10/16/2026

高尾山

高尾山というのは小学校の5年くらいに行ったのが最初だ と思う。
一番最近は2020年頃みたいだ。
何度登ったかわからないくらい。
中学の時は、ああ中学の時は3回くらい登った。
そのうち1回は生物部の活動だった。
あと2回は確か下から走って頂上まで登った。
すごく元気だった。
でも高尾山ってどんな山だろう?と考えた時
山の形が浮かばない。
まあ、御岳山も同じだけど。
「高尾山行こう!」と言って友達と行ったけど、
せいぜい高尾山口駅くらいしか思い浮かんでいなかった
と思う。
まだ「箱根行こう!」の方が景色を浮かべることができる。
高尾山については確かキンシオでもやっていた。
八王子のあたりに行って町の人に聞いてもよくわからない。
なんかだいたいあの辺の山くらいにしかわからなかったと思う。

それでさっきGoogle Mapsで見てみた。
しかしやっぱりよくわからない。
一連の尾根の一部らしい。

この写真の真ん中の一番上が高尾山らしい。
生まれて初めて見た。

(笑)「超」

 この「かっこ笑い」というのが使われるようになったのは
記憶では1974年頃だと思う。
たぶんそれ以前に漫画や小説では使われていた。
もっと古いと思う。
しかし一般にこれを手紙などで使うようになったのは
1974年ころからだと思う。
1975年にこれを友人宛ての手紙で使ったら、
友人が「なんだよこの(笑)って」
と書いてきたのを覚えている。
つまり少なくとも我々の仲間関係ではこの年くらいが
最初だと思う。
小節などではもっと前からこれは使われていた。
しかし小説の中では登場人物が笑ったことを表現する
手法だったと思う。

例えば
彼は別れ際こう言った
「もう会うことないだろう」(笑)
後ろを振り向かず彼は去って行った。

みたいな表現だったと思う。
その表現を当時揶揄した文章も読んだことがある。
要するに不真面目だと言っていたように思う。

一方、これを面白いと思った人が手紙や文章でこれを
冗談の意味で使い始めた。
1975年よりも少し前からだと思う。
たぶん探せばどこかから出てくると思う。
今では
(笑)を単語登録した時に w で登録することが多いので
w が(笑)の意味になってしまい。
さらにそれを複数並べて wwwwww
としたことが草が生えているようだということで、
「草」が(笑)にとって代わり
嘲笑する意味で使われるようになった。

もう一つ「超」というのがある。
「超」(チョウ)
「ちょうかわいい」とか「ちょうはやい」とか
の使い方だけど、
たぶん一般的に広まったのは1985年以降のように思う。
電車の中などで耳に入るようになったのはその頃だ。
しかしこの「ちょう」は子供のころから使っていた。
たぶん1960年ころには既に使っていた。
もちろん本来の使い方ではなく、俗語としての
使い方でだ。
あれは漫画の影響のように思うけれど
定かではない。
ちょっと待て、
思い出したけど学校で使わないようにしましょう、
とか先生が言ってたように思う。
良くない言葉として。
1960年ころには俗語として「ちょう」を子供たちが
使っていたのは確かだと思う。
それが1980年頃からまた流行り出して
しかもアクセントが変わって
「チョーかわいくね?」みたいなアクセントになった。
昔は
「ちょう」「かわいいね」と二つの節だったように思う。

10/15/2026

三鷹オスカー

 三鷹駅南口を下りて(文字通り昔は階段だったロータリーの駅側、
正面の左側に階段があった)、そのまままっすぐ南に歩くと
右手に第九書房があり、そこを過ぎてすぐ右側に映画館があった。
三鷹オスカーと言ったらしい。
その名前は大学生くらいまでは覚えていたけれど、そのあと忘れていた。
今日それを思い出したのは昔見た映画の予告編をYouTubeで
見たからだ。
その映画は「美女と液体人間」と言った。

1958年だったらしい。兄と二人でその映画館で映画を観た。
かなり鮮明にその映画は覚えている。
「日露海戦」という映画だったと思う。
あるいは「日露戦争」だったかもしれない。
子供ながらにその船のシーンは模型で撮っているとすぐわかるくらいだった。
その映画は無事に日本勝利で終わるわけだけれど、
その前か、後かに次回上映の映画の予告編をやった。
それがその「美女と液体人間」だった。
まだ子供だったから「美女」の方はなんとも思わなかったけれど、
「液体人間」というのが怖かった。
私は下を向いてみないようにしていた。
だからその映画のタイトルは「液体人間」だとずっと思ってた。
しかしさっき見たら「美女と液体人間」だったようだ。
予告編ではそれなりに露出シーンがあったようだ。
だけど私はそれも見ていない。
とにかく怖かった。
中学くらいまでトラウマになっていた。

