11/30/2019

友達

もともと友達は少なかった。
この前の同期会に行って思ったのだけど、
友達だと(こっちが)思っていても決して友達ではなかったんだなと。
友達100人などできない。
僕のことを友達としてくれている人はたぶん
片手で収まる。
そんなもんだろう。

フェイスブックもユーチューブもほんとに友達だと思える人は
1人くらいだ。
あとは何?付き合いか?

僕が死んだら誰かJohn McCarthyに連絡してください。
フェイスブックで出てきますから。
ユタ州のソルトレイクです。
僕が死んで涙を流してくれるのは彼ぐらいだから。

1か月以上ここの更新が無かったらきっと死んでる。
やすらかにお休みください。。。



11/28/2019

50年ってどのくらい?(3)

僕は当時いつも小柳と一緒にいた。
村野は確か小柳と一緒の中学だ。
僕に声をかけてきたことにまず驚いた。
それから彼の名札を見て村野だとわかった。
すごくうれしかった。
小柳は大学の時に電車で一度会っただけだ。
彼の家に行ったこともあったけれど、
その後のことはまったく知らないと伝えた。
僕の名刺を渡したら「今度連絡するかもしれない」と言ってくれた。
2人だ。二人も僕のことを覚えていてくれた。
それでじゅうぶんなのかもしれない。

帰りは仙川駅から理工学部のあった千歳烏山をみて帰った。
一人で車窓を眺めながら帰った。
さみしい気持ちでいっぱいだった。
でも竹内の笑顔と村野に助けられた気分だった。

後で物故者のリストを見たら、
仲の良かった友人の名前がいくつもあった。
石川、仙波、増田、播磨
播磨はそのタンク車炎上のあと山で遭難して亡くなっている。
小柳は不明者のリストに入っていた。

50年ってどのくらい? (2)

伊東先生はその後の「先生のお話」でもみなにその後の学校教育のことについて
熱く語っていた。
それから69年の新宿駅での米軍タンク車炎上の時のことを話された。
その日は、実は次の日から山岳部の合宿があったらしい。
伊東先生が引率だった。
次の日からなのでその米軍のタンク炎上の日に新宿駅に学生がいるわけはないのだけど、
内緒で合宿の日程を一日伸ばしたらしい。
それでタンクが燃えている時神代の山岳部がそこにいたために
駅員から声をかけられてみんなで燃えてないタンク車を押して移動させたらしい。
そのことが新聞で取り上げられ、学校側は「なぜそこに学生がいたんだ?!」
と伊東先生に責任を問うたらしい。

しかし、その後その山岳部の人達が炎上防止に協力したということで
表彰されることになった。(どこから?)
その表彰式は学校で行われたらしい。(全く覚えていないけど)
それで先生の責任問題はすっ飛んで、先生は「ざまあみろ」と思ったそうだ。

僕もその時の新聞記事(燃えてるのと表彰の)を覚えている。
伊東先生の「お話」はそんな話とか当時あった飲み屋での先生方の
自由な交流について話された。それで今の学校はもうそういう自由な
ものではなくなったと嘆かれていた。
先生はそんなで元気に話されていた。

と、ここまで僕のことを覚えている人は誰もいない。

秋山がいたので声をかけた。
ハンドボールで秋山のジャンプシュートの下敷きになって頭を強打して
記憶喪失になったことを話したけど全然覚えていなかった。
まあ、当時もあまり話をしなかったけど。

竹中は4中だったから、4中の知り合いの名前をあげてみた。
そしたらほとんど知っていた。
僕は7小だったから友達はみんな4中に行ってしまった。
僕のことは覚えていないみたいだったけど。

テーブルに竹内がいたので声をかけた。
「ああ、粉川」と覚えていてくれた。
竹内は70人中僕のことを覚えていてくれた2人のうちの一人だ。
竹内は今でもあの場所で幼稚園をやっている。
園長先生だ。
竹内といろいろ話をした。
「いつも家のあったところを通ると粉川のことを思い出すよ」
と言ってくれた。
それから「彼女(Kさん)はどうしているかなぁ?」と言っていた。
僕は多くを話さなかったけれど、
「世界中をまわっていたみたい」とだけ言った。
竹内は「会いたいなあ」と言っていた。

