10/24/2019

最近思い出したこと

播磨だ。
この字かどうかわからないけれど「はりま」だ。
高校の時の友達。
中学からかもしれない。ちょっと忘れた。
1969年に新宿駅で米軍のタンク車が炎上した。
その時たまたま高校(神代高校)の登山部の生徒が何人かいた。
播磨もそのメンバーだった。
たぶん播磨がリーダー的役だったと思う。
新宿駅員が燃えていないタンク車を移動させるのに彼らに声をかけたらしい。
彼らは皆でタンク車を押して移動させて炎上をくいとめたらしい。
それで後で感謝状を受けた。確か学校で授与式があった。

同級生のM(ちょっと過激)は彼らの行動を批難して
「あんなのは燃やしておけばいいんだ」と言っていたのを覚えている。

その播磨だけれど、山で遭難して亡くなった。
それがいつだったか忘れたけれど、
私はそれを新聞で知った。
そのことを思い出した。
それでちょっと彼の顔と声を思い出した。

10/22/2019

この世に一人だけ

寒くなってきた。
朝から雨。
テレビでは謎の儀式をずっと中継している。
寒くなると何故か寂しい感じがする。
何処か行く?
まだ雨が降ってるのかな?

世界中と言わなくても日本中あるいはこの街に
知っていて話をできる人が3人いるとすると、
それは多分この世に話せる人が3人しかいない
というのと等価だ。
街にはたくさん人がいて、
窓の外を歩いている。
だけど私に話しかけてくる人はいない。
だからこのたくさんの人は居ないに等しい。
そんな気がする。

どこかに話したい人が一人いればいい。
たぶんこの世の中にその人一人しか存在しないのと同じだ。
hello! someone!


10/21/2019

眠れない

夢の話を書くには眠らないといけない。
でも眠れない。
猫がご飯を食べに来たので抱き枕にしようと思ったけど
呼んだのに来ない。
向こうの部屋のベッドに行ってしまったのだろう。
今午前2時13分だ。
いつも午前2時を過ぎるともう眠れない。

孤独な時間だ。
孤独? おまえは好きだったんじゃないの?
そうだけどさみしい


10/15/2019

札幌「つむり庵」

先月北海道に行った時に泊まったのは札幌の大通の西22丁目にある
「つむり庵」というゲストハウス。
ゲストハウスなので4人部屋にベッドが4つなのだけれど、最近個室
もできるようになったらしい。
それよりも驚いたのは前回管理していた女性が亡くなっていたこと。
今回はその家族の方が管理されていた。
若い男の方でとても感じのいい人だった。

「つむり庵」はもちろん日本人だけじゃなく、外国人も利用する。
私は1度しか一緒にならなかったけれど、その人はイギリスの人だった。
少し話をした。
「つむり庵」の良いところは何一つ煩わしくないこと。
出入りは自由。風呂はだれか入っていなければ次に入ればいい。
洗濯機はお金を賽銭箱?に入れて使える。

ロビーには朝はピザトーストが1枚用意されていて、それをトースターで
焼いて食べることができる。
コーヒー(インスタント)は自由にいつでも飲める。ただしお湯はそこにある
ポットで沸かして飲んだあとはコップを洗って置いておく。
ロビーにはたいてい泊ってる人(女性も男性も)がいて、話をしたければ
話もできるし、情報交換もできる。
外へ出るときは各自鍵を持って出る。誰も残っていなそうなときはドアに
カギをかけて出る。
つまり「つむり庵」のいいところはまるで自分の家のように過ごせるところ。
部屋は清潔で奇麗。
ただし同居人あり、だ。それと1泊¥3000ってことだ。

帯広に行った時はユースホステルだった。
ユースホステルと言っても昔のユースみたいに集合して歌を歌ったりはしない。
(まだそういうところもあるという話を誰かがしていたけれど)
そこのユースホステルもほかの部屋の人と会うのは食事の時くらい。
部屋はやはり4人だったか5人だったかの部屋。
その日はこれから網走に行くという男の人が一人同室だった。
ユースなので全体的に合宿っぽい。
そういうのが気にならない人はいいと思う。
宿泊料金は食事なしで4千円くらいだったと思う。
ここのすばらしさは、なにせ広大な畑の真ん中なので夜は真っ暗、
空を見上げるとものすごい星。天の川もはっきりと見える。
星空ってこんなだったんだ!と思わせる。
それだけを見に行ってもいいくらい。

北海道に住んでいた時は帯広は2,3度通り過ぎただけだった。
今回行ってみて、もう一度行きたいと思った。

秋だからまた夢の話をしよう

・・・いつもそれだけど・・・

小さな4歳くらいの男の子と一緒に布団に入って寝ている。
男の子はふざけて大声を出したりしている。
するとその部屋に一緒に寝ている(何かの合宿のようだ)他の人が
起き上がるのがわかった。
「ほら、静かにしないと・・」と男の子に言うけれど
男の子はすっかり起きていて歩き回っている。
その子を抱き上げて布団に戻り横になろうとする。
男の子は笑っている。

