4/30/2022

親殺しのパラドックス

 タイムトラベルという概念に関して一番大きな間違いは、
時間が連続したものだと仮定してることだと前に書いたと思う。
歴史年表を開いて1180年だかの鎌倉幕府に行って潰して来よう!
と思っても、時間をマイナス方向に842年戻したとしても
そこに鎌倉幕府があるかどうかわからない。

これは非常に簡単な原理なのでちょっと考えれば明らかだ。
例えば今手に持ったサイコロを振って何が出るかはわからない。
というかある確率で出る数字がきまる。
ではまず手の中のサイコロの目が3が見えていたとして、
それを振って5が出たとする。
3を見てから振り始めて5が出るまで10秒だったとする。
では仮に5が出た瞬間に時間を10秒戻したとする。
歴史の教科書ではサイコロは手に戻り3の目が見える、
はずだけれど、そうはならない。
なぜなら5が出たサイコロを戻して3になるとは限らないから。
5の目が出てから時間をマイナス方向に移動させても
やはり同じようにある確率でしかサイコロの目は出ない。
1かもしれないし6かもしれない。

同じように仮に今時間を842年分マイナス方向に動かしても
鎌倉幕府が創立されていたかどうかはわからない。
とんでもない歴史になっているかもしれない。
つまり歴史が今につながっているかどうかは歴史年表の上のこと
でしかない。

親殺しのパラドックスなど元から在りえないことだ。
それどころか時間を戻しても親がいるかどうかもわからないし、
私がどこまで存在できるかどうかも不明だ。
ひょっとするとマイナス2秒前(後)に事故で死んでいた(る)かもしれない。
この世は未来も過去も確率的でしか言えない。








4/28/2022

運命か偶然か

前にも書いたと思うけれど、アメリカの交通事故の調査をしてその本を
書いている人がいた。その人が言うには「事故を起こした人のその日の
行動を調べると、皆その事故に遭うために一日を過ごしていたように見える」
と言っていた。
その言葉が前から気になっていた。
つまり、それは誰でもどんなことでもそういう風に見えるんじゃないか?
ということ。事故に限らずその日の起きたことはその人がその日を
過ごした結果に過ぎないんじゃないか、とも思う。

しかし自分が交通事故や嫌な出来事に遭遇した時に真っ先に思うのは
「ああ、今日は来なけりゃ良かった」と思うこと。
確かに途中であそこに寄らなければとか、家を出るのが遅れなければ
とか思う。その結果は運命だったのだろうか?
あるいは逆の場合もある。
途中で立ち話をしたために事故を起こした電車に乗らずに済んだ、とか。
そう考えると全ては「運命」のように思える。

それじゃあ「運命」じゃないのはどういう場合だろう?
たぶん全てのことを自分の意志で決めて他者の介入なしに物事を
決めて行くことだろう。
OK,朝決めた時間に起きて、決めた時間に朝食を取り、決めた時間に
車に乗り、決めたルートで時間通りに目的地に向かう。
それでも事故に遭うことがあるだろう。
それを客観的に見た場合、いや主観的であっても、「あたかもその事故に遭うために
一日を過ごした。と言うだろう。
それを「必然」と言うこともできるし「偶然」ということもできる。
どっちだろうと「なるようにしかならない」
ということは確かだ。

ニュースを見ていて、あの船に乗ったのは必然だったのだろうか?
と考えていた。
わからない。
前に同様の事故があって、それを思い出せたら、
乗らなかったかもしれない。
でもあの場所でその時「やめよう」とは私も言えないと思う。

あの社長は三途の川で遭難すればいい。
と思う。


4/27/2022

斜里町ウトロ港

 

いつもは札幌の西方面を映しているHBCのライブカメラがウトロ港を映している。
天気が悪いせいもあるがとても暗く、ほとんど動きが無い。
沖の波が時々白い波がしらを見せるくらいだ。
なぜこんな悲劇が起きてしまったのだろう。
まだたくさんの人達が見つかっていない。

