12/31/2019

大晦日

ねえ、僕らはあと何年くらい生きられるんだろうね。
僕の父は確か76歳だった。
それよりは生きられるかな。

僕は天国は信じてるっていう話はしたよね確か。
それからね、神様も信じてるよ。
神様ってそこらへんの神様じゃなくて、
なんて言うの、何かの存在ね。
この宇宙を作ったとかどうしたとかじゃなくて、
自分に何かしらの力を与えてくれる何か。
あるいは言い方を変えると、単なる偶然じゃない経験を
させてくれるもの。かな?

「神はサイコロを振らない」って誰か言ったけど、
そうだと思うよ。
何が起きようと何かしらの力が働いているように思う。
だって考えてみて。
確率50%の2つの事象のどちらかが起きる時、
「どちらかが起きる」んだ。
どちらでもいいのにどちらかが起きる。
どちらかが起きなくていいように思う。
量子もつれにある2つの事象、どちらかが決まれば相手も決まる。
そのどちらでもない状態とか。

スリット問題でもAかBかどちらかを素粒子が通る。
でもどちらを通ったかは確認するまではわからない。
どちらの状態でもある。

前に読んだアメリカの交通事故を調査した人の話で、
事故に遭った人のその日の行動を調べると
まるでその事故に遭うために行動していたように思える、と言っていた。
それはある種の運命論かもしれないけれど、
だけどその事故に遭わなくてもいいはず。

突き詰めるとすごくミクロな部分で物事が決まるのかもしれない。
そのミクロなところで働いているのが量子物理かもしれないし、
神かもしれない。







12/28/2019

寒い夜には夢を見る

昨日は寒かった。
毛布1枚をコタツにかけてしまったから寝具用に毛布が1枚足りなかった。
寒いと夢を見る。
正しくは寒いと夢を覚えていると言った方がいいだろうか。
どういう仕組みか知らないけれど、寒い時の方が夢を見る。

自転車に乗っていた。
誰かがパンツを持って来て、と言っている。
私はそのパンツをバッグに入れて、
バッグの持ち手を自転車のかごの上に結び付ける。
それから一緒にいた子供を誰か(母親か?)に預けて
自転車を走らせる。

自転車は泥道を走っている。
上り坂があって漕ぐのがとてもつらい。
それでも登って行く。
狭い道なのに行く先におっさんが乗った自転車がのろのろ走っている。
その左を抜けようとすると、おっさんも左に寄って来る。
挟まれるように止まってしまう。
「おい!どっちかによけろよ!」と言う。
おっさんは構わずのろのろと自転車をこいでいる。

私はそれを追い抜いて走って行くと、
先が坂になっている。
かなり長い下り坂で300メートルくらい先まで下り坂だ。
「これ、大丈夫かな?」と思いつつ
自転車はその坂を走り下りている。
スピードがかなり出ている。
先のわだちに水が溜まっている。
そこに突っ込むしかない。
自転車はスピードを上げてその水たまりの道を走り下りて行く。

足が冷たい。
それでもどんどん走って行く。
その先の道路がとても汚い。
道路の左半分に汚物が広がっている。
そこを通らないように右側を走る。

とそこは仕事場になっている。
大きなスクリーンのある部屋でオーディオ装置を作っている。
プリント基板とケーブルをつないで音が出るのを確かめた。
そしていると誰かが「こっちのスクリーンにつなげて!」と言っている。
私は今確かめたばかりの装置を持ってスクリーンのオーディオ装置に
それをつなげて音が出るようにした。

どこかのオーディオ評論家のような人たちが来て何か言っている。
何を言っているのかわからない。
あまり良い感じではない。
自分が無視されているように感じる。

・・・そこまでしか覚えていない。

12/26/2019

「どうでもいいけど」の2か3か4か?・・・

このブログ、Google Bloggerっていうのは確か検索から外されたって
言ってたと思うのだけど、検索されるのかなぁ?
というのは一応アクセス数がカウントされるんだけど、
誰がアクセスしてるかとかアクセス元などはわからない。
ただその日のアクセス数が出る。
普段は「1」か多くて「4」くらい。
それが異常に多い時がある。
例えば最近では
「カワカマス」が32  (今年11月)
「The Last Campaign」が126 (今年5月)
「北の国から・初恋」が27 (今年2月)
「望来海岸」が50 (2017年)
「北海道っぽいところ」が127 (2017年)
検索で出てた頃のアクセスはもっとずっと多いのだけどこの2,3年の
アクセスでこの数は変だ。
ここを知ってる友人は2人くらいしかいないはず。
同じ人が何十回もアクセスしてるわけがない。
特にThe Last Campaignなんかは日本人はあまり知らないはずだから
アメリカからのアクセスだろうなぁ。。
ということは今でも検索で出るんじゃないかな?

