7/27/2022

九州から電話

 今日、九州の友達から電話をもらった。
相手からかけてもらった電話で長電話をしてしまった。
長電話を終えて不思議な感覚に襲われた。

何度も書いているけれど佐賀の並川は札幌時代からの友達だった。
並川は四国と九州でくらしていて、最後は佐賀だった。
独特の話し方で少し訛りがあり、基本的に明るい。
そしてどんどん話しを進めてしまう。
並川はそんなだった。

さっき電話を終えて「あれ?今の芹沢さんだよね?」と考えてしまった。
それほど話し方がそっくりなのだ。
声も似ている。
並川は病気になってどこかの飲み屋から電話をくれたのが最後だった。
そのあとは電話がつながらず並川の友人から僕に連絡があった。
だからあの飲み屋からの電話が彼の声を聴いた最後だった。
そのあと何度も彼の声を聴きたいと思った。
何度も。

それでさっき九州から電話をもらった後で、
並川と話していたような気がしてならない。
なつかしい友達から電話をもらったような気がする。
こんなことを言うと芹沢さんには失礼かもしれないけれど、
芹沢さんはとても大事な友達だということを再認識した。

7/24/2022

また高熱

 7月20日に4回目のワクチンを打った。
それから4日経った今朝早朝、1時頃にひどい寒気に襲われた。
パジャマ厚手のものに替えて毛布をかぶって寝た。
寝たけれど寒さが収まらない。
これはおかしいと思い、体温計で計ってみると37度5分。
熱が出ている。
しばらく震えているうちに眠ってしまった。
次に目が覚めたのは暑さでだった。
体中が熱い。
体温計で計ると38度だった。
それが2時半頃。
それからさらに体温は上がり、3時半頃には最高で38度5分まで行った。
行ったところで眠ってしまった。
次に目が覚めたのが8時頃。
少し頭が痛い。
体温を測ると36度5分に戻っていた。
それからはずっと平熱で頭痛も無かった。
そこでやっと思い出した、2回目のワクチンの時もそうだった。

2回目のワクチンの時は摂取して5日の夜に高熱が出て
それが2日間続いた。
そして3日目からは平熱だった。

どうも私の場合、ワクチンの副反応は遅れて出るようだ。




7/23/2022

新しいsimカードだと

 若い人たちが神のように崇めているスマートフォンだけれど、
私は元々電話ができればいいと思っている。
・・・だけれど、表面のガラスが割れてついに触らなくても
アプリが動くようになってしまった。
いちいち消すのも面倒なので新しいのを買うことにした。
今まではショップに行って買い換えていたけれど、どうも
それは色々損をしていることに気が付いたので、ネットで
購入することにした。ちなみにymobile。

注文して2日目に届いたので古いスマホのsimカードとSDカード
を入れて電源を入れたら、何やら指示されるので、古いのと
新しいのをCタイぷのUSBでつないだら、何やら始まって
数分でデータが入れ替わった。面倒は一切無かった。


それで電話の送受信もネットも普通に使えるので使っていたら、
「6日以内に回線を切り替えてください」とメッセージが入った。
「なんだ?」と思ってほっといたら次の日にまた同じメッセージが
来た。
それで近くのショップに聞きに行ったら「切り替えてください」だと。
わかりました切り替えましょう! とそのまま指示通りに切り替えた。
「15分くらいかかることがあります」とか。
数分で「回線の切り替えが完了しました」とメッセージが入った。
そこで電話の送受信を確かめたら「現在使えません」と言われた。
固定からもかからない。
かなり焦っていろいろやってみたが駄目だった。

息子がこれを知ったら大笑いするに違いない。
古いsimが入ったままだった。
「おうそうじゃったそうじゃった!」と気が付いたのは20分後。
古いsimで動いていたのでもうそれは問題ないだろうと思い切っていた。
「あ、そうね、回線を切り替えたんだもんね」
と新しいsimをカードから切り離して入れ替えたら、問題なく動いた。

だけどこれは意外な盲点じゃないだろうか?
と、自己弁護。

新しいのはリベロ5Gとかいう一番安かったやつ。
でかくて重い。
リベロという名前は何代目かに乗った車がそうだった。
三菱リベロ。
アルミパイプでステーを組んでハンググライダーを積んで走っていた。
マニュアルだった。
いつだったか足をくじいてクラッチを踏むのが死ぬほど痛かった。
それでこれはオートマにしないとだめだと思い、別なのに買い換えた。
でもリベロはステーションンワゴンタイプ(ライトバン)タイプの
格好いい車だった。
結構好きな車だった。


