8/14/2020

夢を見た

 


いつもの夢と同じようにコマツはこんな感じで、今アメリカから帰ってきたというような雰囲気で彼の友達(僕は知らない)と何か話している。
僕が近づくと僕の方に向き直って何か言う。
彼は何か歌おうと言う。
もうすぐパーティーが始まるから、と。
僕は自分のギターを探すけれど無い。
外の倉庫の方に行って中を探すけれど無い。
またさっきの所に戻ろうと思うけれど、さっきの場所はもうない。
「あれ?どこだったろう?」
と歩いて探すけれどもうどこだかわからない。

家に帰ろうと思う。
歩いて家の方に向かう。
家は三鷹だ。
2階か3階建ての家で、玄関までは白い階段がある・
階段を上がると居間があって、母が娘の雪奈と遊んでいる。
その横に誰かがいる。
僕は雪奈を抱き上げる。
まだ3歳くらいだ。
思い切り抱きしめる。
夢の中で僕はその感触に涙が出る。

次のシーンはどこかの旅館だ。
僕は布団で寝ている。
ふわふわの布団の感触がする。
一緒に誰か寝ている。
懐かしい感じだ。
香がする。
(なぜ夢の中であの香を思い出せるのか不思議だけれど)
確かにあの香だ。
とても落ち着く香だ。
何の香だろう。
香水とかそういう匂いじゃない。
芳香
かすかに香るけれど、強烈なかぐわしさ。
それと懐かしさ。

僕は慌てて起きる。
いつの間にか服を着ている。
何処へ行ったんだろう?
「そうだ、電話しよう」
と思いスマホを取り出して電話しようと思うけれど
画面がキラキラして何が表示されているのかよく見えない。

画面をポンポン押すけれど、画面はますますひどい状態になってしまう。
だいたい電話を登録してあっただろうか?
家に行ってみようと思う。
崖を下る道の下に舗装道路がある。
道路は細い川の両側を走っている。
そこに橋が架かっている。
橋の所に行くとその先に住宅が並んでいる。
「確か2番目の道を曲がるんだった」
その道に向かおうとすると人影が道を横切るのが見える。
「まって!」と大声で呼ぶ。

目が覚めた。
寝ながら大きな声を出していなかったろうか?






















7/06/2020

幻の町

どこかに書いたかもしれないけど、昔札幌で観たテレビドラマを
もう一度見たいと思って札幌の人に聞いてみたら、わかった。
HTVの「幻の町」というドラマだった。

ある老夫婦が樺太の街の地図を作るために昔樺太に住んでいた人を訪ねて歩いている。

小樽に住んでいるという人を訪ねたら既に亡くなっていて、その娘(桃井かおり)
が話を聞いた。その後、老夫婦は別の人を訪ねるべく街に出るが、地図をどこかに置き忘れていることに気が付く。
夫婦はまた桃井かおりを訪ねて地図を忘れていないか聞くが、桃井は無かったはずだと言う。
面倒臭いことにその背景として桃井かおりはトラックドライバーの男(北島三郎)と
久しぶりに会う約束をしていた。
しかし桃井は家に帰ると玄関の脇に地図が置き忘れていることに気づき、焦って老夫婦
を探すが、見つからない。警察署に届けるがそこでその地図は樺太の地図ではなく、
北海道の、昔老夫婦が暮らした町の地図だとわかる。
もうすっかり男(北島三郎)との時間が過ぎている。桃井は焦って謝るが北島は
すっかり怒って、トラックを出発させてしまう。

老夫婦が見つかり届けるが、桃井は「その地図は樺太の地図じゃない」と言ってしまう。
老人はすっかり驚いてしまうが、
結局納得する。

桃井がトラックセンターに行くと脇の方に停まったトラックに北島がいる。
「次は半年後、待っていろ」みたいな無言のコメントが流れる。
老夫婦は港に行き「あの町に行きましょう」という。
二人の目の前には東小樽駅に汽車が到着し、船がやってくる。
それは全て二人の見ている幻影。
二人は吹雪の港に消えてしまう。

