12/31/2018

死ぬかと思った

昨日の夜中に腹痛と吐き気でどうしようもなくなった。
トイレに行ってしばらくしても良くならない。
座り込んでトイレの座るところに頭を置いて20分くらいそのまま
静かにしていた。だれも来なかった。
30分もすると少し良くなってきたので、ベッドに戻ってしばらく座っていた。
猫が来てスリスリしてきた。
頭をなでていたらだいぶ気分がよくなった。
一時はこのまま死ぬかと思った。
父が病院のベッドで言っていたことを思い出した。
「この吐き気さえなければいいのだけど・・・」
僕の目を見ながら言っていた。
その気持ちが良くわかった。

しかしなにが原因なんだろう?と考えてみた。
昨日は、午後に渋谷でラーメンを食べた後は特に何も食べず、
夜はウイスキー入りのチョコレートをたべて、その後ココアを飲んだ。
これかもしれないと思った。
マグカップにミルクを入れてそこにココアを山盛り4杯くらい入れて飲んだ。
それしか考えられない。
カカオアレルギーとかいうのがあるらしい。
症状がそのままだ。
突然出るらしい。
しばらくチョコレートが食べられないのがつらい。

12/30/2018

ピンク・フロイドの夏

っていうテーマは前にも書いた気がする。

2021年の8月6日はアフロディーテからちょうど50年目の夏だ。
50年というのはすごい。
僕が生まれる50年前というのはパリ万博があった年らしい。
何の感慨も無いけれど。
箱根のあの場所には何度も行っているけれどその後はきれいな緑の庭になっていて
あの当時の雰囲気は全く残っていない。

今日も寒い。
夏だ。
少しだけ夏が欲しい。
そうだSUMMER 68だ。
ということは彼らの夏から今年は50年目だったんだ。

Would you like to say something before you leave?
Perhaps you'd care to state exactly how you feel
We say goodbye before we've said hello

2021年の50年後のあの夏まであと2年とちょっと。
生きてるかなぁ?

12/26/2018

再開

することにした。

3か月くらいかな?
何も書いていなかった。

Billさんが亡くなってメールが来なくなった。
九州の並川ももうずっと連絡が来ないし、とれない。
僕が声を聞きたい人はみんな連絡できない。
・・・「できない」のだよ。

あと数日で2018年という信じがたい遠い年代も終わり
さらに遠くの2019年になるらしい。
もう自分がどこから来たかも思い出せない。
2019年という年は全く覚えがない。
2018年は記憶にあった。
というよりも遠い昔のどこかの年とつながっていた。

つまり2019年は全くのエッジ(edge)だ。
この先は何も無い。
深い谷に向かって足を踏み出すインディアナ・ジョーンズのように
何も無い空間に足を踏み出せるのか?
ま、足を踏み出さないと後ろは無いからね。

じゃあ、もう一度1970年に戻って考えてみよう。
確か「1999年の大晦日にはみんなでどこかに集まろう」とかいうことを
言ったように思う。
それは実現できなかったけれど、40歳になった時にはみんな集まって
CDを作ったことがあった。
でもその時、その先のことはどこまで思い描いていただろう?
2001年が未来だった頃だから、当然2010年のことなど考えていなかった。
2018年は全く想定外の事象だった。
津波で原発が止まったようなものだ。

昭和が終わった時、どこかで集まってバカ話をしたように思う。
でもそれから平成がこんなに早く終わるとは思わなかった。
ただの年号だ。
そうは思うけれど、やっと慣れ親しんだ「平成」が終わるのは切ない。
次の年号はふざけた年号がいい。
たぶんそのふざけた年号に僕は死ぬ。
あるいは全く予想もできない出来事でその新年号は数年で終わるかもしれない。
それもまた面白い。
でも天皇は死なないでほしい。

今の天皇は自分の中では「皇太子」の印象が強い。
というか今でも皇太子のように思える。
昭和天皇は父に似ているところがある。
だから2度父を失った気がする。

だから今の皇太子だか天皇だかは死なないでほしい。
4年おきに年号を変えたらいい。
そうすれば西暦との相性もいいし、オリンピックとも相性がいい。

10/11/2018

江東区 有明 葛西 荒川

札幌から東京に帰ってしばらくの間、東京の街が狭く感じた。
深川で暮らし始めた頃も広々したところに憧れた。
君は不思議に思ったろうけれど、よく夜に車で有明や葛西の方まで行って広々した空き地や海を見に行った。
夜は特に人も車も少なく、しずまり返った工業地帯が好きだった。
あんまり好きじゃなかった工場地帯にいると北海道のあの寂しい空気を味わえるような気がした。
だから夜になると車を走らせた。
あれは理由は無かったんだ。
ただ静かな広々したところにいたかった。

自動二輪免許

まだアマストにいた頃だ。
小伝馬町に会社があった時。
会社の50ccを借りて会社が終わってから平井にあった教習所まで通った。
調べてみると片道7キロくらいある。
よく行ったなと思う。

普通免許を持っていたので学科の方はパスだった。
一緒の頃に教習した人はほとんど高校生で、同い年くらいの若い女性が一人。10歳くらい上の男の人が一人。いつも同じメンバーだった。
教官はけっこう若い男の人で、雰囲気は自衛官あがりのような感じだった。
格好良く、気持ちのいいひとだった。

バイクはカワサキの400。ごつい感じの重いバイクだった。
教習は結構すんなりだったけれど、失敗がいくつかあった。
一つはバイクにまたがったまま、足で少し移動しようと思い。
なにかの原因で、エンジンがかかったままアクセルを全開にしてしまった。
その時ニュートラではなくクラッチを握っていた。エンジン音に驚いてクラッチを戻してしまった。
バイクは又の下をすり抜け、すごい勢いで走っていった。
そして教習所のフェンスを半分くらいまで駆け上がった。
あれにはそこにいた全員が驚いた。
でもまあ、よくあることなのか怒られることもなく、注意するように言われただけだった。
もう一つは卒業試験の時、すべて完璧だったのに、パイロンの1つに車体をこすってしまった。それで試験をやりなおさないといけなかった。その時のメンバーで落ちたのは私だけだった。
2回目の試験はうまくいった。

その後、その10歳くらい年上の人とは何度か連絡をしあったように思う。その人はほどなく大型免許もとったと言っていた。

しかし、そもそもなんで自動二輪をとろうと思ったのかが不明だ。
何かに憧れていたのだろうか?
トライアルバイクがいいなと思ったのはあれは免許を取る前だろうか?後だろうか?
考えられるのはそれだけだ。

10/08/2018

東京に帰って

東京に帰る少し前に東京に行ったことがあった。
あれは就職の面接だったろうか。
飛行機で羽田に着き、兄が迎えに来てくれていた。
だからあの時は兄の家に泊まったのだと思う。
ということはあれは浦安の家だったろうか。
兄の車に乗って湾岸の道路を走りながら外を見ていた。
大きな工場地帯を抜けてゆくとき「ほんとにこの街にすむんだろうか?」
と思った。確かそれを声に出して言ったと思う。
兄は何も言わなかった。
すごく不安だった。
それと札幌を後にすることの罪悪感があった。

あの頃何を考えていたのかはっきり思い出すことはできない。
しかし、何かやらないといけないと思っていた。
不思議なことに何でもできるという自信だけはあった。
オディオのことしか知らないくせに。
アナログ回路しかわからないくせに。
あの自信がそもそもの元凶だったのだと思う。




10/07/2018

スピーチバルン

あれは両国のフォークロアセンターだ。
国東さんのところで歌を歌うことになったのは僕がそうしたわけじゃない。
だから君が国崎さんに連絡したんだと思う。
何曲か歌ったけど「スピーチバルン」だけ覚えている。
たしか深川のスタジオで一回練習したと思う。
その時なぜか僕の兄が一緒にいたように思う。
スタジオは門仲駅からえんま堂の方に向かった深川一丁目の交差点の南東角だった
ように思う。あるいはそこからもう少し東陽町よりだった」かもしれない。

