2/23/2014

最後の時計台放送の音

古いレコードを見つけてきた。
1969年1月18日、19日の音が録音されたソノシートだ。
音は警察の捜索差し押さえ令状の提示のシーンから始まる。
それに続き、あの変に懐かしい機動隊員の警告が続く。今聞いてもあのやけに明るい声には
違和感がある。 あの声はそういえばどこの機動も同じような声だったように思う。
その後に催涙弾の発射音が続く。催涙弾は発射音もだが、コンクリートの路面に転がる
催涙弾のカラカラ言う音も怖い。

このレコードには「最後の時計台放送」と書かれているが、有名なメッセージの音は
含まれていない。たぶんその前後の音だ。
インターを歌う学生(一人)と機動隊導入の直前のトラメガからの声が録音されている。
あの名文のメッセージはどこかに音が残っているのだろか。
記憶では聞いたことがあるような気もする。

YouTubeにも当時のニュースなどがアップされている。それへのコメントを読んで思うのは、
ほとんどの人は学生運動に否定的だということだ。
当然?だろうか。
たぶん今の人達は国と自分を同一のものとしてとらえているのだろう。
何か日本政府が国民に敵対するような事態が起こった時、自分達が実はそっち側に
居なかったことがわかるのだろう。

あの頃は、国と市民というものがもっとはっきりしていた。
それに気がつかなかった人もいる。その人達は現在のほとんどの人達と同じだ。
だから、現在の人達はあの当時の学生の行動を「暴力学生」としか認識できない。
あの当時を生きた人達は、実は「暴力学生」などというものは無く、
暴力は実際には国から学生に向けられていたということを知っているはずだ。
学生のヘルメットは、たぶん今の人達は直感的に武力を連想するののだろうが、
あれは元々、デモ中に警棒で殴られたり、催涙弾の直撃を防ぐための防御手段だった。
その後、学生側も自衛的武装をして行ったのも事実だが。

レコードの中に武蔵野三鷹東大闘争救援会という懐かしい文字があった。
今後何かが起きた時、一体何人のお医者さんが市民側についてくれるだろう?







2/16/2014

雪の音 (都筑中央公園)


昨日も先週も大雪だった。
札幌に比べれば気温も雪もたいしたことはないのだけれど、雪への対応が全然違うので、
ちょっと雪が降るともうだめだ。
ヤマト運輸はこの2日間集配中止だ。
 
 
まだ雪が大降りの時に公園にビデオカメラを持って散歩してきた。
公園の管理の自動車と初老の二人連れ以外は出会わなかった。
普段と違う景色を何箇所か撮影してきた。
撮影は1箇所5分間固定で録画したけれど、5分というのはこんなに長かったのか、と思った。
以前、釧路の早朝の景色を撮ろうと思って外に出てみたけれど、あの時は寒かった。
それに比べたら氷点下前後の気温などどうってことない。

 
 
 
都筑中央公園

それで「雪の音」だけれど、
まあ、新雪を踏みしめる音は良く言われる。あのキュッキュッという音だ。
先週の夜中は歩くとその音がした。今回のはそんなでもなかった。

こっちでは雪が傘に当たる音がする。雪が重いからだ。
北海道ではカサカサという音だ。もっとも傘はあまりささないが。
北海道では駐車しているとフロントウィンドーに粉雪が当たる音がするが、こっちではどうだろう。

カメラで録画しているときに、林の梢から雪が落ちてきた。
それが傘にバサバと当たった。
また地面に落ちる時にパサッパサッと音がした。


都筑中央公園


風がおさまって静かになると雪が地面に落ちる時の音が聞こえる。
ほんとに小さな音だけれど、記憶に残る音だ。
 
 

区役所通り
アメリカ人が来ると、この道はまるでアメリカの道みたいだと言われる。
  
 
雪が降ると車の走行音も変わってくる。
スタッドレスタイヤの音、チェーンを巻いたタイヤの音。
雪が積もってくるとチェーンの音がまるで鈴の音のように聞こえる。
 
今日は青空が見えた。
広場に積もった雪が溶けて小川になって流れていた。
ちょろちちょろといい音だった。
 
 
 