知床はたぶん一度しか行っていない。
70年の8月だ。
小沼と一緒に北海道まで走った時だ。
写真を見ると知床五胡まで行ったみたいだ。
記憶では雨の中駐車場から泥道で湖まで行ったと思う。
今思うとそこまで何の注意書きも無かった。
熊さんの王国の中を1キロくらい歩いている。
当時は今よりも自然が勝っていたはずだから、熊に出会ってもおかしくなかった。
調べてみたら知床横断道路が全線開通するはその10年後だったらしい。

北海道は確かに観光地だけれど、自然は昔のままだ。
自然は人間のことなどお構いなしだ。
だからこそアイヌは自然に畏怖の念を覚え、
自然に逆らわないように生きてきた。
それを忘れてはいけないと思う。






また出没したらしい

 また今日のニュースであいの里あたりに出たらしい。
不思議に思うのはどこから来たんだろ?ということ。


南方面はもう都市部だからそっちから来ることはないだろう、たぶん。
山も無いし。
左(西)の方も住宅地ではるか遠くに手稲山の山系があるけれど、
そこから歩いてきたら誰かに見つかるはず。
左上(西北)は海岸。
そうすると上(北)の山から来たのだろうか。
でも石狩川がある。
それを渡って当別のほうからきたのだろうか?
そっち方面では見かけたというニュースは無かったように思うけど。

熊さんは2メートルの大きさらしい。見た人によると。
よく写真で見る三毛別の4メートルくらいのと比べると小さいけれど
2メートルというと家にあるタンスよりも大きい。
あのタンスが襲ってきたら勝ち目は無いように思う。
恐ろしいことだ。

なんか今年は熊さんが多そうだ。

4/23/2022

熊出没

 私が住んでいた頃、もう40年くらい前、の札幌では
熊の出没はそんなに多くなかったと思う。
記憶では1,2回南区で熊が出たというのがニュースになっていた。
あるいは山菜取りに行って襲われたというのが毎年ニュースになっていた。
昔の記録が2017年以前がみつからないのだけれど、
2017年の頃はまだ南区がほとんどの様だ。
ところがここ数年は中央区や北区、西区の出没がけっこうある。

先週だったろうか北区あいの里で数件の目撃情報があってニュースになっていた。
あいの里は前回札幌に行った時に歩いたところで、今回もそのあたりを歩こうと
思っていた。
そのあたりは大学もある普通の住宅地だ。
熊は北の方からやってきたのだろうか。
あそこに出るとなると他の郊外も結構危ないのかもしれない、
と思ってしまう。

狐やタヌキやウサギやリスや鹿には出会ったけれど、
今のところ熊には出会ってない。
出会いたくはないな。

バイクで走ろうと思っているのだけど、
山に近いところは避けた方がいいかもしれない。
・・・と思う。


砂金堀り

 YouTubeに砂金取りの動画がたくさんあるので見ていた。
感想としては思ったほどは取れないんだな、ということ。
あのお皿をぐるぐる回して一日を費やしても、たぶん塩粒くらいのが
何個か取れるくらいみたいだ。
暇のつぶし方としては良さそうだ。
なにか機械を作って終日それを動かすようにしたら良さそうだけど
そういう方法は無いんだろうか?
砂金よりもそう言う機械を作る方が面白そうだ。
基本的には遠心分離だろうな。
やはり皿状の物を回転させて中心部に比重の重いものが残るようにする。
中心部は漏斗状にして下部にたまるようにする。
回転はモーターで行うが、その電力は川の水流で発電する。
問題は土砂を定期的にその遠心分離機に入れるところだろうと思う。

土砂を掘ってそれを遠心分離器にくべるのはかなりの運動量だ。
そこは弱い発電量では無理そうだから、あらかじめ土砂を掘って
分離器の上のほうに蓄えておけばいいかもしれない。
それを少しづつ下に落とすようにすればいい。
その補給は現場で定期的にそれを行わなければいけない。
というような機械を作るのも面白そうだ。

