9/26/2018

再びBillさんのこと

ビルさんが亡くなって3週間くらいたつのだろうか、いまだに信じられない。
というかまた彼からメールが来るような気がしてならない。
つまり来ないことが不思議だ。
「もしも手術の後、戻らなかったら妻が伝えてくれるから」
と言って出かけた手術の後はちゃんと戻ってきた。
そして、調子は悪いけどまた一緒に歌をやりたいと言っていた。
それなのに術後に悪くなるなんて。
いつかウィスコンシンまで会いに行くのが夢だった。
もっと早くにやっておくんだった。
本当に親しい人をなくした時は皆こんな感じなんだろうか。

9/25/2018

The Planets (Gustav Holst) by Isao Tommita

ホルストの「惑星」も高校生の頃よく聴いた。
もちろんその時はオーケストラの演奏だったけれど。
しかしそれよりも10年くらい前にテレビドラマの音楽として「惑星」は
使われていた。アメリカドラマの「月世界探検」(だったか「月世界旅行
だったか「宇宙探検」だったか、のどれか)のバックに惑星の音楽が使われていた
だから高校の時に初めて聞いたはずなのに全部の曲を知っていた。
そのドラマは記憶の中にしかないけれど先のとがったロケットで月まで飛んで行くシーンと月面を宇宙服を着て歩いているシーンを覚えている。
2001を最初に見た時にそのドラマのシーンとダブっているように思った。

ところで冨田さんの「惑星」だけれど、これももう数えきれないほど聴いた。
考えてみるとこの曲は50分を超える長さがあるのに、よくそう何度も聞いたな、と思う。
このレコードを聴くと冨田さんが天才的だということはもちろんだけれど、ホルストが
天才的だったと思う。
特に最後の海王星はすごいと思う。

冨田さんのは海王星の後にオルゴールで木星のメロディーが流れるけれど
その音はアパートの一人暮らしの部屋を思い出させる。

CLAIR DE LUNE (CLAUDE DEBUSSY)

前に書いただろうか?
書いたとしたら Au Clair de La Luneじゃないだろうか。
子供の歌だけど最後は大人の歌になってしまうやつ。
あれはいいのか?子供の歌で。。

今日書こうと思ったのは、ドビュッシーの「月の光」のこと。
ピアノの曲なのだけど、たぶん最初に聴いたのは高校生の時。
「ベルガマスク組曲」の中の曲だけれど、あんまり印象に残らなかった。
弦楽や管弦楽の曲が好きだったのでピアノの曲はあまり聞かなかったのかもしれない。

そのまま大学に行き、就職したのがオーディオ関連の会社だったので札幌の電気屋、その頃は電気屋にはよく通った。当時の電気店のメインはオーディオと家電だった。たいていの大型電気店のオーディオのスペースはかなり広かった。
(そういえばパソコンもゲームも携帯も無かった)
ある時すごく気になる音楽が流れていた。
その音がとても気になっていた。帰ってからもその音が耳に残っていた。
また別の日に同じ店に行ってしばらくいたけれどその音楽は流れなかった。
何度かその店に行った時にまたその音楽が聞こえた。

「ああ、これだ」と思って音のするスピーカーの所に行くとレコードが飾られていた。
「冨田勲・月の光」と帯に書いてあった。
そうかこの曲か、と思った。
当時はネットは無かったのでそのレコードについて知るにはオーディオ雑誌かレコード
そのものを買うしかなかった。
それでそのレコードを買った。

その音楽が全てシンセサイザーで作られていたことに驚いた。
と言うのも私は丁度そのころ自作のシンセサイザーを作っていたから。
自作はもちろんだけれど市販のシンセも当時はまだ単音だった。3つ~6つの和音を出せるものが出たのはもう少し後だった。
和音が出せるのはシンセではなく電子オルガンの部類だった。
電子オルガンは全ての音について1つずつ発音回路が並んでいたけれど、シンセは1つの音源で全ての音域の音を出していた。そのため1つの音を出すための回路はいくつかのブロックに別れた複雑な回路になっていた。(もちろんデジタル前のことだけれど)
だから3つの和音を出すにはその複雑な回路が3組必要だった。

