今日は香港に行く妻を成田に送って行った帰りに
浦安の兄の所に寄った。
まあ、お互い頻繁には会っていないのでたまに会うと
老けたなと感じるのだけど、
それも最初だけで話をしているとそんなことはどうでもよくなって
昔通りの兄がいた。
それで昔、子供の頃の記憶をお互いに出し合って話したのだけど、
共通して覚えていることと、どちらかが記憶しているけれど
どちらかは全く覚えていないことがある。
共通して覚えていることは、父によく日本橋の三越に連れて行って
もらい、帰りは東京駅からトレーラーバスで吉祥寺まで帰ってきたこと。
これは私も覚えていたけれど、どこへ行った時かは覚えていなかった。
三鷹の街で家の近くに歯医者があったことは私は全く覚えていなかった。
ああ、そうだ近所の兄の同級生の鈴木幹夫さんが最近亡くなったそうだ。
街のことは兄の方がよく覚えていた。
でも細かい所は私の方が覚えていた。
例えば近所の広場や学校の校庭にスクリーンを立てて
映画観賞会をやったのは兄も私も覚えていた。
しかし何の映画だったかは兄は覚えていなかった。
学校でやったのは「我は海の子」、広場の方でやったのは
「しいのみ学園」と「つづり方教室」だった。
他にもやったと思うけれど、私はそれしか覚えていない。
今はジブリになっている日産厚生園とか三和グランドとかは
私も覚えていた。
・・・・・・・
大阪のこと。
私は小学校5年の4月から、5年生の終わりまで高槻にいた、
と思っていたけれど、兄によると私が小学校5年の夏に行って
5年生の終わりに三鷹に戻ったそうだ。
そういわれるとそうだと思い出した。
半年しかいなかった。しかし記憶の中では1年くらいの長さだ。
家の前の国道を戦車が時々通ったこと、
家の前の空き地で花火をやって傍の材木屋に怒られたこと、
駅に行くまでに母が好きだったたこ焼き屋があったこと、
中学校と私が行っていた小学校の分校は同じ敷地にあって
脇に堀があってカメがたくさんいたこと、など。
私は西は淀川の土手から南は枚方まで自転車で行ったことが
あったけれど、兄はほとんど遠くには行かなかったこと。
北側の山によく登ったこと。
一度漆で兄がひどくかぶれたことを、兄は全く覚えていなかった。
私は手が少しかぶれただけだったけれど、兄は全身にかぶれが出た。
その時は母も焦っていたのを覚えている。
家の風呂場に蛇が出て、それを私が塵取りで外に逃がしたこと。
これは二人ともよく覚えていた。
家に来ていた叔父がたばこの火で座布団を燃やし
私の父母に怒られていたことは、私は覚えていたけれど
兄は知らなかった。
引越しした日に頼んだ蕎麦のタレがものすごくしょっぱくて
そのままでは食べれなかったこと、は二人とも覚えていた。
ちょっと兄の記憶が変なところは、高槻の家があった場所、
兄は実際よりも駅の近くだと思っていて、「もうすっかり
変わっていて、行ったけどわからなかった」と言っていた。
兄は家の場所を数百メートル間違えている。
家があった場所はまだそのままあるし、家自体は2階家に
変わっているけれど、雰囲気はそのままで今もある。
面白いことに、兄はその家の脇をもう少し行った3差路の
所まで行ったらしく、「その三叉路はまだある」と言っていた。
そこまで行ったならなぜ家の場所を見なかったのだろう?
いろいろ違いがあって面白い