9/30/2017

夢からの逃避

夢と言えど、何度も同じ夢を見ていると
現実になることがあるらしい。
そうなると現実はがぜん夢実を帯びてくる。
現実の中で起きていることが
まるで夢に現実として起きていることのように思える。
こんなことが夢の中で起きるわけがないとわかっていても
まるで手で触れるように現実が存在する。
それはあくまで現実だと
心のどこかではわかっていても。

現実に逃避してはいけないと言うけれど、
現実の方が夢よりも心地よい
だからいつまでも現実にいたい
いつか現実から覚めて夢に戻るまでは



9/23/2017

40年て・・・

よく見る夢がある。
知らない街である人に出会う。
とても懐かしい。
一緒に歩いていると昔の街に出る。
見慣れた家の並びの間の道を歩いている。
誰か向こうから歩いてくる。
私はその人と少し話す。
そして隣を見るとさっきまで一緒に歩いていたのに
そこに居ない。
あれ?と思いながらもと来た道を戻ってみるけれど、
いない。
「そうだ、電話だ」と思い、携帯を取りだす。
でも画面がぼやけてはっきり見えない。
番号を思い出そうとするけれど、
まったく思い出せない。
住所と番号を書いておくんだった、
と後悔する。

そんな夢を何度も見た。





9/12/2017

円山・札幌フードセンター 宮の森・東急ストアー


不思議なことにこのお店は1975年当時と変わらずにここにある。
円山に居た時はあまり自炊しなかったから買い物は円山市場ですませていた。
だからこのお店に入ったのはあまり頻繁ではなかったと思う。
あまり店内の記憶が無い。
この向かい側のドンクのパン屋があった。
そこは毎日のようにパンを買っていた。
フードセンターは会社のパートの人達が良く買い物をしていたようだ。

よく買い物をしたのは宮の森の東急ストアーだ。
今は東光ストアーと名前を変えているけれど、あのお店変わっていない。
その前にあるミスタードーナツも変わっていない。
ん?
あのミスタードーナツはいつからあるんだ?
記憶では1975年当時にあったような気がするけれど、
ドーナツを買って帰った記憶が無いと思う。
あっただろうか?
わからない。
別なお店だったかもしれない。
写真が残っていないか調べてみよう.

前にどこかに入れたかもしれないけど、ここを左に行くと「まるやまいちば」だ。



上を反対側(北側)から見るとこんな感じだった。


毎日のように通ったはずなのだけど、中のお店のことをあまり覚えていない。
端っこにコロッケを売っている店があって、ごつごつしたとても美味しいコロッケ
だった。

9/11/2017

ブログ  だ

考えてえ見ると私の実生活と同じように、ブログを見ている人はいないわけで、
私が公園を歩いていても誰かがそれを見ていることは無い。
ただ私が歩いていることは残らないけれど、書いていることは残るはずで、
いつか誰かがこれを読んでるかもしれない。
おめでとう、あなたは外れくじを引いたようです。

小説家は誰かに読まれることを想定して書いているはず。
でも日記はどうなんだろう?
誰かが読むことがあるかも、可能性としてはあるかもしれないと
考えて書くものなのだろうか?
たぶんどこかで意識はしていると思う。

でも日記を書いてどうなるんだろう?
とは考えないだろうか?
自分で読み返すことなんてあるんだろうか?
そう考えると空しい作業だ。

深い森の奥で木が一本倒れた
誰かその音を聞くことがあるだろうか。

…みたいな

9/10/2017

札幌芸術の森美術館 の2

その野外ステージからバス停の方に戻って入り口を見つけた。
入り口はかなり見つけにくいと思う。

そこで入園料¥700を払って屋外の彫刻展示場に入る。
入ってすぐに彫刻の展示が始まる。
最初が風で動く白い帆のような作品で、それに続いて女性二人が互いに背を向けて
座っている彫刻があり、通り過ぎながらちょっと気になった。
 次にあるのが「日時計の広場」なのだけれど、これは作者の名前が無いので
この美術館のベーシックな展示物なのだと思う。
…と思っていたけれど、どうもこれはダニ・カラヴァンの「隠された庭への道」の
一環らしい。パンフレットを良く見るとこのあたり全体がこの作品ということらしい。

しかしこの「作品」はとても良い。
しばらくこの前で座っていた。
2本の柱の間に太陽の光があたるとオレンジ色に輝いてとてもきれいだ。

それから水を使った作品が続く。
その後は、木々の間に沢山の彫刻が置かれている。
それらを見ながら歩くと芝生の丘の沿って展示物が置かれている。



もう全体を一周して終わりに近いところにこの作品がある。
1・2・√2という名前らしい。
この作品が気にいった。
30分くらいこの作品の周りで眺めていた。

シンプルかつダイナミックな作品だ。
ずっと見ていたい。

全部を廻って、最初に見た女性二人の彫刻が気になって、
そこに戻った。

この作品は二人というらしい。
このビデオの説明にも書いたけれど、正面から見て左側の女性が気になる。
どこかで会ったような気もする。
じっと見ていると声をかけられたような気になる。
後ろにいるもう一人を見た時にこの美術館の入り口の建物が見えてしまうのが
ちょっと残念。少し角度を変えてもらって、邪魔な背景が無くなると
もっと違った印象になるかもしれない。