 
 
 
 

2/11/2014

樹液流の音

子供の自然学習について行ったことがある。
群馬県の方のブナやミズナラの森の中で過ごすというものだった。
森の中を歩く途中、先生が聴診器を持っていて、それを木の幹にあてて、樹液流の音
を子供達に聞かせていた。
私はその時は、聞いてみなかった。聞いているこども達の反応は微妙だった。

それから10値年以上経って、近所に大きな公園があるのでそこの木では樹液流の音
は聞こえるだろうか?と思った。
聴診器は無かったので小さなマイクロフォンで録ってみようと思った。
初夏だったが、出来るだけ大きな広葉樹を探してその幹で調べてみることにした。

他のところに書いたけれど、街自体がかなり大きな騒音を持っているので、単にマイクを
近づけても街の騒音を録るだけだ。
そこで粘土を用意してマイクを木に貼り付けるように粘土を盛り上げ、外の音が聞こえない
ようにした。
それで外の音はほとんど聞こえなくなった。

いざ録音してみると、木もたくさんの音を持っていることがわかった。
風が梢を揺らす音。木自体がきしむ音、小枝同士がこすれあう音などだ。
樹液流と思われる音は全く聞こえてこなかった。
ひょっとするとその木がブナではなかったのかもしれない。
しかし、広葉樹は大体同じじゃないだろうか? と思うが。

他の木でも試してみたが、大体同じような音だった。

思うに、樹液流の音というのは本当にあるのだろうか?
ほんとうには無いのかもしれない。
しかし、聴診器を木にあてて耳をすませて木の音を聴くというのはいいと思う。
本当には聞こえないのかもしれないが、木の生命の音が聞こえるかもしれない
というのは、考えるだけでも楽しくなる。

それに、木の音を実際に聴いてみると、思ったよりもたくさんの音が木に伝わっているのが
わかった。
木のそばを人が歩く振動も結構大きく幹に伝わっている。
木をたたけばものすごく大きな音が伝わっている。
そういう音も風の音も木は聴いている。
木は世界のことをほんとうはよく知っているのかもしれない。


2/09/2014

サウンド・スケープ

サウンドスケープという言葉がある。
広い意味では音楽や映画の音にも言えるのだろうけど、これを言い出した人は
確か”街の音”について言ったのではなかったろうか。

街にはその街独特の音があるということだ。
私が今住んでいる街では時々鐘の音が聞こえてくる。
街の中心にある結婚式場の鐘の音だ。
その音で今日何回その式場で式が行われたかがわかる。
地下鉄の音も聞こえてくる。
ちょうど地下鉄が地上に出ている場所だからだ。

北海道にいた時に、草原の音を録ろうと思って街からはかなり離れた場所で
マイクをセットして音を録ったことがある。
後で聞いてみたら、遠くを走るトラックの音が入っていた。
たぶん、人間の出す音の無い音を録るには深い森の中にでも行かないと無理だろう。
緊急自動車のサイレンの音はどこに居ても聞こえてくるし、
子供の遊び声もかなり遠くから聞こえる。

子供の頃を思い出してみると、今とは違う音があったように思う。
まず、夜中の犬の遠吠えだ。
最近はほとんど聞かない。
実際に鳴いていないのか、騒音で聞こえてこないのかわからないが。
遠くを走る列車の音が聞こえない。
子供の頃はSLの汽笛の音なども聞こえてきた。
ちり紙交換の声が聞こえない。
これは地域的なものだろうか?
ここ何年も聞いたことがない。
あの声は思い出してみると結構のんびりした感じだったように思う。
全く聞こえてこないのもさみしい。

2/07/2014

インターネット

考えてみると、インターネットを使い始めたのはいつ頃だっただろう?
あんまりはっきり覚えていないが、インターネット以前にも「パソコン通信」というのを
やっていたように思う。主にプログラムデータのやり取りとかに使っていたように思う。
あの頃のモデムの速度はどのくらいだったんだろう?普通の電話回線だったからそんなに
早くないと思うが、58Kが出た時は一体どうやってそんな速度を維持してるんだろう?
と思った。

