7/30/2019

北海道大学

さっき札幌の古い写真をYouTubeで見ていて思い出したことがある。
あるけれど、もう書いただろうか?という疑問もある。
でも書こう。

北大の北先生という人がいた。
確か理工学関係の教授だったと思う。
その先生が札幌駅の隣のホテルで英会話サークルをやっていたので
何度か行ったことがある。
たぶん、その前に松本先生に北先生を紹介していただいたのだと思うけれど。

そのサークルで(確か)北大の大学院の人と知り合った。
その時は私よりも年上だった。
彼は物理科の大学院生だったと思う。
背が高くて、お兄さん的な感じだった。
その人の名前を忘れてしまったけれど、
北大の寮にいたので彼の部屋に行ったことがある。
恵迪寮だった。
ものすごくぼろい建物だった。
その前に電通大の寮にも行ったことがあった。
電通大の寮もきたなかったけれど、北大はその上をいっていた。
確か廊下の板が所々落ちて穴が開いていた。

その人がその英会話サークルのテーブルに座っている姿を
はっきりと思い出した。
なぜかはわからないけれど、
すこし笑って話をしている横顔だ。
なんで思い出したか? よりも
なんで今まで忘れていたのかが不思議だ。


7/28/2019

1999年から

今年は2019年だから1999年からちょうど20年目ということになる。
1999年にはみんなでどこかで会おう、と話をしたのがたぶん1979年か
1980年。
なんで覚えているかというと札幌を去って東京に戻ろうと思い始めていた時
だったから。
そうするとその話をしてから20年後が1999年だったわけだ。
今はその点対称か面対称かわからないけど、2000年を真ん中にして
反対側にいるわけだ。
20年後の夏休み。
だからどうしたというわけではないけれど、
じゃあ1980年からさらに10年戻ると1970年だ。
あの激動の1970年だ。
懐かしい1970年。
あれから始まったような気がする。
今からさらに10年未来は2029年。
もうわけがわからない年だ。
そこまでは行こうか。


7/19/2019

アニメ

息子と娘は喪に伏しているようだ。

私はアニメ(映画)はあまり見る事がないので、知らなかったけれど
あの会社は「神」のような存在だったようだ。
セオル号の時もそうだったけれど逃げ遅れた人のことを考えると辛い。
自分だったらと考えると思考が止まる。

映画は見ないけれど、コミックスはけっこう買って読んだ。
「アキラ」も良かった「化石の記憶」も良かった。
「電影少女」もよかった(まだコンビニで売られていて驚いた)。

あまり話題にならないようだけれど、不思議と覚えているシーンがある。
外薗昌也の「ラグナ年代記」の「青の時代」の最後のシーン。
きのこ人間のナサニエルが丘の上で空を見上げて「幸せか?」と
つぶやくシーンだ。
そこだけはっきり覚えている。



この「青の時代」というのは傑作だと思う。
ストーリーはまるで夢の論理でできている。
読んでいると懐かしさでなぜか泣けてくる。
いつか見た夢か、子供の頃に本当にあったことなのか。
主人公はこの少年ではなくキノコ人間なのもおもしろい。
少年が2人出てくるけれど、同じ少年であり、別な少年でもある。
最後のシーンのナサニエルの気持ちが痛いほどよくわかる。





くすんだ未来

風呂に入りながら考えてみた。
今というのは子供の頃の未来なのだろうか?

この風呂の蛇口だけれどひねればお湯が出て温度も変えられる。
シャワーにもなるし蛇口にもなる。
この機構だけみても昔の水道の蛇口からすればけっこう未来だ。
今は水垢ですこしくすんでいるけれど未来だ。

街に出れば地下鉄が地上を走っていて、駅の吹き抜けの構内の高いところを
地下鉄が走っているのが見える。
ガラス張りの向こうを地下鉄が走っている。
こんな駅は昔はあり得なかった。
これを昔の科学雑誌風の絵にしたら十分未来だと思う。
まあ、構内はピカピカに輝いているとは言えないけど。

車で走れば国道の遥か上を高速のインターチェンジが複雑に交差している。
その上をピカピカの流麗な形の車が走っている。
インターに入れば自分がその高い道路の上を走っている。
これも科学雑誌風に描けばもうもろに昔の未来の世界だ。

人々は手帳のような電話機を持ち、しかもそれはコンピュータを兼ねている。
カメラにもビデオカメラにもなる。
昔のスパイだって思いつかなかったと思う。

車はまだ空を飛んでいないけれど、飛行機は普通に空を飛び、
世界中どこへでも行ける。(・・・どこへでも?)

木造の小さな平屋の家は無くなって、戸建てはまるで昔夢見た
アメリカの家のようだ。
アパートも高層のきれいなマンションに(ま、英語ではapartmentだけど)
なって、街も遠くからみれば未来的だ。
中国の高層ビルにはかなわないけれど、日本は日本風でいい。

あ、そうだ何年か前に中国人の特派員が何かに書いていたけれど、
日本の田舎はどうしようもなく田舎だし、街も高層ビルはあまり多くなく
背の低いビルばかりだ。そういう街をわざわざ海外から見に来るというのは
おかしなことだ。中国のように高層ビルが立ち並ぶ見事な街や、
新幹線を追い越した中国の高速鉄道を見習った方がいい、
とかなんとか書いていた人がいた。

なんていうか非常に奢った意見だった。
日本が日本であるのには理由があるわけだし、これからも日本でありつづける。
高層ビルが立ち並ぶ街などには住みたくないし、やたら小ぎれいな街も
どうかと思う。今の日本のようにごちゃごちゃした街の方がきっと
住みやすいし、思い入れが違うように思う。