というドラマなのだけれど、
1976年放映だったらしい。
ということは僕が札幌に行った次の年だ。
あの頃だよ。
なぜかそのドラマは鮮明に覚えていた。




5/23/2020

カメさん


カメさんは僕らが作った2番目の会社で一緒だった。
自衛隊をやめて僕らの会社に入ってきた。
カメさんはバイクに乗っていた。
そのバイクで人身事故を起こして自衛隊をやめたらしい。
一緒に仕事をしたのはそんなに長くなかったけれど、
家にも何度か来たし、今でも年賀状を送ってくれるただ一人だ。

僕よりも20歳くらい下だった。
バイクで一緒に乗鞍の頂上まで行った。
あのころはまだ頂上直下まで行けた。
今思うと二人とも250ccだった。

そうなんだ、一緒に仕事した人で今でもつながりがあるのは
カメさんだけだ。
同じ頃一緒に仕事をしていた人の一人は2年後にバイク事故で亡くなった。
顔が浮かぶ。
もう一人親しかった同い年の人は心臓の病気でやはり同じころ亡くなった。
あとの人は知らない。

こうやって、仕事の、、会社のことを書いていると
だんだん苦しくなるので、この辺でやめよう。

カメさんはとてもいい人だ。
面白い人だ。

小金井公園までバイクで行った時。

5/20/2020

ひとの記憶って

限りがあるね。
少なくとも思い出せる量っていうのは限られてる。
僕がここに書いてきたことで僕の思い出せる記憶はほとんどのような気がする。
あとは断片だ。
ほんとに一瞬のこととか。

前に書いてない(と思われる)ことを書こう。

仙川の学校に行くまでの商店街にあったパン屋。
確か駅から来ると左側。
その店に入った時の匂いを時々思い出す。
たぶん他のパン屋ではあの匂いはしない。
いや、似たようなにおいかもしれないけど、
僕の記憶にある匂いはそれのどれでもない。
それとあの茶色のパン。
それから?
・・・店の中を少し歩いたシーンを思い出す。
あ、お金を払ってるシーンも、
店に入って右側はガラス戸があった?
記憶違いかもしれないけど、
なんかそんな景色。
茶色の柔らかいパン。
柔らかすぎて大事に持たないとつぶれてしまう。
紙袋だった。
何の変哲も無い薄茶色の紙袋。(たしか)
パンは焼きたての匂いがした。
ああ、あの匂いもう一度かぎたい。

あの商店街のことは他にはほとんど思い出せない。
あ、学校側の出口、信号の手前左側は本屋だったかな?
小さな本屋。
違うかな?・・

少なくとも1000回くらいは通った道なのに
いったい何を考えて歩いていたんだろう?

学校から誰かと一緒に歩いていたことが多い。
男だと小柳。
あいつはなぜか僕の肩に手を置いて歩いていた。
変だよね? でもストレイトだよあいつも僕も。
小柳もクラシックファンだったから音楽の話をよくした。

あと地引君。彼ともクラシックの話をしながら歩いた。
ああ、彼はブラバンだったから一緒に帰れたのは少ないかも。
彼は新川の団地だったから学校からバスに乗らずにずっと歩いて帰った。
その間音楽の話をずっとしてた。
江川君も車で来てないときはバス停まで一緒に歩いた。

女子は?あと
一人としか歩いていない。
クミちゃんだ。
何度か一緒にバス停まで歩いた。
他に女子とは歩いていない。
クミちゃんは三鷹駅からも一緒に歩いたことがあるなあ、そういえば。
あれは何で一緒だったんだろう?
高校卒業してからだった。確か。
江川とクミちゃんが高円寺(最近阿佐ヶ谷だったかもと思う)の
小さな公会堂でフォークコンサートに出たのを見に行った。
ああ、三鷹公会堂で僕と降矢(恋ヶ窪の)がコンサートに出た時に
クミちゃんと彼女の友達2人で見に来てくれた。
あれはいったいいつだろう?
降矢だから大学1年かな?
まてよ、どうやって僕はそのコンサートのことをクミちゃんに伝えたんだろう?
謎だ。
ようするにあの頃僕と親しかった女子の友達は、あとはクミちゃん
くらいしかいなかったってことだな。

