しだし。
まあ、ちょっと先かな?


10/24/2022

猫、旅立ち

 猫のノエルは今朝は起き上がることができなくなっていた。
いつもなら頭をなでるとクークー鳴くのに、鳴かない。
これはダメだと思って病院に行った。
血液検査のために血液を採取するのだけど、それができない。
血管が細くなりすぎているらしい。
僅かの血液でできる検査をしたら、血漿がもう黄色になっていて、
ひどい黄疸のようだ。
それとカリウムの値がもう命が危ないレベルだった。
それで入院して血管に直接点滴することになった。
ノエルを病院に預けて帰ってきたけれど、
ひょっとするとノエルは一人で行ってしまうかもしれない
という可能性があったので、少し後悔した。
でも治療しなかったらもっと後悔するような気もする。

午後遅くに病院から電話があった。
もう危ないので来てください、ということだった。
急いで病院に駆け付けたけれど、タッチの差で行ってしまっていた。
ノエルの体はまだ生きているように暖かく、なでると鳴かないのが
不思議なくらいだった。
持ってきた小さな毛布をノエルにかけてあげた。
そしてキャリーバックに乗せた。
涙と嗚咽をなんとかこらえて病院を後にして、帰って来て
香港の妻と娘に連絡した。
その前に「迎えに行く」と言ってあったので、
その言葉を理解していると思ったら、全然わかってなかった。
そこからは涙の嵐だった。


この時でも鼻の頭を触れば怒るんじゃないかと思えるほどだった。

前の家に居た3人の猫は私がいない時に逝った。
だからひどく悲しむことはなかった。
ノエルは家に来た時からずっと一緒だった。
最後まで一緒だった。
しばらくは悲しみが消えそうにない。

              若いころのノエル


10/23/2022

8mmフィルム修復

 今はもうあまり依頼が無いけれど、8mmフィルムをDVDにしたいという
依頼がある。今回は十数本のフィルムをDVDにしてほしいというもの。
しかしこのフイルムは全部変形あるいは変質あるいは固着していて
引き出すことすらできない。

もう少し軽症で引き出すことができれば熱処理でフィルムを平らにして
映像化することができるのだけど、ワカメ状になっていると
どうしようもない。

何とかできないかと色々試したことがある。
水に漬けておいたらどうだろうか?これが一番可能性高そう
だったけれど、柔らかくはなってもフィルムの強度が無いため
ぼろぼろになってしまう。

その他アルコールやオイルもだめ。
柔軟剤もだめ。
ほとんど手の施しようが無い。

ただ一つ可能性があった。
お湯につけておくとフィルムの感光面の薄い膜がはがれるようだ。
その薄い膜には元の映像がそのままきれいに残っている。



この薄い膜を、和紙をすきとるように別のものに移動できないだろうか?
それができれば少しは再現できるように思けれど。

10/14/2022

クラブツーリズム

 のバス旅行は良く行った。
西から東までバスで気楽な旅だった。
一度も無理な時間計画とかは無かった。
ただ渋滞で帰りが夜中になってしまったことが1度だけあった。
でもあの時の渋滞は避けられなかったし、ほかにどうしようも無かった。
クラブツーリズムはいいツアー会社だと私は思う。


一番最初に北海道に友達(小沼)と一緒に車で行った時はまだ東北道は
出来ていなかった。矢板までさえも無かった。
それで4号線をひたすら交代で走った。
あれはもう青森も近くなった頃だったろうか、
私がサイドブレーキを引いたまま走ってしまい、途中でブレーキが全く
効かなくなってしまった。
足を踏むとペダルは何の抵抗も無くストンと床に落ちてしまった。
小沼は横で眠っていた。
私はギヤーを落として道路脇になんとか車を停めた。
小沼も気が付いて起きた。
「ブレーキがだめだ」と私が言うと、小沼は
「使い過ぎたんだろう~、何度も踏んでみな」と言う。
私はポンプを踏むように何度も踏んだ。
しばらく踏んでいると少し抵抗が出てきた。
そのうちに元のように効くようになった。
それからまた走り始めて青森を目指した。
私はサイドブレーキを解除し忘れたことを言わなかった。
小沼にはいろいろ助けられた。

小沼に運転を代わって、しばらく走っていると小沼が
「タバコ無いか?」と言う。
もう車の中のたばこは全部二人で吸ってしまったけれど、
父からもらった葉巻の箱があった。
葉巻を二人でくゆらせながら走った。
葉巻は長持ちした。
小沼の方を時々見ると居眠りしていた。
「起きろ~!」というと驚いて起きてハンドルを持ち直した。
二人ともさんざん居眠り運転をした。
あの時生きて帰れたのが不思議なくらいだ。


10/05/2022

猫復活

死にぞこないのノエルはかなり元気になってきた。
昨日は爪とぎをするようになった。
しかもほぼ1週間ぶりにでかいウをした。
あいかわらずほとんど横になっているけれど
おむつを替えるときの抵抗力はすごい。
前と同じくらいの力がある。

そうなるとあの体調が悪かったのは何だったんだろう?
と思う。
確か前日まではすごく元気だった。
急に倒れて寝込んだ。
部屋中に水を吐いた時からだ。
あれは何だったんだろう?
水はいつも変えているし。
食べ物だってその都度変えているし。
よくわからない。
ちょっと気を付けなければ。

10/02/2022

猫その後 

 あれから約1週間経って、ノエルはまだ頑張っている。
走ることは無いけれど、歩いたりするときもある。
でもほとんど横になっている。
元気なのか?というと決して元気ではなさそうだ。
でも水をあげると飲むし、柔らかいフードをあげると食べる。
だから本人もまだ頑張るつもりなのだろう。
まただめになりそうだったら病院に連れて行こう。
もうかれこれ5万円の治療費がかかっている。
ちょっときびしい。
もうしばらく様子を見よう。

9/28/2022

猫、それから

 最悪の一日を無事過ごしたノエルは、次の日も病院に行った。
昨日よりは元気だった。
ちゃんと不満を表して鳴いていたし、先生も「ほう、鳴くようになったね」
と昨日よりも改善してると言っていた。
体重が100グラム増えていた。
たった100グラムだけど、考えてみると100ccだ。
牛乳瓶半分くらいの水分を取り込んだということだ。
昨日は全くの脱水症状だったから、これはたいしたものだ。
動きもかなり良くなっている。
もう一度点滴と改善のための薬を入れてもらい、帰ってきた。
途中駅前の広場で休憩。
ノエルはまだ小さいころこの広場で遊んだことを覚えていただろうか。

