のリビングルームはとても広くて、階段状に3部屋が一つの
リビングルームになっていた。
私はその真ん中の部屋のカウンター(部屋とは直角にある)の脇に
スツールを持ってきて、カウンターに肩肘をついている。
部屋は広い窓から太陽がまぶしく入っている。
部屋の1段下の所も明るく入っている。
私は何をするでもなく、スツールに座って
その景色を眺めている。
考えてみると私の夢に出てくる部屋はみな段差がある。
ドアを開けると一段下がった別の部屋があったり、
畳の部屋もわずかに段差があったりする。
なぜだろう?
私が生まれてから最初に過ごした家は三鷹にあった。
一軒家だったけれど、2間しかなかった。
それに台所とトイレがあった。
風呂は外に張り出した形であった。
玄関を出て左に風呂のドアがあった。
父などは家から裸で一度外に出て風呂に入ったように思う。
そとと言っても門があったので全くの外ではなかった。
その家には2間続きの縁側があった。
縁側の前には横長の庭があった。
庭には梅の木とビワの木とイチジクの木が植えられていた。
ビワには実がなったけれど食べたことはない。
イチジクはたくさん実がなったけれど、私は食べたことがない。
梅の木も実がなったけれど何かに使ったのか記憶にない。
父が酒を飲めたら梅酒にしていただろう。
その家は4歳から小学校5年までいた。
だから約7年住んだことになる。
でもその家が夢に出てきたことは無い。
そのあと大阪の高槻に半年くらいいたらしい。
その家は新築でとてもきれいな家だった。
そこの家も夢に出てきたことはない。
大阪からまた三鷹に戻って一軒家に住んだ。
新築の家だった。
部屋は4部屋あったけれど、2部屋はちょっと狭い部屋だった。
その家には小学校6年から大学を出て札幌に行くまで
住んでいた。
だから13年いたことになる。
その家は夢によく出てくる。
夢の中で時々夢なのか現実なのかわからなくなることがある。
その家は私にとってそういう家だ。
その後は、札幌の下宿とバードマンション、
バードマンションは夢に出てきて欲しいけど
夢で見たことは無い。下宿も無い。
その後は行徳のアパート、深川のアパート、
行徳も夢には出たことが無い。
深川の街は夢に出たことがあるけれどあのアパートは
夢に出てきたことは無い。
それから横浜の日限山の家だ。
2階建ての大きな家だった。
義理の父が建ててくれた家だった。
その家はほんとによく夢に出てくる。
その家の2階だ。
「あれはここは・・」と思う景色はほとんどその家だ。
子供も4歳くらいでそこにいる。
ずっと変わらず4歳くらいのままで、その夢の家にいる。
両方の両親もたいてい一緒にいる。
兄まで一緒にいることがある。
もう母もずっと昔に亡くなっているのに
そんなことは関係なく、夢の中では普通にふるまっている。
懐かしいとおもうことはない。
なぜならみんな普通にしているから。
だから、夢から覚めた時が辛い。
その後は都筑の小さなアパート、ワンルームだった。
そこにしばらく2人で住んでいた。
その部屋も夢に出てくることはない。
その後は同じ都筑区のマンション。
3部屋あった。
それに風呂とトイレがついていた。
そこに住んで2年くらいは周りにはビルも無く
見晴らしがいい部屋だった。
だけどすぐに前にマンションが建って景色は見えなくなった。
2匹の猫と人間が2人、多いときは4人で住んでいた。
22年くらいそこにいた。
都筑らしい町が夢に出てきたことは何度かあるけれど、
その家が夢に出てきたことは何度かある。
部屋が北海道とつながっている夢を見た。
部屋の外がスロープになっていて、そこを車で降りて行く、
するとカーブしていて、その先をずっと行くと函館の海に
なっていた。という夢をみたことがある。
その部屋から大学に行く夢も見た。
大学では単位が足りず、またテストも全くわからないという
夢を何度も見た。
その後が今の横須賀だ。
このマンションは南側の前が公園で緑がいっぱいだ。
北側は谷が見渡せてて海が見える。
この家は都筑に住んでいた時に夢に何度かでてきたように
思えてならない。
特に海が見える部屋は最初に来た時に既知感があった。
記憶の中の景色と重なった。
この家は夢によく出てくる。
と言ってもこのままでなく、向きが変わっていたり
階が変わっていたりする。
先の広いリビングの夢もこの家のデフォルメだとわかる。
この家のリビングは広い。
都筑のマンションの2部屋分くらいある。
その全面が公園に面している。
ここはまさに夢の家だ。
夢の中の家であり、
夢で見た家であり、
これからも夢で見るであろう家だ。