結局70人もいたのに僕を覚えていてくれたのは竹内だけだったな。
と寂しい気持ちだった。
会が終わりかけていた時に一人で壁のところで立っていたら、
声をかけられた。
「小柳どうしてるか知ってる?」と声をかけられた。
村野だった。
(また書けなくなった、次のページへ)















50年ってどのくらい? (1)

あえて書いていなかったけど、10月に同期会があった。
一人でも行くかどうか考えたのだけど、ひょっとしたら誰か来てるかも
と思って行くことにした。
仙川の駅前のビルの上のレストラン?か? 飲み屋みたいなレストラン。
行く前に学校に行ってみた。
工事をしていた。
歩いて行く時にも誰かが写真を撮っているのが見えた。
遠くから見てたら他にも写真を撮ってる人がいた。
きっと同期会に行く人だ、と思った。
思ったけれどどう見ても老人だ。
いや、そういう年齢なんだろう。
駅に戻る時にも何人か学校の方に向かう人(老人)をみかけた。

その前にバス停から学校までこんなに遠かったんだろうか?と思った。
商店街も商店街としてあったけれど、長いなと思った。
途中のお店は全く見覚え無い。
パン屋さんがあったはずだけど、どうも無くなっているようだった。
ずっと見て歩いたけど無かった。
あればパンを買って帰ったのに。

同期会の会場に行くとすでに10人くらい来ていた。
受付のフジシロ君は僕をわかってくれた。
中に入ると、あたりまえだけど、誰もわからない。
適当に誰かに話しかけると「いや、私も誰もわからない」と言っていた。
しかたないので壁のとこで始まるのを待っていた。
隣に女性がいた。
名札を見ても全く知らない。
「全然わからないねえ」と話しかけたら、
「うーーん、わからない」と言っていた。
しばらくその人と話していたけれど、学校で同じクラスにはならなかった
みたいだ。
そうこうしているうちに人が集まってきて(相変わらずだれもわからない)
先生もみえた。
伊東ちゃんと前島先生だ。
全部で70人来たらしい。
会食会が始まって、僕が知ってる人を何人か見つけた。
竹中と反町と秋山と臼田だ。
問題はここからで、この4人、僕はよく覚えているのに
向こうは覚えていない。
反町君は小学校から一緒だったので、さすがに名前は憶えていてくれた。
お店の部屋が2つに分かれていたので、しばらくしてから別の部屋にも
行ってみた。僕の名札を見せて「覚えている人いる?」と聞いてみた。
だれも知らないと言った。
しかしあとで名簿をみると3年で同じクラスだった人もそこに何人か
いたはず。

じゃあ、先生はどうだろう?と伊東先生のところに行った。
先生も全然僕のことは覚えていなかった。
それじゃあ、と思い、先生が授業で教えてくれた「くまのプーさん」
の副教材のことを言ってみた。
先生は驚いた様子だった。
僕らの後の教育方針で副教材は使えなくなったらしい。
それで僕がその時の授業のこと、どんな紙に書かれていたかとか、
どんな風にそのプーさんの授業をしていたかを話した。
先生は「それはうれしいことを聞いたなあ!」と言って、
学校教育の問題についていろいろ語っていた。
(・・・なぜか書けなくなったので別のページへ)




















11/25/2019

空欄

いつの日かにこれを読んでいるのが子供たちか、
あるいは誰かはわからないけど、
ひょっとすると空欄になっている年代に気付くかもしれないので、
それについて書いておこうと思う。

