10/31/2023

海の中の音

 前からやりたいと思っていたこと。
海の中の音を録ること。
水は空気中よりもずっと伝搬能力が高いからかなり遠くからの音が
聞こえるんじゃないだろうか? というもの。
高い音ではなく超低周波の音。
ある程度高い周波数の音は海に満ちていると思う。
でも超低周波はどうだろう?
せっかく海の近くに来たのだからそれを録音してみたい。

マイクはワンポイントのステレオマイクがあるので、それを薄いゴムで
覆って防水にしようと思う。
一般的にはコンドームをマイクにかぶせて防水にするようだが、
今それが無いし(笑)、継ぎ目のところの防水をどうするかは
別に考えなければいけない。
だったら全体をゴムのディップでカバーしたらどうだろうと思う。
液体ゴムなら全体に薄く塗れるし、コネクターのあたりまで防水
できそうだ。

それをやって、あまり寒くならないうちに海で録音してみたい。
どんな音が録れるか楽しみだ。

そういえば以前、木の樹液の音を録ろうと思ったことがあった。
確かそれはどこかに書いたようにおもうけれど、
よく聴診器を幹にあてて音を聞いたりするけれど、
あれは嘘だとわかった。
だいたい樹液が音がする状態で木の中を流れているわけがない。
それでその録音はやってみたけど、音は録れなかった。

今度はどうだろう?
まあ、何某かの音が録れることは確かだと思う。


10/30/2023

高齢者の運転

 今日の夕方。
空はもう暗くなっていて車は皆ライトを付けていた。
横須賀のメインストリートの最も交通量の多いコースカの前を
片側3車線の真ん中を走っていた。
突然左に停車していた軽自動車が私のいた車線に向かって急発進した。
私はとっさに車を右に避けた。
自分でも信じられないくらい機敏な動作だった。
なんとか軽自動車を避けることができた。
クラクションを鳴らす余裕も無かった。
バックミラーを見ると軽自動車は後ろをノロノロとライトも点けずに
走っていた。はっきり顔は見えなかったが高齢者の夫婦だった。
しばらく心臓がバクバクしたけれど、そのまま帰ってきた。

ああいうことが日常頻繁に起こる可能性があると思うと、
安心して車を運転できない。
まあ、他人のことは言えないのも事実だけれど、
ヤバイ兆しが見えたら私も運転はやめようと思う。

 誰かが言っていた。昔のことや家系のことを調べ始めたら注意した方がいい、と。

その昔のことだけれど、札幌にいた時のことでわかったことが2つあった。
一つ目は「デイビークロケット」というファミリーレストランのことだ。
前にも書いたけれどその時は気にしなかったけれど、
このお店はキングベーク石館という会社がやっていたようだ。
このキングベークと言う会社はまだ営業していて函館に本社があり、パン屋や
ミスタードーナツのフランチャイズのお店を出している。
それがわかって会社の経歴をみてみたけれど、ちょうどこのデイビークロケット
が札幌にできた頃の社歴が全く無い。そこだけ抜けている。
昭和50年前後だと思う。
なぜかは知らないがこのデイビークロケットについては書かれていない。

そのマッチに住所が書いてある。
札幌市 中央区南大通り西25丁目 とある。
これは私は勘違いしていて大通りの南側だと思っていた。
良く考えたら大通りの南側は南一条だ。
それで改めて航空写真を見てみた。
上のカラー写真が1976年。下の白黒写真が1981年だ。



赤丸が大通り25丁目のそのお店と思われる場所。
1976年は私が行って1年目。この時はまだ無かったようだ。
上の地図を見ると工事中のように見える。
下が同じ場所の1981年。この年に私は札幌を後にした。
同じ場所に駐車場ができて建物らしきものが見える。
この建物だっただろうか?という疑問はある。
建物の周りに緑があったような気がしてしているが。
でもここだったんだろうなと思う。
住所も合っているから。

もう一つは、フォークソングの集まりをやっていた、コミュニティーセンター
という場所だ。札幌コミュニティーセンターというのが正式名だったと思う。
建物は平屋で札幌時計台のような洋風の建物だった。
確か色は薄いブルーだったように思う。
あるいは時計台と同じ白だったかもしれない。
その写真も無いし、検索しても出てこない。
その場所もはっきり覚えていなかった。
それを航空写真をいろいろ見ていたら、ここだろうと確信を持てる
場所がみつかった。

大通り6丁目だ。
周りはビルだけれどここだけ背の低い建物になっている。
正面の入口を入ると広間になっていてその左右に部屋があったように思う。
奥へ行くと別の部屋があって、そこでフォークの集会をやっていたように思う。
上の写真をみると広さもちょうどそんな感じだ。

6丁目というのも感覚的に合っているように思う。
写真も1976年だからちょうどそのころだ。
・・ということはわかったけれど、正面からの写真がみたい。
あの時撮っておけば良かったと思う。