そういうものだと思っていた。だから冨田さんのその音が全てシンセで作られているということが信じられないくらいの驚きだった。
いまでも初めてあの曲を聴いた時の感じを思い出すことができる。









9/24/2018

科捜研の女

テレビはほとんど観ないのだけど、午後のの時間に再放送しているのをつい観てしまう。
科捜研というのは化学の実験室に似ているように思う。白衣着てるし。
まあ、学校の実験室はあんなではないけれど、基本形は同じだろう。
つい観てしまうのは全員俳優っぽくないからかもしれない。あんなふざけた演技は無い。
特に沢口靖子は度を越えている。それがなにかはまってしまう。彼女は女性らしい恰好
よりもちょっとボーイッシュな格好の方が似合う。

あの手のドラマでは毎回誰かが死ぬわけだけれど、「科捜研」でもその後やっている「相棒」も毎回人が死ぬ。なにか人が死ぬことが当然のように人が死ぬ。
しかしよく考えてみると人が死ぬっていうことは、本人にとってはもちろんだけど
周りの人にとっても一生に一度の大きな出来事なはずだ。
昔の朝ドラでは戦争で主人公の夫が死ぬというのがすごく大きな出来事としてとらえられていた。

刑事もののドラマを見ているとその人が死ぬことが当然のように思ってしまう。
それで、ちょっと視点を変えて、殺された人の家族の気持ちになって観てみた。
限りなく涙が出てくる。
いやいや、本当ならこのセリフは無いだろう。ということがたくさんある。

今の世の中ニュースでは殺人事件だらけだ。
まるで刑事ドラマのように。

9/22/2018

昨日の夢

風邪をひいてしまったのでねてばかりいる。
昨日の夢はよく覚えている。

吉祥寺の井の頭公園入口あたりの曲がり角のような街の道路を、少し高くなったところから見下ろしている。
すすと下の歩道で様子がおかしい男が暴れている。よく見ると胸のあたりが
扉のようになっている。どうも人間ではなさそうだ。
高台から降りてその歩道まで行くとさっきまで暴れていた男が車道の脇に倒れている。
倒れているが動いている。胸の扉が開いていて中が空っぽだとわかる。
人々は遠巻きに見ているがだれもどうしようと思わない。
私はこれはおかしいと思い、警察に連絡しようと思う。
見るとすぐ後ろに交番がある。
なんで警官はこの騒ぎにきがつかないんだろう、と思う。
私は交番に行って「ちょっと来てください、おかしいんです」というと
警官が一人出てきて一緒に歩き始める。
私は息子と一緒にさっきの場所まで先を歩く。
(息子がいつから一緒にいたかわからない)
大勢の人が歩いていて、さっきの場所までなかなか行けない。
「ちょっと先に行ってます」と警官に言って、先を歩く。
ずいぶん歩いた。
道は下り坂になってずっと先は住宅街になっている。
「道を間違えた!」と言うと、その道を歩いていた主婦らしい人2人が
「そうねえ、ずいぶん来たわね」という。
私は息子と一緒に道を戻る。

よく考えてみるとさっきの場所は交番と目の鼻の先だったはずだ。
どこで間違えたのか理解できない。
だいたいさっきあるいていたのがどこだったのかもわからない。
息子は「俺は家でやらないといけないことがあるから帰りたい」と言う。
そうか、付き合わせてわるいことをした。と思う。
財布の中をみるとお金は十分ある。タクシーと電車で帰れるだろう。
息子を先にどこかの駅から帰るように言おうと思うと、
息子はスタスタと坂道を降りて行く、その先がカーブになっていて見えない。
急いでカーブの先まで行くと、息子は池に飛び込んでいる。
しかし、あまりきれいな池ではなく、黒い藻のようなものが浮かんでいる。
私は「上げって来いよ」と言うと汚れた水で体が汚れている。
しかも服を着たままだ。
池の脇で何かのトレーニングをしている一団がいる。
「すみません、シャワーを貸してもらえませんか?」と言うと、
「うちのクラブの方ですか?そうでないと使えません」という。
しかたがないので近くの民家にきいてみようと思い、
民家の玄関に行って声をかける。
だれも出てこない。
別の家に行く。
返事がない。
その時「ああこれは夢だ」と思い、もうやめよう。
と思ったとたん目が覚めた。