最後の問題は砂金が採れそうな渓流はたぶん熊さんが出るかもしれないこと。
伊豆は大丈夫かもしれない。
でも東北、北海道はあぶない。


4/20/2022

近未来から見たら

 どう見えるんだろうね。
このコロナの流行とかウクライナの戦争とか。
2000年台の歴史年表の22年のところには
「コロナ」と「ウクライナ」の文字が入ることは確かだろうな。

オーム事件のことを思い出すとある種の哀愁を帯びた思い出として
感じるのと同じように、あるとき本格的老人になった自分は
コロナを昔の思い出として思い出すだろうか。
あるいは「あの時はそうだったねえ」と誰かと語り合うことがあるだろうか。
そんなことがあるといいけれど、
そういう時は来ない、ということも考えてしまう。

「止まなかった雨は無い」というけれど、
今まではそうだったかもしれないけど、
もう絶対止まない雨が降るかもしれない。
金星の雲の下みたいに。
そんなことを考えてしまう。



4/19/2022

火事の家があった

 いつも集荷時間に間に合わないとヤマトのサービスセンターまで
歩いて行くのだけど、行きは1.5キロくらい、近道で。
帰りは2キロくらいの、遠回りして川沿いの道を歩くのが好きだ。
昨日も夕方そのコースで歩いたら、帰り道の川沿いにあった家が
全焼していた。
一階も二階も真っ黒。
川沿いには結構奇麗な家が建っているのだけど、
そのうちの一軒だけが燃えていた。
両隣は無事だったようだ。

何が驚いたかって、そんなこととも知らずに歩いていて、
ふと横を見たら真っ黒な家があったこと。
もう空が暗くなりかかっていた時だから。
周りを黄色いリボンで囲まれていた。
その家の位置だと自分のマンションから見えたはずだ。
1.5キロくらいだから夜だったら見えたかもしれない。
でも気が付かなかった。

家が燃えてしまうのはいやだな。
今まで自分の家が燃えたことはない。
燃えてしまったらショックで立ち直れないと思う。
そこで一巻の終わりだ。


4/16/2022

ひさびさの外出

 今日は知人のライブに行ってきた。
知人か? もともとは兄の友人なのだけれど、なんだかんだで
私も知り合いになってしまった。
基本的にはIan & Sylviaのトリビュートバンド。
ベースの人はなんでも有名なテレビのアナウンサーらしい。
後ろでカホンみたいのをたたいている人もその業界の人らしい。
特別出演の左端のフルーティストはそうとう有名な人らしい。
名前を忘れてしまった。さっきまで覚えていたのに。
赤い人は一度このグループのライブに参加させていただいて
一緒に演奏(バックのハーモニカ)をしたことがある。
すごく細い人で折れそうな感じ。シルビア役の人。

曲は全部知ってる曲なので一緒に口ずさんでいたけれど、
マスクなのでわからなかったと思う。

4/14/2022

謎のカメラファン

 もうケチ付けてるだけだけど。

鉄道関係は何も言うことは無いけれど、あれはもう写真趣味とか
の範疇ではないように思う。
あるいは私が絶対に理解できない領域があるのかもしれない。
どうでもいいけどあの同じ場所に三脚を並べて写真を撮っている
人達はあれでいいんだろうか?
だってみんなほとんど同じ写真を撮ってるわけじゃない?
私なんかは先にその場所に誰かがカメラを構えていたら
絶対にそこでは写真を撮らない。
なんでみな右に倣えで同じ写真を撮るんだろう?
桜とか富士山とか列車とかお祭りとか。
そうそうディズニーランドのエレクトリカルパレード、
仕事柄たくさんの家族のホームビデオを見るのだけれど
ほとんどすべての家族があのパレードを延々と撮っている。
だけどあのパレード家でいつか見ることがあるだろうか?
たぶん二度と見ることは無いと思う。