家に帰るとまたお風呂場脇の床に向かい、横になった。
どうもそこがいいみたいだ。
ずっとそこで横になっているけれど、前と違い時々頭をもたげている。
試しに柔らかいフォードを口のところに持って行くと少したべた。
良かった、もう4日くらい何も食べていなかったから。

それから次の日の朝も同じ場所で横になっている。
おかげで朝はすごく早起きになってしまった。
いつもなら10時くらいまで寝てるけど、
最近は6時前に目が覚めてノエルの様子を見る。

ノエルは横になっているけれど、時々顔を上げている。
寒いんじゃないだろうか?と思うけれど、
タオルをかけてやると抜け出してしまう。
大丈夫なのか?とは思うけれど、そのままにしている。

ノエルがそんな状態なのを知って、香港から帰ってくる人がいるらしい。
なんでも安いチケットが入ったからだとか。
今日帰ってきて、ノエルの様子をしばらく見てから
また香港に戻るらしい。
忙しそうだ。

9/26/2022

猫とかいう生き物

 今朝猫のノエルの姿が見えないことにきがついた。
家じゅうのいつもいるところを探したけれどいない!
トイレにもいない。

9:30
今まで一度もいたことがないお風呂場を見て驚いた。
風呂場のドアの陰のタイルのところに横になって動かない。
これには焦った。
電気を点けてなでると息はしていた。
でも鳴き声がとても弱く、やばいのを直観した。
それで病院に電話をした。
すると本日休業だと。
10:00
しかたなく少し遠くの病院を予約した。
先日猫のカゴは小さくなってしまって捨ててしまった。
それで旅行鞄はどうだろう?と探したけれど、ちょうどいいのが無い。
「段ボールに入れて連れて行けばぁ?」という声が遠くから聞こえるけど
それだと万が一の時に可哀そう。
しかたなくペットショップまでカゴを買いに行った。
帰って来てバスタオルをひいて猫を入れてもう予約時間ギリギリ。
11:10
急いで病院に向かうけれど、暑い!。
もうずっと急ぎっぱなしで汗もすごい。
病院に行く途中でジュースを買って水分補給。
こっちが倒れそう。
日陰でカゴの中の猫と話しながらしばらく休んでから病院に向かった。
11:40
10分遅刻で病院に到着。
幸い前の病人(犬)がまだ終わっていなかった。
やっと番が来て診察室へ。
いつもは凶暴な奴が今日ばかりはひどく大人しい。
それだけでも重症とわかる。
血液検査で肝臓が悪いことが分かる。
それと何度も吐いたせいで食道が胃液でやられていて、
水が飲めないらしい。
かなり脱水症状だった。
点滴と注射をしてもらい、帰ってきた。
今日は水も食事もだめということでカゴに入れたままだ。
ときどき話しかけて様子を見ている。
朝よりはだいぶ良さそうだ。
結局私の人間ドックくらいのお金がかかってしまった。
でもすこし元気になってくれた。
もう高齢だからね。
どっちが先かということだね。

9/24/2022

真空管

 前に真空管をコレクションしているということは書いたと思う。
先日から従弟から電話で真空管アンプについての意見を聞かれている。
私は真空管についてはあまり知らない。
知らないのだけど「知らない」では済まないので勉強している。
おかげで真空管回路のことはほとんど理解した。

問題は数百ボルトの電源電圧の回路を実際にはいじったことがないことだ。
比較的最近の電子回路しか扱っていなかったから最大100Vしか知らない。
ああ、電子シャッターで300Vというのはやったことがあったけれど、
それだけだ。

だから回路上でどういう動作をするのか実感できない。
あくまで原理的にこう動くだろうということしかわからない。
そんなのはエンジニアでもなんでもない。

従弟の問題は
ここにプラスが来てしまっていることなので、電源回路であることは明らか。
だからまず電源を調べるように言ったのだけど。
さっきの電話ではやはり電源回路、たぶんブリッジが壊れているらしい。
それはいいのだけど、ほかの部分は大丈夫なのだろうか?
なにせ数十年前(1975年)のアンプだ。
私も古いアンプは持っているけれど20年前のだ。
1975年のアンプがそのまま動くのだろうか?
そっちの方が疑問だ。
抵抗はいいとして電解コンデンサーは取り替えないとだめだろうな。
トランスも中でショートしている可能性はあるかも。
そんなものの修理を始めたらパンドラの箱を開けたようなものだと思う。

9/23/2022

ホーキングのパラドックス

 ・・・というNHKのテレビを見ていた。
どういうことだろう?と考えてしまう。
少なくともNHKはその疑問には応えていない。
その根本的な原因は「情報」という言葉だ。
『ブラックホールが消滅する時「情報」も消滅する』
このことをはっきり説明していない。
この情報というのは一般的にはcharacteristicsではないだろうか?
いや、本質的には「情報」なのだけれど、一般的には通じない。
物質の特性、個性、特徴、特色みたいなものを言っているのだと思う。
ブラックホールに入った「もの」はその事象の地平線付近で
(正)粒子と反粒子に分離し、反粒子はブラックホールに取り込まれ
正粒子はエネルギーとしてブラックホールから放出される(ホーキング放射)。
放出されたエネルギーとしての物質は消滅してしまうわけだけれど、
じゃあ取り込まれた反粒子の方はどうなるの?
という問題だと思う。
ホーキングは「消滅する」と言った。
この「言った」というのは断定あるいは証明したわけではなく、
提言したと言った方がいいと思う。
「仮にそうだったらどうなるの?」という問題提起だった。
その提起に対して何人かの物理学者が「いや、違う!」と
言い出したのがNHKの番組の内容だった。
最終的にホーキングはその提言が間違いだったと言ったらしい。
らしいが、消滅することを主張している物理学者もいるし、
全く別のモデルを言っている学者もいる。
だから、まだまだ謎は続く。

9/19/2022

友人の死


 昨日友人から電話が来た。
ちょうど昔やっていた曲(Wasted on the way)を録音していた。
電話はその歌を昔一緒にやっていた友人からだった。
「ちょっと言っておくけど・・・」
「松尾が死んだ」
『ええ~のびちゃったの?』私はいつもの調子で言った。
「いや、ほんとに死んだんだ・・」
『うっそ~!今俺あの歌練習してたんだぜ!』私はレコーダの音を鳴らした。
「いやいや、ほんとなんだ、昨日だ・・・」
「昨日・・・(声にならない)・・・」
『いやいや、信じられないよ』
『(声にならない)』