汚れた息子をそのままにして、すごい罪悪感が今だに有る。

9/16/2018

瀬谷の緑地

名前が無い!
何かつけといた方がいいと思うけどね。


Google Mapで見ると茶色だけどストリートビューで見ると草地だとわかる。
ここは一体何だろう? と思って行ってみることにした。
上野地図の赤丸のあたりのバス停に(瀬谷駅からの)バスが停まる。そこから地図の
距離計測の線に沿って歩いた。
ぐるっと回ってるのは入り口が無いからだ。
ところどころにこの看板がある。


南関東防衛軍だったらよかったのにと思った。そしたらこの下にモゲラが埋まってるのは
確かだから。
このものものしい看板を横目に回り込んでみると森に入った。けっこう深そうな森だった。(瀬谷市民の森と言うらしい)
その入り口に猫が一匹。こっちを見ていた。さらに森に入るとまた猫が一匹。
お腹を空かせていそうだったので、かがんで持っていたおにぎりを崩して手に乗せると
その猫がやってきて、食べた。へえ、ごはん食べるんだ、と思っていると体をすりすり
させてきたのでもう少しあげた。
そうしてると何か視線を感じたので周りを見ると猫が少なくとも6匹、こっちを見てる。
「あげるよ」と言っても近づいてこないのでちぎって投げてやると飛んできて食べた。
絶対にこっちにこない猫もいたので、そっちの方にも投げてやった。みんなよく食べていた。


おにぎりはお昼にどこかで食べようと思って駅のコンビニで3個買ったものだった。
その3個は結局ぜんぶあげてしまった。
後でわかったのだけど、この近所にはコンビニもお店も無かった。帰るまで何も食べずだった。



猫はそのくらいにして、途中に横道があったのを思い出して、あそこを行ってみようと思い少し戻った。




道があるくらいだからここは通ってもいいんだろうと思い、その道を歩いた。
ここも渡良瀬と同じで日陰がほとんどない。
でもかなり広々している。



緑地の中に乗り捨てられた車があった。
でも緑地全体は草に覆われてきれいだ。
この日も確か35度超えの日だったと思う。緑地だからと言って少しも涼しくない。
水は大き目の水筒に氷と一緒に入れて持ってきたので時々飲みながら歩いた。
この木陰の道を抜けると反対側の一般道に出るはずだった。
地図にはそういうふうに載っていたから。



だけど、小道を歩いて行くと向こうで農家の人がトラックターで畑を耕していてその手前に、「ここから先通行禁止」と書かれた柵があって通れない。
しかたがないので、横から行けるだろうと思って行くのだが道が無い。
そのままどんどん歩くと緑地を出て結局保土ヶ谷バイパスの下に出た。
バイパスに沿ってあるくと八王子街道に出るはずなので街道まで歩いた。
すこし行くとバス停があってベンチがあったので、そこに座ってバスを待つことにした。
バスが来て乗り込むと「南林間行き」だった。
ずいぶん遠くまで持って行かれた。