その頃はNECのPC98シリーズだったと思う。それからゲームの世界ではなにやらDOS-Vが
すごいということがわかり、NECはDOS-Vに代わって行ったように思う。
その時はWindow3.1だった。Windows3.1は使い勝手はNECと同じようにBASICプログラムが
そのまま組めたし、電源も即断できた。
またインターフェイスもISAバスが公開されていたので各種インターフェイスも作るのが楽だった。
ISAバスはいつまでだったろう?そのあとPCIになって管理がOS管理になって、
気楽にインターフェイスを作るというわけにいかなくなった。

インターネットを初めて使ったのはWin3.1の時だったろうか?会社がKSPの中にあった時だ。
S君が全て設定したと思う。私の従兄弟がそれよりだいぶ前からインターネットを使っていて、
「世界中でホームページの数が1万を超えたよ!」という話を電話でしたのを覚えている。
それからしばらくはホームページが1億を超えたとかいうのが話題になっていたとおもうけれど、
いつの間にかサイトの数はもう計測不能状態になってしまった。

インターネットを予想したSF作家はいなかったと思うが、日本のSF作家で情報をテーマにした
SFが70年代にあったような気がする。あれは誰だったろう?
しかし、まあ一般にはテレビ電話とか腕時計型無線機とかがせいぜいだったと思う。

これから世界がどうなって行くか知らないが、インターネットあるいはそれに変わるネットワークは
「情報」というものを「世界の記憶」というものにして行くのだろうと思う。
今でさえ何かを思い出そうとするとき、まずインターネットで検索してしまう。
たぶんこれからもインターネットは世界を記録して行くだろう。
消えてしまわなければいいが。




2/04/2014

日航123便ボイスレコーダ

 
日航123便のボイスレコーダは初めて聴いた時、恐怖を感じた。
緊張した操縦席の様子が、音だけであるために余計にイメージとして浮かび上がる。
機長と副操縦士は真に尊敬に値すると思う。

それが公開されて、ちょっと不思議に思ったことがいくつかある。
最初に思ったのは出だしの音声(爆発音~酸素マスク手前まで)はピッチが少し高くないだろうか?たぶん5%くらい高めに思える。
その後の「酸素マスクを付けてください」は普通に聞える。
これは編集でつなぎ合わせたものだろうが、それにしても何故?と思う。

最初の爆発音は2回ピークがある。
あれは何故だろう?
最初の音が隔壁が壊れた音、次のが尾翼が飛んだ音だろうか?

YouTubeに「ザ・ノンフィクション 日本航空123便墜落事故 15年目の検証 」というのがある。
これはテレビ番組の録画だと思うが、このボイスレコードの最初の部分の不明瞭な部分を
解析するという番組だったらしい。
そこでは「オールエンジン・・・」という部分に疑問をいだいている。

この部分のボイスレコーダの音だが、ほとんどノイズに埋もれている。
音声波形を見てもどこに声があるのかわからないくらいだ。
そういう状態で埋もれた音声を聞き取れるのは人間の聴力というか能力のすごいところだと思う。
しかし、そこに問題があるような気がする。

心霊写真で点が3つあると顔に見えてしまうのと同じように、ノイズの中の関係無い音を、その言葉の一部として捉えてしまうことがある。
同じくYouTubeに「撮ったのかよ」というのがある。
これは同じ言葉が聴く人によって全く別のことばに聞えるいい例だと思う。
この場合もそれだと思う。

このドキュメントではわざわざカナダまで言って解析をしているが、あの程度のことは日本でもできただろう。しかも日本語のわからない外国人が解析しようとしている。
意味が無い。
日本人パイロットの英語はいわゆる「日本英語」の発音だ。ネイティブの発音では解読できない。

あの部分は明らかに"All engine clear"と言っているが、英語発音では言っていない。
「オーレンジンクリア」と日本語で言っている。
もっとも「クリア」はほとんど聞えないが。