英語版のその映画が全編みることができる。
それをちょっと見てみると、
ああ、見てしまったら怖かったろうな、と思う。
考えてみると「ターミネーター2」の液体金属人間は
これにヒントを得ているのではないかと思う。1958年だ。
液体になって下水に逃げるシーンもあったようだ。


三鷹オスカーは映画館の入り口の隣に楽器屋があった。
「ノザキ楽器店」だ。
楽器店だけれど店頭ではレコードを売っていた。
そこでマーティーロビンスのレコードを買った。
同じノザキ楽器店の吉祥寺店でアルバイトをしていた。
こっちもレコード販売が主で、2階で楽器を売っていた。
店長が高橋さんと言ったと思う。女性の川奈さんと言う人
がいた。女性があと二人いた。
アルバイトが私の他もう一人。
2階で楽器を担当していたのは思い出せないけど、
宮地さんと言ったように思う。
よく思い出したな。
50年以上前のことだ。
三鷹の方の店長の名前が出てこない。
あんまり好きな感じじゃなかったから忘れたのかも。

10/14/2026

ネオンライト

 いつだったか、まだ私が札幌にいた頃だと思うけれど、
何かの件で藤沢だったかに行ってその帰りに
東京の友達の家に何人かで行って泊まったことがあった。
あれはなぜ行ったのか思い出せない。
ワンルームのきれいな部屋だった。
たぶんバンド(その時はもう活動していなかった)の関係か
たまたま私が札幌から帰っていたので誘ってくれたのか。
女性2人と男2人だったと思う。
ほとんど寝ずに夜を明かしたと思う。
そこで友達がレコードをいろいろかけてくれた。
そのレコードの中にクラフト・ワークがあった。
クラフト・ワークはその時初めて聞いた。
その中のネオンライトと言う曲がとても良かった。
その友達の家の窓から街の明かりが見えてきれいだった。

それがすごく印象に残ったので、札幌に帰ってから
そのレコードを買ってずっと聞いていた。
東京に戻ってからクラフト・ワークのライブにも行った。
あれは中野サンプラザだった。
おかしなコンサートだったけど知ってる曲ばかりで
楽しめた。

その「ネオンライト」は今聞くとあの時いた
友達の家を思い出す。
それと札幌のアパートから夜によく行った
ジャンプ台のあたりから見えた札幌の街の灯りを思い出す。
その二つが一緒になって
とても懐かしい。
ちょっと怖くて、ちょっとさみしい
友達と仲良かった頃を思い出す


渋谷1974

 

1974年の渋谷のハチ公前の写真というのがあった。
なんというかこれはあの時だろう?と思ってしまう。
例えば右の端にいるのは自分と友達のように思える。
そんなことはないのだろうけど、そう思いたい。
右手に交番があった。
ちょうどその前にいた。
学生の頃中の良かった友達とそこで別れた。

それっきり会っていない。
会いたいとは思ったけれど、
向こうも忙しそうだった。
込み入った話も聞いていたから。
また会おうとは言えなかった。

ずっと後になって、電話で話した時があった。
その時は田舎に帰ってお母さんと暮らしていた。
私は声を聞いて少し安心した。
精神的に不安定になっていると聞いていたから。

それからまた膨大な時間が過ぎてしまった。
周りの友達は皆行ってしまっている。
だから時々思い出す。
1974年というのはそういう年だった。



10/11/2026

10歳の時に記憶したメロディー

 このところずっと見ているOne Step Beyondだけれど、
期せずして子供の頃の記憶がよみがえった。
ストーリーは全く覚えていなかったし、どういう話だった
のかも覚えていなかった。ただエピソードの中で
幽霊の子供が「マーマー マーマー マママママーマー」
と歌うように母を呼ぶ声を覚えていた。
これにはメロディーがあった。
ただ単に平たんに言っているだけじゃなかった。
今日、ドラマを見ていて話がそこに至る前に
その声とメロディーを思い出した。
このエピソードはその後一度も見ていない。
だからあれは10歳の時の記憶だ。