私は風景趣味だからどこかに行くと風景写真を撮っているけれど、
家族旅行や誰かと一緒の旅行では人を撮らないといけない、と思う。
せっかく一緒にいるのに風景なんか撮っていてはいけない。
東尋坊の崖なんて後で見てもちっとも懐かしくも面白くもない
東尋坊の崖をバックに、あるいは景色無しで人を撮った方がいい。
たくさんの昔の8mmフィルムを見ていると、やっぱり景色を撮っている。
景色なんて昔も今もそれほど違わない。それより人を撮った方がいい。
自然の景色を撮るんだったら街の様子を撮った方がいい。
今見ると毎日の平凡な街の景色も何十年かするとすっかり変わって
昔の街が懐かしく感じる。またたぶん貴重な写真になると思う。
昔のネガの束を見ているともっと街人やを撮るんだったなぁと思う。

街や観光地を歩いていて思いもかけぬ場所でカメラを構えてる人がいると、
気にしていないふりをして通り過ぎて、後になってからその場所に行って
あの人はどこを撮っていたんだろう?と見ることがある。
「へえ、あれを撮っていたのか」と感心することも多い。
でもそういう人は少ない。
だいたいが「俺はこの写真撮ってるんだぜ」みたいな
決まり切った風景の写真を撮っている。
長いレンズのカメラをこれ見よがしに構えているのはちょっと滑稽だ。

自分だけの写真を撮ってる人はカメラを目立たないようにしている。
あるいはコンパクトカメラだったりする。
たぶんそれで充分なんだ。
それよりも「その場所」を探す方が楽しい。

4/13/2022

オーディオ神話は本当か嘘かの議論

もう「神話」って言っちゃってるからね。
若いころはずっとオーディオ業界で働いていたけれど、
ある程度「いい音」がしていたらそれ以上は嘘だろうなと思う。
特に最近のハイエンドなんちゃらはどう考えても怪しい。
もうある程度年をとった人にとって15000Hz以上は聞こえないと思う。
私だってもうかなり歳だから12000Hzがやっと鳴ってるかな?と
わかるくらい。

昔オーディオの大会社が少人数のオーディオファンのコンサートを開いて、
カーテンの向こうでスピーカーから出した音と生演奏の音を聞かせて、
違いが判るかどうか試したことがあった。
結果は50%で、たぶんわからないということだったと思う。

私がオーディオの仕事をやっていた頃に神話としてあったのは
・ターンテーブルを無垢の厚い真鍮で作ると音が違う。
・ターンテーブルのベルトドライブを糸にして3メートル先のモーター
 で回すと音が違う。
・スピーカーボックスの下にコンクリートブロックを置くと音が違う。
・ピックアップからのコードは純金の線にすると音が違う。
・レコードの上に安定のための丸い真鍮ブロックを置くと音が違う。
・アンプの電解コンデンサーを同容量のマイラーコンデンサーにすると
 音が違う。
・アンプとスピーカーをつなぐ線は太い方が音がいい。
・電源線は太くてコンセントに直接つないだ方が音がいい。
 これは究極的に独自の電源回線を電柱から引いた方が音がいい、となった。
・5万円の日本製のパワーアンプよりマッキントッシュの方が音がいい。
 (うむを言わさず)
・アシダボックスの結構安いスピーカーが音が良いとされていた。(謎)

いずれも本当かどうかわからないというところがミソだ。
著名なオーディオ評論家が「これがいい」と言うと、もうそういう
お墨付きをもらったようなものだが、一方アマチュアの間では
上記のような神話がいくつも生まれていた。

たぶんいずれも「気のせい」だと思う。
最初に「ある程度の」と書いたけれど、25cmくらいのスピーカーで
メーカー製のアンプで聞けば、どれもそんなに変わらない。
気のせいと思い込みで音が変わるように思う。
「今日はどうも音が悪い」とか、「今日は音がいい」とかいう
気持はあると思うけれど、そんなに違わないはず。