どうでもいいんだけどね。
あ、いままでアクセスがゼロだったことは無い.
自分のアクセスは無視されるから、
誰が読んでるのか?
不思議だ。


12/25/2019

今朝の夢

僕はどこかのレストランにいた。
ちょっと暗い。
日本じゃない、LAとかハワイとかそんな感じ。
カウンターの脇でコマツが僕に何か言ってる。
よくわからないけれど、ギターを弾いてとか言ってる。

それでライブで僕はギターを弾くことになっているらしい。
しかし僕は時価6000円のエレキしか持っていない。
「これでいいんだろうか?」と思う。

しばらくすると「時間だからステージに」と言われる。
僕はそのギターを持ってステージに向かう。
途中、美容室があってその脇を通る時に
ガラス戸越しに中が見えて、コマツがお客の髪を切っている。
すっかり美容師になっていてハサミさばきがプロだ。
「あれ?コマツも一緒にライブに出るんじゃないの?」と思う。
そのままステージに上がると皆忙しそうに歩き回っている。
僕は自分のシールドがどれだろう?と探し回るけれど
自分のシールドが見つからない。
そうこうしてるうちに、大きな音で演奏が始まってしまう。

僕はしかたなくステージを降りて、柵のようなところに手を置いて
ステージを眺めている。
1曲目はバラード調の曲だった。
だれかが歌っている。
2曲目が始まるが、ドラムで始まりちょっとアップテンポの曲だった。
だれかがダミ声で歌っている。

・・・
そういう夢だったのだけれど、
気になるのはその演奏していた曲の音がやけにリアルだったこと。
特に2曲目は実際に音が鳴っていたとしか思えない。
大体の曲のイメージしか覚えていないけれど、
もしも僕がロックシンガーだったらそれを曲にしていただろうと思う。

目が覚めたのが7:30だから、誰かがテレビをつけていたとは
考えられない。
たぶん頭の中で鳴っていた音なんだと思う。


ホテルは嫌いだ


このホテルに泊まったのは2度目だ。
確かにきれいなホテルだ。
でも基本的にホテルは嫌いだ。
なんだろうあの違和感というか居心地の悪さは。
どこのホテルも全然落ち着かない。

かといってアウトドアも嫌いだ。
テントを張って泊まったことはあるけれど、
まだ外でシュラフで寝た方がいいかもしれない。

家にいるのが一番だ



12/24/2019

新神戸の滝

前にどこかに書いたと思うのだけど、
滝のある場所の崖を降りる夢
その夢とそっくりな場所に行った。
新神戸駅の裏にある滝だ。
そもそもその滝は行くつもりで行ったわけではなく
前に人から言われていたことを思い出したから。

新幹線に乗るまでに時間があったので行ってみることにした。
駅から数百メートル坂道を登るとそこにあった。

夢では、子供と一緒に滝の上の方から降りてくる。
かなり急な崖だ。
下はプールのようになっていて水が溜まっている。
ちょうどこの写真の平らな部分だ。
夢ではもっと深く水がたまっていた。
今の季節は水量が少ないからこんな感じだ。

夢ではそこからさらに下まで急な壁を降りる。
ちょうどこの土管が埋まっている壁のような場所だ。
これら全てを少しデフォルメすると夢の中のシーンになる。
・・・と思う

とにかくこの場所にたどり着いた瞬間に
「あ、これは夢だ」と思った
変な場所だった。




12/17/2019

夢を見た

とても長い夢だったと思う。
だけどあまり覚えていないのが悔しい。

家族で食事会をすることになっていた。
その場所はわかっていた。
だから私はそこの場所にいた。

その時間が近づいて家族が駅に着いたらしい。
その駅の様子が見える。
おばあちゃんとその家族4人くらいが見える。
あとは子供が2人と誰か大人だ。
その全員を私は知らない。
誰だろうと思うけれど、
どうもそれが私の家族らしい。
私はまたその食事会の場所にいる。
日本建築のお店で室内は暗い。
低い天井にテーブルがいくつかある。
全部がくすんだ焦げ茶色だ。
時間が来ても家族は到着しない。

お店の中を歩いていると、
端っこの方にひらけたホールのような場所があり、
そこに滑り台がある。
滑り台は外に向かってスロープになっていて、
先は海の方まで行っている。
子供が一人その滑り台に飛び乗った。
子供は勢いよく下の方に滑って行った。
「あぶなくないのか?」と心配になる。

また元のテーブルの方に行く。
座っていると誰か子供のお母さんがテーブルの向かいに座る。
何か話しかけてきた。
何の話だったか覚えていない。
でもその彼女は元々知り合いだったように親しげに話している。
にこにこ微笑んでいる。

私の後ろにトラックが停まる。
運転手が窓から顔を出してそのお母さんに何か言う。
私がひどい男で、そいつとは話をしない方がいいと言う。
私はそんなことはないからと言い訳をする。
(私は何を言い訳してるんだろう?)と思う。
私は自分がそのお母さんに気に入られようとしていることに気が付く。
席を立ってトラック運転手の顔を見る。
知っている顔だった。
でも誰だか思い出せない。

12/16/2019

くだらない

ところで眠れてますか?
はい!
しかし、最近の傾向としては1時頃に眠りに入って、
「ああ、なんかすごく良く寝たなぁ」と目が覚めて時計を見ると
「2:30」
「え!?」って思う。
「まだあと6時間くらい寝なくちゃいけないのか!」
というのが多い。
そういえばまだ外は真っ暗だ。
パッドでネットを眺めているうちにまた眠ってしまう。

「ちょっとまて!今日は10時にだれか来る約束だったんじゃないか?」
今もう10時半だ。
いやな予感。
このパターンは、以前の事務所に行っている感じか。
以前の事務所で部屋番号を鳴らされている会社はいい迷惑だ。
この前は以前の事務所のポストに急ぎの仕事のSDカードを入れてしまった
人がいた。
しょうがないので行ってみたら、休日でだれもいない。
ポストをのぞいたらそれらしきものが入っていた。
指先でなんとかつまみ出して取り出した。
「あ、あそこ監視カメラあったかな?」

これから出かけようと思っているのに来ないと困る。
たいてい見切りをつけて出かけようとすると来る。
あ、そういうことないですか?
外にいて「あ、誰か来てるかも」と思うと来てる。
ヘッドフォンしてガンガン音を聴いてる時に
「あ、電話きてるかな?」と思って着信を見ると来てる。
「ああ、今あの人から電話くると困るなぁ」と思うと
さっそくその人から電話が来る。

僕が何をしているか、誰かが教えているように思う。
誰に?