・・・ちょっと待て、ネガの中にないだろうか?
今度調べてみよう。

10/29/2023

車の運転

 ここに引っ越してきて山坂が多いので車を買って1年になる。
実にその前に自分の車を持ったのは2000年くらいだから、20年ぶりくらいに
自分の車を持つことになる。
まあ、その間レンタカーは何度も借りて運転はしていたのだけど、
最近になって気が付いたことがいくつかある。
というか知らなかったことと言った方がいいかもしれない。
いずれも自分がいかにいい加減な運転をしてたのかを改めて知るわけだけれど。

まず気が付いたのは交差点の信号だ。
直進の矢印信号、右左折の矢印信号と3連の信号のみの違いだ。
これは全く考えてしまった。
交差点内に入って待っていいのはどれか?
いままでどうしてたんだろう?と思う。
教則本を読み直してわかった。

それから右折した直後に信号があった場合だ。
これは後ろのパトカーに注意されてわかった。
てっきり同じ交差点内だと思っていたら直交路線の信号に従わなければいけない。
・・・という交差点があることだ。

歩行者横断妨害というのも問題だ。
大きな交差点、つまり片側3車線あるような交差点の向こうの舗道から
横断歩道に入ろうとしていた人に対しても止まらなければいけないのか?
あるいは前を通り過ぎたらすぐ行っていいのか?
よくわからない。
だから止まっている。
そばに警官やパトカーがいようがいまいが止まっている。
そのうちはっきりするだろう。

黄色の中央分離帯で片側1車線のところで左側を自転車が走っている場合。
どうする?
黄色を踏んだり跨いだりして追い越していいのか?
いいのか?
あるいはそのまま15キロくらいでのろのろ走るのか?
わからない。

それからゼブラゾーンだ。
気を付けて見ているとゼブラゾーンというのが多い。
合流地点とか右折待ちレーンへの誘導とか。
それが全く道路交通法の規制ではないということがわかった。
見ているとほとんどの人はゼブラゾーンを避けてその先で合流したり
している。でもゼブラゾーンは自由に走っていいみたいだ。
何の規制も無いから。
この近所にもゼブラゾーンで分岐するところが多い。
私は気にしないでゼブラゾーンの始まりから入って走っている。
前に警察官がいた時も注意は無かった。
後ろにパトカーがいた時も注意は無かった。
問題が一つある。
こっちがゼブラゾーンを走っていて、左側からゼブラゾーンを超えた
ところで合流してくる車がいた場合だ。
私は譲って入れさせるけれど、左からぶつかってきた場合、
左の車の過失が大きい。
とどこかに書いてあった。
いずれにしても注意しなければ。

横須賀はYナンバーの車が多い。
自分勝手な横柄な運転をする米兵もいる。
でもほとんどは普通に日本の法規で運転している。
先日私が右車線を走っていたら、左側をアメリカ人の女性が運転する
ワンボックスが並走していた。
交差点の少し前でなんとなく右に行きたそうな走りかただった。
すると後ろの窓からアメリカ人の少年(たぶん12歳前後)が窓を開けて
こちらに手を振って来た。
その意味が分かって私も「わかった」と言うつもりで手を振った。
その時の少年の笑顔がすごくかわいらしかった。
その車はウインカーを出さずに(笑)私の前に入って、
基地のゲートに向かう右折レーンに入っていった。

しかし自分の車を持つのはいい気持ちだ。
車が愛おしいという感覚を久しぶりに感じた。

10/27/2023

そうだ、ギターを買おう

 前にも書いたように思う。
今回のギターというのは6弦のスチール弦のギターだ。
いわゆるフォークギターのタイプ。
このタイプのギターは今2台持っている。
一台はネックが反っていてちょっとビビる。
もう1台は今主に使っているやつなのだけど、胴にひびが入っていて、
またネックも反り気味で弾きにくくなってしまっている。
もう10年以上前に買ったものだ。
この前死んでしまった松尾と一緒に買いに行った。
そうだ、その前に松尾のマーチンを買いに行ったんだ。
黒澤で5,6台を弾き比べて一番音の良いのを買った。
あの時は責任を感じて緊張した。
だけど弾きやすさも音も一番良かった。それは確かだ。
その後で私のギルドを一緒に買いに行った。
私はマーチン以外で選んだ。
でもギルドの音が一番自分に合っているように思った。
それでギルドにした。
ギルドはずいぶん使った。
それでどうも弾きやすさというのに問題があるようになってきた。
「弾きやすさ」というのは、なんというか
隣のフレット、隣の弦、にスムーズに指が動かない感じ。
コードを抑える時も弦がやけに引っかかるように感じる。
弾きやすいギターを弾いた時の押さえやすさがなくなっている。
そんな風に感じる。

