6/28/2019

想い出してみた

これは1年の時の写真らしい。
鶴岡八幡に行ったんだ・・・・
全く記憶にない。
何しに行った?
三渓園に行ったのはこの時?
三渓園の方がちょっと記憶がある。
だいたい名前が思い出せない。
この真ん中にいるメガネかけたの何て言ったか忘れたけど
好きじゃなかった。っていうか嫌いだった。
あとはジビキ、アキヤマ、イシカワ、オンダしか思い出せない。
女子の方は全くだめだ2人しか思い出せない。
前と後ろね。
しかしそれ以外の顔を拡大してみても「こんな人いた?」
っていう感じで名前はおろかいたことすら思い出せない。
いやいやいや、いなかったでしょうこの人、が多数。
先生(ジェラード)はね声も覚えてる。

あ、今突然思い出した前の端から2番目の女子はコガさんって言ったよね。
自分の名前と似てたから覚えてる。
オンダの隣の笑ってる人、こんな人いた?
首からカメラ下げてる男。名前がのどまで来てるけど、思い出せない。
しかし、みんな声は覚えている。
顔を見ると声が聞こえてくる。
女子はだめだけど男子の声はほとんど覚えている。
不思議だ。





6/27/2019

黒岳

車で登った一番高い山は乗鞍だ。
当時は頂上直下の売店のところまで車で行けた。
だいたい3000メートルの標高だと思う。
そこへは車で2回、バイクで一回登った。

歩きで登った一番高い山は大雪山系の黒岳だと思う。
でも途中まではロープウェイだったと思う。
その先を歩いた。
ひどく辛かった記憶があるけれど、たぶん大したこと無い山道だったと思う。
小沼がいなかったら登らなかったと思う。
前にも書いたけれど、小沼はすごい。

この写真の右端の方を歩いて行くのが小沼。
その先に見える雪渓から雪を取ってきてやる、「40分待て」
と言ってぴったり40分後に雪の塊を持って帰ってきた。


すっかり忘れていたけれど、この女の子はヒッチハイクで乗せたユキちゃんだ。
苗字は忘れたけれど、都立大の駅の近くのスナックでアルバイトをしていた。
東京に帰ったあとで小沼と一緒に会いに行った。



この写真でわかったのは黒岳は1984メートルだったんだ。
アメリカのジョンさんはこの頃の私の写真を見て「ヒッピー」
というけれど、この写真を見ると確かにヒッピーだ。



6/26/2019

武蔵小杉

家の机の前の窓から遠くに武蔵小杉のマンション群が見える。
以前はもっと鷺沼の方まで見えたのだけど目の前にマンションが建って
しまったので今はごく一部しか見えなくなってしまった。
それでも全く遠くが見えなくなってしまった家も多いので
ここはまだラッキーだったのかもしれない。

武蔵小杉は夜になるとビルに灯りが灯りきれいだ。
部屋から双眼鏡で見るとすぐ近くに見える。
あそこまで電車で行くと大回りしてかなり遠い。

札幌に住んでいた頃は大倉山のジャンプ台や盤珪への峠のところから
札幌の夜景が見えた。
綺麗だったけれど寂しい夜景だった。
だけど「夜景」というとまず思い出すのは札幌の夜景だ。

今思い出したけど、東名で名古屋の方から走ってくると
富士市の手前ですごくきれいな街の夜景が見えなかったろうか。
もうずいぶん東名を夜に走っていないのでわからないけれど
確かあの辺だ。

阪和高速道路で火事を見た話は書いたろうか。
不謹慎だけれど、あの火事の色は忘れられない。
赤でもオレンジでもない、バラ色のような色だった。
それが真夜中の暗い街の真ん中で燃えていた。
いまでもはっきりと覚えている。

もうずっと昔、東北自動車道ができる前、4号線を上って行くと
今のようにどこまでも街がなかったから街と街の間は暗く、
走って行くと次の街の灯りがだんだん見えてくる。
あの感じはなかなかよかった。
また街に行く間にドライブインがあって、そこの灯りが突然飛び込んでくる。
その感じも良かった。
「ああ、ちょっと休もう」という気になった。