僕はその存在を信じている。
というか信じざるを得ないことが多すぎる。
時々「神狩り」のようなことをしたくなる。
それでも裏をかかれる。
あの存在は一体何なんだ?


望みは捨てた

今週は客人が来るので部屋を片付けている。
全てが必要なものであり、かつまたよく考えると全て不要なものでもある。
そこから選択して運の悪い奴が捨てられる。

だいたい片付けると仕事ができなくなるんだよね。
他の人はしらないけど、私は机の上が適度にちらかっていないと仕事にならない。
ああ、よくテレビに出てくる誰かのオフィースみたいにパソコンとレポート用紙
しか机に乗っていないような、ああいう景色では仕事にならない。

というのはもともと技術屋だから机の上には計測器や工具やモニターや
なんやかんやに加えて細かな部品が乗っている。
それを片付けたら仕事にならない。
そんなもんだ。

捨てられるものは捨てたけど、あんまり片付いた感がない。
それはもう仕方がない。
それで望みを捨てた。

お後が・・・


12/14/2019

コダマって

山でやったことあるだろうか?
たぶん無いように思う。
だいたいコダマが響きそうな山に行ったことがない。
トンネルとかどこかのホールとか、そんなところだろう。

ちょっと疑問なのは、山でやった場合、跳ね返る方の山に居る人は
その「ヤッホー」が聞こえているだろうか?
もっとも聞こえてないと跳ね返ってこないと思うけれど。
でも遠くの山から「ヤッホー」って聞こえてきたりするんだろうか?
山で。
山登りを楽しんでいる時に。
遠くの方から「ヤッホー」って。
やだね、なんか。



お気づきのように、
次のテーマは「望み」かもしれない。

12/13/2019

光では遅すぎる

と以前から思っていた。
最近になって光の速さを示す動画が現れてきて、光が遅いことが
一般的に知られるようになった。

例えば目の前の何かの紙に直径1.5mmの円を描く。
それを地球とするとその円周が約10mm。
光は1秒間に地球を7回り半するから、その1.5mmの円のそばに
7.5cmの線を描くとそれが光が1秒に進む距離。
その線の端から端まで「いっち」と言いながら指を動かすと
それが光が1秒で進む距離。
ほとんど地球から離れていない。

その速さでは宇宙何てとても旅行できるものじゃない。
しかも人類が出せる最高の速さはそれの数万分の一。
もうその辺までしか行けない。

しかし我々は学校や教育テレビで光の速さはとてつもなく早い
と習ってきた。だから光の速さはもうそれこそあっという間に星の間を
飛んで行けるものと勘違いしていた。

これはなんというか、手漕ぎボートで太平洋を行くよなものだ。
いやもっとひどいかもしれないけど。

一番近い恒星系まで約4光年だ。
光の速さで4年だ。
普通の宇宙船なら数万年かかる。
ワープ航法とか夢のようなことを言ってるけど、夢だ。
そんなものができるわけがない。
タイムマシンと同じで神話にすぎない。
たとえワープが科学的に可能だとしても、人類が存続する間にはできないだろう。

だから地球に限らず他の知的生物がいる惑星も同じ状況だろう。
お互いに行き来することは不可能だろう。
何かで通信できたとしても会話は数年おきにしかできない。
たぶん人類にできるのはそこまでだろう。


12/12/2019

たぶんデジャヴューは夢

まともに考えるなら、人間の感覚器官とそれの認識器官は同時には
行われていないから、知ある現象を先に認識して、それを知覚した
のが後からになることは十分考えられる。
例えば道を歩いていたら懐かしい感覚が起きて、ほんの瞬間後に
どこかから懐かしい歌が聞こえてきた。とか
そういう感覚のずれは起きてもおかしくないけれど、
だけどデジャヴューの感覚はそういう感覚ではない。
ある場面に遭遇した時、明らかにもっとずっと前のどこかでそのシーンを
みたような気がするという感覚だ。
決してニューロンの刺激の遅れで生まれるようなわずかな時間差じゃない。

それじゃあという人がいて、ある遭遇したシーンを記憶するけれど、
そのシーンを確認するよりも早く記憶領域からの記憶が先に
知覚されるからだと言う。
なんかそれはまるでコンピュータの記憶回路のような言い方だけど、
はたして人間の記憶も同じようなシステムになっているだろうか。

今日港で海を見ている時にデジャヴューを感じた。
手すりによりかかって海を見ていた時だ。
前にこのシーンを経験していると感じた。
僅か数秒のことだけれど、それは夢で見たシーンだと思った。
前後のことを思い出せなかったけれど、
確かに夢で見たシーンだ。

他のページでも書いたけれど、初めて行った場所なのに見覚えがある
ということが何度もあった。
それの短い版がデジャヴューなんじゃないだろうか。
と思う。
ことにした。

12/11/2019

奇跡・幸運・天の助け・・とか (続き)