フォクロアセンターはまだあるみたいだ。

記憶では墨田川の西側にあったように思ったけれど、反対の東側だった。
しかも店の前の道路が広くなっているように思う。
この店?の2階だった。
二階へ行く階段の壁にダルシマが飾ってあったように思う。
2階はそんなに広くない。
国崎さんともう一人知らない人がいた。
僕らが歌った時にも一緒に聴いていた。
僕はよくしらない歌。。。
あ、思い出した。
もう1曲はジム・クローチのアラバマレインだ。
僕が適当に訳して日本語で歌った。
もう1曲がスピーチバルンだった。
確か僕の指のせいで押さえられないコードがあった。
なんとかやったのかな?
その後のことはまったく覚えていないけど、
国崎さんともう一人のために歌ったようなものだった。

公園に行こう

よう、ユキナ、トシヤ、公園行こう。
手をつないで行こう。
トトもついて来てる。
階段上って桜が咲いた木の下。
すべり台を滑って
砂場には友達が来てる。
トトはどこかの木に登って僕らを眺めている。
公園には子供の遊び声が響いて
向こうのグランドから野球のバッティングの音が聞こえる

まるでいつまでも続くと思われたあの時間は
あっというまに遠くに過ぎ去って
もう二度と戻ることができない。
過去も未来もいらない
できるならあの時間を果てしなく繰り返していたい

9/26/2018

再びBillさんのこと

ビルさんが亡くなって3週間くらいたつのだろうか、いまだに信じられない。
というかまた彼からメールが来るような気がしてならない。
つまり来ないことが不思議だ。
「もしも手術の後、戻らなかったら妻が伝えてくれるから」
と言って出かけた手術の後はちゃんと戻ってきた。
そして、調子は悪いけどまた一緒に歌をやりたいと言っていた。
それなのに術後に悪くなるなんて。
いつかウィスコンシンまで会いに行くのが夢だった。
もっと早くにやっておくんだった。
本当に親しい人をなくした時は皆こんな感じなんだろうか。

9/25/2018

The Planets (Gustav Holst) by Isao Tommita

ホルストの「惑星」も高校生の頃よく聴いた。
もちろんその時はオーケストラの演奏だったけれど。
しかしそれよりも10年くらい前にテレビドラマの音楽として「惑星」は
使われていた。アメリカドラマの「月世界探検」(だったか「月世界旅行
だったか「宇宙探検」だったか、のどれか)のバックに惑星の音楽が使われていた
だから高校の時に初めて聞いたはずなのに全部の曲を知っていた。
そのドラマは記憶の中にしかないけれど先のとがったロケットで月まで飛んで行くシーンと月面を宇宙服を着て歩いているシーンを覚えている。
2001を最初に見た時にそのドラマのシーンとダブっているように思った。

ところで冨田さんの「惑星」だけれど、これももう数えきれないほど聴いた。
考えてみるとこの曲は50分を超える長さがあるのに、よくそう何度も聞いたな、と思う。
このレコードを聴くと冨田さんが天才的だということはもちろんだけれど、ホルストが
天才的だったと思う。
特に最後の海王星はすごいと思う。

冨田さんのは海王星の後にオルゴールで木星のメロディーが流れるけれど
その音はアパートの一人暮らしの部屋を思い出させる。

CLAIR DE LUNE (CLAUDE DEBUSSY)

前に書いただろうか?
書いたとしたら Au Clair de La Luneじゃないだろうか。
子供の歌だけど最後は大人の歌になってしまうやつ。
あれはいいのか?子供の歌で。。

今日書こうと思ったのは、ドビュッシーの「月の光」のこと。
ピアノの曲なのだけど、たぶん最初に聴いたのは高校生の時。
「ベルガマスク組曲」の中の曲だけれど、あんまり印象に残らなかった。
弦楽や管弦楽の曲が好きだったのでピアノの曲はあまり聞かなかったのかもしれない。

そのまま大学に行き、就職したのがオーディオ関連の会社だったので札幌の電気屋、その頃は電気屋にはよく通った。当時の電気店のメインはオーディオと家電だった。たいていの大型電気店のオーディオのスペースはかなり広かった。
(そういえばパソコンもゲームも携帯も無かった)
ある時すごく気になる音楽が流れていた。
その音がとても気になっていた。帰ってからもその音が耳に残っていた。
また別の日に同じ店に行ってしばらくいたけれどその音楽は流れなかった。
何度かその店に行った時にまたその音楽が聞こえた。

「ああ、これだ」と思って音のするスピーカーの所に行くとレコードが飾られていた。
「冨田勲・月の光」と帯に書いてあった。
そうかこの曲か、と思った。
当時はネットは無かったのでそのレコードについて知るにはオーディオ雑誌かレコード
そのものを買うしかなかった。
それでそのレコードを買った。

その音楽が全てシンセサイザーで作られていたことに驚いた。
と言うのも私は丁度そのころ自作のシンセサイザーを作っていたから。
自作はもちろんだけれど市販のシンセも当時はまだ単音だった。3つ~6つの和音を出せるものが出たのはもう少し後だった。
和音が出せるのはシンセではなく電子オルガンの部類だった。
電子オルガンは全ての音について1つずつ発音回路が並んでいたけれど、シンセは1つの音源で全ての音域の音を出していた。そのため1つの音を出すための回路はいくつかのブロックに別れた複雑な回路になっていた。(もちろんデジタル前のことだけれど)
だから3つの和音を出すにはその複雑な回路が3組必要だった。

そういうものだと思っていた。だから冨田さんのその音が全てシンセで作られているということが信じられないくらいの驚きだった。
いまでも初めてあの曲を聴いた時の感じを思い出すことができる。









9/24/2018

科捜研の女

テレビはほとんど観ないのだけど、午後のの時間に再放送しているのをつい観てしまう。
科捜研というのは化学の実験室に似ているように思う。白衣着てるし。
まあ、学校の実験室はあんなではないけれど、基本形は同じだろう。
つい観てしまうのは全員俳優っぽくないからかもしれない。あんなふざけた演技は無い。
特に沢口靖子は度を越えている。それがなにかはまってしまう。彼女は女性らしい恰好
よりもちょっとボーイッシュな格好の方が似合う。

あの手のドラマでは毎回誰かが死ぬわけだけれど、「科捜研」でもその後やっている「相棒」も毎回人が死ぬ。なにか人が死ぬことが当然のように人が死ぬ。
しかしよく考えてみると人が死ぬっていうことは、本人にとってはもちろんだけど
周りの人にとっても一生に一度の大きな出来事なはずだ。
昔の朝ドラでは戦争で主人公の夫が死ぬというのがすごく大きな出来事としてとらえられていた。

刑事もののドラマを見ているとその人が死ぬことが当然のように思ってしまう。
それで、ちょっと視点を変えて、殺された人の家族の気持ちになって観てみた。
限りなく涙が出てくる。
いやいや、本当ならこのセリフは無いだろう。ということがたくさんある。