だからギターを買おうか、と思っている。
たぶん今度買うギターが最後のギターになるはずだ。
高いギターはいらない。
手に馴染むギターがいい。

頭内爆発音症候群

 と言うらしい。
学生の頃、特に大学受験の頃に良くこれを経験した。
特に寝入りばなにガラスが割れる音がすぐ近くで聴こえた。
単純なガチャンという音ではなく最初の亀裂から最後のガラスの切片が
床に落ちて小さな音をたてるところまで聞こえた。
まるでレコーダに録音してあったように聞こえた。
なぜその話かというと先日近しい人がその手の音に悩んでいると聞いたから。
その人のは爆発音ではなく別な音が耳元で聴こえるそうだ。
たぶん聞こえる音は人によって違うのだろう。
同じころ金縛りによくなった。
だからどちらも精神的なものだと思う。
金縛りもガラスの音ももう何十年もあっていない。
もう経験することもないのだろう。



10/07/2023

友だち

 気が付いたのは、今話せる友だちはだれもいないということ。
昔からの親友はみな死んでしまっている。
昔からの「友だち」からは裏切られて顔を見るのもいやだ。
それで今友だちはいるの?と言われるとネットで話している人だけだ。
これは寂しいことなのか?
どうもそうは思えない。
SNSでちょこちょこ話している分には裏切られることもないし、
昔からのしがらみも無い。
だから「そのうち会おうか?」と言ってみようかと思う。
古い友だちよりは理解しあえるような気もする。

思い出してみよう、
何かの雑誌で偶然出会って一緒に歌った人、
彼は今どうしているだろう?
しばらく一緒にライブにも出たりしていた。
彼とは人生のほんの一時期しか一緒にいなかった。
でも今会っても一緒に歌えると思うし、
むかしのことを話すこともできると思う。

ある日のデモの時、向かう電車で一緒になった彼、
彼はどうしているだろう?
その日一日しか一緒じゃなかったけれど、
あれほど気が合った人もいない。
確か同い年だった。

同い年と言えば唯一同い年の友だちだったカキちゃん。
馬鹿なことばかり言いあっていた。
彼のボソっとした声と話し方が好きだった。
カキちゃんはある日突然逝ってしまった。
まだ30代だったじゃないだろうか。
また馬鹿な話をしたい。
彼は人の生活にずけずけと入り込んでくるような人とは正反対の
穏やかな人だった。
今でも友だちと言える数少ない一人だ。

言うまでもない並川は親友だったと言える。
札幌を一緒にくらした。
かれとはこっちに帰ってきても連絡しあった。
横浜まで会いに来てくれたし、松山まで会いに行った。
彼も突然逝ってしまった。
ああ、並川今もう一度会いたい。

それから松尾。
松尾にはほんとにすまない気持ちでいっぱいだ。
松尾とは一緒にバンドをやらなければもっと良い友だちだったように思う。
また一緒にバンドをやらなければ、友達であったことも無かったかもしれない。
松尾、もう一度会って君に謝りたい。
唯一の親友だったはずなのに。

いろいろ思い出すと悲しくなる。
つまり、今この悲しみを話し合える人がいない。
それが一番の哀しみだ。

10/01/2023

小保方さんとSTAP細胞

あの事件は2014年だったらしい。だからもう10年近くになる。
あの事件が起きた時すぐに真相がわかった。
たぶん研究室にいたことのある人なら誰でもわかったはず。
小保方さんは被害者でしかない。
私は大学の研究室しかしらないけれど、内情は同じだと思う。
私はただの学生だったけれど専門の学会で2回研究発表をさせてもらった。
させてもらったというのは、私は研究結果を教授に言われるままにまとめた
だけで、本当にそれを理解していたかは疑問だから。
その学会で一般学生が研究発表をしたのは私が初めてだった。
全部おぜん立てしてもらって書いた論文を読んだだけだ。
つまりああいう研究発表は研究室の成果を示すために教授が
そのおぜん立てをして研究員が研究をしたものとして発表する。

小保方さんの当時の質問への応答を思い出してみると、
そんな内情が予想できる。
あの後早々と自殺してしまった先生がいたけれど、あの人が全てを
知っていたはずだ。あの人が全ておぜん立てしたのだろう。
その後ろに理研の内情があるかもしれないけれど、小保方さん一人
を残して死んでしまったのはひどすぎる。
あの後の小保方さんへの酷い中傷や批判は、あれが自分だったとしても
不思議じゃないことがわかるから、聞いていて辛かった。

先日も常温超電導物質を発見したとして韓国の研究チームが発表し、
しかしそれは強磁性体が超電導物質のごとく振舞っていただけ、
ということがわかったけれど、あの研究チームは新発見を疑っては
いなかったと思う。
どんな研究にも間違いはある。
STAP細胞もおそらくそれらしく振舞う細胞があったのだと思う。
だから上司の先生は疑うことなく信じていたのだと思う。
それの犠牲になったのが小保方さんだった。

今思うと、もしも私が同じようなことをしていたら、やっぱり
訳もわからず研究発表をしていたと思う。