1987年頃から2010年頃までのことは書いていないように思う。
その理由は家庭がとか、誰かとのことがとかいう理由じゃない。
そのあたりでやっていた仕事が問題だ。
実は今こう書いていても思い出したくないのだけれど、
まあ、好きでやっていた仕事ではあるけれど、
上手く行っていたわけじゃない。
時代が時代だったからそれでもやってこれたようなものだ。
自分の仕事のことも、
会社のことも、
会社の人付き合いのことも
管理者としての自分のことについても
思い出したくない。
その頃のことを思い出そうとすると、
どうしても仕事のことを思い出してしまう。

あの頃のことはあまり考えたくない。
もう一度2,30年もどれるとしてももうその時代はやりたくない。
でも子供たちと暮らしたことは何度やってもいい。
仕事は別の仕事にしてほしい。
肉体労働でもいい。
きたない仕事でもいい。
とにかくあれはもうやりたくない。
人に迷惑をかけずに、
誰かに嫌な思いをさせずに、
済む仕事がいい。

全て自分のせいなんだけどね。
その自分が
その頃の自分がいやだ。

11/20/2019

カワカマス

本屋へ行って本を眺めていたら
不意に声をかけられた
・・・ように思った
「僕を覚えてる?」

あ!そうだ、思い出したよ
僕は君を前の家に置いてきてしまったね。



それでまた君を今の僕の家につれてきた。
また君の話を読んでいたら
「少しずつ、ボクの心は、
 言葉ではとうてい表現できない、幸せな感情で満たされていった。」
。。。よ


ヤン君がふいに現れたことで、僕は変なことに気が付いた。
まずカワカマス君は「名の日」の名目でいろいろ借りて行くけれど
カワカマス君には名前が無い。
名前が無いのに「名の日」を持ち出してきている。
たぶんカワカマス君の名の日は永遠に来ない。
まあ、それはそれでいいのだけど、
僕はこの話を読んでいて、どっちだろう?と考えたのだけれど
つまりヤン君かカワカマス君か
どうも僕はカワカマスなんじゃないかと思う。
カワカマスのやってることを僕もやってそうだ。
たぶんずっとそうしてきた。
ただ、不幸なことにヤン君のような心の温かい人 ? 猫?
に会わなかった。
僕もいつか誰かと一緒にサモワールでお茶をのみたい。







尾崎紅葉って

紅葉なんだ。。
へえ~
今まで気にもしなかったけど、紅葉なんだ。

昨日は昼に中央公園から八幡山公園までぐるっと回ってきたけど、
あんまり紅葉らしい紅葉は無かった。
むしろ駅の周りの街路樹の方がよっぽど紅葉してる。

水元公園のことって前に書いたっけ?
僕はグーグルマップで見て水元公園は広々してそうでいいなあ
と思っていたのだけど、
いかんせん(古い!)遠い。
ちょっと散歩にって行くにはいろいろ準備しないといけない。
あれは東京の向こう側だ。

水元公園の上の方じゃなくて、駐車場の右側の川沿いのとこ。
背の高い草が生い茂っているところがいいなあ。
ちょっと待て、
っていうことは秋はその草は枯れてしまうのか?
枯れた草が生い茂っていることになるんだろうか?

そうしたら、しょうがないので上の方かな?
広葉樹が多そうだ。
紅葉してるかもね。
いつ頃まで紅葉してるんだろうか?



11/18/2019

感覚的懐古趣味

若い頃は「生まれて初めての経験」っていうのがたくさんあった。
コーヒーだって紅茶だって本格的にマジで経験したのは初めてだったんだと思う。
アールグレイの香りはほんとに衝撃的だった。
細い筆の先の青い絵の具をほんの一滴バケツに落としてかきまぜた水に
真っ白なガーゼを浸したら
きっとほんの少しだけブルーの色が付くと思う。
今は老眼鏡をつけてもわからないけど
若い頃はきっと白とそのブルーが区別できたと思う。

そのくらいの感覚であのアールグレイに出会ったんだと思う。
味もおいしかった。
オレンジペコとの違いも分かったと思う。
今はどうかな?
自信は無い
それよりも僕は香りだ。
あの香り。