今の世の中ニュースでは殺人事件だらけだ。
まるで刑事ドラマのように。

9/22/2018

昨日の夢

風邪をひいてしまったのでねてばかりいる。
昨日の夢はよく覚えている。

吉祥寺の井の頭公園入口あたりの曲がり角のような街の道路を、少し高くなったところから見下ろしている。
すすと下の歩道で様子がおかしい男が暴れている。よく見ると胸のあたりが
扉のようになっている。どうも人間ではなさそうだ。
高台から降りてその歩道まで行くとさっきまで暴れていた男が車道の脇に倒れている。
倒れているが動いている。胸の扉が開いていて中が空っぽだとわかる。
人々は遠巻きに見ているがだれもどうしようと思わない。
私はこれはおかしいと思い、警察に連絡しようと思う。
見るとすぐ後ろに交番がある。
なんで警官はこの騒ぎにきがつかないんだろう、と思う。
私は交番に行って「ちょっと来てください、おかしいんです」というと
警官が一人出てきて一緒に歩き始める。
私は息子と一緒にさっきの場所まで先を歩く。
(息子がいつから一緒にいたかわからない)
大勢の人が歩いていて、さっきの場所までなかなか行けない。
「ちょっと先に行ってます」と警官に言って、先を歩く。
ずいぶん歩いた。
道は下り坂になってずっと先は住宅街になっている。
「道を間違えた!」と言うと、その道を歩いていた主婦らしい人2人が
「そうねえ、ずいぶん来たわね」という。
私は息子と一緒に道を戻る。

よく考えてみるとさっきの場所は交番と目の鼻の先だったはずだ。
どこで間違えたのか理解できない。
だいたいさっきあるいていたのがどこだったのかもわからない。
息子は「俺は家でやらないといけないことがあるから帰りたい」と言う。
そうか、付き合わせてわるいことをした。と思う。
財布の中をみるとお金は十分ある。タクシーと電車で帰れるだろう。
息子を先にどこかの駅から帰るように言おうと思うと、
息子はスタスタと坂道を降りて行く、その先がカーブになっていて見えない。
急いでカーブの先まで行くと、息子は池に飛び込んでいる。
しかし、あまりきれいな池ではなく、黒い藻のようなものが浮かんでいる。
私は「上げって来いよ」と言うと汚れた水で体が汚れている。
しかも服を着たままだ。
池の脇で何かのトレーニングをしている一団がいる。
「すみません、シャワーを貸してもらえませんか?」と言うと、
「うちのクラブの方ですか?そうでないと使えません」という。
しかたがないので近くの民家にきいてみようと思い、
民家の玄関に行って声をかける。
だれも出てこない。
別の家に行く。
返事がない。
その時「ああこれは夢だ」と思い、もうやめよう。
と思ったとたん目が覚めた。

汚れた息子をそのままにして、すごい罪悪感が今だに有る。

9/16/2018

瀬谷の緑地

名前が無い!
何かつけといた方がいいと思うけどね。


Google Mapで見ると茶色だけどストリートビューで見ると草地だとわかる。
ここは一体何だろう? と思って行ってみることにした。
上野地図の赤丸のあたりのバス停に(瀬谷駅からの)バスが停まる。そこから地図の
距離計測の線に沿って歩いた。
ぐるっと回ってるのは入り口が無いからだ。
ところどころにこの看板がある。


南関東防衛軍だったらよかったのにと思った。そしたらこの下にモゲラが埋まってるのは
確かだから。
このものものしい看板を横目に回り込んでみると森に入った。けっこう深そうな森だった。(瀬谷市民の森と言うらしい)
その入り口に猫が一匹。こっちを見ていた。さらに森に入るとまた猫が一匹。
お腹を空かせていそうだったので、かがんで持っていたおにぎりを崩して手に乗せると
その猫がやってきて、食べた。へえ、ごはん食べるんだ、と思っていると体をすりすり
させてきたのでもう少しあげた。
そうしてると何か視線を感じたので周りを見ると猫が少なくとも6匹、こっちを見てる。
「あげるよ」と言っても近づいてこないのでちぎって投げてやると飛んできて食べた。
絶対にこっちにこない猫もいたので、そっちの方にも投げてやった。みんなよく食べていた。


おにぎりはお昼にどこかで食べようと思って駅のコンビニで3個買ったものだった。
その3個は結局ぜんぶあげてしまった。
後でわかったのだけど、この近所にはコンビニもお店も無かった。帰るまで何も食べずだった。



猫はそのくらいにして、途中に横道があったのを思い出して、あそこを行ってみようと思い少し戻った。




道があるくらいだからここは通ってもいいんだろうと思い、その道を歩いた。
ここも渡良瀬と同じで日陰がほとんどない。
でもかなり広々している。



緑地の中に乗り捨てられた車があった。
でも緑地全体は草に覆われてきれいだ。
この日も確か35度超えの日だったと思う。緑地だからと言って少しも涼しくない。
水は大き目の水筒に氷と一緒に入れて持ってきたので時々飲みながら歩いた。
この木陰の道を抜けると反対側の一般道に出るはずだった。
地図にはそういうふうに載っていたから。



だけど、小道を歩いて行くと向こうで農家の人がトラックターで畑を耕していてその手前に、「ここから先通行禁止」と書かれた柵があって通れない。
しかたがないので、横から行けるだろうと思って行くのだが道が無い。
そのままどんどん歩くと緑地を出て結局保土ヶ谷バイパスの下に出た。
バイパスに沿ってあるくと八王子街道に出るはずなので街道まで歩いた。
すこし行くとバス停があってベンチがあったので、そこに座ってバスを待つことにした。
バスが来て乗り込むと「南林間行き」だった。
ずいぶん遠くまで持って行かれた。

行きは横浜回り相鉄線だったけれど、帰りは町田回り小田急線だった。
ずいぶん歩いたけど気分は良かった。







9/15/2018

植草甚一

すごく年配のじいさんだという印象しかなかったけれど、
植草さんが亡くなったのは71歳だったらしい。
そうですか、あと2,3年だ。

そうですか、
もののべながおきさんは何歳だったんだろう?
ああ、もののべさんは80歳だったんだ。
私が最後に会ったのは70歳くらいだったんだろうな。

稲垣足穂さんは何歳だったんだろう?
と、76歳だったみたいだ。
稲垣さんは飛行願望があったんだ。(wiki)
一時稲垣さんの本を何冊も読んだことがあった。
何が面白かったのか思い出せない。

澁澤龍彥は?
なんと59歳だ。
若いな。

などと書いてると滅入るからやめよう。



9/14/2018

ドラゴンクエスト 遥かな旅路

だいたいドラゴンクエストというゲームを知らない。
それよりもゲームの類は全くやらない。
それで唐突ではあるけれど、ゲームの音楽っていうのはどうなんだろう?
と思って、いろいろ聞いてみた。
オーケストレーションされているものも多い。
もともと何もしらないから何から聞いていいかわからなかったけれど、
とりあえずFFだろうと、何曲か聞いてみた。
ゲーム本体から出る音はちょっと聞きずらいのでオーケストラのコンサートものを聴いてみた。

おそらく聴衆はFF1~十幾つまで戦ってきたつわもの達なのだろう。
こういうのはどこかで見たなと思い出すと、
これは映画音楽だ。と思った。
我々の時代にはサウンドトラックはほとんどオーケストラになっていた。
本当のサントラではなく他の楽団がカバーしたものが多かった。

おそらくそれぞれのシーンのテーマを聴くとゲームのシーンがよみがえるのだろう。
我々が映画音楽を聴いて映画のシーンを思い出したように。

あ、それでドラクエの「遥かな旅路」をやってみようと思った。


このBloggerのこと 2

少し前に書いたことが、
左寄りでもなく、右寄りでもなく、どちらでもない内容で書いたつもりだった
けれど、誰か(たぶん右の人)が変なリンクを張ってきたので、
しばらくの間アクセスできないようにしていた。

それで再開したら今のとこアクセス数が10分の1くらいになった。
つまり一桁。
それはそれで良かったと思う。

もともと誰かに読んでもらうつもりで始めたわけではないので、
私が死んだあとで子供たちが読んでくれたらいいと思う。

じゃあなぜオープンにしてるかというと、ここに書いているような
検索ではめったに出てこないような事柄を、ひょっとして誰かが検索して
「おう!」と思うことがあったら面白な、ということでオープンに
してる。だからGoogleで検索すれば後ろの方には出てくるはず。