小樽の町

先日札幌に行った時に、小樽にも行った。
小樽の今は運河沿いが賑わっている。
賑わっているといっても以前のようにたくさんの観光客で
あふれているということはないようだ。

そこは通り過ぎて港に行った。
港はだれもいない。
立ち入り禁止のところが多い。
昔はどこもはいることができた。
昔と同じ場所の写真を撮った。
上はたぶん1978年頃。下は2022年だ。
2000年を中心に前後22年だ。



残念なことにここへは入ることができなかった。
もう使われていないのだろうか。
手前の方はもうすべてが錆びついていた。
向こうの先頭の方だけは使われているような感じだった。
小樽港のこのあたりはよく来た。
どこへでも車が止められた。
ソビエトのユーリと知り合ったのもこの港だった。
そこから駅の方に戻って昔賑わっていた商店街の方を歩いた。
ここは昔からサンモールだったろうか?
おでん屋の「たことら」がこの入ってすぐ左のところにあったけれど、
今はもうない。
よく行ったなべ焼きウドンのお店が確かこのテントのあるお店のところ
だったように思う。この前に車を停めてよく食べた。
おいしかった。おばさん(多分40そこそだったんじゃないだろうか)が
ひとりでやっていた。カウンターの前にガスコンロがいくつか並んでいて
目の前で作ってくれた。当然すごく熱かった。
ここだったと思うけれど、スパゲティーをよく食べたお店があった。
造りはアメリカンな感じだったと思う。
そこでミートソースをよく食べた。スパゲティーの上に炒めた
ひき肉がどさっと乗っているパスタだった。

そこから国道を少し札幌の方に行き、友達の家があったあたりまで行った。
そのあたりはもう記憶が遠すぎてよくわからない。
公園通りという少し広い道があったはずだと思い出し、
それを探した。
それを見つけたけれど思っていたよりもずっと遠かった。
そこからさらに少し下った路地だったはず、そこがわかった
その路地を入って、この場所だ。
この右手に「グリーンハウス」というアパートがあった。
たぶんその建物はもう建て替えられている。
この周りを歩いたけれど、すべてが変わってしまっていた。
もうどうしようもないくらいの時間が過ぎてしまったんだな、と実感した。

7/16/2022

仙台までは

 独り言。読むには値しない

毎年札幌から東京に帰っていた。
車で。
約1000キロ。
東北道もまだ無かった。
東京へ戻る時はまだ良かった。
延々と国道を走っていても気楽だった。
野辺地でフェリーを降り青森から盛岡を過ぎ
仙台を過ぎると気分はもう東京に帰っていた。
ほんとうに東京まですぐだった。

そのうち岩槻から仙台まで東北自動車道ができた。
いやその前は矢板までだったけれど。
仙台から東京まではとても近くなった。
札幌から東京まではほんとに近くなった気がした。
少なくとも東京に戻る時は。

三鷹から岩槻までの都内の道は最悪だった。
いつもほとんど渋滞していた。
やっとのことで岩槻にたどり着き高速に乗った。
高速に乗ったら仙台まではすぐのはずだ。
だって仙台から東京まではあっという間だったから。

だけど仙台はなかなかたどり着けなかった。
遠かった。
郡山、福島を過ぎ仙台までの道は遠かった。

仙台からは一般国道4号線だった。
盛岡から野辺地に行く前に金田一温泉で
道は大きく左にカーブしたように思う。
そのカーブのところの町をよく覚えている。
やっと金田一だ、と思った。

金田一を過ぎれば野辺地を目指すだけ。
野辺地は夜中だ。
吹雪の時も多い。
雪の中、車検証を持って事務所で乗船を申し込む。
そして車に戻り乗船の列に並ぶ。
吹雪の中乗用車が10台くらい並び、
車の黄色いライトが列になっている。
乗船まで1時間待つこともあるし2時間のこともある。
待っていても欠航になることもある。
吹雪の中ライトを持った係りの人が回ってくる。
乗船場に向かうように言われる。
(タイヤはどうした? ずっとスパイクのままだったのだろうか?)