強烈な郷愁と懐かしさ。。(郷愁と懐かしさは同じか?)
不意に雨に出会って濡れた”友達”のセーターの背中の匂い
あれと同じくらい強烈な懐かしさ



11/17/2019

家に帰りたい

・・・っていう夢を見た。

その前のシーンを覚えていないけれど、
どこか見慣れた街の道路に友人と一緒にいるのだけど、
自分の家があると思う路地に家が無い。
ここのはずだけど・・と思う。
友人が家に電話してみたら? と言う。
でも携帯は家に置いてきた。

一体どこだろう?
と次の路地を歩くが、そこにも家は無い。
どうやら似ているけれど違う街にいるようだ。
どうやったら帰れるんだろう?
と通りを歩いて行くと長い下り坂の道になっている。
道は左にカーブしてまたまっすぐになっていて、
その先に繁華街のような街並みがある。
全く見覚えのない街並みだ。

そっちじゃないような気がする。
反対方向に歩く。
大きな古風な造りのビルがある。
昭和初期の窓の形、また窓の上にはかざりがある。
でもビル全体は近代的な造りで、白く輝いている。
その脇を歩くと、木々が緑の(ほんとうにきれいな輝くような)緑の
光をなげかけてくる。
その先はT字路になっていてさらに広い道にぶつかっている。
道路の真ん中は灌木が植わっていて、反対方向には行けない。

なんとなく左にはまがりたくないので、
右に曲がって、少し下り坂の道を歩いて行く。
通りは細くなってまるで迷路の曲がり角のようになっている。
いつのまにか車を運転している。
その曲がり角に来ると向こうのぎゃくの曲がり角からトラックが来る。
「今は行っちゃだめ!」と誰かに怒られる。
左手に窓口があって、キップを売っているようだ。
女性が窓口にいてキップを買おうとすると「気を付けてね」と言われる。
女性はニコニコしている。
キップを受け取るがスーパーのレシートのようでぺらぺらの紙だ。

そこを通り抜けようとすると、もう道はビルの間の渡り廊下のように
なっていて、両側がガラス張りの通路のようになっている。
そこを自分の足で歩いて行く。

誰か知っている女性がいる。
ベッドのような台の上に寝ている。
この人は誰だったろう? と思いながら、その人の脇に座る。
顔を見ようとおもうけれど、目がかすんでよく見えない。
目をこすろうと思って手を上げたら、
目が覚めた。






11/16/2019

アールグレイ

紅茶は今はあまり飲まないけれど、
昔はよく飲んだ。
アールグレイという紅茶を知ったのも学生の頃だ。
不思議なものであの香りがしないと紅茶を飲んだ気がしない。

たまに夜コーヒーか紅茶を飲みたくなる。
そういう時はカフェインレスのアールグレイだ。
紅茶はカフェインレスでもあまり違和感が無いから。
カフェインレスのコーヒーもいろいろ試したけれど、
あれはなんか別物になってしまうように思う。
だから一応何種類かカフェインレスコーヒーは買ってあるけど、
豆(ひいたやつ)よりもインスタントのカフェインレスの方がまだいい。

なんでカフェインレスかと言うと昔は平気だったのに
最近は夜6時以降にカフェインのものを飲むと確実に眠れなくなるから。
だからカフェインレスのコーヒーかカフェインレスの紅茶を飲む。
そうするととりあえず眠れる。

あ、思い出した。
受験の頃はコーヒーを飲んで寝ると金縛りになった。
今はそんなことはない。

いい夢を見るには何を飲んだらいいだろう?
というか夢をはっきり覚えていられる飲み物があったら欲しい。

11/15/2019

モカ

前はKARDYで豆を挽いてもらっていたりしたけれど、最近コーヒー豆は
マキシムの袋入りのモカにしている。
コーヒーはよっぽどひどいものでなければ何でもOKなのだけれど、
そのよっぽどっていうのに結構当たってしまう。
それで面倒なのでマキシムの大量生産型の「マスターのおすすめ モカブレンド」
にしている。マスターがおすすめなのだから確かだろう。
そんなことはいいのだけど、これにはすばらしい点がある。
袋を開封した時の香りだ。
モカの香りがする。
当たり前なのだけれど、下手なモカの袋入りはとんでもない匂いがすることがある。
でもこのマキシムのモカはとてもいい香りだ。