松尾とは一緒にバンドを作ったけれど、どういういきさつだったのか、
覚えていない。その前に他のメンバーと松尾と一緒のバンドをやっていた。
一緒にやり始めたのはその頃からだろうな。
バンドではいろいろな歌をやった。
CS&Nなんかは松尾がいなかったら僕は一生やることは無かったと思う。
ボーカルは松尾任せだったから。
僕はチャラチャラとギターを弾いていれば良かった。
アイムユアーズが最後うまくいかなくなったのは、僕のせいだ。
このいい加減な性格のせいだ。

松尾と一緒に演奏したのは2年ほど前の蕨市民会館でやったのが最後だ。
あれからコロナが流行り出してお互い出ていくこともなくなってしまった。
それっきりだ。
その2年前に松尾に「松尾の歌を録音してCDにしよう!時間がある時言って」
と言って別れたのだけど、録音することも無かった。
それがとても残念だ。
もう一度何か一緒にやりたかった。

松尾は学生の頃、交通事故を起こしたことがあった。
あれはどこかのコンサートで演奏した後だった。
車は松尾が運転していて、確か松尾と我々4人が乗っていた。
九段下の交差点を坂下の方から右折する時だった。
信号は黄色から赤になっていたと思う。
松尾が右折を始めた。
すると坂上(靖国)の方から直進車が猛スピードで下ってきた。
そのままこちらの車にほぼ正面衝突だった。
私は後ろの席にいて、前の座席に思い切り頭をぶつけた。
しかし怪我は無かった。
助手席にいた人は怪我をした。
松尾が何か叫んでいる声が聞こえていた。
はっきり見えなかったけれど、相手の車のフロントガラスは割れて
誰か(女性だったか?)の頭が見えた。
それから私はそのまま車の中にいた。
救急車が来て私たちは病院に行った。
その後のことを”全く”覚えていない。
松尾はどうしたんだろう?
ずっと後になって松尾に聞いたことがある。
そしたら「大丈夫だった」としか言わなかった。
私は松尾になにかしてやっただろうか?
何かしてあげなければいけなかったんじゃないだろうか?
とずっと考えていた。

それからずっと後になって、お互いいい年になってから、
松尾から電話をくれた。
それでまた一緒にやろうということになってしばらく一緒に
バンドをやっていた。
彼は私の仕事についても心配してくれた。
それで彼の関係の会社に紹介してくれたことがあった。
それは仕事にはならなかったけれど、私の知らない放送関係の
仕事場は訪ねてみて面白かった。
それからも喫茶店で会って何度か話をした。
かれも仕事がいろいろ変わっていた。
しかし私は彼になにかやってあげられただろうか?

思えば私は松尾のやりかたに文句ばかり言っていた。
だけど彼はそれについて直接反論したことがあっただろうか?
それよりも私が間違えたり、うまく演奏できなかった時
彼は文句を言っただろうか?
ずっと思い出していたけど、たぶん無い。
彼は私が何度失敗しても文句を言わなかった。
そうだったんだ。
今になってそれがわかった。
でも私は彼のことを理解していただろうか?
私は彼になにもしてあげなかった。
今になってそう思う。

9/17/2022

The Last Farewell

 前にも別なとこで書いたように思うけど、 けど

ロジャー・ウィテッカーの「ラスト・フェアウェル」だけれど、
ずっと前から、たぶんこの歌を初めて聞いた時から、歌いたいと
思っていた。
何度かトライしたけれどうまく歌えなかった。
それからもうずっとずっと時間が経ってしまったけれど、
昨日歌おうと思い、歌ってみた。

それはいいのだけれど、この歌は南アフリカからイギリスに戻る時の歌
だとずっと思っていた。それから最近それはケニアだということを
書いている人がいて、「ああ、ケニアなのか」と思った。
それで昨日YouTubeに揚げる前に一応もう一度調べてみた。
すると作曲はロジャー・ウィテッカーだけど、歌詞は別の人だった。
これはラジオ番組で歌の歌詞を募集した中の歌詞だった。その歌詞に
ロジャーが旋律を作ったものだそうだ。
その人はRon A. Websterという人で銀細工職人としかわからない。

私がアフリカからイギリスに戻る時の歌と思っていたのは、
かつてのテレビ番組「おはよう720」の中でこの歌が使われていたから
だと思う。あの番組はアフリカとか良く行っていたから。
そのイメージで勝ってにそう思い込んでいたからだと思う。

9/14/2022

ジャック・クレイトン「回転」Jack Clayton The Innocents

今日ジャン・リュック・ゴダールが亡くなったというニュースがあった。
私はゴダールについて名前以外は何も知らない。
記憶を探っても何一つ出てこない。
しかしゴダールという名前を聴くと浮かぶ映画のシーンがある。
白黒映画で池の向こうに女性の幽霊が立っているシーンだ。
それがどうしてゴダールと結びついたのかわからない。

わからないので検索してみた「映画 白黒 幽霊」で画像検索したら
不思議なことにそのシーンの画像が出てきた。

記憶では雨が降っていたように思っていた。
<『回転』(かいてん、原題:The Innocents)は、ジャック・クレイトン監督、デボラ・カー主演による1961年のイギリスのホラー映画。>
だそうだ。
これが1961年の映画なのでテレビで見たとすると中学が高校生くらいの時だと思う。
その一瞬しか見ていないのに、それから何十年も記憶していた。
この映画、もう一度見てみたい気がする。
そのうちどこかで見よう。

しかしどうしてこれがゴダールと結び付いたのかを考えていた。
するとこの映画の後に観た映画がゴダールの映画だったと少し
記憶にある。淀川さんが出てきて何か言っていた。
たぶん同じ日に見た。
ゴダールの方の映画が何だったのか全く覚えていない。

ま、とにかくこの幽霊がわかったのでちょっとすっきりした。

9/08/2022

The days of Pearly Spencer パーリースペンサーの日々(2)

 訳してみよう・・・どうやら詩は複数行にまたがっている。
1行ずつ訳すと意味が通じない。

The Days of Pearly Spencer

安アパート、汚い通り
裸足で歩いて疲れていた
震える太陽に見守られたその通りは長くとても完全だ
小さな幼顔に年老いた瞳
壁や割れ目を通り抜け、跡も残さず、
昼間の明るさを避けている影のレース(競走)を眺めながら