誰かが雨戸を開けて黒い煙の出る何かを燃やしている。
「窓を閉めろ!」と誰かが言っている。
外に真っ黒の煙が見える。
「世界一黒い煙だ」と誰かが言う。

私はその男の子を抱えて裏から外に出る。
するとそこは崖になっていて、高さ40メートルくらいある。
みんなそこを滑るように降りてゆく。
私も男の子を抱えてそこを降りる。
すると崖はほとんど垂直で、足が着くところを選んで落ちるように
降りて行く。
しばらくするとその降下感が快感になってくる。
どんどん下に降りてゆく。

降りると工場の中だった。
どうやら私がその工場を管理しているらしい。
広い部屋にところどころ机があって、そこに何人か座って仕事をしている。
私はそれを見回っているが、内心何を管理しているのかわからない。
私も誰もいない机に座ると、目の前に電子回路の基板がある。
「ああ、これは私が作ったんだ」と思う。
でもそれが何のための回路かいまいちわからない。

向こうで何人か集まって話をしている。
私はそれには加わらない。
いや、加わることができる雰囲気じゃない。
私は気にしないようにしている。
疎外感。
いつも感じていた。
あの感じだ。

目が覚める。



10/10/2019

ゆめのはなし

君のオレンジ色のコートは肩のところが少しはげて地が見えていた。
「なんでそのコートを着てるの?」と思った。
だけどそれには見覚えがあった。
それから君はいつもそうしてたようにスタスタと歩いて行ってしまった。
僕は後を追うけれど、どこに行ったのか。。。
そうだ家に行ってみようと思った。
でも家に行くと僕は入れてもらえないと思った。
それで家に行くのはやめた。
電話してみようと思った。
でも携帯の画面はいつものようにぼやけていて
どこを押していいかわからない。
電話番号も覚えていない。
「あ、そうだ!あの家にはもういないんだっけ!」と思い出した。
「なんだマンションにいるじゃないか!」と思った。
その時、オレンジ色のコートは僕のコートだと思い出した。
ずっしりとしたコートだ。
そうだった?
コットンのコートだ。
箱根だ。
箱根で野宿した時に着ていた。
あ、でもあれはオレンジじゃない。
コットンの白い色だった。
いや、違うグレーだ。
そうするとあのオレンジ色のコートは何だろう。
少し表面がはげて下地が見えていたのが妙にリアルだ。
匂いだ。
芳香の。。
もう何が本当なのかわからない。






10/09/2019

あの頃の未来

羽田の展望台から眺めていたら、
これはもう十分未来なんじゃないかと思った。
子どもの頃の科学雑誌にこういう絵があったように思う。
まあ、その絵では空を原子力飛行機が飛んで車も空を飛んでいたけれど、
だけど、この景色はほとんどその時の未来だと思う。


前にも書いたけれど、薄汚れているからピカピカの未来とは感じない。
だけど、今の世の中の何もかも未来のうな気がする。


10/06/2019

千歳行きバス

どうでもいいけれどこの駅前から千歳行きのバスに乗るのは不正解だった。
どうも昔の高速バスのつもりで乗ってしまったのだけど、
ここから出ているのは各駅停車だ。
千歳まで1時間半かかった。
飛行機の時間に余裕がなかったら途中で降りてるところだ。

だけど道順はほぼ昔乗ったバスと変わらないので夕方の景色を見ながら
行くのは良かった。

バスに乗る直前に横断歩道で自転車に乗った初老のおっさんと歩いていた
それよりかなり年配のおじさんが衝突して、二人とも道路に倒れてしまった。
ぶつけられたおじさんはすごく怒っていたけれど、急いでいたのかその場を
後にしてしまった。
私はバス停のバスに向かっていたのでバスに乗ってしまったけれど、
もし暇な時だったら「交通事故だから警察呼んだ方がいいよ」とか
「そのままにしたらひき逃げになるよ」とか
余計なことを言っていたと思う。
だから、第三者が警察に通報していないことを祈る。
誰か通報していたら自転車のおっさんはひき逃げ犯だ。

そこで札幌はどうなんだろう? と思う。
あれが東京や横浜だったら当事者か野次馬が通報していたと思う。








10/01/2019

帰るところ


札幌に1週間いた。
最終日、夜の便だったので夜まで札幌にいた。
夕方になって北一条通り、4丁目あたりから西を見ると遠く三角山が見える。
昔あの山の手前に住んでいた。
無性にそこに帰りたくなるけれど、
もう何度も試したように、
そこに自分の場所はもう無い。
だけど、こうして街から見ていると、そこにまだ自分の部屋があるような気がする。
その思いを引きはがして
札幌を後にした。