ハイエンドオーディオ装置の中身を見ると愕然とする。
あれが商売なんだろうなと思う。
音楽はもっと気楽に聴いた方がいいと思う。



 

宇宙人は存在するかしないか議論

 もうやけになってきている。

まず宇宙人ていうのは地球以外の星から来た「人」ということだろう。
「人」と言うのは問題があるかもしれない。
「生物」と言った方がいいかもしれない。
いや、地球での概念の「生物」ではないかもしれない。
「何者か」という感じだろうか。
機械だった場合はどうだろう?
地球的概念だと「機械」というのは炭素化合物ではないもの
でできた動くものということだろうか。
しかしケイ素を軸とした化合物あるいは生物だって考えられる。
あるいは他の金属元素を元にした生物だって考えられる。
明らかに金属っぽい生物はどうするんだろう?
機械ともいえるし生物ともいえる。
すごく金属っぽい場合機械との区別がつかないかもしれない。
だから「機械じゃなく」というくくりはできないだろう。
まあ、そういう地球以外からの何かうごくやつということで。

しかし地球以外から来るだろうか?
これはかなり疑問だ。
大体太陽系以外からとなるとものすごく遠い。
それはもうちょっとそこまでというにはあまりにも遠い。
ワープ航法だって?
そんなものはSFの中だけの話だ。
実際そんなことができたらもう宇宙のいたるところに
宇宙人は顔を出しているはずだ。
だいたい宇宙ができてからまだ130億年くらいしか経っていない。
生き物(あるいはそういう感じのやつ)はその先端の本の少しの
時間しか生きていない。
たぶん宇宙全体でも生き物が誕生したのはだいたい同じ頃
なんじゃないだろうか。数億年の違いはあるかもしれないけど。

だから宇宙船を作れたとしても光の速さを越えて動けるものが
そうそうできるとは思えない。
だいたい行く先に何があるかもわからず「瞬間移動」するなどと
いうことはできないだろう。

だから「宇宙人」のたぐいが宇宙からやって来ていることは
無いと思う。

何のために?ということもある。
そんな遠くからわざわざ地球にやって来る理由が無い。

そんなことよりも、UFOとか宇宙人とかいたとすると、
それは地球にもともといたんじゃないだろうか?
例えば海の中に彼らの世界があるとか。
南極とか北極とかに彼らの世界の出入り口があるとか。
その方がよっぽど可能性がある。
あるいは火星年代記のようにうまいこと彼らの世界と我々の世界は
住みわけが出来ているのかもしれない。
それでたまに彼らの移動手段のUFOが見られるとか。
たぶんね。
そういう感じではないかな?









4/12/2022

超能力は存在するかしないか議論

 超能力と言っても色々あるので分けてみよう。
1.無接触物体移動(念力)
2.瞬間移動(テレポーテーション)
3.テレパシー
4.予知能力
5.透視
とかもっとすごそうなものもありそうだけど、信用できない。
このうち1と2も信用できない。だってそんなことができたら
街を歩いていてそこら中にひょっこり人が現れると思う。
それにそんなのは見たことがない。
もっとも私個人の私見だけれど。
透視というのもどうかな? これができる人がいたら・・・
たぶん日本の人口からしたら1000人くらいは居そうだけど、
もっと騒ぎになっているはず。

テレパシーと予知は、ありそうな気がする。
というのも私自信それらしい経験をしているし、
たぶん誰でもそういう経験があるんじゃないかと思う。
例えば電話が鳴る前に電話が来ることを感じたり、
あるいは電話が鳴ったらそれが誰からかわかったり、
これは結構な頻度である。