行きは横浜回り相鉄線だったけれど、帰りは町田回り小田急線だった。
ずいぶん歩いたけど気分は良かった。







9/15/2018

植草甚一

すごく年配のじいさんだという印象しかなかったけれど、
植草さんが亡くなったのは71歳だったらしい。
そうですか、あと2,3年だ。

そうですか、
もののべながおきさんは何歳だったんだろう?
ああ、もののべさんは80歳だったんだ。
私が最後に会ったのは70歳くらいだったんだろうな。

稲垣足穂さんは何歳だったんだろう?
と、76歳だったみたいだ。
稲垣さんは飛行願望があったんだ。(wiki)
一時稲垣さんの本を何冊も読んだことがあった。
何が面白かったのか思い出せない。

澁澤龍彥は?
なんと59歳だ。
若いな。

などと書いてると滅入るからやめよう。



9/14/2018

ドラゴンクエスト 遥かな旅路

だいたいドラゴンクエストというゲームを知らない。
それよりもゲームの類は全くやらない。
それで唐突ではあるけれど、ゲームの音楽っていうのはどうなんだろう?
と思って、いろいろ聞いてみた。
オーケストレーションされているものも多い。
もともと何もしらないから何から聞いていいかわからなかったけれど、
とりあえずFFだろうと、何曲か聞いてみた。
ゲーム本体から出る音はちょっと聞きずらいのでオーケストラのコンサートものを聴いてみた。

おそらく聴衆はFF1~十幾つまで戦ってきたつわもの達なのだろう。
こういうのはどこかで見たなと思い出すと、
これは映画音楽だ。と思った。
我々の時代にはサウンドトラックはほとんどオーケストラになっていた。
本当のサントラではなく他の楽団がカバーしたものが多かった。

おそらくそれぞれのシーンのテーマを聴くとゲームのシーンがよみがえるのだろう。
我々が映画音楽を聴いて映画のシーンを思い出したように。

あ、それでドラクエの「遥かな旅路」をやってみようと思った。


このBloggerのこと 2

少し前に書いたことが、
左寄りでもなく、右寄りでもなく、どちらでもない内容で書いたつもりだった
けれど、誰か(たぶん右の人)が変なリンクを張ってきたので、
しばらくの間アクセスできないようにしていた。

それで再開したら今のとこアクセス数が10分の1くらいになった。
つまり一桁。
それはそれで良かったと思う。

もともと誰かに読んでもらうつもりで始めたわけではないので、
私が死んだあとで子供たちが読んでくれたらいいと思う。

じゃあなぜオープンにしてるかというと、ここに書いているような
検索ではめったに出てこないような事柄を、ひょっとして誰かが検索して
「おう!」と思うことがあったら面白な、ということでオープンに
してる。だからGoogleで検索すれば後ろの方には出てくるはず。

昔、札幌の「バードマンション」に住んでた人が検索して、ここに来たら
おもしろいと思う。
理由はそれだけ。

コメントも感想も評価もいらない。

だけど毎回数人の人が読んでくれていることは確か。
表示されていないけど閲覧数に必ず何人かいるから。
うーーん、
ご苦労様です。


9/13/2018

Away

暇にしてるとどこかに行きたくなるのだけど、
いつも遠くに出かけると思うのは
「なんでここにいるんだろう?」ということ。
例えば空港について、ホテルにたどり着いてベッドに腰かけて
思うのは、「家に帰りたい」ということ。
それからずっとその気持ちがある。
次の日になって、「さあ、今日はどこに行ってみよう?」
とポンプアップするのだけど、気持ちのどこかに「帰ろうかな?」
という気持ちがある。
現地がよっぽどエキサイティングな場所だったら、それに浸ってしまうから
平気なのだけど、
札幌に帰った(行った)時などは、まず「あれ?なんでここに来たんだっけ?」
と思う。
旅行はまずその気分に打ち勝つことから始まる。

一番怖いのは旅行先の飛行機や災害で事故に遭った時には必ずこう思うはず。
「ああ、やっぱり家にいればよかった。
 家のソファーに横になってテレビ見てればよかった」と。
その時が怖い。
どこか遠くに行くときはあんまり考えないことにしているけれど。