そんなものは払えません。と言いに行こうと思っていた。

すると会社の前の社長から連絡があり。
「私のE社の株、あれは売ってしまって使っていいから」と言う。
この時はほんとにびっくりした。
その株は何もせずほっといた間に分株され2倍に増えていた。
その半分を売った。
それでその法人市民税は全部払ってまだ残る分があった。
あの株がなかったらどうなったことか。
残り半分は様子を見ている間に暴落して元値を割ってしまった。
そこで売った。額はとても少なかった。

それからまたぎりぎりのやりくりがあって、なんとかやっていた。
そのうち来月は完全にショートする!
という予測が起きた。
どう頑張っても、このままではどこかから借り入れしなくちゃいけない。
どうしよう?
と思っていたところ、全く新規のお客さんから大口の注文が来た。
それを完納すればなんとか切り抜けられるという額だった。
それで、それを完納してなんとかなった。
しかし、なぜそのタイミングで新規のお客さんが、しかも大口の
仕事をくれたか、全くの謎だ。

そういう事があと、2、3回あった。
いずれももうだめだという時に助けが現れた。
とてもじゃないが偶然とは思えない。

それで今月だ。
義理の娘の結婚式がある。
税金の分納分とかクレジットカードの支払いがすごい。
年金分を加えてやっと払える。
ということは今月末の支払いがアウトだ。
それをどうにかしなければ。とずっと考えていた。
臨時の注文も無い(今無いと回収できない)。
12月に入ってずっと滅入っていた。

そんな時、昨日会社の前の社長(Kさん)から電話があり、「会えないか?」
と言うので今日会ってきた。
Kさんは腎臓の検査に行ったら心臓に巨大な動脈瘤がみつかって
手術をしたという。動脈瘤は取らずにそこを避けるように血管にガイド
を入れたらしい。医者が言うにはあと半年だとか。
でもとても元気そうだった。笑いながらその話をしていた。
それで僕が「Kさん、僕は本当に最初からお世話になりっぱなしで、
そのお礼もできずに申し訳ないです」と言ったら、
Kさんはカバンから封筒を取り出して、
「これさ、いままで世話になったお礼だから」と。
明らかに厚みのある封筒を僕に手渡した。
「だめですよ、これは僕のほうからKさんに渡さなくちゃならないものですから」
とかえそうとすると、「いや、世話になった皆に渡してるんだよ」と言う。
あと2人、会って渡すつもりだとか。
それでそれを頂戴することにした。
僕はほんとに世話になりっぱなしなのに。

それがたぶん今年最後の奇跡。

奇跡・幸運・天の助け・・とか

そんなものは信じない!と言い切れない。
特にお金に関してはどうも不思議なことが何度も起きる。
そもそも私は金銭感覚がだめだ。
それに会社の経営能力も無い。
だから今も昔も貯金はほぼゼロだ。
よくやってると自分でも思う。
それでも一時はけっこう預金があった。
でもそれは私が管理していたんじゃない。
金銭感覚に優れた相方がいたからだ。

だから一人で何もかもやらなければならなくなってからが問題だ。
いつもぎりぎりで生活してるから何かあった時が問題だ。
最初の大きな問題は会社でトラブルがあって多額の賠償をしなければ
ならなくなった時。しかもその時離婚の問題も同時に起きてさらに今の妻との
生活もなんとかしなければならなくなった時だ。
本当ならもう完全アウトだった。
しかし親の遺産相続で私が土地を受けていた。
それを売ることにした。親戚一同からの猛反対を押して売ってしまった。
その時が生涯で一番多額の現金を持った時だった。
そのお金で会社の損害賠償と元の家族への仕送り、自分の新たな住まいの
購入頭金、生活費を工面した。
しかしそれも数年で無くなった。

その後で子供の学費が続けて必要になった。
この時はたまたま新規に店舗を作った信用金庫の人が現れ、
会社に結構な額のお金を貸してもらった。
何に使っても自由だったので、それを各方面の子供の学費に使った。
他の銀行で貸してくれた可能性は低い。
たまたまその信金の担当地区だったから。

しかし、それもすぐに無くなった。
無くなった頃に市民税・県民税・法人市民税・法人県民税・社会保険料
の滞納などの支払いの督促が次々来た。
あるだけは払ったけれど、市民税の滞納分が払えなかった。
仕方ないので区役所に行って相談した。
すると、とにかく差し押さえになりますから、銀行関係の残高を
しらべさせていただきます。と言われた。
無いものは無いので、やってくださいと言った。
数日後、区役所から呼び出しがあった。
行ってみると「生命保険の積み立て分がありました。」と言われた。
全く記憶に無かったものだった。
「解約していいですか」と聞かれたので、どうぞ、どうぞどうぞと言った。
区役所からなのですぐに解約してお金が入金された。
その時のたまった区民税を十分払える額だった。
今でも不思議に思うのは、その保険一体どこからでてきたんだろう?
ということ。

それで、そのお金もしばらくしてなくなった。
そうこうしているうちに今度は「法人市民税が払われていません」
という電話が市役所から来た。
6年分で80万円くらいだった。
絶対に払えない。。

(続くらしい)

12/10/2019

限りなく透明に近いどうしたこうした

本が届いた。
1円のものはやめて¥250のにした。
でもたぶん1円のと変わらないであろうものが届いた。
全体にきれいだけれど紙は柿汁に漬けたように茶色だった。
まだ読んでいないが、1ページ目を少し読んでみた。
数行で70年に戻りそうだった。
やばい本かもしれない。