予感というのもある。
何か仕事を終えた時、「ああ、これはクレームが来そう」と思っていると
クレームの電話がきたり。
こういう経験は長い人生で100回以上は起きてると思う。
これは超常現象なのか? と真剣に考えると、可能性として考えられるのは、
様々な状況、情報、知覚を総合して予知的なものを感じる。
という可能性はあると思う。
しかし、もう20年も話していない人からの電話を当てたり
した場合はそういう事前の情報は全く無い。
そういうことが何度もあると「これは予知能力か?」
と思いたい。
まあ、いやな予感は的中するというのは言えるね。

テレパシーは、これは私はかなり経験している。
特に兄との間でのことははっきり覚えている。
私の場合特徴的なのは私の考えていることを相手に
(私の知らない間に)伝えてしまうということ。
これは本当に頻繁に起きる。
物事だけでなく、自分が心の中で歌ってる歌を近くの人に
伝えて、その人も口ずさむということも多い。
これはその人が口ずさんでいる歌を私が聴いてしまっているのか?
とも考えたけれど、それは無かった。
だいたい私が先だ。
私が人に言う前にその人がそのことを言い出すとか。
とても多い。
たぶん私以外は信じられないだろうけれど。

そういう意味でテレパシーはあると思う。

4/11/2022

幽霊は存在するかしないか議論

 幽霊を見たことがないのでなんとも・・・
居たら見てみたい。
夜中に暗い道を歩いている時に「出るなら今だよ」と思う。
でも見たことが無い。
個人的にはやはり幽霊は個人的な経験でしかないように思う。
100人くらいの人が全員同時に見たとしたら
それはもう幽霊ではないだろう。
UFOが未確認であるように100人が確認してしまったら
それはもう未確認ではないし幽霊でもなく
一種の自然現象みたいなものだろうきっと。

条件として「幽霊」はもう既に死んでいるとか、
この世のものではないとかいうことがあるかもしれないけれど、
そんなものをどうやって確認するんだろう?
確認できるのはその「幽霊」の遺族だ。
遺族がその幽霊を「もう死んでいるはずの家族です」と言ったら
幽霊なのだろう、きっと。
だから幽霊はかなり個人的なものになると思う。
「私のお母さんよ!」とか「おじいちゃん!」とか確認できなければ。

そうでなく墓地に薄ぼんやり佇んでいる「幽霊」は幽霊だとはわからない。
ひょっとすると夜中に墓地を歩くのが趣味の人かもしれないし、
自分の精神状態が生んだ幻影かもしれない。

写真に写ったらどうなんだろう?
写真に写るのは物理的に光に反応するか、発光する能力を持った
何かだと思うけれど、この世のものでなければそういう物理現象を
引き起こさないだろう。
だから写真に写った「幽霊」はきっとこの世のものだ。
写真には写らないけれど、そこに見える、としたら
それは精神的なものにちがいない。

幽霊は見たことがないけれど、幻覚は見たことがある。
目の前にあるものが現実には無いものだとわかっていても、
薬のせいでそこに確かにあるように思える。
また触って確認することもできる。
だけどそんなものは存在しないと自分の脳は理解している。
目の前にある幻覚が存在しないと理解していても
あたかも視覚がそれをとらえているように思える。
たぶん幽霊を見た人はそういう状態なんだろうと思う。

だから私は、幽霊は存在しないと思う。
しかし幽霊を見ることはできると思う。

時間は存在するかしないか議論

 全く無駄だと思う。
「時間は存在するか?」という問いがまず意味が無い。
物理学でいうところの「時間」はあるに決まっている。
正確に言うなら「物理の数式に現れる時間」はある。
無ければ数式が成り立たないし、世界はばらばらになってしまう。
言い方を変えれば「時間は数式の中には存在する」だと思う。

私が前から言っている「時間は存在しない」というのは
「過去から未来につながった帯のような時間」は存在しないという意味だ。
映画のフィルムのように巻き戻したり、早送りしたりすることはできない。
あくまでも「現在」しか存在しない。
現在の中で物は変わって行く。
それを時間という概念で感じている。
ただそれだけだ。
たぶんその感覚的時間の変化はエントロピーとイコールなんだと思う。
エントロピーを減少させることができないのと同じで
感覚的時間も戻すことはできない。