僕はもてなかったってことだな。
というかあんまり魅力は無かったんだろうな。
というか(笑)あの学校真面目だったのかな?
なんかみんな真面目に勉強してたような気がする。
その道を外れた生徒はいたかな?
いないような気がする。

あ、今なんか思い出した。
黒田さんっていたね。
彼女は誰かといつも一緒だった。
バス停までの道を歩いていたシーンを覚えている。
あの男の方は僕は知らないな。けれど背が高くて、顔つきを覚えている。
あと、ほかにこれ見よがしに(笑)付き合っていたのはいたかなぁ?
なんかあんまり思い出せない。





5/17/2020

初恋の話をしよう

小学校6年の時だ。
僕は大阪から三鷹に戻って入った学校が三鷹第7小学校だった。
前は6小だった。
6小と7小は雰囲気がものすごく違った。
そういう時代だったのかもしれないけど、大阪がものすごく田舎で
何もかも古臭くて人々も泥臭い感じだった(当時は)のに比べると
7小は都会の学校のような気がした。

僕は転校生だった。
クラスの他の人は皆下から上がってきた子だからみな仲が良かった。
僕は別に女の子には興味が無かった。
というか女の子という存在が「女性」というものと結びついていなかった。
つまり、男女の仲というのを知らなかった。
知ってる女の子はみな友達だったから。

それで、そのクラス(6年1組だったかな?)にも慣れてきた頃、
同じクラスのちょっと背の高い女子に安部さんという子がいた。
声はちょっと低く、今考えると美人タイプではなかった。
個性的な整った顔つきだった。
ある授業で僕らは一番後ろの方だった。
それである授業の時に、ふと横を見たら彼女と目が合った。
彼女はちょっと笑ってまた前を向いてしまった。
「あれ?何で笑ったんだろう?」と思った。
そんなことがあってから、時々目が合って、僕も笑い返すようになった。
先生にはわからないように。

そんな頃、体育の授業でドッジボールをやった。
僕と彼女は別のグループだった。
僕はあまり得意じゃなかったからやる気がなかった。
適当にやっていたらボールが飛んで来た。
僕はそれを胸で受けてすぐに相手に返そうと思った。
僕にボールを投げたのはその安部さんだった。
僕は彼女に向かってボールを投げたら、
彼女はそれをうまく受けてまた僕に返してきた。
彼女は少し顔が赤かった。
何度も繰り返すもので、他の皆がはやし始めた。
僕はすごく恥ずかしくなって、ボールを落としてしまった。
コートの外に出て、見ていた。
なんだか変な気持ちだった。
ドキドキしていた。
たぶんそれが初恋だったと思う。

僕のその頃の親友だった石倉も彼女が好きだと言っていた。
安部さんは優等生だった。石倉も頭が良くてスポーツマンだった。

夏休みが終わるころから、僕は精神的にすごく不安定になっていて、
思いもしないことを突然したり、人から嫌われることを言ったりし始めた。
自分でもなぜそうなったのかわからない。
別な自分が勝手に授業中に怒ったり、友達にひどいことを言っていた。
それでだんだんクラスの皆も僕から遠ざかってしまった。
一人だけ、岩本君って言ったかな、彼は僕の友達でいてくれた。
よく一緒に話をした。

左は近藤君だ。


そんなわけで安部さんはそれっきりどうなったのかも知らない。
卒業してからも街で会ったことは無い。
確か彼女のお父さんはどこかの大学の偉い人だったと思う。
彼女の名前は広子さんて言った。

5/13/2020

ねえピアノ弾ける?