たぶんいつの時代も同じなのだろうけれど、
あの70年の雰囲気は体験しないとわからないだろう。
もう戻りたくはないけれど、
なぜか懐かしい。
あの感じ。

この本読むのか? ほんとに・・・


12/09/2019

シャクシャインが哭く

「なく」って読めなかった。

前回札幌に行った時にその並樹書店でこの本を見つけたので買ってきた。
まだ前の方までしか読んでいないけれど、すでに日本人のアイヌの扱いに
怒りを覚えている。
今やっと前段の歴史説目から本編の物語が始まったところだ。

やはりアイヌの人たちはずっと昔から日本人と交流をしてきたのだと思う。
それが商人がそこに入ってきて様相が一変した。
たぶん全ての悲劇はそこから始まったように思う。
その結果として藩が侵略を始めたのだろう、きっと。

アメリカのインディアンと移民との関係に似ている。
どちらも現地人に対してひどいことをしている。
アイヌもアメリカインディアンも元々は自然の中で暮らしていた。
どちらも部族間の争いはあったようなので、平和しか望まない人達なのかどうか
私は知らない。
どちらも最後は部族を越えて日本人・白人と戦っている。

と、思い出したけれど、「北の零年」の映画で確か二人のアイヌが
日本人を助けるような役になっている。
しかし静内はそのシャクシャインの戦いがあった当地だ。
そこのアイヌがあの時代に勝手に侵食してきた日本人を助けるだろうか。
アメリカの西部劇でも同じようなシーンがいくつもある。
恐らく日本人や白人がやってきた蛮行を正当化するためにアイヌやインディアンの
ような人たちを味方に付けようという魂胆なんだと思う。

アイヌの人達が今実際にどんな差別を受けているか私は知らない。
いろいろ読んでみると、我々が考えているような差別を越えた差別が
あるみたいだ。
沖縄の人達にも共通したものがあるように思う。
沖縄に押し付けている米軍の問題を忘れようとしているかのように
沖縄の話題はすぐに影をひそめる。
焼けた首里城ももう話題にもならない。
そういう表には表れない下の方に差別がありそうだ。


12/08/2019

韓国の友達

韓国人の知り合いは仕事関係で何人かいた。
でも仕事のことだけで友達関係ではなかった。

もうずいぶん前に僕がハンググライダーのホームページをやっていた頃に
メールをくれた人が何人もいたけれど、その中にリュウ(Ryu)さんという人がいた。
彼女は僕より15歳くらい下だった。
ずっとメールを英語でやりとりしていた。
ああ、英語のメールが少し書けるようになったのは彼女のおかげかもしれない。
2年くらいメールしていたと思う。
それから電話番号を交換して電話でも話すようになった。
何を話したかあまり覚えていないけれど、彼女は確かスポーツ系の仕事をしていて
コンピュータに運動する時の体の動きをデジタルで取り込むというような仕事も
していた。
彼女は市川だったかに友達(韓国人と日本人)が住んでいて時々日本に来た。
来た時は電話をくれて、時間があった時はどこかで会った。
初めて会った時に驚いたのはいわゆる韓国の美人系の人でまた、若かったせいか
かわいらしい感じの人だった。
会った時は英語と日本語(彼女は日本語も少しできた。しばらく後ではかなり達者な日本語だった)で話をした。
何度あったのか忘れたけれど、5回か6回は会っている。
いつも喫茶店かどこかで食事かだった。
彼女の日本の彼氏と思われる人にも会った。
その人はあまり英語が達者ではないようで、「彼女の英語わかるんですね、すごいですね」と言っていたけれど、どうも彼女には若すぎる感じの男の子だった。
あ、その話は成田空港だった。
彼女が韓国に帰る時に見送りに行った時だ。
彼女とはほんとにいろいろ話をした。
家族のこととか、兄弟のこととか。
彼女の韓国の家の写真とかも送ってくれた。

何時だったか、彼女がソウルを離れて韓国の別の都市に旅行してるときに
ソウルが台風で洪水状態になった時があった。その時、僕が日本で放映されて
いるソウルのそのニュース写真を送ったら、彼女がいるところでは
テレビが見れなくて、写真を見て驚いていた。

彼女に最後に会ったのは渋谷だった。
2時間くらい時間があるとかで、渋谷で食事をした。
食事の後でハチ公前で、「それじゃあ」と言って別れを言った。
その時彼女が英語か韓国語かわからなかったけれど、
何か一言言って軽くハグして東急の方に歩いて行った。

それが最後だった。
メールを送っても返ってこなくなった。
彼女のホームページも見れなくなった。
たぶん何か理由があってそうしたのだと思う。
悪い理由ではないと信じたい。

今どうしてるだろう?と時々思う。

東金、九十九里と大網

九十九里はよく行った。
東京から東金までは高速があったからそこまで走って、後は細い道を海岸まで
走った。一番最初はひとりだったと思う。
とても気持ちいいところだったから、同じ会社の坪井君に言ったら
よし行こうと言うことになって、ポルシェだったかなあ?いやその前は
ギャランだったか? とにかく夜中にぶっ飛ばして行った。
夜の海岸に男が二人というのもおかしな感じだけど、
坪井君はその時レーザービームの装置を持っていた。
今のように小さなレーザーLEDは無い頃だったので、ガスレーザーだった。
それを海岸に向けて、赤いレーザーを照射していたら、
前に止まっていた、たぶんカップルの車が急いで車を走らせてどこかに行ってしまった。
海岸から海に向けての赤いレーザーはとてもきれいだった。
それが何度目の東金だったか忘れた。

誰かがバイクで足の骨を折った時も、友達と一緒に行った。
あの時は昼だった。
でも冬じゃなかったかなあ?
海岸の砂浜に皆で座って何か食べた。
それからどうしたか覚えていない。
あの時は僕の車に皆を乗せて行った。
ああ、その中に葉月がいた。
なんでいたんだろう?