今はまだ夕方前でとても明るい。
そのうち陽が沈みだし、
むさこのビルに赤い夕陽が照り付ける。
それもまたいい。

6/23/2019

浦添・沖縄

想い出した。
もう一人「天文ガイド」で知り合った人がいた。
沖縄の浦添に住んでいた。
その人はとてもきれいな(特徴的な)字の持ち主で、手紙の紙面がまるで
細かな彫刻のような感じだった。
どうやって書いているのかをきいたら、一度パソコンで文面を書いて漢字を
変換して、それからロトリングペンで便箋に書いていたらしい。
2年くらい、あるいはもっと長く続いていたかもしれない。
それである時、会いに行くことにした。
沖縄の浦添に住んでいるということで街の中のホテルに泊まった。
ホテルから外に出るとすぐに海岸になっていて、そこまで砂地の道路を歩いて
しばらくすると海岸の岩場に出た。

岩場はずっと先まで歩けるようになっていた。
たぶん引き潮だったんだろう。
岩場の所々に穴があって海水が残っていた。
その中に小さな魚がたくさん泳いでいた。
特に青い輝くような色をした小魚がたくさん泳いでいて
ずっとそれを見ていた。

しばらくそこにいてそのペンフレンドが車で迎えにきてくれた。
その車で沖縄の北から南まで案内してくれた。
途中、どこだったろう、公園のような広々した場所に出て、
所々にヤシの木のような気がポツンポツンと立っていた。
そこに出た時に「あ、ここは前に来たことがある」とはっきりわかった。
実際には行ったことはないのだけど、たぶん夢で見た景色と似ていたから。
車はそういえばBMのオープンカーだった。

どこかで何か食べたように思うけれど、覚えていない。
その友達の家に行った。
崖の上に建っていて、海が見渡せた。
白い壁の洋風の家だった。
リビングには物が無く壁のところにレコードがたくさん置いてあった。
街からDJの人が時々借りに来るとか言っていた。

ずっと一日一緒にいたけれど何事も無く別れて帰ってきた。
何事も起きるわけはないのだけど、
ちょっとアメリカ人ポイ顔立ちの人だった。

それから1年くらいして、どうしたかは前に書いたように思う。
離婚してハワイのコンドミニアムに誰かと暮らして、
そのあと九十九里の海岸近くに家を借りて、サーファーの誰かと
一緒に暮らしているとか。
その家には一度行ったことがある。
普通の古い民家だった。

それから数年して旦那が警察に捕まって「これから刑務所に
差し入れに行く」という電話があったのが最後。
それからは全く消息不明。

残っているのはその頃話のネタになっていたクリシュナムルティーの
分厚い本が1冊。
たぶん3分の1も読んでいないと思う。

6/20/2019

Alive Inside

映画を観た。
邦題が「パーソナル・ソング」だと。
これはひどいだろう、と思う。
わざわざ原題は「中で生きている」というタイトルにしたのに。

このドキュメント映画は確かに認知症患者というか高齢者の心のケア
に光を当てるものだと思う。
何も語らず動きもしない認知症患者がヘッドフォンで音楽を聴かせると
まるで」

6/19/2019

コンタクト

映画ね。
カールセーガンの原作の。
今日、アマゾンプライムで何度目かわからないけど見た。

最期の方のどこかの惑星で父親と話すシーン。
ああ、このシーンはいいなあ、と思って
スクリーンキャプチャーで2、3画面を撮った。

惑星のシーンも途中のワームホールのシーンもジョディーフォスターが
戻って話しても誰も信じてもらえなかったシーンだ。
父親が言う、
「孤独をいやしてくれるのはお互いの存在なのだ」と。
そのシーンをここに貼ろうと思った。
そのシーンがこれ。
そうなんだ。
キャプチャーできないんだ。
それを思い出した。
しかし、こんなシーンがあったと言うことを信じてもらえるだろうか?
この真っ黒の画像で。
まるで映画の諮問会のシーンのように、説明しても誰も信じてくれないだろう。

経験したことは記憶の中にしか残らない。
あの時、あんなことがあったとか。
あの場所に確かにいたんだ。とか。
誰かと一緒に過ごした時間は確かにあったんだとか。
それはみんな記憶の中にしかない。
それはつまり僕らの記憶だけはそれが本当だと知っているということ。