僕はまともには弾けないんだけどね。
ピアノ弾くっていうのは僕としてはバイエルとかなんとかの話じゃなくて
自分の思った旋律を自分の思った風に弾けるかどうかということ。

左手で和音の伴奏をしながら右手でメロディーを弾くというのが
たぶん一番初歩的なことだとおもうのだけど、
それはそれでいいんだけど、

この左手が右手の合間にメロディーあるいはアルペジオで
流れるように入り込んでくるという弾き方が好きだ。

それが自由にできるようになったら
「俺、ピアノ弾けるよ」と言えるかもしれない。
まだそれができない。

こういう弾き方はもちろんギターにもあるけれど、
高音部の合間に低音弦が別のメロディーを弾くみたいにね、

どちらも同じ障壁がある。
僕の左手は(左指は)思うように動かない。
だからギターでのその弾き方は遥か昔に諦めた。
それは左手の薬指と小指の神経が無くなって
感覚が無くなってきた頃に諦めた。
大学生の頃だ。

でもピアノの方はまだ希望があるということが最近やっと認識した。
少なくとも3本の指は自由に動くし、
あと2本のどちらかは一つの鍵盤を押さえられる。
だからたぶん全く動かないよりは高い可能性(ポテンシャル)がある。

あ、そうだ。
学生の頃Chemical Potentialを「科学的潜在能力」と言った人がいたな。
間違いではないと思うけど彼はその後ずっとそれをネタに笑われてた。

なんだっけ?
ああ、僕は恵まれているのに、それをやらないのは罪だということ。
罰が当たる、きっと。

だからそれを少しずつ練習してる。
ピアノ教室に半年通ったけど、
僕にはすぐにはできないと思ってやめた。
でもどうすればいいのかは教えてもらった気がする。

だから残りの時間はそれをやろうと思う。

終わり

5/11/2020

それからのこと

それから僕は一人でやってきた。
1981年まで、
札幌で
もう世の中がデジタルの時代に入るところだったから
そういう仕事をしたいと思って東京の会社の雑誌の求人や、東京の新聞を1日遅れてで
配達してもらって求人先を探した。
30歳からの中途採用だったけれど、僕は全然気にせず連絡をとりまくった。
幸いアナログ技術とプログラミングは少しわかったからそれで押した。
秋葉原のマイコン関連会社、今でいえばパソコン関連の会社、が東京に戻ったら
面接してくれるということで、東京にもどることにした。

そこからのことを話すにはちょっと時間が必要だ。
なぜなら僕はいろいろな人に迷惑をかけ、いろいろな人から援助を受け、
色々な人を裏切り、自分勝手なことばかりしてきたから。
それを書くには勇気が必要だ。

たぶん1981年から1994年まではほんとにその当時の自分を
思い出したくない。
いやそれ以降もいろいろあって、仕事の話を書くのはとても辛い。
僕が死ぬまで書けないかもしれない。
知っているのは一緒に仕事をしていた野池さんだけだ。
野池さんは僕を許してくれるだろうか。
ずっとそれを考えている。

仕事のことはそういうわけでなかなか書けない。


5/08/2020

夢はだんだん現実と区別がつかなくなる

昨日は3本立ての夢だった。
2本は忘れたけれど最後の夢は覚えている。

僕は真っ赤(深紅)のバイクを買った。
それに乗ってどこか町外れに行く。
バイクはとても調子良くてとても狭いところも
全然平気で走って行く。
後ろに誰か、女性を乗せている。

バイクのタンクは深紅で透き通っていて
光が当たると輝いて見える。
すごく奇麗だ。
ハンドルもレバーもクロムの輝きを持っていて
乗っているだけで楽しい。

ドライブインのようなところで停めて、
バイクのキーを抜いて店の方に行く。
何か食べようと思う。
財布が無い。
「あ、バイクのバックの中だ」
と思ってバイクの所に戻ろうとする。
だけでバイクが無い。
明らかに無い。
他の場所とかはあり得ない

すぐに盗まれたと確信する。
もう戻らない。
すごく絶望した気分になる。

あの輝いた深紅のバイクの姿が浮かぶ。
「あー、あれは失いたくなかった」
とても悲しい。

と言う所までしか覚えていない。

5/03/2020

歌はどこへ行ったの?