パーリースペンサーの日々
ああ
レースはほとんど終わっている

曇りガラスに鼻を強く押し付けて
膨れた塊のように見つめている
草の生えないコンクリートの野の上で
めくらの様につまづいている
鉄の木々が空を覆い、しかし、しおれながらも立ち、
草がどこへ行ったのかも知らないし気にもしない目を通して
見つめている

パーリースペンサーの日々
ああ
レースはほとんど終わっている

パーリー おまえの乳白色の肌はどこに行った
その顎の安いジンに浸っている無精ひげはなんだ
おまえは演じて負けたんだ、勝ったわけじゃない
おまえは決して倒れない家を演じていた
ほら、打ち負かされうなずいた頭を見てみろよ
お前はネズミしか走れない道を遠くまで歩き過ぎたんだ

パーリースペンサーの日々
ああ
レースはほとんど終わっている

9/04/2022

The Days Of Pearly Spencer (David Williams)

突然思い出したフレーズ。
ヴォイスイフェクターを通したラジオからの音のような声。
あれはいったいどういう歌だったんだ?
と思って探してみた。
「そうかこういう歌だったんだ!」とはいかない。
私、はっきり言って理解できません。
こういうすごい詩の歌だったんだ。
知らなかった。
これはサウンド・オブ・サイレンスに匹敵するんじゃないだろうか。
よくわからないけど格好いい。



A tenement, a dirty street
Walked and worn by shoeless feet
Inside it's long and so complete
Watched by a shivering sun

Old eyes in a small child's face
Watching as the shadows race
Through walls and cracks and leave no trace
And daylight's brightness shuns

The days of Pearly Spencer
Ahh Ahh
The race is almost run

Nose pressed hard on frosted glass
Gazing as the swollen mass
On concrete fields where grows no grass
He stumbles blindly on

Iron trees smother the air
But withering they stand and stare
Through eyes that neither know nor care
Where the grass has gone

The days of Pearly Spencer
Ahh Ahh
The race is almost run

Pearly where's your milk white skin
What's that stubble on your chin
It's buried in the rot-gut gin
You played and lost not won

You played a house that can't be beat
Now look your head's bowed in defeat
You walked too far along the street
Where only rats can run

The days of Pearly Spencer
Ahh Ahh
The race is almost run
The days of Pearly Spencer
Ahh Ahh
The race is almost run
The race is almost run



8/30/2022

ギターの誘惑

 以前書いたかもしれないけれど、だいぶ前に御茶ノ水の楽器店で
VGの12弦を買った。
これはすばらしいギターだった。
12弦にしては弾きやすく(ノーマルチューニングで)て、音も良かった。
それはどうしてもお金が必要だった時に売ってしまった。
これは今最高に悔やんでいる。


さっきなんとなく「VG]を検索してしまった。
そしたらいい値段でVGの6弦を売っていた。
そういうのを見ると何か気になってしまう。
クリックすることは無いだろうが、ちょっと弾いてみたくなる。
そうするうちに「これはいいんじゃないか?」と思えてくる。
それで何度も失敗している。
オークションとか中古は弾いてみないと絶対にわからない。
ネットの写真では絶対にだめだ。

だいたいギターを変えても上手くなるわけがない。
音だって決して良くはならないだろう。
ネックの感じとか弾きやすさだって決して良くはないだろう。
そういうことだよ。
今まで何度も騙されてきた。

それはそうとなんでギターってあんなに高いんだ?
ギターごときに40万も出すわけないだろう。
私は出さない。
そう自分に言い聞かせる。

8/25/2022

BS&T(Blood Sweat & Tears)の巨大ポスター

 を天井に貼っていた。
あれは大学1年の時だ。
たたみ1畳くらいの大きさがあったように思う。
あのポスターって一体何だっただろう?と思って
検索したけど出てこない。
確か英語の文字と写真とイラストがサイケデリックな図柄で
できていたように思う。
なぜかレオンラッセルの顔も入っていたように思う。(気のせいか)
レコード屋でバイトしてた時にもらってきた。

そうだ、BS&TとChicagoが出てきた頃だ。
私はそのどちらも好きじゃなかった。
当時は。
しかしその後Chicagoは数多くのヒットを出してきて、
私も好きになった。
最近「25 or 6 to 4 (長い夜)」を聞き直してみて、
そういえばあの頃これが流行っていたなあ、
と思うのと同時に、「この曲はすごいな!」と思うようになった。
当時はとにかくブラスなんかが入っている曲なんて聞かなかった。
しかし今聞くとそのブラスがすごい。
よくこんな曲を作ったなあと思う。


Chicagoも大きなポスターがあったように思う。
レコード屋の壁に貼ってあった。
しかしなぜBS&Tのポスターをもらってきたかというと
セピア色のモノトーンで何か格好良かったからだ。
確か紙質は厚手でごわごわだった。

BS&Tは昔も今も聞かないけど、さっき当時の曲を聴いてみた。
曲はほとんど知っていたけれど、あんまり好きじゃない。
やっぱりブラスが入っているからか。


あの巨大なポスターをもう一度みてみたい。





8/22/2022

引っ越しをしよう

 今住んでいるところは地下鉄駅まで走れば3分で行ける場所なのだけど、
なにせ街のど真ん中なので景色というは隣のマンションぐらい。
ビルの隙間から武蔵小杉の高層ビル群が見えるには見える。
目の前にマンションが建つ前はどこまでも遠くが見えた。
それでここに住むことにしたのだけど、やはり街中はすぐにビルが建つ。

どんなところに住みたい? と聞かれたら
「森の中の湖の脇の家」とか「海が見える家とか」
そんなのが浮かぶ。
それで海の見えるところに住もうと思う。

今住んでいるところはそんなわけで価格が高騰している。
たぶん今が一番高値だと思う。
それで売ることにした。
そして海の見えるところに住むことにした。

僕はあと何年生きられるだろう?
父と同じ年だとするとあと5年しかない。
あと5年海を見ながら過ごすのもいいんじゃないだろうか。

そんなことを考えている。

どうしようもない性格

 後悔していることがある。
アメリカの亡くなってしまったBillさんのことだけれど、長いこと一緒にYouTubeで
コラボをしていたのだけれど、それをやっていると自分でやりたいことが
できなくなってしまうわけです。仕事もしないといけないし。
せっかく「これをやろう!」と言ってくれているのにだんだん憂鬱になってしまう。
そのことを遠回しに言ってみたことがあるのだけど、理解してくれただろうか?
でも彼はずっといつものように付き合ってくれた。
今思うと自分はなんてひどいやつだ!と思う。

