5/23/2020

カメさん


カメさんは僕らが作った2番目の会社で一緒だった。
自衛隊をやめて僕らの会社に入ってきた。
カメさんはバイクに乗っていた。
そのバイクで人身事故を起こして自衛隊をやめたらしい。
一緒に仕事をしたのはそんなに長くなかったけれど、
家にも何度か来たし、今でも年賀状を送ってくれるただ一人だ。

僕よりも20歳くらい下だった。
バイクで一緒に乗鞍の頂上まで行った。
あのころはまだ頂上直下まで行けた。
今思うと二人とも250ccだった。

そうなんだ、一緒に仕事した人で今でもつながりがあるのは
カメさんだけだ。
同じ頃一緒に仕事をしていた人の一人は2年後にバイク事故で亡くなった。
顔が浮かぶ。
もう一人親しかった同い年の人は心臓の病気でやはり同じころ亡くなった。
あとの人は知らない。

こうやって、仕事の、、会社のことを書いていると
だんだん苦しくなるので、この辺でやめよう。

カメさんはとてもいい人だ。
面白い人だ。

小金井公園までバイクで行った時。

5/20/2020

ひとの記憶って

限りがあるね。
少なくとも思い出せる量っていうのは限られてる。
僕がここに書いてきたことで僕の思い出せる記憶はほとんどのような気がする。
あとは断片だ。
ほんとに一瞬のこととか。

前に書いてない(と思われる)ことを書こう。

仙川の学校に行くまでの商店街にあったパン屋。
確か駅から来ると左側。
その店に入った時の匂いを時々思い出す。
たぶん他のパン屋ではあの匂いはしない。
いや、似たようなにおいかもしれないけど、
僕の記憶にある匂いはそれのどれでもない。
それとあの茶色のパン。
それから?
・・・店の中を少し歩いたシーンを思い出す。
あ、お金を払ってるシーンも、
店に入って右側はガラス戸があった?
記憶違いかもしれないけど、
なんかそんな景色。
茶色の柔らかいパン。
柔らかすぎて大事に持たないとつぶれてしまう。
紙袋だった。
何の変哲も無い薄茶色の紙袋。(たしか)
パンは焼きたての匂いがした。
ああ、あの匂いもう一度かぎたい。

あの商店街のことは他にはほとんど思い出せない。
あ、学校側の出口、信号の手前左側は本屋だったかな?
小さな本屋。
違うかな?・・

少なくとも1000回くらいは通った道なのに
いったい何を考えて歩いていたんだろう?

学校から誰かと一緒に歩いていたことが多い。
男だと小柳。
あいつはなぜか僕の肩に手を置いて歩いていた。
変だよね? でもストレイトだよあいつも僕も。
小柳もクラシックファンだったから音楽の話をよくした。

あと地引君。彼ともクラシックの話をしながら歩いた。
ああ、彼はブラバンだったから一緒に帰れたのは少ないかも。
彼は新川の団地だったから学校からバスに乗らずにずっと歩いて帰った。
その間音楽の話をずっとしてた。
江川君も車で来てないときはバス停まで一緒に歩いた。

女子は?あと
一人としか歩いていない。
クミちゃんだ。
何度か一緒にバス停まで歩いた。
他に女子とは歩いていない。
クミちゃんは三鷹駅からも一緒に歩いたことがあるなあ、そういえば。
あれは何で一緒だったんだろう?
高校卒業してからだった。確か。
江川とクミちゃんが高円寺(最近阿佐ヶ谷だったかもと思う)の
小さな公会堂でフォークコンサートに出たのを見に行った。
ああ、三鷹公会堂で僕と降矢(恋ヶ窪の)がコンサートに出た時に
クミちゃんと彼女の友達2人で見に来てくれた。
あれはいったいいつだろう?
降矢だから大学1年かな?
まてよ、どうやって僕はそのコンサートのことをクミちゃんに伝えたんだろう?
謎だ。
ようするにあの頃僕と親しかった女子の友達は、あとはクミちゃん
くらいしかいなかったってことだな。

僕はもてなかったってことだな。
というかあんまり魅力は無かったんだろうな。
というか(笑)あの学校真面目だったのかな?
なんかみんな真面目に勉強してたような気がする。
その道を外れた生徒はいたかな?
いないような気がする。