昔、札幌の「バードマンション」に住んでた人が検索して、ここに来たら
おもしろいと思う。
理由はそれだけ。

コメントも感想も評価もいらない。

だけど毎回数人の人が読んでくれていることは確か。
表示されていないけど閲覧数に必ず何人かいるから。
うーーん、
ご苦労様です。


9/13/2018

Away

暇にしてるとどこかに行きたくなるのだけど、
いつも遠くに出かけると思うのは
「なんでここにいるんだろう?」ということ。
例えば空港について、ホテルにたどり着いてベッドに腰かけて
思うのは、「家に帰りたい」ということ。
それからずっとその気持ちがある。
次の日になって、「さあ、今日はどこに行ってみよう?」
とポンプアップするのだけど、気持ちのどこかに「帰ろうかな?」
という気持ちがある。
現地がよっぽどエキサイティングな場所だったら、それに浸ってしまうから
平気なのだけど、
札幌に帰った(行った)時などは、まず「あれ?なんでここに来たんだっけ?」
と思う。
旅行はまずその気分に打ち勝つことから始まる。

一番怖いのは旅行先の飛行機や災害で事故に遭った時には必ずこう思うはず。
「ああ、やっぱり家にいればよかった。
 家のソファーに横になってテレビ見てればよかった」と。
その時が怖い。
どこか遠くに行くときはあんまり考えないことにしているけれど。

いつからこんなふうになってしまったのかわからない。
バイクに乗っていた頃もむちゃくちゃやってたのに。
ハングに至っては死んでもおかしくないことを何度もやっていたのに、
今はなぜかアウェイが怖い。

9/10/2018

死んだ男の残したものは

別に好きな歌じゃないし、好きな詩人でもないのでどうでもいいのだけど、
なぜか最近YouTubeでよく見かけるような気がする。
それよりも気になるのはこの歌がベトナム戦争反対の歌だと書き込んでいる
人がいることだ。
この歌はベトナムの反戦歌ですか?
違うと思う。
どうもWikiの記事を上ずらだけ読んでいるようだ。
Jump to navigation Jump to search

死んだ男の残したものは」(しんだおとこののこしたものは)は、谷川俊太郎作詞武満徹作曲による無伴奏合唱のためのベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された日本反戦歌の1つである。[

とあるのだけど、「ベトナム戦争反対の歌」とは書かれていない。
あるいはベ平連で最初に歌われた歌だからそう思ったのだろうか?
この歌の内容からするとベトナムに限定されたものでないことはわかるはず。
どちらかと言うと「核戦争反対の歌」の方が近いと思う。

この歌は誰が最初に歌ったか、というのはwikiに書いてあるけれど、
だれが最初にレコードを出したのだろう?
と考えると、どうも高石ともやさんではないだろうか。
谷川俊太郎の詩集が出たのが1968年。
そのベ平連の集会が1965年。
高石ともやの「想い出の赤いヤッケ」のアルバムが1967年だ。
これ以前にこの歌をレコードで出した人はいないのではないだろうか。
私自身も1967年のこのアルバムで聴いた。そのあとはアマチュア以外では
この歌を聴いたことがない。
高石さんのこのアルバムは「想い出の赤いヤッケ」以外はすべて
社会派(ソシアルプロテストソング)の歌だ。(今、気が付いた)

想い出の赤いヤッケ
明日は知れない
白い傘
生きのこり
俺らの空は鉄板だ
かごの鳥ブルース
一人の手
冷たい雨
小さな箱
死んだ女の子
学校で何を習ったの
死んだ男の残したものは
チューインガム一つ

今だからおもうけれど、このアルバムはずいぶん多くのフォーク歌手に
影響を与えたのではないだろうか。



9/08/2018

野辺地フェリー埠頭 吹雪の深夜

写真を撮っていなかったろうか。と全部のネガを調べる気はしない。

どっちの方向にしろ冬の夜中の野辺地フェリー埠頭はだいたい吹雪いていた。
東京から走ると青森よりも野辺地の方が少し近い。
売店の側に車を停めて、車検証を持ってキップを買いに行く。
欠航の可能性があるようなことを書いた白板が立っている。
いつものことだから気にせず車に戻って、車を乗船場の近くに移動する。
だいたいこの辺だろうか、というあたりに車を停めて横になる。
外はガンガン吹雪いている。
真夜中だ。

*もう野辺地フェリーは無いらしい。何時無くなったのか知らない。
 記憶では真夜中に乗って朝に函館に着くということが多かったように思う。
 そうするとフェリーは夜中の1時くらいに野辺地を出たことになる。
 記憶が定かでないのでわからないけれど、そういう時間だったと思う。

船が出るまであと1時間以上待つことは普通だったように思う。
欠航になってショップの方でコーヒーを飲みながら時間を過ごしたこともあった。
それは函館の方だったかもしれない。

窓の外は吹雪。オレンジ色の照明だけが見える。
時々乗用車が列に並びにくるくらいで、少し遠くをトラックがやはり乗るために
やってくるのが見える。多くのトラックはもうずいぶん前からそこにいるように
思える。エンジンをかけたままひっそりしている。

船が無事出る時は出航少し前に誘導の係りの人が来て、こっちに並ぶようにと
指示をくれる。
乗船するほとんどは大型トラックだから乗用車は早めに降りられるように開閉ドア
の側から詰め込まれる。

車に乗ったままは禁止なので上の客室の方に移動する。
中にいて寝てもいのだけど、デッキで外を見ていることが多かった。
しばらくは遠くの方に街の灯りが見える。
それを見ていると酔うことは無い。














青森が見えなくなると仕方がないので客室に戻って横になる。
波が強いと転がりそうになるけれど、揺られているうちに眠ってしまう。
約4時間もすると港が近づき、ざわざわしてくるので目が覚める。
外はもう明るい。

この写真は野辺地側かもしれない。


着岸する前に車に乗り込んでエンジンをかけて、指示を待つ。
その時の感じが懐かしい。
着岸して大きな跳ね上がり式のドアーが降りる。
外のまぶしい光が入ってくる。
着岸すると係りの人が車の輪留めを次々と外して行く。
ゴトンゴトンと音がする。
先頭にいる係りの人が1台ずつ出るように指示する。
それに従ってフェリーを降りる。
地面の安定した感じがうれしい。

埠頭のショップで何か食べただろうか?
どうも思い出せない。
なんとなく朝は食べなかったような気がする。
しばらく走って、ドライブインで何か食べたと思う。

朝の、半分眠い、顔の前がもやもやした状態での運転の感じがなつかしい。
ああいうのはもう無いだろうな。
仕事で徹夜で運転した頃はまだあの感じがした。
特に運転しながら朝日が昇るときの、あの感じ。
あの感じは特別だ。

9/01/2018

Bill Clark

まだYouTubeでは誰もコラボなどやっていなかった。
9年前だ。
「弾き語り」というのは寂しすぎる。
だから誰かと一緒にやりたかった。
それで一人でやってる人を探した。
プロではなく、あまりに初心者でもなく、
それがBillさんだった。
勝手に彼のビデオをダウンロードして、それに合わせて自分の演奏を重ねた。
あんまりうまく行ったとは思えなかった。
でもその動画を非公開でYouTubeにアップしてBIllさんに知らせた。
全然知らない人だし、どう思われるかわからなかったから。
でも彼からの返信は思いもよらなかった。
すごく喜んでくれて、すぐに別の曲をやろうと言ってきた。
それからたくさんの曲を一緒にやってきた。
「一緒に」と言えるのかということだけれど、
どういう歌をやるか、キーは?誰が歌う?どこを歌う?
どんな風に歌う?とかを話しながらやってきたので
離れていても一緒に歌った感がある。
だから、いつも一緒にいたような気がする。