ほら、深い森の中で誰にも知られず一本の木が倒れた。
その木は音を立てたか?
っていう禅問答みたいのがあるでしょう?
それを言った本人は誰も聞いていなけりゃ音は立ててないと言っているけど、
そんなひどい話は無い。
だってあなた「木が倒れた」って言ってるでしょう?
つまり(それが仮定の話だとしても)あなたはそれをその場で見ている。
あるいはその場にいてその音を聞いてるはず。

だめだね、片手の拍手の禅問答にはかなわないね。

それはそうと、誰かの本の話で、
「誰も歌わない古い唄のように忘れられていったとき、」
というのがあるらしい。
それを聞いて思ったのだけど、
誰も歌わなくなり楽譜もレコードも無い
そういう歌はいったいどこへ行ってしまうのだろう?
例えばなんでもいいけど、「上を向いて歩こう・・・」っていう歌、
それがいつか忘れられてその歌のレコードも無くなって
楽譜も無くなって、
例えばその歌を知っている最後の一人が死んでしまったら
その歌はどこへ行くのだろう?

あのメロディーは確かにあった。
だけどそれを歌う人も演奏する人も、それを表す楽譜も無い。
そうなった時、その歌は
亡くなった誰かと同じように、
確かにそこにいたのに、
世界から忘れられてしまう。
でもその人の思い出はどこかに残っているような気がする。

その歌も、そのメロディーは白い糸のように
空の中に浮かんでいて、
その糸はまた誰かがそれを捕まえるまで
空をふわふわと飛んでいるような気がする。










4/24/2020

あと何やりたい?

こんな風に行動を制限されると、何かしたくなる。
というか何をしたいだろう?と考えてしまう。
だいたいやりたいと思ったことはやってしまったしね。

考えてみると僕は泳げないから、海かな?
シュノーケリングをやってみたい。
沖縄か石垣島かあのあたりの背が立つ浅いサンゴ礁で、
体を半分沈めて泳ぐのがいいな。
全く泳げないわけじゃないから。
でもあまり深いところは怖くてだめだ。
水の色が変わっているようなとこは。

車?
早く走るのはいいや。
昔はサーキットを走ってみたいとも思ったけれど
友達がやった話を聞いて気が済んでしまった。
そういえば坪井君はどうしてるだろう?

車ね、欲しいのがある。
ロータスのエリーゼ。
あんまり高くないから買える時に買っておけば良かった。
でも一度乗ったら気が済んでしまうだろうな。

もし若返ることができるなら
もう一度学生をやって
何か一つのことを勉強してみたい。
結局何も勉強してこなかったから。

やっぱり海かな。
どこかサンゴ礁のある海に行きたい。












4/20/2020

めざめの話

夜寝るでしょう。
例えば1:00頃寝る。
突然目が覚めて、すっごく良く寝たと思い時計を見ると
2:30とか。
「え~!まだまだ寝なくちゃいけないじゃない!」と気が遠くなる。
タブレットを開いて何かつまらない記事を読んでると
そのまま気を失う。

起きる。
時計を見る。
6:00
ああ、やっと朝だ。
タブレットを開いてニュース記事を読んでいると
気を失う。

起きる。
時計を見る。
9:30
あ、寝すぎた。
タブレットを開いてニュース記事に間を通す。

今度は寝ない。

まあ、それはいいんだけど、
子供の頃の、あの、眠ったらすぐに目が覚めて明日だ。
っていうのも時々ある。
ああ、良く寝たんだなと思う。

夢が結構面白かったりする。
起きて平常心に戻ると何が面白かったのかわからないけれど
目が覚めてすぐの時は「今の夢、面白かったなあ」と思う。
その夢の記憶はほんとに淡くて
水の中で薄氷が融けるようにどんどん失われてしまう。