この香りは昔よくやったサイホンコーヒーの香りだ。
家でもやったけど、中野の喫茶店「かかし」の香りだ。
絶対にそうだと思う。
かかしでモカを飲んでいたかは覚えていないけれど、
とにかくこの香りはあの店の香りだ。

あの店のあの席に座っているような気になる。
よく行っていたあの店だ。
たぶん今は無い。
でもここにある。
この香りで全てを思い出す。

11/14/2019

Somebody loves you

It used to be your town
It used be my town too
You never know until it all falls down
Somebody loves you 
Somebody loves you
Darling, somebody still loves you
I can still remember her
When it used to be her town ,too


ジェームステーラだ。
何時だったか忘れたけれど武道館でのライブだ。
この歌は初めて聞いた歌だったけれど、
とても耳に残ってずっと覚えていた。
レコードも買った。
Her Town

自分にはこんな投げやりなことは言えないけれど、
心の中ではそう願っている。
確かに君の街だったし、
僕の街でもあった

11/13/2019

オーディオ伝説あるいは神話

最近思うことはオーディオ、特にアナログオーディオが息を吹き返していること。
ここで言ってる「アナログオーディオ」というのは、
あのオーディオが全盛だった頃のあることないことの知識のこと。

アナログレコード盤がもてはやされている。
当然レコードプレーヤーやカートリッジ、トーンアームなども
復活している。
オークションではまるで昔の価格の通りに売られていたりする。
たぶん我々の世代の人達がこれをやっているのだと思う。
いや、そうであって欲しいのだけれど。
若い人があんなことを信じてほしくない。

一方、昔は30万円くらいしたEMTカートリッジの新品が
1万円くらいで大量にうられている。
それも純正のものだ。
これを見ても当時の神話が嘘だとわかる。

それに「ハイレゾ・オーディオ」とかいうのを流行らそうとしている
メーカーがある。言わずと知れたSONYだ。
だけど、CDの音だって本当は良し悪しなんてわからないのに、
それ以上の解像度を持たせて何のいみがあるんだろう?

書いたかもしれないけど、昔松下がオーディオ雑誌と共同で
オーディオファンの耳がどのくらいなものかを調べたことがあった。
確か100人くらいの希望者を募って、松下の最高のオーディオ機器
を使って、生バンドの演奏と録音とを聴き比べしたり、
最高級機と汎用機の音を聴き比べさせたことがあった。
その結果はなぜかオーディオ雑誌の記事にはならなかった。
その理由は明らかで、正しく判断できた人がいなかったからだ。

そんなもんだ。

よっぽどひどいオーディオ機で聴いてない限り、
そこそこの音で十分聴ける。
そういうことだ。

もしもSONYがハイレゾを主張するならその聞き比べを大々的にやって
その結果を公表したらいい。
たぶん誰もただしく言い当てることはできないだろう。

並川君のこと(5)

昨日並川君の奥さんと電話で話した。

声は思いのほか元気そうだった。
僕のこともすぐにわかってくれた。
話によると僕が札幌から電話をしようとした頃から
もう話ができなくなっていたそうだ。
たぶん4,5年になる。
最期はもう痩せこけて本人とは思えないくらいで、
水さえも飲めない状態だったそうだ。
記憶の中の彼からは想像もできない。

トッピの声は昔のままだった。
あまりに変わりなくて驚いた。
でも元気で良かった。



11/11/2019

ライブで女性とデュエット

昨日は何年ぶりかで人前で歌った。
しかも他のグループのメンバーの人とデュエット。
イアンとシルビアバンドカバーをやっているグループがあって、
そのイアン役の人と以前にネットで知り合ったのだけど、
不思議なことにその人は兄の友達でもあった。
兄たちのライブでわかった。
それにあざみ野という非常に近いところに住んでいることもわかった。