6/18/2019

会話

だまって毎日を過ごしていると日中は誰とも一言も話さずに
終わってしまう日がある。
電話も来ない。
管理人と無駄話もすることもなく。
夕方になって気が付く。

持論で日本人が海外で英会話ができないのは
英語ができないのじゃなくて、
会話ができないから、だと思う。
これはかなり確かだと思う。

たまたま同じテーブルに座った人と何か話せるかと考えると
普通は何も話せない。
相手が日本人だったとしてもそうだ。
ようするに見知らぬ人と初めて話そうなんていうのが無理なんだ。

町田に英会話喫茶というのがある。
行くとテーブルに英語人が一人座っていて、
その周りに日本人が4,5人座って話しをする。
・・さあ、何を話す?
と言われても無理だ。
だからその英語人が何か話しかけてくれる。
順番に。
だいたいグループでの英会話教室っていうのはそんな感じだ。
英語人が順番に何か言ってくれるから、それにこたえる。

あまりに暇だとそういうのでも行って話したくなる。
最近は行ってないけど。

きのう英会話教室の無料体験に申し込んだ。
この英会話の無料体験というのはもう何回目だろう?
ただだから行くわけだけど。
今回のは英語人の親子でやってるらしい。
子供(大学生くらいかな?)も講師になるみたいだ。
自宅でやってるみたい。
面白そうだから行ってみようと思った。

まあ、一日はそれでつぶせる。
鶴見だ。
地図を見ると大学の友人の家の近くだ。
シニアクラスっていうのがあるんだって。

6/16/2019

コンサート


買い物に出た時、ポスターで今日無料コンサートがあると知った。
まだ時間があったので、出直して行くことにした。
30分前に行ってみると50人くらい既に並んでいた。

演奏曲目はシべリスの「カレリア序曲」「カレリア組曲」
「交響曲第5番」だった。
カレリアの方は好きな曲だったけれど、5番は知らなかった。
あんまり面白い曲ではなかったかもしれない。
第三楽章に出てくるメロディーが記憶に残った。

それよりもアンコールでやった「アンダンテフェスティーボ」という曲
が良かった。
この曲は弦楽だけで演奏される、最後にティンパニーが加わるくらい。
バーバーのアダージオのようにメルディックな曲で良かった。
弦楽だけでやったのも良かった。
というのも、どうも今日のオーケストラは管楽器がだめだった。
とくに金管楽器。
例えばトランペットがピアニシモでのばすところで音色が変わって
しまっていた。ビリビリだった。
あれはちょっとだめだ。
それが何か所もあった。
あれが無ければよかったのに。

アンダンテフェスティーボでもう1曲思い出した曲があって、
「あれは何だったろう?」と思い出そうとしていた。
想い出したアザラシビリの「無言歌」だ。
前にここにも書いたように思う。
あれも弦楽だけだけれどいい曲だと思う。



6/14/2019

名前忘れた

ごめん。
雑誌の「天文ガイド」で知り合った少年がいた。
今はもう無いとおもうけれど、当時でさえ「文通希望」なんていうコーナー
がある雑誌はほとんど無かったけれど、天文ガイドにはあった。

確か四国の方に住んでいた。
当時はEメールがなかったから手紙だった。
中学1年生だったと思う。
何度か手紙のやり取りをした。
頻繁にではなかったけれど。
確か2年くらいは続いたと思う。

その後2年くらい(感覚では)経ってから、あいつどうしてるだろう?
と思って手紙を出したら、まだ覚えていてくれた。
それで電話番号を教えてもらって電話をした。
声は幼い少年の声ではなかった。
何を話したか忘れたけれど、とりついでくれた彼のお母さんも経緯を知っていて
すぐに彼に渡してくれた。

それから写真を送ってくれた。
やっぱりまだ少年っぽい感じは残っていたけれど
たぶん高校生だったんだろうと思う。

今どうしているだろう。
ちょっと会ってみたい気もする。


6/12/2019

並川君のこと

並川君は札幌で知り合った友達だ。
最初はどうやって知り合った?
ちょっと待て、確かな記憶が無い。
たぶん古谷がやっていた札幌フォークの集まりでだと思う。
並川君とトッピ(女性)とヒゲちゃん(女性)と私で一緒に何かやろう
ということになったんだと思う。
ヒゲちゃんはその後全くどうしたか知らないけれど、確か故郷は福島
だったと思う。その話をしたことを覚えているから。
ヒゲちゃんは穏やかな感じのいい女性だった。

