4/28/2026

大腸検査再び

 自分で申し込んでおいて、近づくと憂鬱になる。
明々後日だ。
前回のポリープを発見してくれた病院に行く。
前回は「ポリープは在っても大丈夫です、癌にならない証拠です」
と言った病院があった。
それがほんとかどうかわからないけれど、
やっぱり無い方がいいだろう。
考えてみると70年以上、大腸は検査していなかったのだから、
ポリープの10個やそこらあってもおかしくなかった。
確か全部で15個くらいあった。
悪性ではなかったけれど、ほっといたらどうなったかわからない。

それより妻の方の血液検査が心配だ。
明後日検査結果が出る



会いたい人

 もう会うことはできないけれど会いたい人
当時のまま会ってみたい
女の子、女性はたくさんいるので除外しよう。

小学校5年の大阪、高槻の小学校の分校で
一緒だった東京から来た同学年の子。
彼とは一度も話したことが無かった。
でも顔を会すと必ず笑顔で挨拶した。
あの子の笑顔をもう一度見てみたい。

小学校6年の三鷹。
7小にいた一年下の学年の子。
話したのはたぶん一度っきりだった。
サッカーで同じチームになった時だ。
それ以外は親しく話すことも無かった。
でもいつもその子を見ていた。

同じく小学校6年の時の学習塾の1年上の男の子。
男の子というか先輩だったわけだけど、
ちゃんと話をしたことは無かった
でも顔を会せたら笑顔で挨拶した。
授業中でも隣の教室の彼と目が合って
手をふったりした。

高校の時は不思議といない。

大学1年の化学科。
同期の和泉って言ったかなぁ?
たまに会うと笑顔で挨拶した。
私より少し背が低いくらいだった。
彼も授業が終わると渋谷に行ったので
よく一緒になった。
もう1年の終わるころだったか
京王線で一緒になったので立ったまま隣のつり革につかまった。
何を話したか思い出せないけれど、
話すことが無くなってしばらくしたら
彼が私の左肩に頭を乗せてきた。
すぐに離れたけれど。
彼は今どうしているだろう?

少年時代の思い出はその頃までだ。
なぜ少年時代だったのか、
なぜ少年時代が終わったのかわからない。
今ではその時の気持ちを思い出すこともできない。

そこで思い出した。
もっと小さな頃だ。
三鷹のどこか。
友達の自転車の後ろに乗っていた。
家までの道の途中で雨が降り出した。
運転する友達の背中に顔をつけて
雨を防ごうとしたら、
彼のセーターのとてもいい匂いがした。
雨に濡れたセーターの匂い。
今でも濡れたセーターの匂いを嗅ぐと
そのシーンを思い出す。
…と書いていて思った、
あれはコーちゃんだったんだ!
確かコウイチっていう名前だった。
2軒となりの私の兄の友達のお兄さんだった。
たぶんそうだ。
だから私より2,3歳年上だった。
コーちゃんの笑顔はちょっとはにかんだような笑顔だった。
コーちゃんはほどなくプールで溺死してしまった。
あのコーちゃんにもう一度会ってみたい。
どんな子だったのだろう。



4/25/2026

みんな夢だった

 ずっと前のことから思い出してみると
全ては現実には無かったことのように思えてくる
自分のやったバカな行いとか
夢とわかっていてやったことのように思える
現実がどうだとか思わなかった
たぶん始まりは小学校の6年の時
あの頃から全ては現実ではないと思っていた
友達にひどいことを言ったりしても
夢の中だから平気だと思っていた

大人になってもそうだった
どんなにひどいことがあっても
どんなにつらいことがあっても
そのうちこの夢はさめる
と思っていた
そしてそのまま夢の世界にいた

ああ、どうしよう!?大変だ!
ということがあっても
そのうち夢はさめる、
と思っていた
みんな私の夢につきあっていた

現実の
リアルな自分はどこにいるんだろう?
もう親しかった友人たちも去ってしまい
わずかに残った友人も疎遠だ
だから世の中の99.99999999パーセントの人は
私のことを知らない
たぶん存在していない
SNSの反応はあれは幻覚だ
誰も私を知らない
それはそれでいいかもしれない
謝らなければいけない人たちも
たぶんもう居ない
今の私は夢の中のほんのわずかな形跡だ
自分の歳のことを考えると
その形跡ももうすぐ消えるだろう

夢をもう一度見れるとしたら
大学2年の頃のあのバカな夢をもう一度見たい

4/24/2026

太宰治との共通点

 まずダメ人間なこと
ダメさ加減は同じくらいだと思う
三鷹に住んでいたこと
背がわりかし高かったこと
靴のサイズが同じこと
追記:歯が悪いとこ
   三鷹電車庫の陸橋によく行ったこと