いつからこんなふうになってしまったのかわからない。
バイクに乗っていた頃もむちゃくちゃやってたのに。
ハングに至っては死んでもおかしくないことを何度もやっていたのに、
今はなぜかアウェイが怖い。

9/10/2018

死んだ男の残したものは

別に好きな歌じゃないし、好きな詩人でもないのでどうでもいいのだけど、
なぜか最近YouTubeでよく見かけるような気がする。
それよりも気になるのはこの歌がベトナム戦争反対の歌だと書き込んでいる
人がいることだ。
この歌はベトナムの反戦歌ですか?
違うと思う。
どうもWikiの記事を上ずらだけ読んでいるようだ。
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死んだ男の残したものは」(しんだおとこののこしたものは)は、谷川俊太郎作詞武満徹作曲による無伴奏合唱のためのベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された日本反戦歌の1つである。[

とあるのだけど、「ベトナム戦争反対の歌」とは書かれていない。
あるいはベ平連で最初に歌われた歌だからそう思ったのだろうか?
この歌の内容からするとベトナムに限定されたものでないことはわかるはず。
どちらかと言うと「核戦争反対の歌」の方が近いと思う。

この歌は誰が最初に歌ったか、というのはwikiに書いてあるけれど、
だれが最初にレコードを出したのだろう?
と考えると、どうも高石ともやさんではないだろうか。
谷川俊太郎の詩集が出たのが1968年。
そのベ平連の集会が1965年。
高石ともやの「想い出の赤いヤッケ」のアルバムが1967年だ。
これ以前にこの歌をレコードで出した人はいないのではないだろうか。
私自身も1967年のこのアルバムで聴いた。そのあとはアマチュア以外では
この歌を聴いたことがない。
高石さんのこのアルバムは「想い出の赤いヤッケ」以外はすべて
社会派(ソシアルプロテストソング)の歌だ。(今、気が付いた)

想い出の赤いヤッケ
明日は知れない
白い傘
生きのこり
俺らの空は鉄板だ
かごの鳥ブルース
一人の手
冷たい雨
小さな箱
死んだ女の子
学校で何を習ったの
死んだ男の残したものは
チューインガム一つ

今だからおもうけれど、このアルバムはずいぶん多くのフォーク歌手に
影響を与えたのではないだろうか。



9/08/2018

野辺地フェリー埠頭 吹雪の深夜

写真を撮っていなかったろうか。と全部のネガを調べる気はしない。

どっちの方向にしろ冬の夜中の野辺地フェリー埠頭はだいたい吹雪いていた。
東京から走ると青森よりも野辺地の方が少し近い。
売店の側に車を停めて、車検証を持ってキップを買いに行く。
欠航の可能性があるようなことを書いた白板が立っている。
いつものことだから気にせず車に戻って、車を乗船場の近くに移動する。
だいたいこの辺だろうか、というあたりに車を停めて横になる。
外はガンガン吹雪いている。
真夜中だ。

*もう野辺地フェリーは無いらしい。何時無くなったのか知らない。
 記憶では真夜中に乗って朝に函館に着くということが多かったように思う。
 そうするとフェリーは夜中の1時くらいに野辺地を出たことになる。
 記憶が定かでないのでわからないけれど、そういう時間だったと思う。

船が出るまであと1時間以上待つことは普通だったように思う。
欠航になってショップの方でコーヒーを飲みながら時間を過ごしたこともあった。
それは函館の方だったかもしれない。

窓の外は吹雪。オレンジ色の照明だけが見える。
時々乗用車が列に並びにくるくらいで、少し遠くをトラックがやはり乗るために
やってくるのが見える。多くのトラックはもうずいぶん前からそこにいるように
思える。エンジンをかけたままひっそりしている。

船が無事出る時は出航少し前に誘導の係りの人が来て、こっちに並ぶようにと
指示をくれる。
乗船するほとんどは大型トラックだから乗用車は早めに降りられるように開閉ドア
の側から詰め込まれる。