それでその相手のシルビア役の女性とも知り合って
いつか一緒に歌おうと話していたのだけど、
昨日のライブに招待されて、そこで1曲私が歌うことになった。
歌はJohn Stewartの歌なのだけど、コーラスとハーモニカのソロを
入れてね、と言ったらやってくれることになった。
その歌は並川たちとその吹雪のコンサートで一緒に歌った歌だったから
それを歌いたかった。

昨日のリハーサルで初めて合わせて歌ったのだけど、
その前に自分が緊張していてどうしても途中で止まってしまう。
それでも何回かやって最後だけ止まらずにできた。
なにせギター1本なのでごまかせない。
それで本番の出番が来てやったのだけど、
これが奇跡的にちょっとしたミスだけで
あとは通して歌えた。
ハーモニカのソロもハモも入れてもらえた。

前にも書いたかもしれないけど、女性の声とデュエットで
歌うのが夢だった。
だけど一緒に歌ってくれる人なんてそんなに簡単にみつからない。
今回はほんとに奇跡的だった。
とても良かった。


11/07/2019

タイムトラベラー

時々、元々居たところからは
ひどく遠い未来にいるような気がする。
一人で
家族や知ってる人はいるけれど
ほんとはみんな未来の人間で
自分だけが過去から来た人間
誰もほんとに知ってる人はいない
そんな気がする

突然時間を越えて遠い未来に来たわけじゃない
順当な時間経過で未来に来た
それだけの話だ。

だけどだれか私と同じ時から
同じようにこの未来に来た人がいるんじゃないだろうか
どこかにいるはず


11/06/2019

並川君のこと (4)

今日はずっと写真を探していた。
見つかった。


驚いた。
これは深川のアパートでの写真だ。
しかも子供を抱いていたのは並川君じゃなくて私だ。
横浜の家にも来てくれなかったろうか?
なんてひどい記憶力だろう。
よく見ると87年5月とある。
ということは私は30代並川君は20代だ。
なんていうことだ。

私が四国の並川君の家に行ったのはいつだったろう?
そうするとたぶん90年頃だろうか。
あれは姫路だったか岡山だったかに仕事で行った時に
四国に渡って彼の家に行った時だ。
何の仕事だったか全く思い出せない。
何を覚えている?
彼の家で何かしばらく話をしたことは覚えている。
たぶんトッピ(彼の奥さん)は私をあまり良く思っていなかったと思う。
たぶん、それは札幌時代からそうだったと思う。
なぜならあの頃の私は狂っていたから。
何かが狂っていたから。

そうだ。
今思い出した。
私のアパートで並川とトッピとヒゲちゃんとで歌の練習をした時、
私は何か彼女の気に障ることを言った。
何を言ったか思い出せないけれど、言った。
なにかへんなことを言ったことを自分でもわかった。
というか変なことを言ってる自分を見ていた感じがする。
あの頃はいつもそんなだった。
自分で言っちゃいけないことを勝手に言ってるやつがいた。
あれはどうしてだろう?
あまりに自分を否定しすぎていたからそうなってしまったのだろうか?
あの頃言っちゃいけないことを誰かに言った記憶が5つくらいはある。
あるいはもっとかもしれない。
いや、もっとだろう。
二重人格だったんだろうか?
言い訳に聞こえるかもしれないけど、
そいつが言ってるのを聞いている自分がいたことは確かだ。

ああ、それでね、トッピは私のことを良くは思っていなかったってこと。
そんな私に並川はいつも変わらず良くしてくれた。
話も聞いてくれたし、話を聞かせてくれた。

そんな並川に乾杯!