でも、Billさんが書いてくれるメールにすぐに返事ができない。
英語を読み返して、自分はどう書こうかを考えないといけないから。
日本語だったらすぐにでも返事ができるのに、英語だとなんで時間がかかるんだろう。
間違えても向こうはわかってくれるはず。
それがわかっていてても何度も書き直してしまう。
結局送らなかったり。
それでもBillさんは書いてくれる。

最後のメールは7月31日だ。
Hello Kogawa, sorry it’s been so long since I emailed. I did get your last email, and sorry for not responding.
I had to have another heart surgery, as the new aortic valve that they put in failed. I have been very weak with no energy. Tomorrow (Wednesday) they are giving me a feeding tube in my stomach because I am very low body nutrients. I am hoping this will help me build up my strength again.
I have been really enjoying listening to your songs you have uploaded. Great music tracks and your voice sounds wonderful.
I see the weather has been very hot for you in Japan this year. It has been here hot as well.
Are you still riding your bike everyday?
Thank you for sharing all your pictures...I sure enjoy seeing them.
Does the music studio you use to record, do they charge very much money? Sure looks like a nice studio.
Well, you take care of yourself. I sure miss making music with you. Maybe in a couple months I will be a little better and we can try something.
Best to all your family....
See you soon...your friend,
Bill
Sent from my iPad

Billさんは一番の友達だった。
でも僕はBillさんの良い友達だっただろうか。
ずっと考えている。

2018年9月1日ビルさんは行ってしまった。










8/31/2018

時代

YouTubeで車の修理を見ていたらこんなのがあった。


31年と書かれているけれどもう少し前じゃないか?とも思う。
この6分14秒のところでピンク・フロイドの「狂気」の8トラックカセット
が写っている。他のカセットはだめになっているけど「狂気」だけはラベルが
残っている。
このVWマイクロバスはヒッピームーブメントを象徴するような車だ。
この車はもうぼろぼろだ。
つまりそれくらい時代が過ぎているということなんだと納得する。
パート2の最後の方にサイドウィンドーにジェリーガルシアの写真が貼られているのがわかる。
この車のオーナーは当時のロックファンだったんだろうなと思う。


7/21/2018

視聴率

こんな超個人的なブログ、誰かに向けて書いているわけではないのですが、
タイトルが検索で出てくるものはしかたないとして、
どんなに少なくても必ず読んでくれている人がいるようです。
Googleの統計で出てきます。
自分はカウントされないので、誰かが読んでいてくれるみたいです。

わかりました。
私はあなたの為に書きます。

7/17/2018

渡良瀬遊水地


東京生まれ、ずっと東京暮らしの友人に「渡良瀬遊水地」知ってる?
と聞いてみた。
知らなかった。
私も子供の頃から関東圏に住んでいるけれど知らなかった。
なぜだろう?と思う。
地図の関東平野の上の方にこんなに大きな緑地があるのに、小学校以来
地図を眺めてきたけど知らなかった。

それが何かの拍子に「これはなんだ?」と気が付いた。
Googleストリートビューで一部だけ見ることができた。
すごく広々した緑の景色だった。
これは行ってみなければ、とさっそく2日後に行くことにした。
バスで行けばいいだろう。と思っていた。
渡良瀬遊水地の公式(?)ホームページを財団法人が公開しているのでそれを見てみた。
しかしバスによるアクセスが書かれていない。
車で行くか電車でどこかの駅から歩け!と書いてある。
しかしどこの駅からも遠い。一番近い駅で40分歩くらしい。

炎天下この距離を歩くのは無理。しかも行きたい場所まではさらに10キロ以上歩かないといけない。炎天下を。
私が行きたかったのは(上の地図で)一番北の緑地。無理。
調べてみると、古河駅と板倉東洋大前駅にはレンタサイクルがあるらしい。
しかしいずれも目的地まではえらく遠い。無理。
駅からタクシーというのも考えたけれど、帰りはどうする?というのがある。
タクシーで往復30キロ以上になる。ちょっと料金が心配。

やっぱりバスがあるんじゃないか?
と思ってしらべたら有った。
古河駅からのバスは緑地の方には行っていない。でも東武藤岡駅から出ているバスはかなり近くまで行くことがわかった。
行きは「江川南」で降りて、帰りは「四区待合所」から駅に帰ればいいと分かった。
バスの本数が少ないので帰りは3時過ぎにはバス停に向かわないといけない。
朝は10時からだけど横浜から3時間近くかかるのでそんなに早く起きれる気がしない。
それで12時くらいのバスにしてちょっと歩いて帰ってくることにした。

適当に起きて横浜から栗橋経由で藤岡駅に着いた。バスまで30分待ち。
駅で何か食べてから歩こうと思っていたけれど駅前には何もない。
駅員に聞いてレストランの場所まで行ってみたけれど、結構ガッツリしたメニュー
であまり食欲がわかなかった。駅まで戻って途中で念のためと買ったおにぎりを食べた。
これは正解だった。

バスは小型のコミュニティーバスのような感じ。料金100円。
江川南で降りて緑地の外れまで歩くのだけど、これが思いのほか遠い。
地図を井の頭公園の池のイメージで見ると近いのだけど、ここは北海道サイズで見ないといけなかった。
公道から緑地側までは道が途中雑草に覆われて草を分けて歩く感じ。
それで出たところがここ。



川が流れていてここから南に向かって緑地が始まる。
この川に沿って真っすぐ緑地の方に向かう道があったのでちょっと歩いてみたけれど、
道の両側から葦がたれかかってきてそれ以上行くと、熊はいないだろうけどスズメバチとか居そうなのでやめた。
それでここが土手になっていて土手がずっと南の方まで続いている。


ここから約2.5キロ先に川に橋が架かっている場所があるはず。
たいした距離ではないのだけどとにかく太陽が暑い。
途中写真を撮りながら歩いたのだけど、何度か土手の下に降りて木陰で休まないと倒れそうだった。


土手から遠くを見ると延々と緑地が続いている。


鉄塔がずっと続いていて「わあ、鉄塔武蔵野線みたいだ」とか思ったのは瞬間で、
それより暑かった。


この森はGoogleで見ると真四角に見える。
ここを左に曲がって緑地の中に入ってしばらく歩くと川にでる。


この川にかかる橋が一応目的だったのだけど、この景色は中止にしてしまった北海道旅行で写真を撮るはずだった川と橋のイメージだったから。
北海道では川は結構流れは速く流れている。でもここは緑地というか湿地なので水の流れはゆるやか。
やはり北海道行こう。と思った。

緑地内は虫がすごい。
歩いていると耳のそばでブンブンいってる。
ずっと虫よけスプレーを体中にかけまくりだった。
幸い刺されることはなかった。

あらためてみると地図の上の方4分の1くらいのところをちょっと歩いただけだった。


7/14/2018

渋谷のSAV

マッチが出てきた。



場所をはっきり思い出せないのだけれど、「道玄坂百軒」とあるので
だいたいあのあたりだったのだろう。
何度か入ったことがある。
だからマッチがあるわけだけど。
あまりよく覚えていないけれど、誰かと二人で入った時は
テーブルの左側の方にガラス窓があり外が見えたような気がする。
その時にCSN&Yのデジャブがかかっていたのをはっきり覚えてる。
ジャズだけじゃないんだ、とその時思って
一緒に行った友人とその話をした。
店の中に反響するそのギターの音が耳に残っている。


6/28/2018

「オートバイからVサイン」

彼女には会ったことも話したこともない。
・・・と思っていたのだけれど、そうだろうか。。

なぜか捨てずに残っていたこの本が本棚にあった。
それを眺めていて思い出したのは、記憶だろうか?
それとも後から勝手にそう思ったことだろうか?