最近、といってもここ数年、Bernardさんという人がメールをくれる。
音楽を作っている人だ。
彼の音楽を私が自分のアレンジでやって、一応、コラボしている。
やってはみたけれど、どうなの? という感じがしていた。
そしたら気に入ってくれたみたいだ。
それでそのあと「これはどう?」とまた別の曲を送ってきた。
私はすでに「面倒だな」と思い始めていて、その時は今はちょっとできない。
と言って断った。
それでも自分ではYouTubeに自分の曲をアップしたりしているわけで、
「今はできない」じゃないだろう?ということなのだけど。
たぶん彼もそれをわかっていると思う。
先月久しぶりにメールが来て、「孫が曲を作ったのだけど、これはどう?」
と楽譜を送ってきた。
「ああ、楽譜は面倒くさいなあ」と思っていたら彼が音にしたのを
送ってくれた。
「はい!わかりました!やりましょう!」と言ってしまった。
これでまた数日はこれにいかからないといけない。
・・・と思っていたらコロナだ。
彼に連絡してしばらくできないと言っておいた。
それから2週間。やっと自由の身になった。
それで「じゃあやりましょう」と始めた。

ところでお孫さんていくつだろう?
ベルナルドさんは確か76歳。孫はたぶん20歳くらいだろうか。
やっと仕上げた。

これでしばらく来ないだろう。
と思っているけれど、何も来ないのもさみしい。
なんてやつだ。

大体YouTubeでコラボしてるのはほとんど私から声掛けしてるわけで、
向こうから言ってくれるのは先のBillさんとかBernardさんくらいだ。
以前はスウェーデンのGittさんとかアメリカのMichelleさんとか
いたけれど、最近は音沙汰内無しだ。
ほらほら、そう考えるとさみしいでしょう?

Bernardさんとか芹沢さんとか声をかけてくれる人がいるから
なんとか生きてるようなもんだ。

そういうえばニッポンの友達からもメールがきていたけれど、
僕のパートをやらないといけないから無視してる。
なんてやつだ。
メールしてみようかな・・・

8/19/2022

不思議に思うこと

 例えばギターのリフとか難しいリードのパート。
何度やってもうまく弾けない。
それがある日テレビで誰かがそのパートを弾いてるのを見てしまう。
そうするとなぜかそのパートが弾けるようになってしまう。
特に何の練習もせずに。
そういうことは数限りない。
誰でもいい、そばで友達がそれを弾いてるのを見るだけでいい。
弾けなかったのは何だったんだろう?って思う。

それが一つだけど、もう一つ、「できる!」って思うことも
同じような効果がある。
つい先日バイクに乗っていて、止まったところの下が砂地でバイクを
ずるずると寝かしてしまったことがあった。
誰も来ないようなところだった。
バイクの下に手をやって起こそうと思った。
しかし、びくともしない。
いや、ほんとにびくともしない。
バイクってこんなに重かったっけ?と思った。
これはダメかもって本気で思った。
それでしばらく横になったバイクの脇に座って汗をぬぐっていた。

それからいろいろ思い出して。
教習所のカワサキはこれより重かったよねえ?
でもあれは何度も簡単に起こせたよねえ?
それで「これはできるんだ」と考えることにした。
そしてハンドルの位置と持つところを選んで、
バイクを押した。
「できる!」って思いながら。
そしたら簡単に起こせた。
さっきのは何でだったんだ?と思った。

そういうのもたくさんあるなあ。
ハングの衝突の時もそうだ。きりもみで落ちながら
「だいじょうぶ!」って言って手を離した。
それで一瞬で回復した。
あと300メートルくらいだった。

ああ、二宅島で泳げないくせに海底まで潜った時もそうだった。
海底から上がってきたらボートが向こうの方にあった。
泳げないくせに、よしあそこまで行ける!と思った
なんとかたどり着いた。
どういう泳ぎをしていたのか思い出せない。

そんなことばかりだ。
人生なんて。

昨日の夢

 どうでもいい。

どこかの湖に合宿(音楽の)に行くことになった。
バスで行く人と車で行く人、私はバイクで行くことになった。
少しオレンジ色っぽい黄色のきれいなバイクだ。
たぶん250cc。
荷物が多いのでどうしよう?と考えている。リュックを背負っている。
もう一つ一抱えもある四角いバッグがある。
それをタンクの上に載せて行こうと思っているけれど、大きすぎる。
それでバスに荷物だけ積んでもらおうと思い、バスを探すけれど、
バスがみつからない。多分もう出発してしまった。
しかたないので荷物を部屋(自分の家)に置いて行こうと思い
家に荷物を置く。
それからバイクを走らせるけれど、ライトが点いていない。
ライトのスイッチを探すけれど、わからない。
もう一人のバイクに乗った人が教えてくれる。
それでやっと出発できた。
だけど左足のシフトの下に足が入らない。
ステップとシフトの間が狭すぎる。
「そうかヒールキックか」と気が付く。
走りだしてグラブをしていないことに気が付く。
ヘルメットもしていない。
しかたがない取りに帰ろうと思い、元来た方に戻ろうと思う。
しかし、元来た場所がわからない。
町の中の道路わきにバイクを停めて、歩いて道を調べる。
どっちへ行っても見覚えが無い。
しかたがないのでバイクのところに戻ろうとするけれど
バイクが無い。
「あ、持っていかれたのかな?」と思い、
さっき見つけた(みつけてない)交番に行って聞いてみようと思う。
交番に行こうと思うけれど、道は田舎道になり山道になる。
山の峠道から下に小学校が見える。
大きな学校だ。
「あ、そうだ合宿に行くんだった」と思い出す。
しかし道は下に降りて行くけれど、全然どこだかわからない。
「どうしたらいいんだろう?」

夢だ





8/18/2022

昔の話

 兄からメールが来た。
「まだ小学生の頃東京駅から吉祥寺までバスに乗ったことがある」
という話だった。
それは私もかすかに覚えていた。
大きなバスでとても長い時間乗っていたのを覚えていた。
それと運転手は客が乗っている車にはいなかったと思う。
運転席は別の車になっていて、確かその後ろに排気の煙突があった。
・・・ということをかすかに覚えている。
その記憶がどこまでほんとうかわからないけれど、
あのバスは「トレーラーバスじゃなかったかな?~」と聞いてみた。
兄から「おうおう、そうだトレーラーバスだった」と言ってきた。