全く別な話を書こう。
ある未来の人がタイムマシンを作ったとして、
もしも時間を戻すことができると仮定すると、
その時間に存在する自分以外の物、社会や街や地球や銀河や宇宙全部
も時空連続体として一緒に戻ることになる。
つまりタイムマシンを起動させた人のせいでその時間にいたすべての人や
地球や宇宙も一緒にどこかの時間に戻ってしまうことになる。

そこで今ここにいる我々はどうなるかというと、そういうSFの世界では
全く関係なく今の生活を続けているような設定だと思う。
それはしかし大変なことだ。
ありとあらゆる時間に関して彼らは彼らの生活をし、彼らの宇宙がある。
たぶん時間はデジットではないから連続しているだろう。
(いや最小単位があると言うかもしれないけど、それにしても)
あらゆる時間の宇宙の全質量は無限大になってしまうだろう。
それはあり得ない・・・かもしれない。

だからたぶんこの(現在という点のような時間の)宇宙の全て
の物は1点の時間に紐づけられているのだろう。
そう考えるのが妥当のように思う。
そのたった一つの宇宙を考えてもその全てのものを持ったまま
時間を進めたり戻したりするのはえらく大変そうだ。

だから時間は1点にしか存在しない。
「唯一現在のみ説」とでも言うのだろうか、
時間の流れは存在しない・・・という説。

4/09/2022

反戦歌

 反戦歌を誤解していると思う。
(あるFBのグループのことだけれど)
「この歌をウクライナの人のために歌います」とか
「ウクライナの人の平和を祈って歌います」とか、
何言ってるんだろう? と思う。
だいたいそんな所まで届くわけがない。
戦争というものを歌のネタとしか考えていない。

反戦歌というのは
どこか遠い空の彼方の戦争に向かって
戦争を止めろと歌うことではなく
彼らの平和を祈りますと歌うことでもない
「私は戦争をしない」と自分に向かって歌うことだ
聴いている誰かに「あなたも戦争をしないでほしい」と伝えること
そして聴いた人も「私は戦争はしない」と思うこと
そしてその歌を歌い次ぐこと
そして皆が平和のために生きようとすること
皆が戦争はしないと思うこと。
だからこそ国家は反戦歌を規制する
それが反戦歌だと思う

・・・とかいう偉そうなことをFBに書いたら
彼らは見てくれるだろうか?

4/08/2022

夢で見るUFO

夢でよく見るUFOを描いてみた。

空を見ているとこんな感じのが飛んでいる。
浮かんでいるのかもしれないけれど。
こういうのがいくつも浮かんでいる時もある。
青い空の中の
とても高いところに真っ白に見える。
これは夢だろうか?といつも思う。
音もなくとてもリアルで言い知れぬ怖さがある。
乗り物のようにも見えるし、建物のようにも見える。



4/06/2022

駅 STATION

 というのをもう何度か書いているような気もする。
確認するのが面倒なので書こう。
今またこの映画を観ながら書いている。
別に高倉健のファンでも無いし倉本聰のファンでもない。
でもこの映画を時々見たくなる。
70年代の日本というか北海道のちょっとくすんだ街の様子や
車、人その他もろもろがそのままだから。
角ばった車が普通に走っている。
なんならオート三輪も走っている。
ちょっとどこかおかしい北海道弁が気になるけれど
気にしなければ懐かしいだけだ。
映画全体に漂う言い知れぬ寂しさは
あの時代の雰囲気そのままだ。
そう、時々そこに帰りたくなる。
まだ何も始まっていなかったあの頃に。
時々札幌に行きたくなるのもそのせいだ。
札幌に行ってあの時代に戻れるわけもない。
いいのだ。
ただその上を歩いて確認したいだけだ。

雪のあるうちに行こうとも思った。
でもそれはものすごく勇気がいる。
一人ではとても行けない。
雪の札幌に一人で行ったら戻って来れないような気がする。
たぶん雪の札幌はあの時代につながっている。
そこに入ったらもう戻って来れない。
それは確かだ。

だから春にした。
春はいい。
いやな思い出が無いから。

今日は誕生日だ。

4/05/2022

宇宙に行きたいか?