フェリーの乗船のための鉄板をスパイクタイヤがかじる音
が耳に残っている。
フェリーに乗ったら4時間寝ているだけだ。
函館に着くまでのしばらくの間だ。


函館に着く前に目がさめる。
しばらくデッキで外を見ている。
着岸する少し前に車に乗り込みエンジンをかける。
車の周りでは作業員の人が車にかけたロープや鎖を
外して回っている。
ゴンゴンと船底をたたくような音が響く。
着岸して車両甲板の大きな扉が開くと外が見えるようになる。
先頭の車両から順番に出るように指示される。
カチカチとスパイクの音を立てながら外へ向かう。
港のコンクリートに降りるとそのまま港の外に向かう車の
後を追って走る。

そこから札幌まで250キロ。
退屈な道をただ走る。
あれはいったいどこへ向かっていたんだろう?



7/15/2022

コロナ陽性

 家族の一人からコロナ陽性が出た。
始めは高い熱と体の痛みだった。
それが二日続いて3日目に検査でコロナ陽性とわかった。
そして隔離療養ということで専用のホテルに隔離された。

判明するまで私ともう一人は普段と変わらぬ生活をしていた。
もう一人は発病者と同じ皿のものを食べていた。
3人ともワクチンは3回やっている。
それから10日経ったけれど、あとの二人は
検査でも陰性だった。
いったい何が違ったんだろう?

明日その陽性者が出所する。
10日間まったくホテルの部屋から出られなかった。
差し入れは一回だけ、面会は無し。
これはあれだな、拘置10日間と同じだな。

7/13/2022

ルマン24

一番初めに自動車レースをテレビで見たのは多分小学校4年の頃だと思う。
すると1960年頃だ。スターリング・モスはまだ現役で走っていた。
ファンジオは確か引退していた。
そんなことを覚えているのも小学生の記憶力のすごさだと思う。

さっきテレビで「栄光のルマン」をやっていた。
この映画の映像はすごい。「グランプリ」の映像もすごかったけれど、
この栄光のルマンもすごい。
見ていて驚いたことはメインスタンドのところの狭さだ。
この映画は1971年だけれど、実際のルマンを反映してはいると思う。
この16年前に60人以上の死者を出していることを考えると、この狭さは
その事故の時とほとんど変わっていない。
白黒だけれど、これは1955年のルマンだ。
たぶんどこかにル・ヴェーが映っているはず。
っていうかこの観客席は少しも変っていないように思える。
この右手の観客席の遥か向こうからばらばらになったル・ヴェーのマシーンが
観客席に降り注いだ。

それでは今年はどうだったんだろう?と見たら。
右側はピットロードが緩衝になっている。
左側は実際の観客席まですこし緩衝地帯があるようだ。
これでも危険なことは危険なんだろうな。
ピットロードで事故ることもあるだろうし。

ルマン式スタート(ドライバーが飛び乗る方式)は1971年まで
あったらしい。以降はローリングスタートになったそうだ。

7/11/2022

選挙に行った

 選挙に行った。投票に行った。
投票に行こうと思うとちょっとしたジレンマがある。
投票行ってもいかなくても自分の一票なんか
何の役にも立たないだろう。ということ。
ジレンマとは何かひいてみた。
 
 ジレンマとは、相反する二つの選択肢からどちらか一方を選ばなければいけず、
 かつそのどちらを選んでも不利益を被りかねない状態のこと。

不利益ねえ。
投票に行った時の不利益とは何だろう?
入れた政党や候補者がその後主張を覆したりすることがあるね。
あるいは投票した候補者が落選して
「ほら、投票したって落ちるんだし・・」とか思うこともあるし、
あるいは安易に入れてしまったことを後で悔やむこともあるかもしれない。
あるいは速報を見ていて入れた候補者が落ちた時にがっかり感とか。

投票に行かなかったときの不利益とは何だろう?
たぶん自分の、何百万分の1票が失われたことだろう。
それ以外にあるだろうか?