Alex North's 2001

 知らなかったのだけれど、キューブリックはAlex Northと言う人に
2001のサウンドトラックの作曲を依頼していたそうだ。
それは実際には使われなかったので当人は怒ったらしい。
その人の曲はCDになっているそうだ。
YouTubeで聞くことができる。
これを聴いてみたけれど、映画音楽だ。
リゲッティやシュトラウスの音を聴いてしまった今では
ひどく安っぽい映画音楽に聞こえてしまう。
だけど、これが他の映画で使われたとしても
全く違和感なく聞いてしまうと思う。
ちゃんとした映画音楽だから。

ちょっと気になったのはストラヴィンスキーの「春の祭典」あるいは
「火の鳥」に出てきたフレーズに似たフレーズが出てきていることだ。
なんでわざわざ似せているんだろう?
ひょっとするとキューブリックが彼に
「ストラヴィンスキーのような普通のクラシックじゃない曲を・・・」
とか言ったのだろうか?
リゲッティーは普通のクラシックじゃないから、
そういうことを言っていてもおかしくはないと思う。
だけどリヒャルト・シュトラウスもヨハン・シュトラウスも
普通のクラシックだ。
(なんでどっちもシュトラウスなんだ?)
しかしツァラトゥストラはあまりにもシーンに合いすぎて
いるように思える。
ドナウの方は曲の時間から選んだのかなあ?
それにしても映像にピッタリだ。こっちは今となっては
これ以外考えられないくらいだ。

まあ、映画音楽じゃなくて良かった。と思う。






10/09/2026

硤合反応

硤合反応という漢字を見て、
これはキレート反応みたいなものか?
と思ってしまった。
 挟むという字に似てるでしょう?
でも先生の名前だった。

この反応というか鏡像体と言う話は中学の時に聞いた。
あれは「科学教室」とかいう東京都がやっていた
各学校から中学生を選出して小平の学校で皆一緒に
学校では習わないことを習うというものだった。
私はそれが面白そうだったので、先生が選出する前に
自分であれに行きたいと希望した。
その時先生は「あれは、お前、成績がすごくいい生徒が行くものだぞ」
と言った。橋本先生と言った。
皆にあまり好かれていない先生だった。
でも先生は私を選出候補に選んでくれた。
それで行くことになった。

確かにそこでやってることはまだ学校で習っていないこととか
があった。何かの公式で黒板に書かれた数式は全くわからなかった。
それでも意味だけはわかった。
その教室だったと思うのだけど、
味の素はどうやって生まれたか?
という話があった。
なぜかよく覚えている。
味の素を作った人は昆布を何トンも煮詰めて
そこから「味」の元となる物質を抽出した。
それがL-グルタミン酸ナトリウムだった。
その人はその物質を合成しようと思った。
こうすればできるはずだという反応を考えて
それでグルタミン酸ナトリウムを作った。
しかしそれは全く美味しくなかった。
調べてみると光学鏡像体が同数混ざりあっていることがわかった。
L型とD型が半分ずつ混ざっていて、
L型はおいしいがD型はおいしくない。
それらを分離することができなかった。
ところが生物が作り出す物質は全てL型になっている。
そこでその人は微生物を利用してこの混合物から
L型だけを取り出すことに成功した。
だから最初の「味の素」は微生物の助けをかりて作っていた。

という話なのだけど、今回の硤合反応はその混合物のうちの
片方の物質をほんの少し触媒として加えると、反応はその触媒と
同じ型のものを多く生成し始め、その生成された物質がまた
触媒としてそっちの方向に反応を進め、結果として非常に純度の高い
物質を生成できる。

というものだと思う。
正確に何の物質についてかは知らないけれど、
そういう感じだと思う。

なんと硤合先生は私と同い年だ。
























10/07/2026

シャルル・ミュンシュ

 そういえばいたよね指揮者の「ミュンシュ」
と思ったのだけど、Charles Munch と言う名前を見て
なんか違うなぁ。という思いがした。
「ミュンシュ」はいいけどチャールズじゃない。
あの人は何ミュンシュと言っただろう?
とずっと考えていた。
昔の音楽雑誌などを思い出していた。
そうだ「サルル・ミュンシュ」だと思いいたった。
絶対にこう言っていた。
ベルリオーズの幻想交響曲なんかこの人以外に考えられなかった。
ところが「サルル」では検索に出てこない。
出てきたのは「シャルル」だ。
とそこでやっとわかったのはCharlesの読み方だ!
そうかチャールズさんだったんだ!
とやっとわかった。
だけど記憶にある70年代のFM放送なんかでは
絶対「サルル」と言っていたと思う。
しかも「サルル・ミュンヒュ」と誰か言っていた
とさえ思う。
明日古い音楽雑誌を調べてみよう。