兄からは時々そういうメールが来る。
私が全く覚えていないこととかを書いてくる。
両国で花火を見たことを書いてきた。
私もそれは少し覚えていたけれど、
あれは三和銀行の招待でビルの屋上で見たということだった。
私の記憶ではレストランかビヤホールみたいな記憶だった。
花火のことはほとんど覚えていないけれど、
ただひとつはっきり記憶していることがある。
それは私(たぶん小3くらい)がオレンジジュースをこぼしてしまったこと。
真っ白なテーブルクロスにオレンジ色のジュースがこぼれた。
それがどんどん広がって行った。
多分私はその時泣いたように思う。
父がボーイさんに言ってテーブルを拭いてもらった。
そのオレンジ色の広がりをトラウマのように覚えている。

8/06/2022

星を見よう

 誰でも一度は天体望遠鏡を買おうと思うに違いない。
私もずいぶん前に買った。
TAKAHASHIの60mm屈折望遠鏡だった。赤道儀も付けて。
今それは前の家の天井裏に置きっぱなしだ。
わかってはいたけれど天体望遠鏡で星は大きく見えない。
肉眼では見えなかった小さな星が、小さな点になって見えてくるだけだ。
惑星と月以外は。
もう一つ星雲(銀河)がある。
星雲は望遠鏡では大きく見える。
大きく見えるが肉眼ではさらにボケて見えるだけだ。
カメラで長時間露光でもしないとはっきりは見えてこない。
いや、実は長時間露光でも完全にはっきり見えてくるわけじゃない。
地球の大気にじゃまされて。


それでこれを考え出した天才がいた。
補償光学だ。
レーザーを大気の中のある層に当てて大気の揺らぎを検出してその揺らぎ
の値を補償するための鏡を動かして揺らぎを相殺する。
こんなことを考えた人はすごい。
と思ったらもう1950年代に考えはあったらしい。
それが1990年代から実現化し始め、2006年に日本のスバル望遠鏡は
ハッブルの3倍の視力を持っていたらしい。
じゃあわざわざ宇宙に望遠鏡打ち上げなくてもいいじゃないか。
ということだろうね。
しかも数百分の一の予算でできる。

上の写真はスバルじゃない。
左の大きなのはケック望遠鏡だ。
ちょうどレーザーを出している。

この補償光学の装置はまだアマチュアレベルでは不可能みたいだ。
でもそのうち誰かが作るだろうな。
そうするとあちこちからレーザービームが空に放たれて
それはそれで問題になるだろうな。
星空の撮影が駄目になる。
何か取り決めをしないとね。

でもアマチュアの小さな望遠鏡で遠くの銀河のきれいな映像がみれたら
すばらしいことだと思う。









8/04/2022

ブーン、ノースキャロライナ

 偶然BooneのTーシャツを見つけて購入した。
まだ来ない。
なんで自転車なのかはわからない。
とにかくBoone NC.だ。
ブーンっていうのはあのダニエル・ブーンのブーンだ。(誰だよ?)
昭和の時代にアメリカンテレビドラマでダニエル・ブーンっていうのを
放送していた。アメリカ開拓時代の「英雄」らしい。
しかしあの時代のことだからインディアンと戦った英雄なのだろう。

そのBooneだけれど、前にも書いたけどDoc Watsonの生まれ故郷だ。
フォークウェイズにその地図が書かれていて、高校生の私は
「よし!ここに行こう!」と思った。
それで何十年後かに行ってほんとにDoc Watsonに会えることができた。
まるで嘘のような奇跡的な話だ。

そのBooneだけど街のことをあまり覚えていない。
Docの家はそこから山の方に行ったところだったから。
Booneの街のQuality Innというホテルに泊まった。
だいたいこれがどこにあったのかも覚えていなかった。
Google Mapでやっと探し出した。
名前は変わっているけれど建物はそのままだ。
Appalachian Panhellenic Hallとあるけれど何だろう?
とにかくこのホテルだった。4階あたりのとてもきれいな部屋だった。
その部屋から前の交差点が見えたけれど、記憶では特に何もない田舎の
交差点だった。しかしGoogleで見ると今は立派な街になっていた。

そこから車でしばらく走ったところにマスト・ストアーがあった。
Docはここのお店で若い演奏家と一緒に写真を撮っている。

このお店だけれど、Googleを見るともう無いようだ。
お店は確か西向きあるいは北西向きだったと思う。
しかし今Mast Storeと名前がついているのは南向きだ。
それに店の前の道路はこんなに広くなかった。
片側一車線だったはずだ。
それでこの店の西側にもう一つお店がある。

たぶんこっちが元のMast Storeのように思えるが、やはり違う。

もう一度調べたらば場所が違った。
Valle Crucisだ。全然違う場所だ。
よかった、まだあった。
またここに行くことがあるだろうか?
NYよりもLAよりもこにもう一度行きたい。


8/01/2022

コロナ観測

 コロナは太陽表面よりも温度が高いらしい。
その原因もまだはっきりしていないらしい。

それはそうとコロナに罹患した。
7月28日未明に発熱。
そこから2日間は37度5分から38度7分までの高温。
咳がひどかった。
咳はずっと、ではなく時々襲う。
咳を1回するたびに体温が0.1度上がる感じ。
3日目から37度台で推移。
4日目にしてやっと36度台に戻った。
咳は時々出る程度。
だるいという感じはずっとしている。

匂いと味覚だけれど、
匂いがしないと気が付いたのは4日目くらい。
猫トイレの匂いが全くしないので気が付いた。
しかし次の日には徐々に戻ってきた。
今は多分普通に感じる。

味覚だけれど、義理の息子がオニギリやゼリーを買ってきてくれて
それを食べていた。
しかし味覚が無いとは思わなかった。
オニギリは適度にしょっぱかったし、ゼリーは甘かった。
もともと食事の味はあんまり気にしていなかったかもしれない。
今まで食事は自分で作っていたけれど、適当な味付けて
十分おいしかったと思う(他のメンバーもそう言ってた)。

だから改めておにぎりを味わって食べてみると、
ご飯の感触や梅干しの味を改めて再認識した。
コンビニオニギリのご飯の感触はとてもいい。

<今猫にかまれた、右腕にみみずばれができた、痛い>

幸いあとは特に症状の悪化は無い。
さっき保健所?から食料配給が届いた。
大きな段ボールにキツネウドンやゼリーやトイレットペーパーその他
ごっちゃり入ったものが届いた。
これ発症者全員に届けてるの?
ちょっと発症者全員確認の方針はどうなんだろう?
無駄じゃないだろうか?