並川は札幌大学に行っていた。
卒業してからどこへ就職したのか知らないけれど、仕事は何をしてるか
話をした時は日雇いのような仕事していると言っていた。
丘珠とかどこかの道路工事をしていたときいたことがある。

並川はギターを弾いていた。
歌は当時私よりもうまかったと思う。
何度か4人で練習をしたと思う。
最期のコンサートを江別の市民会館でやった。
その時にやった「さよなら」(NSP)は思い出深い曲だ。
どこで聴いても吹雪の中の市民会館のコンサートが浮かぶ。
あれはまるで、ドラマのワンシーンのようだった。
外は猛烈な吹雪。
吹雪の中で明るいステージで歌った。

その後、ある日並川が私のアパートに来て、
「トッピに告白したよ」と言った。
とても嬉しそうだった。
あの並川を忘れない。

私が東京に戻ってから並川は台所用品を売っている大会社の営業をやっていた。
横浜の家にも一度来てくれた。
それから並川はトッピと一緒に四国の徳島に移った。
その時は私も仕事の帰りに彼の家に寄った。
そのあと並川は九州に移って、最後は佐世保だったように思う。
電話とかメールとかやりとりしていた。

それがある日、連絡がとれなくなった。
メールも電話も通じない。
それからもうずいぶん年月が経ってしまった。
さいごに聞いたはパーキンソン病だとか言っていた。
最期にやり取りした電話の話声はたどたどしかった。

今、並川の声が聞きたい。

6/11/2019

雨脚

もういつのことだったのか、正確に思い出せないけれど、
鎌倉山の大門さんの家で皆で泊りがけでレコードを作った。
あれはたぶん奇跡だった。
と今にして思う。
自分の曲はどうでもいいけれどみなの曲はほんとにすばらしい。
ウイリアムの作ったこの歌は編曲もすごいと思う。
たぶんあの中で一番だ。

そういえば警官が調べに来た。
警官が来たのはこれが2度目かな。
最初は茨城の故郷でみんな泊りがけで騒いだ時だ。
いや、あれは警官じゃなかった。
親戚のおじさんだ。
ニンニク入りのねぎの味噌汁の時だよ。

そうだよ。
あの頃は自由だったね。
何でもできたような気がする。

6/10/2019

遠い世界に

さっき銀行に行ってなけなしの預金を支払いに回した。
その帰りちょっと「遠い世界に」を口ずさんでいた。
「・・・これが日本だ、私の国だ~♪」って、
これをあの当時歌っていたんだ。と感心した。
過激系左翼路線の学生・市民・労働者の諸君はこれは歌えなかったんじゃないだろうか。
フォーク系・日和見・軟弱左翼のみなさんだから歌えたのだと思う。

何が問題か?ってはっきり言えないけど、「日本は私の国だ」っていうのには
勇気がいったように思う。
あの当時「君が代」を歌うようなものだ。
でもフォークゲリラの諸君はこれを歌っていた。
私も歌っていた。

ただ、それを思い出した。

明日の世界はみつかった?


6/09/2019

梅雨入りだって

朝になっても空が暗いのでカーテンを閉めた部屋は真っ暗のままだ。
夢を見た。

どこかのコンビニ、海外のようだ、145円のもの(何だったんだろう?)を買った。
カウンターに行って200円のお金を払う。
キラキラしたきれいなガラスのカウンターで品物を受け取る。
店員が何か話しかけてくる。
横に女性店員がいて何か言っている。
私がお釣りをもらおうとするのだけれど、話を止めない。
めんどうになって「おつりはいらない」と言って店を出る。

次のシーンはどこかの工場。
工場の人が「これなんですけど・・」と言って基板を見せられる。
「これから液が漏れてるんです」と言う。
見ると大きなコンデンサーから液が漏れている。
しかしその基板には全く覚えがない。
最近の新しい基板の作り方で、部品もみな新しい。
「これ私がやったものでしょうか?」と聞く。
「そうです」と言われる。