 テレビで「あなたは宇宙に行きたいですか?」という質問をしていた。
誰かが「あれは宇宙ですかぁ?」と言っていた。(成層圏あたりのこと)
確かに地球のかなり高いところから地球を眺められるけど、
あれは宇宙ではないだろうな。
海で言えば海岸で足を浸したくらいだろうか。
本当に宇宙に出るにはかなり勇気がいると思う。
少なくとも月へ行った宇宙飛行士くらいの勇気は必要だろうな。

「宇宙に行きたい」と言うならどこか別の星まで行かなくては。
火星とか?木星とか?
それにしたって海に例えれば東京から大島、式根島とかの程度だろう。
「宇宙に行きたい」と言うからには、他の恒星系までか
あるいは他の銀河系まで行かなくては。

そうなると宇宙旅行のほとんどは虚無な空間にいるだけだ。
そんなつまらない旅行も無いだろうな。
それを考えると、広大な空間を旅している地球はやはり宇宙船なんだ思う。
こんなに安全な宇宙船は無い。

たとえロケットで隣の銀河系の近くまで行けたとしても
その銀河系の明るさは今地球で見ているマゼラン雲とかアンドロメダ銀河
とかと同じくらいだから、ものすごく輝いて見えるわけじゃない。
もっと近づくと星間は何も無いしとてつもなく離れているから
今地球から見ている星空となんら変わらない。

もっともっと近づいて、恒星系に近づいてその惑星を見つけたとしても
この太陽系の惑星とそんなに違うだろうか?
そこがどんなにすごい星であっても、地球以上に行きたい場所だとは
とても思えない。

私は宇宙飛行士には向いていないかもしれない。

4/02/2022

変な夢を見た

 夢はみな変だ,though

母が大工に言ってキッチンを魔改造していた。
冷蔵庫の奥に窓を付けて外が見えるようにしていた。
それから部屋の真ん中に室内型のエアコンを置いて
涼しい風が出るようにさせていた。
食器棚も改造していた。
私はその脇で座っている。
隣の部屋に何人かの客がいた。
妹が大きな手術を受けることになって、その担当の医者がいた。
私は心配になって母に聞いた
「ねえ、先生から手術の内容を聴いた?」と
すると母は聴いていないと言う。
そこで隣の部屋に行ってソファーに座っていた先生に言った。
「妹の手術どういう風にするのか説明してもらえませんか」
すると先生は何やらもごもごしゃべっていた。
もごもごというのも先生の口は右半分が動いていなくて
左半分だけでしゃべっていたから。
私は大声で「それじゃあわかりません!皆にも説明してください!」
と言った。
すると部屋には母や他の客、いつのまにか知らない人達が10人くらい居て
皆先生の方を向いて座っている。
誰かが「それじゃあ始めます」と言った。
するとかなり年配の男の人が前に立って、自分の人生経験を
話し出した。
私は「あれ?何か違う」と思いながら、
ああ、これは何かの宗教の集まりだ。とわかる。
私はキッチンのドアを開けてキッチンの方に行き座っている。
すると女性が一人、二人同じようにドアーを開けて
キッチンに来て
「ああ、知らなかった。あれはあの宗教の集まりね」と言っている。
その間にもキッチンの魔改造は進み、部屋の半分くらいの棚ができている。
それを言い出した母は隣の集まりにいる。
私は妹のことが心配で、隣の部屋の集まりに行って
大声で「ねえ、妹の手術のことを話してよ!」と
先生に向かって言う。

そこで目が覚めた。
大声出したかも。