感染が確認された日に検査センターから川崎のクリニックに
連絡が行った。それから「保健所に連絡します」というラインが来た。
その後、なかなか保険所からは連絡が入らず、
神奈川県から感染確認のメールが入った。
3日目に保険所の人から電話が来て、「自宅療養してください」と
言ってきた。
実はネット上には「65歳以上は自宅療養はできません」と
書かれていて、どこかに行かされるのを想定していた。
しかし現状のあまりに多い感染者発生のためそんなのんびり
してはいられないのだろう。
それから酸素飽和度を計る機械が届いて、毎日電話でその値を
聞いてくる。
あれはどのくらいの値が正常なのだろうか?
大体毎日97だ。

今日はほとんど回復状態だけれど、夜になったらどうかわからない。
吐き気で眠れない日もあったから。

あと6日間は家から出られない。
うっかりCOCOAをインストールしてしまったので、
出かけたらわかってしまうのかもしれない。

7/27/2022

九州から電話

 今日、九州の友達から電話をもらった。
相手からかけてもらった電話で長電話をしてしまった。
長電話を終えて不思議な感覚に襲われた。

何度も書いているけれど佐賀の並川は札幌時代からの友達だった。
並川は四国と九州でくらしていて、最後は佐賀だった。
独特の話し方で少し訛りがあり、基本的に明るい。
そしてどんどん話しを進めてしまう。
並川はそんなだった。

さっき電話を終えて「あれ?今の芹沢さんだよね?」と考えてしまった。
それほど話し方がそっくりなのだ。
声も似ている。
並川は病気になってどこかの飲み屋から電話をくれたのが最後だった。
そのあとは電話がつながらず並川の友人から僕に連絡があった。
だからあの飲み屋からの電話が彼の声を聴いた最後だった。
そのあと何度も彼の声を聴きたいと思った。
何度も。

それでさっき九州から電話をもらった後で、
並川と話していたような気がしてならない。
なつかしい友達から電話をもらったような気がする。
こんなことを言うと芹沢さんには失礼かもしれないけれど、
芹沢さんはとても大事な友達だということを再認識した。

7/24/2022

また高熱

 7月20日に4回目のワクチンを打った。
それから4日経った今朝早朝、1時頃にひどい寒気に襲われた。
パジャマ厚手のものに替えて毛布をかぶって寝た。
寝たけれど寒さが収まらない。
これはおかしいと思い、体温計で計ってみると37度5分。
熱が出ている。
しばらく震えているうちに眠ってしまった。
次に目が覚めたのは暑さでだった。
体中が熱い。
体温計で計ると38度だった。
それが2時半頃。
それからさらに体温は上がり、3時半頃には最高で38度5分まで行った。
行ったところで眠ってしまった。
次に目が覚めたのが8時頃。
少し頭が痛い。
体温を測ると36度5分に戻っていた。
それからはずっと平熱で頭痛も無かった。
そこでやっと思い出した、2回目のワクチンの時もそうだった。

2回目のワクチンの時は摂取して5日の夜に高熱が出て
それが2日間続いた。
そして3日目からは平熱だった。

どうも私の場合、ワクチンの副反応は遅れて出るようだ。




7/23/2022

新しいsimカードだと

 若い人たちが神のように崇めているスマートフォンだけれど、
私は元々電話ができればいいと思っている。
・・・だけれど、表面のガラスが割れてついに触らなくても
アプリが動くようになってしまった。
いちいち消すのも面倒なので新しいのを買うことにした。
今まではショップに行って買い換えていたけれど、どうも
それは色々損をしていることに気が付いたので、ネットで
購入することにした。ちなみにymobile。

注文して2日目に届いたので古いスマホのsimカードとSDカード
を入れて電源を入れたら、何やら指示されるので、古いのと
新しいのをCタイぷのUSBでつないだら、何やら始まって
数分でデータが入れ替わった。面倒は一切無かった。


それで電話の送受信もネットも普通に使えるので使っていたら、
「6日以内に回線を切り替えてください」とメッセージが入った。
「なんだ?」と思ってほっといたら次の日にまた同じメッセージが
来た。
それで近くのショップに聞きに行ったら「切り替えてください」だと。
わかりました切り替えましょう! とそのまま指示通りに切り替えた。
「15分くらいかかることがあります」とか。
数分で「回線の切り替えが完了しました」とメッセージが入った。
そこで電話の送受信を確かめたら「現在使えません」と言われた。
固定からもかからない。
かなり焦っていろいろやってみたが駄目だった。

息子がこれを知ったら大笑いするに違いない。
古いsimが入ったままだった。
「おうそうじゃったそうじゃった!」と気が付いたのは20分後。
古いsimで動いていたのでもうそれは問題ないだろうと思い切っていた。
「あ、そうね、回線を切り替えたんだもんね」
と新しいsimをカードから切り離して入れ替えたら、問題なく動いた。

だけどこれは意外な盲点じゃないだろうか?
と、自己弁護。

新しいのはリベロ5Gとかいう一番安かったやつ。
でかくて重い。
リベロという名前は何代目かに乗った車がそうだった。
三菱リベロ。
アルミパイプでステーを組んでハンググライダーを積んで走っていた。
マニュアルだった。
いつだったか足をくじいてクラッチを踏むのが死ぬほど痛かった。
それでこれはオートマにしないとだめだと思い、別なのに買い換えた。
でもリベロはステーションンワゴンタイプ(ライトバン)タイプの
格好いい車だった。
結構好きな車だった。


小樽の町

先日札幌に行った時に、小樽にも行った。
小樽の今は運河沿いが賑わっている。
賑わっているといっても以前のようにたくさんの観光客で
あふれているということはないようだ。

そこは通り過ぎて港に行った。
港はだれもいない。
立ち入り禁止のところが多い。
昔はどこもはいることができた。
昔と同じ場所の写真を撮った。
上はたぶん1978年頃。下は2022年だ。
2000年を中心に前後22年だ。