毎年1回は札幌ー東京を車で往復していた。
甲州街道を調布から都内に向かう途中、環八を右折したところに
彼女の店があった。
確か、、一度その店に入ったことがあった。
そこに誰か女性がいた。
そのころはバイクには興味が無かったからちらっと店の中を見て
すぐに出てきた。
今思うに、あの女性は彼女だったのではないだろうか。。

バイクの免許を取ったのはそれからずいぶん後になってからだ。
その時には彼女はもう居なかった。
この本はいつ買ったのだろう?
もうハング関係の本もバイク関係の本も全部処分したのに
これだけ残っていた。

堀ひろ子さんは私より1つ年上だったんだ。。
父と同じ誕生日だ。



6/17/2018

夢を見るには

ビタミン B6がいい、とどこかに書いてあったから試してみた。
全く効かなかった。
だいたいサプリで何かに効くというのは当たった試しがない。

曰く、夢を鮮明に覚えたり、夢の続きを見るのはビタミンB6を飲み続ける
といい、とか書いてあったので、しばらく続けてみた。
しかしよく眠れるようになった気はするけれど、夢は全く見ない。

私的に確実に夢を見る方法は、寒い状態で眠ることだ。
夜中に布団を蹴飛ばして何もかけずに眠って寒さで目が覚めた時などは、非常に
はっきりと夢を覚えている。またそのまま布団をかけて眠ると夢の続きを見る
ことも多い。
たぶん、寒い状態というのは完全に熟睡できない状態なのではないだろうか。
だから夢を見ている状態で寒さで目が覚めると夢をはっきり覚えている。

昨日見た夢もはっきり覚えている。
一番覚えているシーンはこれまでにも何度も見たのと同じようなシーンだった。
どこか広々した工場跡地のようなところにものすごく巨大な、というか
高層の真っ白の建物があり、上の方は少し雲にかかってかすんでいる。
その上の方に横向きに別の建造物が伸びている。
絶対に有り得ない形のものが空の高いところにある。
とても人間が作ったものとは思えない。
上の方は少し青みがかかっている。

あれは落ちてくるんじゃないだろうか?
そう思うと怖くなった。
だいたいあの建物は何だ?
あんなに真っ白で何の為の建物なんだ?

その上の方に飛行機がやってきて止まる。
いや飛行機だと思ったのは宇宙船のようだった。
だいたい翼が無い。
あんな宇宙船を人間が作れるだろうか。

怖くなって工場跡のコンクリートの壁の隙間に潜り込んで
それを眺めている。



そんな夢だった。
目が覚めてみると何が怖かったのかわからない。
その不思議な建物をもう一度見たいと思って
眠ろうとするけれど、変に目が冴えて、それから1時間くらい眠れなかった。
スマホを出してニュースを読んでいるうちにまた眠ってしまったようだ。




6/08/2018

ラズベリーパイとTK80

「ティーケイ・ハチマル」はCPUが8080だったから「ハチマル」なわけで、
決して「ハチジュウ」ではない。Z80(ゼット・ハチジュウ)が出たのは
ずっと後だから。

ラズベリーパイだけれど、
こんな大きさしかない。
TK80はB5くらいの大きさがあった。


いずれもその時代の最先端のトレーニングボードだと言えると思う。
それぞれの性能は比較するのも意味が無いくらいの性能の差だ。
ラズベリーパイは驚くほどの機能を持っている。
このサイズだとTK80のI/OインターフェイスのICが1個乗るくらいだ。

TK80を前にして考えられる応用はたぶん無限にあったと思う。
あれから始まったのだと思う。
しかし今ラズベリーパイを前にして何ができるのか想像ができない。
もうあまりにもその世界から離れてしまっていたから。

しかしあと半世紀もすると今度は量子コンピュータがこのくらいのサイズになって
現れるに違いない。
その時は今までとは違った想像もできない応用ができるようになるにちがいない。

その世界を見てみたい気もするが、
みない方がいいような気もする。

5/21/2018

砂漠

時々、誰もいない場所に行きたくなる。
乾燥した砂漠がいい。
メサは有っても無くてもいいけれど、
赤い台地がいい。
しばらくそこに座って眺めていたい。
そこに飽きたら、少し移動してまた座っていたい。
たぶんたいして景色は変わらないかもしれないけれど。

                           

晴れていてもいいし、嵐でもいい。

日本だと砂漠が無いので、どこか静かな川を眺めていたい。
これはどこだったろう。。
長野の方かな?


まあ、どこでもいいから
人のいない場所で静かに川を眺めていたい。

5/17/2018

ピノキオ

また映画(AI)を見てしまった。
この映画前半は辛いことばかりなので、最後の30分を見る。
最後の30分も辛いので途中で中断。

ピノキオは本当の人間になりたくて色々な苦難を乗り越え
妖精さんにお願いして本当の人間なることができる。
AIを見ていて思ったのだけど、AIと人間の違いは何なんだ?と

というか人間はピノキオに任せておいていいのだろうか?と思う。
そもそも人間は「本当の」人間なんだろうか?
たぶん大昔からそれを追及してきたはずだ。
哲学者やたくさんの宗教家、あるいは科学者たちが。
一体人間というのは何なんだろう?と

それを「ピノキオは本当の人間になれてよかったね。」
ということでいいのだろうか?
人間は本当に人間なんだろうか?



5/14/2018

樹海

「人生の途中にはあるだろう?
人生を変えるような大きな瞬間」
「何が大切か気づく瞬間だよ」
「来ては去る瞬間だが、時として
遅すぎる」
「手遅れだ」
"too late"

映画だ。"追憶の森"
樹海に迷い込んだ男が言っていた。

映画の中でアメリカ人の男がGoogleで「a perfect place to die」と検索すると
青木ヶ原が出てきていた。
同じことをやってみた
実際に同じように出てきたので驚いた。



今、見終わった。
おとぎ話だったけど
とてもいい映画だった。

追記:これ書いてからから4年経った。また今日この映画を見直してみた。泣いた。
   なぜかしらないけれど泣いた。もうストーリーもわかっていたのに。
   一つ違ったのは今回は字幕じゃなくて吹き替えだった。だからちょっと
   会話に違和感があった。それと日本語と英語が交差する内容のところは
   やっぱり少し変だ。この映画は字幕、あるいは何もなしでやった方がいい。
   その方がこの映画の面白さがでると思う。
   しかしこの映画はいい映画だと思う。

5/13/2018

今日の夢

私の娘はまだ6歳だった。
部屋のおもちゃやがらくたの山の中で眠っていた。
「なんでそんなとこで寝てるんだ?」と起こすと
部屋のおもちゃで遊び始めた。
部屋は明るいオレンジ色の光に満ちていて、
部屋の外からの空気の流れを感じる。
私はそばに行って彼女を膝の上に乗せる。
その温かさと柔らかさがはっきりと伝わってくる。
彼女は何か言いながらおもちゃで遊んでいる。
私はそれを見ながら「まだ子供で良かった」と心底思う。
脇に私の母が立ってそれを見ている。
私はふと不安になって、
「お母さん、これって夢?」と聞く。
母はとても淋しそうな顔で何も言わずに見ている。

私はこれは夢か?と聞くのもおかしい、と思っている。
子供はまだ私の腕の中でおもちゃで遊んでいる。
「これ、夢なの?」と自問する。
私は母の手をとる。
母の手はすこしザラザラした指先だが、とてもやさしい。
「ああ、これは本当なんだ」と思う。
母の顔を見る。
まだ、とても淋しそうな顔をしている。
私は腕の中の子供がいないことに気が付く。