反対はないんだね。
夢の中で現実の記憶を思い出すこと。
いや、そうでもないか・・
最近は夢の中でもリアルな年齢を演じている。
それもちょっと寂しいけど

4/11/2020

僕らの年齢を考えると今はとても慎重に行動しないといけないかもしれない

長い・・・

買い物に行っても至って普通だ。
まあ、皆マスクをしてるくらいかな、違うのは。
でももし感染してしまったら、戻ってこれないかもしれないね。

これまでだって何度も死にそうなことはあったけれど、
全部自分でやったことで死にそうになったわけで、
自分では望まないことで死ぬのはいやだ。

と言ってもこればかりはどうしようもない。
家じゅうを消毒して回ってるし、
外に出る時はマスク、
帰ってきたら手を洗って触ったところを消毒。

どこに行くにも自由に行けたのが恋しいね
今はちょっと公園に行くのも考えてしまう。
だって、結構人がいるからね。
すれ違う人がセキをしてたりすると息を止めて
早歩きになってしまう。

まあ、まだまだ精神的には我慢できる。
あと5年は自信ある。

4/10/2020

昨日の月

昨日(もう一昨日だけど)の夕方、スーパーに買い物に行くときに
「今日は月の出を見よう」と思って、スーパーのずっと先に小高い丘
があることを思い出して、そこに行ってみた。
月の出は6:20頃。
それに十分間に合うように行ったら、先客がいた。
おっさんがずっと東を眺めていた。
それでその邪魔をしないように、ずっと先の方まで行って待っていた。

たぶん真東だからあのあたりだろう、と思ったあたりに時間になっても
月が見えない。
それで向いの丘に隠れているんだろうと思って、
時間つぶしに景色を眺めていた。
そしたら北の方角に高い塔が見えて先端に明るい光が出ている。
あれは何だろう?とカメラの望遠で見た。

スカイツリーだった。
後で調べたらだいたい30キロ先だった。
左に見えるビルは六本木ヒルズだ。

とかなんとかやっていて、「まだ出ないな」と思っていたら、
思いもかけぬ方向にすでに出ていた。

なんとミナモの真上に出ていた。
出る瞬間を撮れなかった。。
たぶん大気に隠れて見えなかったのかもしれない。
だってこんなに赤いから。


しばらく上がるのを見ていたけれど、かなり上まで行っても赤かった。



これを撮って帰ることにしたけれど、帰り道の方に3,4人やはり
写真を撮ってるひとがいた。
「外出自粛中だろう!」と思った。

何?

それから買い物をしてうちのアパートの近くで写真を撮った。
これは結構気に入ってます。


4/07/2020

超月とメタセコイア

いや、スーパームーンなんだけどね。
月にはあんまり興味が無いんだけどね。
でも月が登る時に地平線ギリギリに現れる時が好き。

今日はひょっとしたらそれが見れるかもしれないと思って、
ヤマトのセンターに荷物を持って行く時にカメラも持って出た。
もうそろそろ出てるはずだと思って家を出たのだけど、
茅ケ崎城址公園の森に邪魔されて月が出てるかどうかが見えない。

それで北の方に廻れば見えるはず、と思って坂道の方に行ってみた。
すると、もう月はけっこう登ってしまっていた。
「ああ、遅かった」と思って、良く見えるあたりまで歩いて行ったら
メタセコイアの木が4本くらい見えた。
ああ、あのセコイアと一緒に月が撮れないかな、と思って
住宅街を歩き回っていたら、ちょうど良さそうな場所があった。
住宅街の路地なのだけど。
そこでとりあえず写真を撮った。



下は普通の家なので上だけ。
なんかエルンストっぽいでしょう?
ヤマトには7時までに荷物を出さないと今日の便に間に合わない。
この時6時半少し前。

「月がこの木のてっぺんに行かないかな?」と思ったのが運の尽き。
しばらく待ってみようと思って、歩き回ったりして時間をつぶした。
住宅街だからね。歩いて行く人が怪しいやつと思ったにちがいない。
月が一番上まで行くのに20分かかった。