ここが問題だと思う。
行かなくたって全然損しない。
行かない人のほとんどはそれじゃないだろうか。
まあ、わずかだとは思うけれど自分の意志・主張で行かない
という人もいるとは思うけれど。

選挙制度を変えるか、行かなかった半数の人達に投票させる気を
起させるためのなにかをするしかないだろうな。
スマホで投票できたら変わってくるかもしれないという期待は
あるかも。

7/09/2022

鯉にパンくずをあげに行こう

 近くの川に鯉がたくさんいる。
橋の上からそれが見える。
同じ川には鴨もいる。
鷺もいるしカワセミもセキレイもいる。
その鯉に餌をやりに行こうと思ってふと考えた。
「鯉に餌をやってもいいのか?」ということ。
いや、正確には
「鯉に餌をやったら”アンチ餌やり派”からクレームが来ないか?」
が正しいかも。
それで、近所には池もあってそこに鴨が訪れるのだが、
あの鴨には餌をやっても「文句を言われない」だろうか?

検索してみるとアンチ派ばかり出て来る。
要するに「野生の鳥に餌をやると自分で餌をとらなくなる」。
「渡り鳥が”本来”渡るべきところへ渡らなくなる」
からだと言う。
それがどうしたというのだろう?
しかし彼らアンチ派も「冬は自然に餌が無いから餌を与えてもいい」と言う。
何かがおかしくないだろうか。
それってほとんど人間目線の観察ではないだろうか。
「鴨に餌をやるな!アホンダラ!」とか言っている人さえもいる。

家の庭先に餌台を置いているうちが多いイングランドでは
本来ドイツからスペインあたりに渡る鳥たちがイングランドにとどまる数が多い。
とかいう記述もあった。
彼らも背に腹は代えられないからねえ。

アンチ派はどうも自分の考えが世界で一番正しいからそれに従え、
と言ってるように思える。
人間が自然から森を伐採し彼らが食べる木の実を激減させてきて、
沼や池も埋めて人間の住む家を建て、
川べりの野草を、火災の元だからと(都筑区)全て刈り取り、※
小川を暗渠にしてしまい水面すら見えなくしている。
それらを認知したうえで彼らは「野鳥に餌をやるな」と言っているのだろうか。

その前に(先に書いたけれど)彼らだって背に腹は代えられないのだ。
もともと渡り鳥が渡るのも彼らが生きてゆく上でその方が都合がいいから
渡るのだろう。
何も「渡ることが決まっているから」(人間が不安にならないように)
渡るわけではないだろう。
もしも人間がこのまま生息し続けるなら、人間の生活に合わせた
生き方を彼らが今後してもいいのではないかと思う。
だって彼らから自然を奪ったのは人間なのだから。
人間は責任を持って彼らが生きるに必要な餌をやり続けなくてないけない。

・・・というのはどうだろう?
あとで川の鯉にパンをやりに行こう。


誰かが川べりの草に火を点けて消防車が出動したことがある。
私はそのそばのビルの窓からそれを見ていた。
その時からか、毎年秋になる前に川沿いの草を全部借り始めた。
その藪の中には鳥の巣が結構あった。
もう一つ印象的な出来事があった。
その川の脇に大きな”高級”老人ホームが建つことになった。
そのエリアは奇麗な草原で真ん中に桜の木が1本あって、
毎年奇麗な花を咲かせていた。
ある日、その広いエリアの草木を全部刈り取り始めた。
私は橋からそれを眺めていた。
刈り取られるにに従って鳥たちが騒ぎ始めた。
そして草木がほとんどなくなった場所の上で、
ヒバリが数羽ずっと鳴きながら飛び続けていた。
痛ましくて見ていられなかった。
その鳥たちの声がまだ耳に残っている。

7/06/2022

昨日の夢の覚書

 娘と窓に並んで外の景色を見ていた。
遠くに山並みが見える。
薄茶色の岩山で木々は全く生えていない。
その真ん中あたりが噴火して煙を上げている。
それを眺めていると大きな噴火が起きた。
そしてその噴火は両側に広がって行った。
ずんずんという音と共に、手前にも広がってきた。
まるで絨毯爆撃のようにズンズンと近づいてきた。
私は娘を抱いて窓から離れて逃げようと思った。
窓から離れると部屋に母がいた。
母は泣きながら座っていた。
失禁していて部屋の床が水浸しだった。
私は「大丈夫だから、僕がやるから」と言って
タオルで床を拭き始めた。
しかしいくらやっても床の水は無くならない。
母はまだその中に座っている。
私は母を抱き上げて別の部屋に運んだ。
水浸しの部屋の水はさっきよりも増えていた。