実際の機内ではあのボイスレコーダに残っている以上にいろいろなことが起こっていたのだろう。
公開されているボイスレコーダの音声だけを根拠に機長やクルーの行動を憶測で語るべきではない。
機長もクルーも乗客もみなあの場でできる限りのことをやったのだと思う。
彼ら全員を尊敬する。



2/01/2014

歴史の傍観者

生きてきた中で世界の様々な大きな事件を、ただ目撃してきたわけだけれど、
それらは記憶の中でマイルストンのようにポツンポツンと目印になっている。
どんなことがあっただろう?と、思い出してみよう。

あまり細かいことを書いてもしょうがないので、思い出せる最初のものは
「スプートニク」だ。ほとんど何も覚えていないけれど新聞に大きく載ったのを
ほんの少し覚えている。

「キューバ危機」。何が起きていたのかほとんどわからなかったけれど、
これは小学校6年の時のことだ。学校は早く終わったような気もする。
家に帰って台所の母に、「ねえ、大丈夫だよねえ?」ときいた記憶がある。
母が何て答えたかは覚えていないが、横顔が不安そうだったのをはっきり覚えている。

「アポロ月着陸」。この時はテレビを見ていたと思う。
あれは何時頃だったんだろう? 画面が良くわからなかった。

「東京オリンピック」。これは中学校で見に行ったので覚えている。
走り高跳びの最後がなかなか終わらず、先生が時間を延長して帰るのを遅らせたが、
結局最後まで見ることが出来ずに帰った。でも、その時のことは良く覚えている。
聖火リレーも見たと思うけれど、覚えていない。

「三億円事件」。家からそれほど遠くないところで起きたにしては、
ほとんど覚えていない。
学校で友達話したことくらいだ。

「新潟地震」。
三鷹の中学にいた。授業中だったけれど、結構揺れた記憶がある。

「安田講堂」・・・前に書いた。

「日航123便」。この事故のあった日は実家に行っていた。
テレビで飛行機が墜落したというニュースが流れた時、私は、全く無意識に
「早く助けに行かなくちゃ。生きてる人がいるから・・」と言ったようだ。
それを父がきいていて、「いや、墜落だから生きている人はいないだろう」と言った。
その父の言葉で、気がついて、自分の言った言葉が不思議だった。
それで、その時のことははっきり覚えている。

「セナ」。この時は前日のニュースで事故を知ったが、死ぬことはないだろう。
と思っていた。
朝のニュースで知った。
この時は泣いた。テレビの前で泣いた。

「ジョンレノン」。札幌のアパートでニュースを聞いた。
え?と思ったが、ビートルズもジョンレノンもファンではなかったので、
それほどショックは受けなかった。
ただ、そのニュースを部屋のどこできいたのかをはっきり覚えている。

「神戸地震」。最初のニュースで「死者が6人出ているもようです」。と言っていたのを
覚えている。
あの時は不思議なくらい、神戸で何が起きているのかニュースが入ってこなかった。
徐々に全貌が見えてきて、驚いた。

「911」。 テレビに煙を上げているタワーのようなものが見えていた。
NHKだったと思う。キャスターは飛行機がビルにぶつかったようです。とか言っていた。
ひどい事故だなあ、と思った。
一体どうしたんだろう?と思っていたら、
次の瞬間にもう1本のタワーにも「何かが衝突したようです」と言っていて、
2つのタワーから煙が上がっていた。
その時の気持ちはすごく不思議な気持ちだった。
一体何がおきたんだろう?と思うのと、なぜもぷ1機もぶつかったんだろう?
と頭の中では考えていた。
それと同時にすごく不安というか不気味な気持ちがした。
ビルが崩壊して、何が起こっていたかがはっきりわかったのはだいぶ後のように思う。

「マイケル・ジャクソン」。これは最初嘘だと思った。
何かの冗談だと思った。
でも本当だとわかって、すごく淋しかった。
「なぜ?」という思いが強かった。

「東北地震」。どこかに書いてあるはず。