天文ガイドで知り合った沖縄の穂波さんに会いに行ったことがあった。
穂波さんは沖縄で離婚して慰謝料をたくさんもらったけれど、
そのあとハワイのコンドミニアムにアメリカ人と住んでるとか手紙が来て、
それからしばらくして、日本にいるという手紙が来た。
それが九十九里だった。
九十九里にサーファーの男と一緒に暮らしているとか。
その家は大網の海からすぐ近くの普通の民家だった。
旦那?はいなかったけれど中に上げてくれたて、部屋の中を案内してくれた。
エスニックな御香がたかれていて部屋はその匂いでいっぱいだった。
クリシュナムルティーの本が何冊かあった。
(そういえば僕の本はどうしたろう?前の家かな?)
部屋の飾りもエスニックな感じだった。
部屋に二人でいるのもなんなので外で話をした。
彼女はあの後、慰謝料を全部遣いきってしまったと言っていた。
しばらくいて僕が車で帰る時に見送ってくれた。
帰り際「私たちってキスもしてないし手も触れてないね。どういう関係なんだろうね?」
と言って二人で笑った。
たぶん友達だったんだと思う。
それからしばらくして電話があって「旦那が逮捕されたんでこれから拘置所に差し入れに行く」という電話が最後で、それからは連絡ができなくなってしまった。
今会いたい気がする。
穂波さんはちょっと日本人離れした顔つきで本人もアメリカ人みたいに見られる
と言っていた。
僕は最初からそんなことは気にもしなかった。

九十九里はその穂波さんとこが最後だったかもしれない。






春色の汽車に乗って

千葉の養老渓谷に行ったことがあった。
僕は養老の滝は養老渓谷にあるものと思っていた。
だから、いつだったか養老渓谷に行ってみようと思った。
あれは秋だったかな。
養老の滝は無かったけれど、何か滝はみたような気がする。
瀧というかちょっと急な渓谷。
途中どこかの道脇の土手で写真を撮ったはず。
あれは春だったかな?
いや、ススキがバックになっていたから秋だと思う。
「赤いスイートピー」を聴くとその時の景色が浮かぶ。
なぜかはわからないけれど。
だから春色の汽車というのはいすみ鉄道なんじゃないかと勝手に思っている。
春になったらいすみ鉄道に乗ろう。
春色の汽車に乗ろう。

12/07/2019

並樹書店

札幌で最初に住んだ下宿アパートが大通り21丁目だった。
そこから少し戻って19丁目に並樹書店という古書店がある。
実は住んでた時には気が付かなかった。

何年か前に札幌に行った時にこの本屋に気が付いた。
そんなに大きな本屋ではないけれど、北海道関係、アイヌ関係の本が
沢山おいてある。

毎回札幌に行くたびにここに寄って何かの本を買って帰る。
前回は「シャクシャインが哭く」という小説。
まだ読んでいない。

買う時にそこのおじさんに聞いてみた。
「ここいつからやってますか?1976年頃はありました?」と
するとすでにその頃からあったということだ。
知らなかった。
というか18丁目で地下鉄の乗り降りをしてたのになぜ気が付かなかった
のだろう。
たぶん地下鉄を利用することがあまり無かったからかもしれない。
だいたい車で移動していたから。
街に買い物に行くときも車だった。

まだ店内全部を見ていない。
次回行った時にはもう少しちゃんと見てこようと思う。

本の包み紙が素敵だ。
札幌の地図がデザインされていて、そこに「namiki」と小さな字で
本屋の場所が書かれている。

これを見ると三鷹の第九書房の包み紙を思い出す。

12/05/2019

限りなく透明に近い

ブルーだ。

この本を読んだのはいつだったろう?
もうずいぶん前だ。
ストーリーも何もほとんど覚えていないけれど
読み終わった後の不思議な感じだけ覚えている。
また読もうかな?
アマゾンで1円で売ってる。
1円って何だ?
売らない方がいいんじゃないか?
舞台は確か福生だ。
小沼の家があったところだ。
小沼の家?
まだあるだろうか?
彼はまだドイツなんだろうか?
日本に帰ってきたのかな?
奥さんはピアニストだった。
たぶん奥さんがドイツに住むのを望んだのだと思う。
でも小沼も学生の頃からドイツ語ができたように思う。
いつも「会議は踊る」をドイツ語で歌っていた。

もう10年くらい前にマックスプランクで彼を探してメールを誰かに
送ったことがあった。
小沼ではなくてたぶん同じような研究をしてそうな人に勝手にメールを
送って「小沼に渡してください」と英語のメールを送った。
そしたらなんと小沼からメールが届いた。
あれは迷惑だったかもしれないと後で思ったけど、
そんなことは知らない。
届いて良かった。
彼はローマ字で日本語を書いて送ってきた。
日本語漢字が書けなかったみたいだ。