車に乗ったままは禁止なので上の客室の方に移動する。
中にいて寝てもいのだけど、デッキで外を見ていることが多かった。
しばらくは遠くの方に街の灯りが見える。
それを見ていると酔うことは無い。














青森が見えなくなると仕方がないので客室に戻って横になる。
波が強いと転がりそうになるけれど、揺られているうちに眠ってしまう。
約4時間もすると港が近づき、ざわざわしてくるので目が覚める。
外はもう明るい。

この写真は野辺地側かもしれない。


着岸する前に車に乗り込んでエンジンをかけて、指示を待つ。
その時の感じが懐かしい。
着岸して大きな跳ね上がり式のドアーが降りる。
外のまぶしい光が入ってくる。
着岸すると係りの人が車の輪留めを次々と外して行く。
ゴトンゴトンと音がする。
先頭にいる係りの人が1台ずつ出るように指示する。
それに従ってフェリーを降りる。
地面の安定した感じがうれしい。

埠頭のショップで何か食べただろうか?
どうも思い出せない。
なんとなく朝は食べなかったような気がする。
しばらく走って、ドライブインで何か食べたと思う。

朝の、半分眠い、顔の前がもやもやした状態での運転の感じがなつかしい。
ああいうのはもう無いだろうな。
仕事で徹夜で運転した頃はまだあの感じがした。
特に運転しながら朝日が昇るときの、あの感じ。
あの感じは特別だ。

9/01/2018

Bill Clark

まだYouTubeでは誰もコラボなどやっていなかった。
9年前だ。
「弾き語り」というのは寂しすぎる。
だから誰かと一緒にやりたかった。
それで一人でやってる人を探した。
プロではなく、あまりに初心者でもなく、
それがBillさんだった。
勝手に彼のビデオをダウンロードして、それに合わせて自分の演奏を重ねた。
あんまりうまく行ったとは思えなかった。
でもその動画を非公開でYouTubeにアップしてBIllさんに知らせた。
全然知らない人だし、どう思われるかわからなかったから。
でも彼からの返信は思いもよらなかった。
すごく喜んでくれて、すぐに別の曲をやろうと言ってきた。
それからたくさんの曲を一緒にやってきた。
「一緒に」と言えるのかということだけれど、
どういう歌をやるか、キーは?誰が歌う?どこを歌う?
どんな風に歌う?とかを話しながらやってきたので
離れていても一緒に歌った感がある。
だから、いつも一緒にいたような気がする。

でも、Billさんが書いてくれるメールにすぐに返事ができない。
英語を読み返して、自分はどう書こうかを考えないといけないから。
日本語だったらすぐにでも返事ができるのに、英語だとなんで時間がかかるんだろう。
間違えても向こうはわかってくれるはず。
それがわかっていてても何度も書き直してしまう。
結局送らなかったり。
それでもBillさんは書いてくれる。

最後のメールは7月31日だ。
Hello Kogawa, sorry it’s been so long since I emailed. I did get your last email, and sorry for not responding.
I had to have another heart surgery, as the new aortic valve that they put in failed. I have been very weak with no energy. Tomorrow (Wednesday) they are giving me a feeding tube in my stomach because I am very low body nutrients. I am hoping this will help me build up my strength again.
I have been really enjoying listening to your songs you have uploaded. Great music tracks and your voice sounds wonderful.
I see the weather has been very hot for you in Japan this year. It has been here hot as well.
Are you still riding your bike everyday?
Thank you for sharing all your pictures...I sure enjoy seeing them.
Does the music studio you use to record, do they charge very much money? Sure looks like a nice studio.
Well, you take care of yourself. I sure miss making music with you. Maybe in a couple months I will be a little better and we can try something.
Best to all your family....
See you soon...your friend,
Bill
Sent from my iPad

Billさんは一番の友達だった。
でも僕はBillさんの良い友達だっただろうか。
ずっと考えている。

2018年9月1日ビルさんは行ってしまった。