目が覚めた。
さっきエアコンをつけっぱなしで寝てしまい、
何もかけずに寝ていたようだ。

今更わかったこと

 浜松フォトニクスのYouTube動画を見ていて「ああ、そうだよね」
と理解したこと。
音は段々小さくしてゆくと連続的にどんどん小さくなって、
最終的にはゼロに限りなく近い値になってゼロになる。
じゃあ光は?という実験なのだけれど、光はどんどん弱くなるけど
最後は限りなくゼロに近い値になって消える、ということにはならない。
強さが一定の単発の光がポツポツと現れて、その数がどんどん
少なくなってゆくだけ。つまりものすごく弱い光というのは現れない。
これは、まあ、よく考えればあたりまえのこと(というか高校あたりで
習ったこと)なのだけど、映像として見せられると納得させられる。
光は粒だ。

もう一つ面白いと思ったことがある。
例の二重スリット問題だけれど、自分的にはあれは量子が確率で
現れるからだと納得していたのだけれど、
さらに別な考えがあるようだ。
それは「空間は量子で埋められている」という考えだ。
これは画期的かもしれない。
その考えによると光も音や水の波と同じような挙動になる。

つまり水の波で言えばタライ(死語か?)に水を入れて、手前の水に
指を入れるとその波が向こうまで伝わる。
伝わるのは波であって指のとこの水が向こうに行くわけではない。
それと同じように、量子で満たされた空間のこっち側から
光を(1発だけ)発射すると、その光(粒子としての)は一番手前の
量子にぶつかりその振動が向こうに伝わって行く。
並べたビー玉のはしっこの1個をはじくと向こうの一番端の
ビー玉が飛び出す感じ。
電子回路のFIFOみたいな感じ。
それで二重スリットを考えるとスリットが2つある場合は、
たとえ光子が1発でも干渉を起こしそうだ。

そしてその光子の進行具合を「観測」したら、その観測行為によって
実験条件は観測した時点でリセットさえてしまいそうなことはわかる。
その考えはもう少し追及してみたい。

7/05/2022

税金

 税金を払った。
去年の会社の決算から会社を閉鎖した日まで3か月の間があったので、
その間の法人税と法人県民税、法人市民税を払えというので
彼らの言うがまま税金を払った。
「払ったよ」という連絡を税務署にした。
その時の担当は「払え」と言っていた人なのだけれど、
「これ以上無いでしょうね?」と聞いたら、
それでは法人税の担当に代わりますとか言って、その担当が出た。
それで会社解散から税金を払ったところまでの経緯を話したら、
「そのお支払いいただいた税金は払う必要は無かったですねえ」
とか言う。
「え?どういうことですか?」と聞くと、
「なんだらかんだらの予定納税の請求書を送ったようです」
と言う。
それで結局払った分は返してくれることになった。
それはすごく助かる。
来月の支払いまでに間に合うとほんとに助かる。

しかし、「もう無いですね?」と聞かなかったらそのお金は
永遠に戻って来ることはなかっただろう。
私のようにトロい経営者は結構損しているかも。

7/02/2022

贈呈本

 昨日ブックオフに本を探しに行った。
目的は確定申告について簡単に書かれた本を探しに行くことだった。
その手の本は過去に少なくとも3冊は買っているけど、ろくに読まずに
そういう面倒なことは結局誰かに任せていた。
で、その本は¥200で見つけた。
それから他の棚も見ていたらこの本があった。


前田さんの写真集は北海道にいた頃に大きな写真集を2冊持っていたけれど、
印刷が悪くてどうにも前田さんの写真の質に合っていなかった。
それはたぶんどこかで処分してしまった。
それで昨日見つけたこの本は写真は小さいけれど非常に奇麗な印刷で
また写真の数もたくさん載っていた。
これを¥750で買って帰った。
さっき改めて見てわかったのだけど、本の見返しにサインがあった。
これが本物だとすると前田さんの息子さんが誰かに贈呈したものらしい。
贈呈された人がブックオフに売ってしまったのだろう。

前にも書いたけれど前田真三さんとはほとんど事故のようなきっかけで
電話で会話したことがあるのだけど、娘さんはたぶん一度は会っているように
思う。でも息子さんとは会ったことが無いと思う。
偶然手に入れた本にサインがあって驚いた。

こういう出会いは今回が初めてではない。
やはり古本は私が行くのを待っていてくれるような気がする。