違うところ
向こうは文章の才能があること


日仏会館のこと

 思い出したので書いておこう。
お茶の水駅からかえで通りを水道橋の方に上って行くと
右側に日仏会館があった。
ここでは定期的にグレースコンサートが行われていた。
私がそれを知った時は既に札幌にいたので行けなかった。
でも一度だけ仕事で行った時があった。
JBLとアルテックの大きなスピーカーがステージに置いてあり
ほどほどの音量でレコードを再生していた。
カートリッジ、トーンアームはもちろんグレース製だった。
確かレコードやカートリッジの鳴き比べなどをしていた。
ホールの中の様子をわずかに覚えている。

ベースギターを買ったこと

もう数か月前のことだけど、、

 これまではベースを入れようと思ったらエレキにシフターをつけて
やっていた。Berigerのシフターがベースの音に近かったから。
そのシフターが10年以上使って壊れた。シフトが勝手に変わってしまう。
中を開けてデジタルロータリースイッチを調べたけれどわからない。

それでBOSSの同じようなシフターを買った。
しかし音がデジタルだ。
ベースのあのやわらかい感じが出ない。
いろいろ調整したけどだめ。
それで意を決してベースギターを買うことにした。
尺骨神経麻痺のせいで左手の握力が無いので普通のエレキベースは
押さえられないことがわかった。
それでショートスケールはどうだろう?と試したら何とか弾ける。
それで一番安いショートスケールのベースを買った。

しかし、そこからが問題だった。
エレキにシフターでやってた時はギターなので音の位置が
勘でわかった。
ベースはギターの下の4本だけだからわかるだろう、と思っていたが
「ギターの下の4本」というのが感覚でわからない。
なぜだろう?
弦の太さか?ネックに対する弦の位置か?
どっちかだと思うけれど、音が拾えるのは6弦だけだ。
後は考えないとわからない。
高いフレットの方に行くともうギターのようには音を拾えない。
そこでギターに持ち替えて音を拾ってみると感覚で拾える。
だけどベースギターに持ち替えるとだめだ。

これは困った。
けれど面白い。
なぜこうなるのか?
とりあえず慣れるしかない。








4/19/2026

同じ靴を二足買った

 これはほんとに覚えていなかった。
ちょっと前のことだけど、新しい靴を買った。
底がゴツゴツしていて山道に良さそうな靴。
約1万円。
高いなと思ったけれど、一つ上のサイズを買った。
ちょっと緩いけれど歩きやすい。
ひもを短く結べば問題無い。
結構気に入って履いている。

それで、先日靴の防水剤を探して下駄箱を開いたら
同じ靴があった。

これには驚いた。
それを買った記憶が全く無かった。
同じ色同じ形同じメーカーだ。
どうしてだろう?
わからない。

その同じ靴はサイズが自分の元のサイズだ。
それで思い出した。
それを買って履いたけれど山歩きにはちょっときつい。
それで履かなくなっていた。
たぶん1年くらい前。
それっきり忘れていた。

それでも、下駄箱を開けた時の驚きはちょっとしたものだった。
「え!何!」
「いよいよ来たか!」
と思った。

4/17/2026

ウイルス警告表示を消そう!

忘れるからここにメモしておこうと思う。 

なんか久しぶりにウイルス警告が出た。
しかもしつこい!
何度消しても出てくる。
表示された原因は明らかだ。
フェイスブックのリンクだ。

何をしても消えないので、しょうがないから
ウイルスバスターのソフトを買おうかな?とも思った。
しかしこれは消えるだろうと思って方法を考えた。

検索すると、まともな方法は、
  表示されている画面(小window)のXボタンは押さずに
  表示をすべて消して、「設定」→「プライバシー」→
  「クッキーの削除」
をしろと書いてある。
しかしそのxを押さずに消すことができないから困ってる。
タスクマネージャーからも消せない。
Windows10の時は確かできたのに。

方法はこうだ!
1.ブラウザーの閲覧履歴をクリアーしておく。
2.ブラウザーのクッキーの削除の画面を開いておく。
  その間にもウイルス警告画面はどんどん出てくる。
  気にしない。
3.小windowの警告画面のxを押しまくって一度画面から
  全部消えるのを待つ。
4.全部消えたところで先のクッキー削除を押す。

これで出てこなくなった。





4/15/2026

克美しげる という人のこと

 エイトマンの歌以外は全く知らないのだけれど、
この名前は強く記憶に残っている。
というのも私が札幌の会社に赴任したのが1975年の4月、
克美しげるが女性を殺めて羽田から札幌に来たのが
同年の5月だった。
それで会社のパートのおばちゃんたちはその話題でもちきりだった。
私は全然知らないのでその話題には入っていけなかったけれど、
毎日のように克美しげるのことをテレビやラジオで言っていたので
この名前を聞くとその時に戻ってしまう。
彼は75歳で亡くなったそうだ。
今の私とほぼ同じだ。
彼も女性を殺めたりせずに奥さんと話をしたらよかったのに
と思うけれど、その時の彼の心境はよくわかる。
自分を維持するためになんとかしなくてはと思ったのだろう。
一度落ち着いて話ができたらよかったのにと思う