あのあと彼はずっと研究所にいたのだろうか?
もう年齢的にいないとはおもうけれど。

ああ、小沼も会いたいな。
そういえば、小沼は僕を覚えているだろうか?
同期会ではこっちが覚えていても向こうが覚えていなかった。
それでちょっと落ち込んだ。
まあ、逆もあるだろうな。
いつだったライブハウスで知らない(?)人に声をかけられた。
向こうはどこかで僕に会って覚えていたみたいだけど、
こっちは全く覚えていなかった。ひどいもんだ。
こういう食い違いはどういう風におきるんだろう?
学生の時は同じクラスでよく話したりしていたのに
時間とともに忘れられる。
時間の隔たりはお互い同じなのに、こっちは覚えていて向こうは覚えていない。
あるいはその逆。
もちろん定期的に会ったりしてれば覚えているけど、
お互いの間に時間だけがどーんとあった時、
忘れられてしまう。

それはそうと、「限りなく透明に近いブルー」買おうかな。。

12/04/2019

今日は小田原と日限山

月一で小田原に行く日だった。
誰かが監視カメラの一台に車をぶつけて壊したので、今日はその修理だった。
かなり時間がかかると思ったけれど、新しい物の取り付け工事をやってくれた
人の作業が早かったので、こっちもすぐに修理できた。
なんか普段は怖そうな感じの人なのだけど、今日は作業が終わった時に
「ありがとうございました」とお礼を言ったら、とてもやさしい人だと分かった。
クライアント見れば私もその人も同じ業者にしか見えないだろうけれど、
お礼を言って良かったと思った。

それが早く済んだので帰りは下永谷に寄ることにした。
電話したら今日は調子が良さそうだったので行くことにした。
戸塚の東急で二人分のお弁当を買っていくのが常だった。
娘か息子がいる時はその分も買って行く。
どういうお弁当にするかいつも悩むのだけど、それもちょっと楽しい。
息子が食べるという時はガッツリ系のもの、娘もそれよりは少ない満足系のもの。
それにあまり寮の多くない野菜系のものも。自分用には適当に目についたもの。
娘は居る時は顔をだすけれど、息子はめったに現れない。
猫が1匹いるが人見知りが激しく私が行くとどこかに隠れて、
めったに見たことがない。
一緒にお弁当を食べてコーヒーを飲んで話すだけだけれど、
昔の話とかこの間にあったこととかを話す。

下永谷にはいつも車の修理を頼んでいた工場があって、
お昼まえにそこの前を通ると維持さんとおばさんがいて、挨拶しなくちゃいけない。
実情を知ってる人たちなので、ちょっと気まずい。
それでわざと遠回りして行ったりする。

駅(と言っても地下鉄の出入り口がるだけの駅)からは階段を上って
日限山の方に行く。
住んでいた頃はその階段を一気に駆け上がったりしてたのだけど、
今はさすがにそれはしない。
できないこともないと思うけれど、怪我しそうだ。
昔はその階段のあたりは鶯がよく鳴いていた。
今はもういない。
ずいぶん緑が少なくなった。

下永谷は変わってしまったけれど、基本的には変わっていない。
いろいろなものが無くなって、新しいものができたけれど、
街は昔のままだ。
駅の方のアパートにも息子の友達があのまままだ住んでいるような気がしてならない。




12/03/2019

ひどい夢を見た

僕はどこかに向かうため(そこまでの前段を思い出せない)に道を歩いている。
陽射しがとても強く、持っていたカバンを頭にかざして日差しを遮っている。
(しかしその暑さは不思議だ、布団で寝ているのに確かに太陽の陽射しだった)
道は山道にさしかかり、大きく左にカーブしながら登っている。
そのカーブを曲がり切ったところで人が倒れているのが見えた。
近づくと大型のバイクが倒れて壊れている。
その脇にライダーウェアを着た人が倒れていた。
近寄って「大丈夫ですか!」と言うと痙攣している。
道路の先を見ると他に2台の大型バイクが壊れていて、そこにもう2人倒れていた。
ひどい怪我だ。
「大変だ!」と言って、携帯で電話をかけようとしたところで目が覚めた。
たぶん大声を出して自分で目覚めたのだと思う。
人が倒れていた道路は夏のように熱せられていた。
その道路を触った感触が残っていた。
すごくリアルだった。
バイクで倒れたことはあるけど、あれは雨の日だった。
そういえば、それ以外倒れたことは無かった。
熱い道路をあんな風に触ったことがあっただろうか?

ひどい気分だ。
仕事も注文が途切れている。
前にも何度もそんなことはあった。
だから持ち前の能天気でなんとかやってきたけど。
しかしどうにも元気が出ない。
お腹が空いてるからかもしれない。
昼を食べてなかった。
何か食べよう。

12/02/2019

悲しい

さっき電話で得意先の新聞社の人から、
「毎月頼んでるDVD版の新聞は今月で終了します」って。
そうですか。
もう何年やってただろう?
ずいぶん長かった。
だけどこの年末にその連絡?
よりによって厳しくなるのがわかってる今月?
できるだけ明るい声で
「そうですか、わかりました、ずいぶん長い事お世話になりました」
とか言ったけど。
あと3か月伸ばして!
って言いたかった。