目が覚めた。
あれは夢ではないと思った。

4/30/2018

5月1日 1994 San Marino Grand Prix

子供の頃の記憶にあるうちではスターリング・モスはまだコースを走っていた。
白黒のニュース映画だったのか、あるいは番組の映像だったのかわからない。
だからそれは1961年か62年だったのだと思う。
その後中学生くらいになったら1時間か2時間かわからないけれどF1のレースを
録画中継するような番組があったと思う。
そのころのレーシング・ドライバーの名前を憶えている。
ジャック・ブラバム、グラハム・ヒル、ジム・クラーク、ジャッキー・スチュワート
・・
だいたいあの頃のドライバーの名前は全部覚えている。

それからずっとF1とル・マンはテレビで見てきた。
1994年の5月1日までは。

あの日以来見ることはなくなった。




4/24/2018

Glenn Gould 2

今日はBeethovenの交響曲第6番をグールドがピアノで弾いているのを見つけたので
聴いてみた。
これも昨日の「皇帝」と同様衝撃的な演奏だった。
第一楽章からしてオーケストラで聴いていた曲と同じものか?
と思わせるほどの劇的な演奏だ。
編曲はリストなのだ。同じリスト編曲のピアノバージョンを他の人で以前に聴いた
ことがあった。でもその時は(たぶん)忠実にオーケストラを再現していたように思う。
なぜなら退屈でオーケストラの方がいい、と思ったからだ。

でもグールドの演奏は全く違う。
ベートーヴェンの曲の中に隠されたメロディーを引き出して聞かせてくれている。
とても新鮮だ。

私はメロディーをハミングしながら聞いていたけれど、
どうもハミングがハモって聞こえる。
よく聞いてみるとグールドがハミングしながら弾いている。
しかもメインの旋律ではないメロディーをハミングしている。

ところどころバッハを思わせる部分がある。
これはリストの仕業かグールドの仕業か知らないが、
つい引き込まれてしまう。
すばらしい演奏だ。

誰かがコメントを書いていた。

Beethoven wrote the Symphony.
Liszt transcribed it for piano.
Gould added choral.

Glenn Gould

中学・高校とクラッシクおたくだったのだけれど、グレングールドは聴かなかった。
理由は「変な人」だということだったから。
最近クラシックをまた聞き始めた。しかしいざ聞き始めると長いのだ。
以前は平気で聞いていたチャイコフスキーの4番。長い!
この曲は好きな曲だから聞けるだろうと思ったけれど、途中放棄。
ベルリオーズの幻想もシェーラザードも何もかも長い。

それでちょっと聞くのをやめて、また今日ちょっと聞いてみた。
YouTubeでベートーヴェンのピアノ協奏曲5番を聞き始めたらやはりかったるい。
別枠にグレングールドとカレルアンチェルの映像があったので、それを聞いてみた。
たぶんグレングールドをまともに聞くのは初めてだ。
しかし驚いたことにものすごく新鮮だ。
最初から最後まで一気に聞いてしまった。
グールドはすごい。
全く違うフレーズに聞こえる。
いや、ほんとに違うんじゃないか?と思う。
特に後半から最後の盛り上がりのフレーズはどう考えても違うような気がする。
まあ、中学・高校の時の記憶だからあてにはならないけれど、
でおそれほど新鮮に聞こえた。
久しぶりにクラシックにのめり込めた。

4/22/2018

子供のころ体験した不思議なこと

というスレッドを読んだ。

いくつか私もしたのと同じ体験が書かれていた。
1.赤ん坊で母親のお腹の中にいた時の記憶が子供の小さいころにはあった。
これは私も同じことを感じていた。子供のころお風呂に入って水道のホースを
お湯に入れて水を出して、それを手で受け止める時の手の感触がお腹の中にいた
時の漢字と同じだ。と小さい頃に思っていた。
だんだんその感覚は無くなって行ったけれど、小さい頃にそういう感覚があった
ということははっきり覚えている。
2.夢が現実になる。私の場合は夢でみた場面に出会うということだった。
小さな頃から大学生くらいまでそういうことがあった。最後にあったのは(どこかに
書いたかもしれないけれど)白樺湖に合宿に行った時だ。一度も行ったことが無い
場所なのに曲がり路の先に貯水池があることが、道を曲がる前にわかった。
その光景は夢とほとんど同じだった。
いや、40歳くらいの時にもあった。初めて行った沖縄の公園の景色を夢で
みていた。
こういうことは体験した人でないとわからない。というか勘違いとか幻覚とかで
片付けられてしまう。
3.目を閉じて一瞬で次の朝になる。これはたぶん不思議な出来事ではなく、子供は
みなそう感じるのだろう。一日はすごく長いのに夜目を閉じると一瞬で朝になって
いることが不思議だった。
4.友達とばったり会う。これも何度もあった。住んでるのと同じ街ならわかるけれど
新宿の雑踏の中だったり、ちょっと普段は行かない町だったり。
新宿で友達に出会った時のことははっきり覚えている。東口のサクラ屋の前だった。
5.知らない子と一緒に遊んだこと。これも小学生の頃茨城の田舎に夏休みに
一人で泊まりに行った時のことだった。一人で近くの田んぼや川の方に行ったり
していた。池のところで少し大きな男の子達が釣りをして騒いでいた。そのそばを
通るとき何か言われたような気がした。怖いので早足でそこを離れた。
川のところに行くと男の子がいた。たぶん同い年くらいの男の子だった。手に棒を
持って川の水草をつついていた。
何をしているのか気になって聞いたように思う。男の子はすこしいばったかんじで
何か言った。何を言ったかは覚えていない。
一緒に遊んでいると川の向こう側に行こう、ということになって、川の中を
膝よりも深いところを二人で歩いて行った。

途中でその子が「あ!」と言った。「靴が流れた!」と言って水に手を入れたけれど
靴は勢いよく流されてしまった。
しょうがないね、と言いながら片方だけの靴で歩いて家の方に一緒に帰った。
そうなんだ、一緒に帰ったんだ。
遠くの川で会った男の子と一緒に家の方まで「同じ道」を帰ったんだ。
家なら他にもたくさんあるのになぜ同じ方向だったんだろう?
私が泊まっていた田舎(母の実家)の手前でその子は「それじゃあね」
と笑って別れた。隣の(と言ってもかなり離れているのだけど)家の子だと
思っていた。
そのことをおばあちゃんに話した。
おばあちゃんは「・・ちゃんが帰ってきてるのかねえ」と言ったけれど、
はっきりわからないようだった。
その日以降その男の子を見かけることはなかった。
今、別れた時の笑顔だけはっきり覚えている。
6.思ったことが現実になる。 これは小学校の頃によくあった。だいたいが授業中
のことだった。自分が答えを知っている質問を先生がした時、下を向いて「僕にあてて」
と願った。そうするとたいてい先生は自分にあててくれた。
それから「こうなればいいのに」ということがあると、何か一連のやり方があったの
だけど、その順番で起きてほしいことを考えるとたいていその通りになった。

7.これはそこには書かれていなかったけれど、最近昔のことをいろいろ思い出して
みるとある一つの事実にゆきあたる。それは自分の考えを人に伝えることができる。
ということだ。子供の頃から自分がまだ言っていないことを相手が先に言うことが
何度もあった。それは相手は兄であったり母親であったりしたので、私は肉親に
対してだけ起きることだと思っていた。しかし社会人になって他の人にも
そういうことが起きることがわかって、これは自分の考えが人に漏れてしまうんだ
ということがわかった。
いちいち書いていくときりがないけれど、はっきり覚えていることがある。
会社の同僚からレコードを借りたので、お返しに自分のCDを貸そうとした時のことだ。
そのCDはちょっと変わったCDで誰も買わないようなもので、音楽の途中で突然女性の声が入ってびっくりする内容のものだった。そのことは隠していた。
そして「このCD聞いてよ」というとそのCDは知らないはずなのに、「そういうびっくりする音楽はきらいなんだ」と言った。「え!?これ知ってるの?」と聞くと
「全然知らない、そういう感じのもののような気がした」と言った。
ジャケットはごく普通の景色のような絵だったから推測できるわけもない。