残念なことにここへは入ることができなかった。
もう使われていないのだろうか。
手前の方はもうすべてが錆びついていた。
向こうの先頭の方だけは使われているような感じだった。
小樽港のこのあたりはよく来た。
どこへでも車が止められた。
ソビエトのユーリと知り合ったのもこの港だった。
そこから駅の方に戻って昔賑わっていた商店街の方を歩いた。
ここは昔からサンモールだったろうか?
おでん屋の「たことら」がこの入ってすぐ左のところにあったけれど、
今はもうない。
よく行ったなべ焼きウドンのお店が確かこのテントのあるお店のところ
だったように思う。この前に車を停めてよく食べた。
おいしかった。おばさん(多分40そこそだったんじゃないだろうか)が
ひとりでやっていた。カウンターの前にガスコンロがいくつか並んでいて
目の前で作ってくれた。当然すごく熱かった。
ここだったと思うけれど、スパゲティーをよく食べたお店があった。
造りはアメリカンな感じだったと思う。
そこでミートソースをよく食べた。スパゲティーの上に炒めた
ひき肉がどさっと乗っているパスタだった。

そこから国道を少し札幌の方に行き、友達の家があったあたりまで行った。
そのあたりはもう記憶が遠すぎてよくわからない。
公園通りという少し広い道があったはずだと思い出し、
それを探した。
それを見つけたけれど思っていたよりもずっと遠かった。
そこからさらに少し下った路地だったはず、そこがわかった
その路地を入って、この場所だ。
この右手に「グリーンハウス」というアパートがあった。
たぶんその建物はもう建て替えられている。
この周りを歩いたけれど、すべてが変わってしまっていた。
もうどうしようもないくらいの時間が過ぎてしまったんだな、と実感した。

7/16/2022

仙台までは

 独り言。読むには値しない

毎年札幌から東京に帰っていた。
車で。
約1000キロ。
東北道もまだ無かった。
東京へ戻る時はまだ良かった。
延々と国道を走っていても気楽だった。
野辺地でフェリーを降り青森から盛岡を過ぎ
仙台を過ぎると気分はもう東京に帰っていた。
ほんとうに東京まですぐだった。

そのうち岩槻から仙台まで東北自動車道ができた。
いやその前は矢板までだったけれど。
仙台から東京まではとても近くなった。
札幌から東京まではほんとに近くなった気がした。
少なくとも東京に戻る時は。

三鷹から岩槻までの都内の道は最悪だった。
いつもほとんど渋滞していた。
やっとのことで岩槻にたどり着き高速に乗った。
高速に乗ったら仙台まではすぐのはずだ。
だって仙台から東京まではあっという間だったから。

だけど仙台はなかなかたどり着けなかった。
遠かった。
郡山、福島を過ぎ仙台までの道は遠かった。

仙台からは一般国道4号線だった。
盛岡から野辺地に行く前に金田一温泉で
道は大きく左にカーブしたように思う。
そのカーブのところの町をよく覚えている。
やっと金田一だ、と思った。

金田一を過ぎれば野辺地を目指すだけ。
野辺地は夜中だ。
吹雪の時も多い。
雪の中、車検証を持って事務所で乗船を申し込む。
そして車に戻り乗船の列に並ぶ。
吹雪の中乗用車が10台くらい並び、
車の黄色いライトが列になっている。
乗船まで1時間待つこともあるし2時間のこともある。
待っていても欠航になることもある。
吹雪の中ライトを持った係りの人が回ってくる。
乗船場に向かうように言われる。
(タイヤはどうした? ずっとスパイクのままだったのだろうか?)

フェリーの乗船のための鉄板をスパイクタイヤがかじる音
が耳に残っている。
フェリーに乗ったら4時間寝ているだけだ。
函館に着くまでのしばらくの間だ。


函館に着く前に目がさめる。
しばらくデッキで外を見ている。
着岸する少し前に車に乗り込みエンジンをかける。
車の周りでは作業員の人が車にかけたロープや鎖を
外して回っている。
ゴンゴンと船底をたたくような音が響く。
着岸して車両甲板の大きな扉が開くと外が見えるようになる。
先頭の車両から順番に出るように指示される。
カチカチとスパイクの音を立てながら外へ向かう。
港のコンクリートに降りるとそのまま港の外に向かう車の
後を追って走る。

そこから札幌まで250キロ。
退屈な道をただ走る。
あれはいったいどこへ向かっていたんだろう?



7/15/2022

コロナ陽性

 家族の一人からコロナ陽性が出た。
始めは高い熱と体の痛みだった。
それが二日続いて3日目に検査でコロナ陽性とわかった。
そして隔離療養ということで専用のホテルに隔離された。

判明するまで私ともう一人は普段と変わらぬ生活をしていた。
もう一人は発病者と同じ皿のものを食べていた。
3人ともワクチンは3回やっている。
それから10日経ったけれど、あとの二人は
検査でも陰性だった。
いったい何が違ったんだろう?

明日その陽性者が出所する。
10日間まったくホテルの部屋から出られなかった。
差し入れは一回だけ、面会は無し。
これはあれだな、拘置10日間と同じだな。

7/13/2022

ルマン24

一番初めに自動車レースをテレビで見たのは多分小学校4年の頃だと思う。
すると1960年頃だ。スターリング・モスはまだ現役で走っていた。
ファンジオは確か引退していた。
そんなことを覚えているのも小学生の記憶力のすごさだと思う。

さっきテレビで「栄光のルマン」をやっていた。
この映画の映像はすごい。「グランプリ」の映像もすごかったけれど、
この栄光のルマンもすごい。
見ていて驚いたことはメインスタンドのところの狭さだ。
この映画は1971年だけれど、実際のルマンを反映してはいると思う。
この16年前に60人以上の死者を出していることを考えると、この狭さは
その事故の時とほとんど変わっていない。
白黒だけれど、これは1955年のルマンだ。
たぶんどこかにル・ヴェーが映っているはず。
っていうかこの観客席は少しも変っていないように思える。
この右手の観客席の遥か向こうからばらばらになったル・ヴェーのマシーンが
観客席に降り注いだ。

それでは今年はどうだったんだろう?と見たら。
右側はピットロードが緩衝になっている。
左側は実際の観客席まですこし緩衝地帯があるようだ。
これでも危険なことは危険なんだろうな。
ピットロードで事故ることもあるだろうし。

ルマン式スタート(ドライバーが飛び乗る方式)は1971年まで
あったらしい。以降はローリングスタートになったそうだ。