基板の端にTohsibaと書いてある。
東芝の仕事はしたことがない。
「私じゃないと思います」と言う。
すると「直してほしい」と言われる。
「それには回路図が必要ですが、ありますか?」と聞く。
どうも回路図は出せないらしい。

工場から出る。
水に濡れた道路を歩いている。
裸足だ。
とても汚い場所に出る。
できるだけ脇の方を歩いて水に入らないようにする。

****これが昨日の夢。忘れないうちに書いておいた。
  次が今日の夢。。。どうするんだ?こんなもの書いて。。。

部屋の中に学生達と一緒にいる。
何かのコンテストに出すための作品(何だかわからない)を作っている。
紙筒に入れて私が持っているが、それを私が作ったものかどうかわからない。
それを持って喫茶室に行くと何人か座っている。
すごく短いスカートをはいた少女の脇にコーヒーサーバーがある。
自分のカップを持ってそこでコーヒーを入れようとすると、
カップのとってが取れている。
コーヒーは諦めて駅に行く。
ホームに沢山の学生がいる。
ホームはカマボコのような形になっていて、両側の線路側が斜面に
なっていて、斜面の下のところに僅かばかりの縁がある。
その向こうは街が眼下に見えている。
ホームはかなり高い。
5,60メートル下に家の屋根が見える。
ホームの真ん中から移動するのが怖い。
滑り落ちそうだ。
すこし離れた学校らしいところの屋上に黒い学生服を着た学生が
たくさんいて、こっちに向かって何か歓声をあげて、手を振っている。

ホームの反対側も丸く斜面になっていて、そちら側はもっと高い。
100メートル以上下に街が見える。
誰かが斜面をすべり降りるけれど、一番下の縁のところで止まる。
そっちがわを見るだけでも怖い。
遠くに学校が2つ見える。
やはりその屋上に黒い学生服を着た学生がたくさんいて、歓声をあげている。
私はホームにへばりついて景色を見ている。

そこで目が覚めた。























6/04/2019

本屋に行った

今日は時間調整のため1時間近く本屋にいた。
端から本を見たけれど、昔のようなときめきは全くない。
おそらく書庫の全タイトルの98%はどうでもいい本だと思う。
もちろん自分にとってだけれど。
題を見るとだいたい内容がわかる本がほとんどだ。
小説の内容がどんなに優れているのかしらないけれど、
どうでもいいことは確かだ。
「初めから学ぶフーリエ変換」みたいなタイトルの本があった。
とても面白そうだったけれど、今更読んでもどうなるものでもない。

要するに何かしたいとかどこかに行きたいとか何かを買いたい
という原点は「興味」だと思う。
宇宙のどこかの小惑星に探査機を飛ばしているのだって、
興味以外の理由は無いはずだ。
宇宙望遠鏡がいくつも飛んでいるのだって興味でだ。

そんなわけで「ブローディガン 東京日記」という本があった。
文庫本で¥1300だった。
値段で興味を失った。
文庫本ってこんなに高かったっけ?
しかも訳本だから英語で読みたいと思った。
帰ってからアマゾンで元本の英語版を探した。
あった、けど
¥6300もした。
値段で興味を失った。




Love

どうにも直観的に理解できない言葉だと思う。(日本人だから)

学生の時の友達がアメリカに行って(帰って、か?)しまってから
手紙を頻繁にやりとりしていた。
しばらくしてから手紙の最後に「Love!」って書いてあった。
向こうも男だからね。
「これは何?」と聞いたら
「挨拶だ」と言っていた。
その意味はだんだんわかるようになったけれど、

例えば日本人の男友達に書いた手紙の最後に「愛」って書いたらどうだろう。
「何だこれは?!」と言うか、「ああ、そうかそうだったのか」
のどっちかだと思う。

今日、フェイスブックの書き込みにアメリカの友人から
「Kogawa Kazuo love you」と一行書いてあった。
もう10年以上メールフレンドをやっている人だけれど、
フェイスブックを見た(日本の)友人はこれをどう見るだろう。
「そうか、そういうことだったのか」
と思うだろうな。