あ、今なんか思い出した。
黒田さんっていたね。
彼女は誰かといつも一緒だった。
バス停までの道を歩いていたシーンを覚えている。
あの男の方は僕は知らないな。けれど背が高くて、顔つきを覚えている。
あと、ほかにこれ見よがしに(笑)付き合っていたのはいたかなぁ?
なんかあんまり思い出せない。





5/17/2020

初恋の話をしよう

小学校6年の時だ。
僕は大阪から三鷹に戻って入った学校が三鷹第7小学校だった。
前は6小だった。
6小と7小は雰囲気がものすごく違った。
そういう時代だったのかもしれないけど、大阪がものすごく田舎で
何もかも古臭くて人々も泥臭い感じだった(当時は)のに比べると
7小は都会の学校のような気がした。

僕は転校生だった。
クラスの他の人は皆下から上がってきた子だからみな仲が良かった。
僕は別に女の子には興味が無かった。
というか女の子という存在が「女性」というものと結びついていなかった。
つまり、男女の仲というのを知らなかった。
知ってる女の子はみな友達だったから。

それで、そのクラス(6年1組だったかな?)にも慣れてきた頃、
同じクラスのちょっと背の高い女子に安部さんという子がいた。
声はちょっと低く、今考えると美人タイプではなかった。
個性的な整った顔つきだった。
ある授業で僕らは一番後ろの方だった。
それである授業の時に、ふと横を見たら彼女と目が合った。
彼女はちょっと笑ってまた前を向いてしまった。
「あれ?何で笑ったんだろう?」と思った。
そんなことがあってから、時々目が合って、僕も笑い返すようになった。
先生にはわからないように。

そんな頃、体育の授業でドッジボールをやった。
僕と彼女は別のグループだった。
僕はあまり得意じゃなかったからやる気がなかった。
適当にやっていたらボールが飛んで来た。
僕はそれを胸で受けてすぐに相手に返そうと思った。
僕にボールを投げたのはその安部さんだった。
僕は彼女に向かってボールを投げたら、
彼女はそれをうまく受けてまた僕に返してきた。
彼女は少し顔が赤かった。
何度も繰り返すもので、他の皆がはやし始めた。
僕はすごく恥ずかしくなって、ボールを落としてしまった。
コートの外に出て、見ていた。
なんだか変な気持ちだった。
ドキドキしていた。
たぶんそれが初恋だったと思う。

僕のその頃の親友だった石倉も彼女が好きだと言っていた。
安部さんは優等生だった。石倉も頭が良くてスポーツマンだった。

夏休みが終わるころから、僕は精神的にすごく不安定になっていて、
思いもしないことを突然したり、人から嫌われることを言ったりし始めた。
自分でもなぜそうなったのかわからない。
別な自分が勝手に授業中に怒ったり、友達にひどいことを言っていた。
それでだんだんクラスの皆も僕から遠ざかってしまった。
一人だけ、岩本君って言ったかな、彼は僕の友達でいてくれた。
よく一緒に話をした。

左は近藤君だ。


そんなわけで安部さんはそれっきりどうなったのかも知らない。
卒業してからも街で会ったことは無い。
確か彼女のお父さんはどこかの大学の偉い人だったと思う。
彼女の名前は広子さんて言った。

5/13/2020

ねえピアノ弾ける?

僕はまともには弾けないんだけどね。
ピアノ弾くっていうのは僕としてはバイエルとかなんとかの話じゃなくて
自分の思った旋律を自分の思った風に弾けるかどうかということ。

左手で和音の伴奏をしながら右手でメロディーを弾くというのが
たぶん一番初歩的なことだとおもうのだけど、
それはそれでいいんだけど、

この左手が右手の合間にメロディーあるいはアルペジオで
流れるように入り込んでくるという弾き方が好きだ。

それが自由にできるようになったら
「俺、ピアノ弾けるよ」と言えるかもしれない。
まだそれができない。

こういう弾き方はもちろんギターにもあるけれど、
高音部の合間に低音弦が別のメロディーを弾くみたいにね、

どちらも同じ障壁がある。
僕の左手は(左指は)思うように動かない。
だからギターでのその弾き方は遥か昔に諦めた。
それは左手の薬指と小指の神経が無くなって
感覚が無くなってきた頃に諦めた。
大学生の頃だ。

でもピアノの方はまだ希望があるということが最近やっと認識した。
少なくとも3本の指は自由に動くし、
あと2本のどちらかは一つの鍵盤を押さえられる。
だからたぶん全く動かないよりは高い可能性(ポテンシャル)がある。