500年前

 現代から500年前にもどるというショートムービーが流行っているようだ。
たまたまそのうちの1本を見た。
青年が現代の車(BMWか何か)に乗ってドライブしているうちに
500年前の世界に入り込んでしまうというもの。
当然当時の人は驚くけれど、そんなに大騒ぎはしない。
城内の大将は町の発明家を呼ぶ。
発明家と青年はすぐに仲良くなる。
お互いの技術を教えあう。
そのうち戦争が起き、発明家は青年を車が隠されている場所に
案内し、青年は城から車で逃げだす。
発明家は馬で彼を追い、青年が去ったことを確認する。
その後も発明家は何年も何年も彼が去った場所に行ってみる。
すっかり歳をとるが、彼が帰ってくることは無かった。

というなんでもない話なのだけど、とても良かった。
他の同じような動画をいくつか見たけれど、この動画が一番良かった。
エキセントリックなことは起きず、話は淡々と進んでいる。
Aiかもしれないが、特に青年がいい感じだ。
それと発明家もそれらしく好感が持てた。
ああいう体験なら青年役でも年取った発明家役でもどっちでもいいから
やりたい。




10/06/2026

皆忘れてほしい

 もう私のことを知ってる人も残り少なくなっていると思うけれど、
小学校、中学校、高校、大学、社会人1年目、社会人6年目、
社会人8年目、社会人9年目、それからその後もずっと
私を知ってる人は私のことは忘れて欲しい。
何を言ったのか、何をしたのか、何をしなかったのか
全て忘れて欲しい。

夢が辛いんだ
昔の嫌な自分が出てくる
いや、そうではなく
昔の嫌な自分を知ってる人たちが出てくるんだ
湯面も中の自分は今の自分
だから、昔の自分がどんなだったかを知ってる
その頃の自分がいた世界が再現される
それは辛い
自分のことを皆知っている世界にいる
私は申し訳ないし
皆その頃の私を知ってるから
皆が成功していても
私はそうじゃない
そんな中で言葉を探し、
皆のことを伺いながら何かしようとしている
何もできない
できるようなふりをしているけれど
何もできない
夢っていうのは、もっと楽しいものじゃないのか?
なぜいつも責めるような夢なんだ?
夢の途中で嫌になって目が覚める
タブレットを点けて、画面を見る
何を見るでもなしに
流れてくる画面を見ている
そのうちいつの間にか眠ってしまう
そしてまた無間地獄に陥る
朝までそんなことをしている


10/05/2026

1915年11月14日の奇跡

 またOne step beyondの話だけれど、気になったので調べてみた。
それは1915年11月14日の22時30分に起きた奇跡のことだ。

フランス軍の兵士4人が戦闘中に空にまぶしい光が現れ、
その光を見て戦闘意欲を無くし武器を捨てて基地に戻ってしまった。
彼らは脱走兵として死刑宣告を受けた。
彼らはみな戦争中なのにそれとは関係ないシーンを見て戦争が
嫌になって基地に戻ってしまったのだった。
その光は同時刻にフランドル地方でイギリスの自動車部隊にも目撃され
また東プロイセンのロシア人歩哨によって報告された。
あるいはイタリア歩兵中隊の作戦行動を中断させた。
またイギリスの海峡上空を飛行していた連合軍の偵察機に
よっても発見された。
同じ時刻に1000人以上の目撃が報告されている。

というものだけど、これは本当だったら面白いと思って、
この日付時刻 November 14, 1915 22:30 で検索してみた。
すると何件かヒットした。
しかしいずれもこのドラマOne step beyondを見た人の話で
同じようにこの話は事実だろうか?と疑問を持った人達だった。
その大元の事実を述べている人はいなかった。
これは単に当時の出来事をネットから見える形で載せていない、
ということかもしれないけれど、
恐らく創作だろうな。
関連するとしたら1915年のクリスマスに例のクリスマスの奇跡
が起きていて、これは事実だから。
それにインスピレーションを得て使った話だろう。