箱根と比べると見るべき彫刻が多いように思う。
4時間くらいこの公園(美術館)にいたけれど、飽きることはなかった。






Pacific Music Festival (PMF) 札幌芸術の森美術館 レナード・バーンスタインがいた

箱根彫刻の森美術館が1969年。札幌芸術の森美術館が1986だそうだ。
箱根に初めて行ったのはいつだったろう?
思い出せない。
思い出せないくらいつまらなかったのかもしれない。

今回初めて札幌芸術の森美術館に行った。
旅行の最終日でその日に羽田に帰る日だった。
朝ゲストハウスを出て(誰もいなかったのでお別れの挨拶もできなかった)
大通り公園駅に出てロッカーにバッグを押し込んで、
そのまま南北線で真駒内まで乗った。
たぶん南北線で真駒内までというのは初めてだと思う。
真駒内駅からバスで芸術の森まで乗る。
この道は車で支笏湖に向かう道で、100回以上は走っていたはず。
その頃は家がまばらに建っているだけだった。
しかし、今は家が立ち並びもう郊外の住宅地になっている。

バスの終点で降りたが、美術館の入り口がわからず適当に歩いて行くと、
楽器を持った学生らしき人々が何人も歩いて来た。
そちらの方向にあるいてゆくと音楽ホールがあった。
そこへは入らず、脇を行くと屋外のステージに出た。
斜面の芝生が美しい。

それに対面している大きなキノコのような形状のステージもきれいだ。


ステージの右側の壁にパネルがあった。
そこにバーンスタインの写真とメッセージが彫られていた。
「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)誕生の地
1990年6月26日、レナードバーンスタインの提唱で始まったPMFは、
国際教育音楽祭としての第一歩をこの地に印しました。」
とある。

その下に日本語と英語でバーンスタインのメッセージが書かれていた。

And I now must make the choice again of how best to serve music,and serve people through it.
Should I spend whatever days the good Load gives to me going back to my first love,the piano.
and playing all the Beethoven Sonata again?
Shoul I just go being a conductor playing all the Brahms Symphonies again year after year?
Shoul I devote myself only to being a composer
and writing the various kinds of music that I do write?
When you get to be 71,you consider such problems.
My decision has been, without too much difficulty,
to spend most of the remaining energy and time the Load grants me
with education,sharing as much as I can with younger people
---especially with very much younger people.
What ever I know not only about music,
but also about the arts,and not only about art,but also about the relation betweeen art and life.
And about being oneself,finding one's self,"knowing who you are"and doing the best possible job.
If I can communicate some of this to as many young people as possible
in the years that remain to me.I will be a very happy man.
This Pacific Music Festival is one very large aspect of this  commitment
which I hereby nake for the rest of my life.
from this address at the PMF 1990 Opening Ceremony     Leonard Bernstein(実筆サイン)

71歳になるとそういうことも考えるのか。
自分もその歳になったらそんなことを考えてみるかな、と思った。

しばらく芝生に座っていた。
草刈りの機械がうるさかった。






9/09/2017

北海道っぽい所

今回の旅行では北海道っぽい場所に行ってみようと思った。
それでGoogleストリートビューで景色の良さそうなところを探しておいた。

その一つが沙流川の河口付近の牧場だった。
日高や浦川まで行かなくても沙流川両脇に広々した牧場がいくつもあった。
道東までいかなくてもけっこう広々した牧場が見られる。



このあたりはたぶん馬の牧場だと思うけれど、牛もけっこういた。


このあたりの馬はみな競走馬だ。
とても美しい。



このあたりはどこに行っても広々している。
はるか向こうまで牧草地だ。

もうひとつ行ってみたいところがあった。
それは深川から山の方に行ったところの丸加高原だ。
深川にも行ってみたかったので友人の車で送ってもらった。

この高原は文句なく美しいと思う。
今まで何度も深川、滝川には来ていたけれど、この高原には来たことがなかった。
もっと前に来ておけばよかったと思ったけれど、
昔はここに通じる道はできていただろうか?


札幌は変わったか

今回札幌に行って思ったことがある。
確かに街並みや家やビルや道路は昔とは違っている。
綺麗な公園もできているし、昔は砂利道だったところがきれいに舗装されている。
だから昔の感覚で歩くと「ずいぶん変わったなあ」と感じる。
でも今回の旅行はちょっと違った。
これが札幌なんだろう、と思った。

私が住んでいた頃も、古い家は次々無くなり、
道路はきれいになり、
新しいビルが次々と建った。
今も昔も変わりない。
そうなんだと思った。

札幌はちっとも変っていない。

9/06/2017

藻岩山

学生の時友人と二人で東京から1000ccのチェリーを駆って、
ひたすら4号線を青森まで走り、青森から青函連絡船のデッキに車を積んで、
函館から札幌まで走った時に登ったのが初めてだった。