頻繁に起きる偶然について

 前にも書いたけどこっちでテーブルで話をしている話題が
スマホのコマーシャルテロップで出てくるとか。
車の中で話した話題がフェイスブックのコマーシャルで出てくる
とかかなりの頻度で起きる。
最近ではもう私のスマホが聞いた話題をどこかに送信しているのだ
ろうと確信めいてきた。

今日の偶然はちょっと違った。
・・・いやいや、同じかもしれない
スマホが近くにあったから。

今日キッチンで昼ご飯を作りながらふと浮かんだメロディーが
小学校6年の時に合奏でやった「ハイケンスのセレナーデ」
だった。ずっとそれをハミングしていた。
そして夕ご飯も終えてフェイスブックを見ていたら
この動画が流れてきた。

この曲は昭和初期のラジオ番組でよく流れていた曲で、
私もそのラジオ放送は知らなかった。
学校の音楽の時間で初めて知った曲だった。
そんなに有名な曲でもないように思う。
それがなぜわざわざこんなCM動画として、しかも同日に
出てくるのだろう?

ほんとにスマホは聞いてるかもしれない。
それは私が知らないだけで世の中では普通に行われていることなの
だろう。きっと。

4/13/2026

結局意味のあった仕事は

 最初からずっと電気、電子、コンピュータ関連の仕事をしてきて
それらは思い出すと何の成果も出していなかった。
迷惑ばかりかけていた。
あんまり思い出したくない。
そういう関係の仕事は日本の工場が中国に移ってしまって
全く無くなってしまったので、ほかのことをしなくてはいけなかった。
その時に前社長の神津さんのアイデアで「ビデオテープをDVDにしてみたら?」
という案を進めることにした。
その頃はたぶんそういうDVD化のダビング屋は最初か、あるいは
3本の指に入るくらいだったと思う。
インターネット上にも無かったから。
それのホームページを作ってインターネットに載せたら
かなり反響があった。
それに実店舗でやっていたので直接来るお客さんも多かった。
2年くらいは競合も無く売り上げもかなりあった。
機材もビデオデッキとDVDデッキを5セットくらい用意しただけだった。
パソコンでDVDを作ることは考えていなかった。
圧倒的にDVDデッキで作った方が早かったから。

そういう仕事を結局ずっとやってきた。
昨日?お葬式のDVDのことを書いて思ったのは、
そういえば辻井先生のとこの「産声CD」をやっていたこと。
気が付かなかったけど、ゆりかごから墓場までをリアルにやっていた。
幼稚園の入学式や卒園式のDVDも毎年かなりの数を作っていた。
横浜市内、川崎市内、遠くは鹿児島の学校からも来た。
入学式、遠足、発表会、卒業式何千枚作ったかわからない。
結婚式もそうだ。
そしてお葬式だ。

もしもDVDを見た人が喜んでくれたなら
この仕事が一番意味があったと思う。
ほとんど誰にも迷惑はかけていないと思うから。
あとは、そうだな、自分のお葬式のDVDを誰か作ってくれるといいけど。

4/12/2026

お葬式のDVD

 前にも書いたけれど相変わらずお葬式用のDVDを作っている。
というか、葬儀屋から依頼が来る。
もう何枚作ったかわからない。
先日来たのはテレビによく出ていた結構有名な女性だった。
でも私は全く知らない。
写真が150枚もあった。
その一枚づつに修正や補正をかけて仕上げるのだけど、
疲れた。
一応写真40枚までを標準としているのだけど、
そんなことはお構いなしに来る。
今日の人も100枚を超えていた。
バックに著作権フリーの音楽を流すのだけど、
40枚を超えると何曲も入れないといけない。
それを選ぶのも面倒。
それよりも面倒なのは写真が年代順に整理されていないこと。
だからこっちで大体の年齢を推測して並べる。
完璧には行かない。
特に女性の場合はわかりにくい。
男は何となくわかる。
一番の問題は、その写真を編集しながら、
その人に人生にかかわらないといけないこと。
その人の子供時代から亡くなるまでの人生を追わないといけない。
だんだんその人を知っているような気分になる。
だから、最後に仕上がったものを確認のために
流して観ていると泣けてきてしまう。
だってその人自分より若かったりするから。
というよりそれが自分の番になるのもそんなに遠くないから、

そろそろこの仕事を断ろうかなと思う。
葬儀屋さんは困るかもしれない。
馬鹿みたいに安い金額で請けているんだもの。