さてどうしよう?
明日、スタジオ行って歌歌ってこようかな。

芹沢さんも九州だよね。
並川も佐賀だった。
九州はちょっと遠いなぁ。
お金に余裕のある時に行っておくんだった。


12/01/2019

12月になってしまった


公園まで行ってきた。
所々真っ赤な紅葉があってそこにはカメラを構えた人だ何人もいた。
いつものようにそこは避けてだれもいないところを選んで行った。
以前は事務所から山の紅葉具合がわかったのだけど、
この部屋から中央公園は見えない。
あの事務所は部屋代が払えなくなって出てしまったけれど、
眺めが良かった。
屋上まで行くとぐるっと見渡せた。
ああいう部屋がまた欲しい。
歌を歌ってもギターを弾いても文句を言われることもなかった。
上下左右全然音が聞こえなかったから。

芹沢さん、一度事務所に来てくれたよね。
まだここ見ててくれてるかな?
いつも何書いてるんだ?!と言われそうですがね。
思ったことを書いてるだけなんですけどね。
その後、体の具合はどうでしょう。
もう一度一緒に歌いたいね。
FBからメッセージを送りましたが届いたでしょうか?
と思ったらさっき返事をいただいていました。
ありがとうございます。(これ見てるかな?)

コマツ君はどうしてるだろう?
噂でしか聞かないけど。
最近は電話も来ないし(おまえがかけろって?)
まだここ見てたらメールでも送って。
メールの頭がkogawa2に変わってるからね。
業務連絡みたいだけど。
コマツ君は日本に帰るようなこと言ってたけど、
まだ当分帰ってきそうもないね。
コマツが返ってきたらまた皆でバンドやろう。
まだ全員生きてる。
モチとヨシノとは3人で毎日のように曲作りでやりとりしてるよ。
もう何年も。
ほんとによくやってると思う。
CDも何十枚になったろう。
だけどやっぱりコマツが入って欲しいと思うよ。

12月は忙しくなりそう。
神戸の結婚式に出ないといけない。
リサの結婚式。


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追伸:
書き忘れました。
新宿フォークゲリラのサイトの方。
まさかもうここを見てはいないと思いますが、かの時はありがとうございました。
今では全くのいいかげんなフォークシンガーです。
でも、新宿の米軍タンク車炎上のことをちょっと書きました(同期会のとこです)。
当時の事件で私の高校が関係していたのは偶然ですが、ちょっと当時を
思い出しました。





寒そうだ

けど、ちょっと出かけよう。
お昼も食べないと。
何も食べたくないけど。
だいたい外で食べるのがいやだ。
いろいろ考えなくちゃいけないから。
家で料理した方がいい。
ちょっと面倒だけど、自分だけの範疇だ。

雲の切れ間から太陽が時々のぞいている。
目の前のマンションの窓ガラスに白い太陽が反射して眩しい。
KFCでも買ってこようかな。
と、のぞいてみるとけっこう列ができてる。
休日はいつもそうだ。

ネットニュースの広告で量子ドットのディスプレイっていうのがあった。
ひどい名前だと思って読んでみたけれど、
そんなに的を外れた話でもなかった。
量子と言うより波長ドットと言った方がいい。
量子的なことはたぶん何も無いだろうから。

時々思うのは量子はこのマクロな世界のどこまで影響してるだろうか?
ということ。
たぶん、多分に素人的な漫画チックな考え。
タイムマシンくらい意味の無いことかもしれない。
あのS博士の猫みたいなもの。
何かマクロな出来事の根底に量子が影響しているということ。
そういうことがあるだろうか?
例えば人生でAとBの選択を迫られた時、
AとBは本来確率的に同じであるのとしたとき、
AあるいはBに起因する次の現象CとDは
量子もつれ状態にあるのだろうか?

人生のある時点で誰かがAをとり僕がBをとった時、
その誰かはAによって起こった結果がCだと知った時、
僕に起こっている結果はDだと決定される
ということが起きるだろうか?
それを考えると昔流行した超能力とかが可能なような気がしてくる。

ちょっと天気が良くなってきたから
ちょっと散歩しよう。






何をやっても

上手く行かない時って、こういうことを書きたくなってしまう。
別に誰かのせいじゃないのに。
友達がいないのは自分のせいだよ。
それは確か。
友達だけじゃない、いろんな人に嫌な思いをさせて生きていた。
思い返すとそんなことばかり。
自分では普通にしてきたつもりだったんだけど。
振り返って自分を見てみるとすごくいやな奴だ。

それでも、奇跡的にだけど、僕を友達と思ってくれる人が5人はいる。
それはリアルな世界に於いてね。

僕はどこか狂っていると時々思う。
何やってるの? ということが時々ある。
それで人にいやな思いをさせてしまう。
だから、もう思い出したくないんだよね。
何もかも。
こういう不安な時は特にね。
来月やっていけるか?って時に、FBだのYTだの能天気な
書き込みに付き合って「いいね」って。
いや、たぶん気分がおちついている時ならそんなことは思わないけ
きっと。
どこまでお互いのことを知ってるんだろう?って思うんだよね。
たぶん何も知らない。
JohnさんとBillさんはずっと前から何でも、プライベートなことも
話してきたから、Billさんが亡くなって、今は僕のことをほんとに知ってるのは
Johnさんだけだ。

Johnさんとは、高校時代の話もした、お互いのその頃の彼女のこととか、
それからどうなったとか。離婚したのはどうして?とか
その後どうしてる?とか。
お互い、子どもたちと会えないことなんかも話した。
子供は達は会いたいと思ってないみたいだ、とか。
お互いに慰めあったりしてきたから、
本当には会ったこともないけど友達だと思っている。
他の人は知らないし、これ以上親しくなりたいとも思わない。