それから札幌に住み始めて登ったのはたぶん4回くらいだと思う。
札幌を去ってからは今回が初めてだ。
確か以前は山頂まで車で行けたはずだけれど、今回行ってみてわかったのは、
山頂までの自動車道路は途中で通行止めになっていて、そこからは
ロープウェイで登るか、歩いてのぼるしかない。
ひどいものだ。
そんなわけで歩いて登った。

「こういう眺めだっけ?」と思った。
記憶よりずっとクリアーできれいに見えた。
たぶん高層ビルが増えている。
野幌の百年の塔がなぜかとても遠くに見えた。

帰りは(宮の森のトヨタ)盤渓を通って帰りたいと思っていたら、
カーナナビはちゃんと盤渓を通る道で案内してくれた。
盤渓から真駒内へは以前はカーブの続く峠道だったけれど、
その後トンネルができたようだ。

もう藻岩山に登ることもないかな、と思う。

望来海岸

望来まで行った。
宮の森、と言っても旧5号線のトヨタレンタで車を借りた。
そこから昔よく行った道で、手稲まで行って駅の所を右折して花畔に向かう。
しかし、こんなに遠かったっけ? というくらい遠い。
昔はよっぽど時間があったのだろう、記憶ではかなり近かったのだが
なかなか着かない。
やっと見慣れた下り坂のところに来た。
下りきったところから海岸沿いの道に入る入り口がある。
そこを入ると丘を登って海岸の脇に出る。


この海岸沿いの道は昔は来たことがなかった。GoogleMapで見ると崖に見えるので
どんなところだろうか、と行ってみた。
この崖はGoogleMapで見るよりも険しい崖だった。



この写真ではわかりにくいが、一歩左によるとがけ下に落ちる。
しかも強い海風が吹いていて怖い。
この崖の上には家がいくつか建っている。
お店と美術館?があった。
人も住んでいるようだ。
まさに海の見える崖の上の家だ。

そこからちょっと行くと今度は石狩海岸が見える。
遠く小樽の方まで見える。



そこで写真を撮っていたら、近くの草むらでガーガーと草を刈っている人達がいた。
この辺の農家の人だろうと思っていた。すると道の方から男の人が来て
「この辺でパラグライダーやってるのしりませんか?」ときいてきた。
「え?」と思ったがすぐにわかった。
あの草を刈っているのは農家の人ではなくパラのテイクオフのための整地を
しているのだ。
そのことを伝えるとその人は草を刈ってる人のところに行った。
私もあとからそこに向かった。
話をすると普段は海風でリッジソアリングをしているとか。
確かにその日は強すぎたけれどコンスタントに海からの風が来ている。
きっと風が良ければいつまででも飛んでいられるだろう。
「今度ハング持って来て下さいよ」と言われたけれど、
そう簡単には行かない。

望来は何度通ったかわからないが、ここに来たのは今回が初めてだった。
風が弱い日はきっと絶好のソアリングスポットなのだろう。

札幌 ゲストハウス 「つむり庵」

札幌に行ってきた。
今回は4泊5日だ。
しかし今の札幌のホテル料金は異常だ。
それでドミトリーはどうかと思い、探した。
すると北1条西22丁目に「つむり庵」というゲストハウスがあることがわかった。
この場所は実に私が一番最初に下宿していた家の道路を隔ててすぐ裏側だった。

ゲストハウスは使ったことが無いのでどんな感じかと思っていたけれど、
心配は無用だった。
とても親切な女性の管理人さんが面倒を見てくれて、困ることは無かった。
2階が女性で1階が男性の部屋ということになっているようだ。
トイレとバスは1階の男性で共用になっている。他の人が使っていない時に
使えばよい。私は同室の人に使うかどうかを聞いて使ったので何の問題も無かった。

大通りのその場所(大通り西22丁目)で寝ることは40年ぶりくらいなのだけれど、
こんなに静かだっただろうか?と思うほど静かだった。
2日目は4人同室で、一人寝息のうるさい人がいたがそのうち静かになった。
他の日も4人、5人ということがあったけれど、皆とても静かだった。

玄関のところがリビングのようになっていて、そこではコーヒー(インスタント)
と麦茶と(何だったろう?)はいつでも勝手に飲んで良かった。
朝はチーズをかけたトーストが用意されていてそれをトースターで温めて食べる。
そこにたまたま居た人と話をすることもできるが、みなあまり話好きではないようだった。特に男性がそうなのかもしれない。女性は夜は何か団欒している声が聞こえていた。

夜は好きな時間に帰ってくればいいし、出かける時も勝手に出かければいい。
洗濯機もあるけれど、洗うのが面倒なのでバスタオルと小さなタオルは毎日借りた。
それも¥50だ。
これだけのことができて、街の大通り沿いのホテルの1泊料金で4泊できるのはすばらしい。

円山市場ももう無いし、ドンクのパン屋も場所が変わってしまってるし、
下宿していた家ももう無いけれど、
円山の雰囲気はそのままだった。
通りに出て南を見れば藻岩山が見える。
山が見える街はいい。