11/04/2019

並川君のこと (3)

今日は並川君のお葬式が行われている。
ちょうど今のはず。
冥福を祈るとかってどうすればいいのかわからないけれど、
彼のことをずっと考えている。
札幌時代彼の存在がどんなに私の支えになったか。
感謝しきれない。
札幌時代の私を支えてくれた人は3人いる。
並川君はその一人だ。
もう一人はここにも書いたけれどだいぶ前に亡くなってしまっている。

並川君と奥さんのトッピ達と江別でやったコンサートは決して忘れない。
・・・あれ?ねえ、あれは江別だった?
野幌?大麻?・・・
だんだんわからなくなったきたよ。
とにかく市民会館みたいなステージだったよね。
California Bloodlineと「さよなら」あと何か歌った?
廊下の窓から外を見たら猛吹雪だった。
雪が舞って街灯に白く渦をまいていた。
あの雪の中をどうやって帰ったんだろうね。

君の部屋にも何度か行ったね。
豊平川のそばだった。
猫の話をしてたよ。
猫を飼っていたんだけど公園に連れて行ったら戻ってこない、って。
君はあの笑い方で笑いながら話していたけどほんとはどうだったんだろう?
それから道路工事の話もしていたよね。
道路で猫が車にひかれたあとの処理をどうするのか、
君は笑いながら話していたけど、心の中は違ったんだろうね。
僕が東京(横浜)に戻って、君が四国や九州に行ったあとも
時々電話をくれたね。
そうなんだ。何年か前に札幌に行った時に、
豊平川の護岸に座って「今、君住んでいた近くの豊平川にいるよ」
と言おうと思って電話をしたら出なかった。
あれはつながっていたのかなあ?
それからだね、電話もメールもつながらなくなってしまった。

君は一度横浜の家に来てくれた。
僕の娘と一緒に撮った写真がある。
ひょっとするとあれが実際に君に会った最後だったのかなあ?

今、君の声が聞きたい。

11/02/2019

並川君のこと (2)

ちょっと前にも並川君のことを書いたけれど、
悪い予感が当たってしまったみたいだ。
今日、佐世保から電話があった。
私はすっかり忘れてしまっていたけれど、電話をくれた人は
ずっと前に仕事のことか何かで私に相談をしてきた人だった。
並川君の友達だ。
「並川君が亡くなった」と言っていた。
そうかやっぱり、という気持ちと
いやそれはうそであって欲しいという気持ちが
交差していた。
話をしているうちに我慢できなくなって泣いてしまった。
声が出なくなってしまい、
ちょっと待ってもらった。

並川君はなまりのあるしゃべり方だったけれど、
あれは四国のなまりだったんだろうか。
パーキンソン病だった。
最期に電話で話した時は言葉がすこしおかしかった。
メールでもそんなことを書いていた。

それからしばらくして全く連絡がとれなくなってしまった。
電話もだめ、メールもだめ、ブログも止まってる。
そのまま何年か経ってしまい
それで今日だ。

夜、寝る時が怖い。
涙が止まらなくなりそうだ。

11/01/2019

「フォークゲリラを知ってるかい?」

という記事をブログに書いている人がいる。
かなり前だけどその人に自分がやってきたことを書いて送ったと思う。
それが問題なのだけど、一体何を書いて送ったんだろう?
今思うと自分勝手なことを書いて送ったように思う。
まだその人のURLはわかっているけれど、
怖くて見に行けない。

この前「播磨と米軍タンク車の炎上」のことを書いたけれど、
ちょうどその頃のことだったと思う。
Mが言ったと書いたけれど、自分も「あんなのは燃えればいい」
と思っていた。

あの頃を想うと、過激だったけれど考えがいい加減だった。
と思う。
あの時代、あれ以外に自分にできることは無かったとは思うけれど、
やるんだったらもっとはっきりと自分の意志を持ってやるべきだった。
と思う。
だから今、あの時代に自分が何をしていたのか
話してしまったことはとても恥ずかしい。
穴がいくつかあったら一番深い穴に入って出て来ないでいたい。

たぶん自分は歌を歌っていればよかったんだと思う。
ほかのことは考えず、
あの頃できたことはそれくらいしかなかったはず。
そういうことはできただろうか?