あ、そうだ。
学生の頃Chemical Potentialを「科学的潜在能力」と言った人がいたな。
間違いではないと思うけど彼はその後ずっとそれをネタに笑われてた。

なんだっけ?
ああ、僕は恵まれているのに、それをやらないのは罪だということ。
罰が当たる、きっと。

だからそれを少しずつ練習してる。
ピアノ教室に半年通ったけど、
僕にはすぐにはできないと思ってやめた。
でもどうすればいいのかは教えてもらった気がする。

だから残りの時間はそれをやろうと思う。

終わり

5/11/2020

それからのこと

それから僕は一人でやってきた。
1981年まで、
札幌で
もう世の中がデジタルの時代に入るところだったから
そういう仕事をしたいと思って東京の会社の雑誌の求人や、東京の新聞を1日遅れてで
配達してもらって求人先を探した。
30歳からの中途採用だったけれど、僕は全然気にせず連絡をとりまくった。
幸いアナログ技術とプログラミングは少しわかったからそれで押した。
秋葉原のマイコン関連会社、今でいえばパソコン関連の会社、が東京に戻ったら
面接してくれるということで、東京にもどることにした。

そこからのことを話すにはちょっと時間が必要だ。
なぜなら僕はいろいろな人に迷惑をかけ、いろいろな人から援助を受け、
色々な人を裏切り、自分勝手なことばかりしてきたから。
それを書くには勇気が必要だ。

たぶん1981年から1994年まではほんとにその当時の自分を
思い出したくない。
いやそれ以降もいろいろあって、仕事の話を書くのはとても辛い。
僕が死ぬまで書けないかもしれない。
知っているのは一緒に仕事をしていた野池さんだけだ。
野池さんは僕を許してくれるだろうか。
ずっとそれを考えている。

仕事のことはそういうわけでなかなか書けない。


5/08/2020

夢はだんだん現実と区別がつかなくなる

昨日は3本立ての夢だった。
2本は忘れたけれど最後の夢は覚えている。

僕は真っ赤(深紅)のバイクを買った。
それに乗ってどこか町外れに行く。
バイクはとても調子良くてとても狭いところも
全然平気で走って行く。
後ろに誰か、女性を乗せている。

バイクのタンクは深紅で透き通っていて
光が当たると輝いて見える。
すごく奇麗だ。
ハンドルもレバーもクロムの輝きを持っていて
乗っているだけで楽しい。

ドライブインのようなところで停めて、
バイクのキーを抜いて店の方に行く。
何か食べようと思う。
財布が無い。
「あ、バイクのバックの中だ」
と思ってバイクの所に戻ろうとする。
だけでバイクが無い。
明らかに無い。
他の場所とかはあり得ない

すぐに盗まれたと確信する。
もう戻らない。
すごく絶望した気分になる。

あの輝いた深紅のバイクの姿が浮かぶ。
「あー、あれは失いたくなかった」
とても悲しい。

と言う所までしか覚えていない。

5/03/2020

歌はどこへ行ったの?

ほら、深い森の中で誰にも知られず一本の木が倒れた。
その木は音を立てたか?
っていう禅問答みたいのがあるでしょう?
それを言った本人は誰も聞いていなけりゃ音は立ててないと言っているけど、
そんなひどい話は無い。
だってあなた「木が倒れた」って言ってるでしょう?
つまり(それが仮定の話だとしても)あなたはそれをその場で見ている。
あるいはその場にいてその音を聞いてるはず。

だめだね、片手の拍手の禅問答にはかなわないね。

それはそうと、誰かの本の話で、
「誰も歌わない古い唄のように忘れられていったとき、」
というのがあるらしい。
それを聞いて思ったのだけど、
誰も歌わなくなり楽譜もレコードも無い
そういう歌はいったいどこへ行ってしまうのだろう?
例えばなんでもいいけど、「上を向いて歩こう・・・」っていう歌、
それがいつか忘れられてその歌のレコードも無くなって
楽譜も無くなって、
例えばその歌を知っている最後の一人が死んでしまったら
その歌はどこへ行くのだろう?

あのメロディーは確かにあった。
だけどそれを歌う人も演奏する人も、それを表す楽譜も無い。
そうなった時、その歌は
亡くなった誰かと同じように、
確かにそこにいたのに、
世界から忘れられてしまう。
でもその人の思い出はどこかに残っているような気がする。

その歌も、そのメロディーは白い糸のように
空の中に浮かんでいて、
その糸はまた誰かがそれを捕まえるまで
空をふわふわと飛んでいるような気がする。