自分の考えが伝わってしまうのはだいたい知られたくないことばかりだ。
でも、相手がそう思ったとしても私が直接言ったことではないので私が言ったとは
思っていないだろう。でも突然自分の頭の中のことを言われるとびっくりする。
「そんなこと思ってないよ」というけれど、内心はすごくびっくりしている。

まあ、子供の頃の話に戻るけど、
子供は確かに超能力者だと思う。


















3/30/2018

地球への帰還

ひとつ映画を思い出した。
たぶん12歳頃にテレビで見た。
例の奥様なんとか劇場だと思う。

筋は全く覚えていないけれど、その最後のシーンを覚えている。
どこか宇宙から地球に帰還するロケットの中。
男と女の二人が乗っている。
たぶん何かの生き残り。
地球に降りるロケットの中に立っている。
確か、床に立ったままでロケットは降下して行く。
するとロケットはその衝撃に耐えきれず、ボロボロと壊れて行く。
窓の外は輝くような光が流れている。
白黒映画だからそのシーンは強烈なコントラストだった。
最後は覚えていないけれど、
二人はロケットと共に燃え尽きてしまう。
という話だった。確か。
そのロケットの外を流れる光のシーンを思い出した。
なんという映画かは全くわからない。

3/27/2018

無から生まれるか?

宇宙は無の状態からビッグバンで生まれたとか言うけれど、
「無」が本当に何も無い状態だと規定するなら、
そこから何も生まれるわけがない。
「無」と言っているのだから、何かを生み出す可能性すら無いはずだと思う。

たぶん純粋な2次元空間みたいなものがあったのだと思う。
全く動きの無い水面をイメージしたい。
そこに小さな石を落とした時、1点から生まれた波紋が無限の広がりに
広がって行くだろう。
最初の一撃が何だったかは知らない。
その波紋が何かが存在できる確率だ。
波動関数と言ってもいいかもしれない。

2次元の1点から3次元の空間が生まれ、
それが無限に広がって行く。
たぶん物質はその波動のリップルみたいなものだろう。

そんな風に考えると「無」からこの宇宙が生まれたと言えるかもしれない。

3/17/2018

もうすぐ誕生日

どうでもいいけど、
子供の時から学校で祝ってもらったことがない。
入学式の日だから。
でもたいていは桜が咲いていて、
桜に祝ってもらっていたようなものかな。

最近の夢の特徴は、やけに現実的なこと。
それでも相変わらず学校の単位が取れないんじゃないか?
っていうテーマが出てくる。
本気で心配している。

それと会社の夢。
自分は管理職だけれど、他の社員から疎外されている。
はっきりとは言わないけれど皆私を避けている。
その疎外感は現実の会社では感じなかった。
そうなんだ。
それは感じなかっただけで、
本当は疎外されていたんだ。
そのことに夢の中で気が付いた。

この前、何だったかドラマを見た。
中村雅俊が定年になって関連会社の役職について
第二の人生を歩こうとする。
しかし、その会社では自分は邪魔であり疎外されていることに気が付く。
そのシーンを見て思わず固まってしまった。
あ、これは私だ。
と思った。
自分では良かれと思ってやっていることが
実は余計なことであり、もう古いやりかただった。
それで誰かを傷つけていた。
そういう夢を見る。

夢の中で歩く。
ひたすら歩く。
例えば四国の高松あたりにいて、横浜まで歩いて帰るとか。
山あり谷ありの道をひたすら歩く。
目が覚めて気が付くのは、その道は子供の頃遊んだ町の
とても狭いところを歩いていただけだった。
その狭い町が日本全部くらいの広さに思えた。

時々とてもきれいな景色に出会う。
雪をかぶったアルプスのような山だったり、
フィヨルドのような谷と海の景色だったり。
そこで写真を撮っておこうと思うのだけど、
カメラを持っていた試しがない。

ある時はカメラを取りに家に戻ろうとするが、
戻ろうとしたらもう全く別の土地を歩いていて、
家にも着けないし、元にも戻れない。
夢はそんなものだろう。

でも、夢がとても面白くて
また続きを見たくなる。

2/09/2018

妹というのはいつになっても妹だ。
妹が乳癌が見つかったとメールしてきた。
私は能天気だけれど妹はとても心配性だ。
メールからもそれがうかがえる。
元気づけるしかない。
幸いまだ初期のものらしい。
だから大丈夫だよ、と言った。
しかし妹が今どんな気落ちでいるか良くわかる。
とても励ましの言葉で安心するわけがない。
いつでも電話しなさい、と書いた。
手術がうまく行くのを祈るしかない。


2/07/2018

大磯




(訂正      ↓ 違う二宮だった)      
大磯はずっと昔にコマツたちと練習をした家があった。
それがどこにあったかもう忘れてしまったけれど、確か国道脇だったように思う。
道もきれいになってしまい今となっては全くわからない。


駅から広めの道をずっと降りてゆくとこの交差点に出る。
記憶とは違う場所に出た。
そこから国道?をずっと海の近くまで歩いて行った。
途中この道のすぐ近くに海が見えてた。


そうか、こんなに海は近かったんだ。と思った。
前に来た時に行けばよかった。

富士山は馬鹿みたいにきれいだった。
海も驚くほどブルーで、怖いくらいだった。
しばらく眺めていた。
風がやたらと冷たかった。

2/04/2018

未来へ



どこかでもう書いたような気もする。書いた?
札幌の本屋で1冊の本を買った。確か2000円くらいした。
高かった。未来はどうなるかみたいなことを書いた本だった。
内容は退屈な内容だった。
でも中の1ページ見開きでこの絵があった。
この絵を見て置きたくて買ってしまった。
この絵が2000円だ。
その本を先日処分した。
文字通り処分した。
でもこの絵だけはスキャンしてとっておいた。

この絵が好きだ。
どこか遠い未来にいて、静かにこの景色を見ている気分になる。
この絵のような世界がもしできるとしたら、
ものすごく遠い未来だろう。
100年やそこらでは世界はそれほど変わらないということは
いままでのSFや映画でわかっている。
だからこんな景色はずっとずっと遠い未来の景色なんだろうと思う。

ここでかがんで眺めている人は自分のような気もする。
あるいは遠い未来の自分の末裔か。
後ろ姿に見覚えがあるような気がする。

もしも遠い未来、この世界のような未来にこれを読んでいる人がいたら、
君は私だ。

1/19/2018

今年の札幌

今年も札幌に行こうと思う。
行くとしたら真冬(2月)に行きたいと前から思っているのだけれど。
真冬はあまりに一人だ。
と言うか、とても一人になれるような気がする。
問題は今それに耐えられるか?だ。
雪が降る様子を1時間も見ていたらそのまま動けなくなりそうだ。
それはそれでいいのだけれど、
今じゃないように思う。
それはもう少し先の楽しみにとって置こう。

今年は6月かな?
前に6月に行った時はバイクに乗ったら寒かった。
でも今年はバイクには(たぶん)乗らない。
Google Earthで行ってみたい場所をいくつか見つけたから
そこに(車かな?)行ってみよう。

考えてみると住んでいた頃にGoogle Earthがあったら、いろいろなところに
行っていただろうと思う。
もったいない気がする。

層雲峡とか網走にも行ってみたい。
思い出がいろいろあるから。
でも一人で行くには遠すぎる。
距離も「時間」も。