…何の話か忘れたけれど、
原子力飛行機は飛んでいないけれど、車も空を飛んではいないし、
人間も空中を歩いたりしていない。
そこら中にロボットが歩き回っていもいないし、
宇宙に宇宙ステーションがいくつも浮かんでいるわけでもない。
いやいや、ISSはかなり未来でしょう。あれは。

まあ、今はくすんでいるけれど、昔の未来であることは確かだ。











7/18/2019

来なかった夏

のことを覚えている。
あれはたぶん1978年頃。
今年と同じようにずっと天気が悪くて涼しかった。
私は友達と一緒に札幌から富山あたりまで走っていた。
ずっと涼しかったし、天気も悪かった。
カセットテープの音楽の間に入っていた野口五郎の「私鉄沿線」が何度も
流れていたのを覚えている。
だからその曲を聴くとその寒い夏のことを思い出す。
どこまで行って、どうやって帰ってきたのかよく覚えていない。
でもその年の雰囲気だけは覚えている。
そのころ札幌は夏と言っても暑いのは1週間くらいだった。
だから暑い夏が懐かしくて出かけたのに。

乗鞍に登った時かなあ?
いや、あの時は暑かった。
寒冷地仕様の車だったから途中でオーバーヒートして止まってしまった。
燃料パイプの途中でガソリンが途切れてしまったらしく、
パイプを抜いて口でガソリンを吸い出したりした。
それでエンジンがかかった。
2回くらいやった。
それからラジエターの前にあった鉄板を外して空気の流れを良くした。
それでなんとか帰ってきた。
後にも先にもあんなに車のエンジンをいじったのは初めてだ。

それで、寒い夏はその年じゃなかった。
ああ、HAWAII 78 って書いたT-シャツを着た写真があるから、
乗鞍は1979年か1980年だ。
だから寒かった夏はそれよりも前だ。

蒸し暑いのは好きじゃないけれど、
暑い夏は来てほしい。

暑い晴れた日に外に出て空を見たり、遠くの景色を見るのがいい。
遠くに入道雲。
蝉が鳴いていて、
適度な風が吹いていてほしい。

そうすると山の上で風を待っていた時を思い出す。
夏は風が良くない。
朝から夕方までまったりしていて。
だけど暑い日差しの下で風を待っているのはいい。
サーマル(上昇気流)が無いから出た人はみな上げることができず
そのままのんびり降りてゆく。
それでも風を待っている。
待って、待って、午後も遅くなると
下の空気がよどんでくる。
そのころ出るとなんとなく飛んでいられる。
アーベントと呼んでいた。
アーベントって何だ?
ドイツ語かな?
abend? 夕方?夜?かな? 適当
ああ、abend thermik なんだ。
グーグル翻訳でアーベント・サーマルと出るのが面白い。
なんでこんなスカイスポーツ用語がすぐに出るんだろう。

それがどうした?
ああ、寒い夏だよ。
寒い夏は飛べないだろうな。
同じ寒くても寒い秋とか寒い冬とか寒い春の方がまだ飛べる。
朝寒くて日が昇ってくるとサーマルが出るから。
春は荒れると言ってたけど、春はあまり飛んだことがない。
地面が泥だらけでぬかるんでたりするから行かなかった。

寒い夏は飛べない。
たぶん。
結論





7/13/2019

アポロ50周年

なんだそうだ。
どうりで最近NHKでアポロ関係やってるなと思った。
しかし当時その時何をしていたとか、何を覚えているかとか考えると
どうもあやしい。
1969年7月20日に月に降りたったらしい。
その年は年頭に東大の安田講堂だ。
しかも私は歯がだめになって日赤病院で4人がかりで手術を受けた年だ。
受験の直前だった。
受験もだめだった。歯のせいではないけれど。
だから1969年7月は予備校に行っていたはず。
正しく清く予備校で勉強していたかどうかはわからないけれど、
とにかく受験勉強のさなかだった。

テレビでその映像を見たような気もするけれど、
そのシーンはずっと後になって観たテレビのシーンのような気もする。
感動したかどうかもわからない。

まだJFK暗殺の時のテレビの方が覚えている。
それは1963年だったらしい。
またロバートケネディーは1968年だったけれど、そのテレビは覚えている。
アポロはその次の年だったみたいだ。
でも覚えていない。

ベルリンの壁についても同じことを書いたけれど、
アポロが月に降りたその時の時間に戻ってその時を体験したい。

7/12/2019

Sun rise と 旭日旗

 Tony Evansの写真集「Sun rise」を昔友達が送ってくれた。
イギリスの朝日をデザインしたいろいろなものを写真に撮っている。
こうしてみると単なる朝日のデザインなのだけれど、これを見ると大戦中の日本軍
を思い出すという人がいるらしい。しかし戦後だれもそんなことを言わなかった
のにいつだかのサッカーの試合中に旭日旗を振っていたかの国の人が問題に
なって以降騒ぎだしたような気もする。
大戦中に大変な思いをした人達がそう言っているのならそうなのだろう。
もしこのデザインがナチスの鉤十字と同じだとその人達が言っているのなら
そうなのだろう。
しかし戦争を経験もしていない人達が単に因縁をつけているという気もする。
日本軍の時代からずっとあの旗は軍艦旗として使われてきた。
それがなぜ今になって?という気がする。
どこかの国の絵画にこの朝日のマークがあるからという理由で展示の
取り下げを命じられたアーチストはいい迷惑だと思う。

それはそうと、このSun Riseの写真はイギリスの朝日のデザインを写したもの
だけれど、どこかの書評にもともと朝日のデザインは大英帝国をイメージ
したものだと書かれていた。
そういう意味ではこのデザインはもともと帝国のイメージなのかもしれない。
でもそれであれば日本の日の丸の方が日本帝国のイメージは強いのでは
ないだろうか。