さすがにスーパーというくらいでとても明るい。
月に照度を合わせると結構暗くなってしまう。
でも、まあ、なかなか雰囲気あるでしょう?
誰かもこの同じ月を見てるかな?と思ったり。

これを何枚か撮って、急いでヤマトのサービスセンターに歩いた。
メタセコイアのせいで、今日の出荷は間に合わないか?!
と思いきや、
「あ、大丈夫ですよ」
って。
良かった。




3/26/2020

ヤマトサービスセンター

家から時々ヤマトまで荷物を持って行く。
自転車でもいいのだけど一度夏に熱中症で倒れたから
それいらい乗っていない。
ので、歩きだ。


この写真の遠くの赤いネオンのあたりらへんがうちのアパートだ。
今グーグルで歩く距離を測ったら片道1.6キロあった。
往復3.2キロだ。
けっこうあるな。
でも歩き始めるとそんなに遠く感じない。

急ぐ時は駅前からタクシーで行ってもらう。
また元に戻ってもらうと¥1300円だ。
荷物によっては赤字だ。
でもどうしても明日までに、と言うときはタクシーで
持っていくこともある。

こういうどうでもいい話を書いているわけだけど、
感染防止と世の中のすっとこどっこいのギャップがひどい。
昨日だったかどこかのおっかさんが言ってた
「子供たちがずっと家にいて、食事もつくらなくちゃいけないし、
うるさいし、もう限界です!学校行ってほしい!」って
いったい何が限界なのだろう?と思う
この事態を全く理解していない。
たぶん世の中半分くらいそんな感じなんだろうな。
イタリアのような状況になった時に同じこと言ってるだろうか?
いや、言ってそうな気がする。





3/08/2020

いつまで働くんだろう?

というか、住宅ローンがまだ残ってるんですね、これが。
この家を買った時のリストのおっさんがよくやってくれて
もうかなり歳だったのにローンを組んでくれた。
支払い最後の年はもう死んでるかもしれない。
と言うよりも早く死んだ方が支払いは終わる。
そういうことなんだよね。
生きてるうちは払い続ける。
死ねばちゃらで誰かさんのものになる。

今売るとたぶん買った時よりずっと高く売れるかも。
時々「売り払ってアパートでくらそうか?」という話もでるけれど、
それもなんか、せっかくここまで払ったんだから。

「せっかく」という言葉も思考を停止させる言葉だね。
何かいろいろ案を考えていても「せっかくだから、このままで行こう」とか
「いっそ」という思考を停止させる言葉もあるね。
「いっそ売っちゃおうか!」とか
そういう言葉は面白い。
日本だけかなぁ?

「ついでだから」っていうのもあるね。
全然意味ないのに、「ついでに行ってみよう」とか

何の話だっけ?


2/29/2020

COVID-19

どうなるのかわからないけど、これが令和の重大ニュースの一つに
なることは確かだろう。

しかし、これはどのくらい危ないものなのだろう?
インフルエンザが流行してる時は電車の中のほとんどインフルなんじゃないか
というくらい咳やマスクしてる人が多い。
それと比べると感染してる人がわからない。
それに我々高齢者が罹患すると危ないらしい。
行っちゃうらしい。

だからと言って、マスクをしてても洗って、アルコール撒いても
かかってしまうかもしれない。

今のとこ大丈夫だと思う。
ただ・・・・
胃がちょっと重い。
胃潰瘍かな?
前頭葉がちょっともやもやする。
これはコロナの症状には無いからたぶん大丈夫。

あ、トイレットペーパーが街に無い。
以前の騒ぎの時は覚えているよ。
ちょうどその頃車で静岡の方に行ったと思う。
途中のガソリンスタンドでガソリンがやけに高かったのを覚えている。
トイレットペーパーで困ったことは覚えていない。
あれはどこへ行った時だろう?
いなかの街の細い道の角の所にあったガソリンスタンドの
景色を覚えている。
大井川に行った時だろうか?

はっきり思い出せない

2/18/2020

病気?


僕は何か病気したことあるだろうか?
あんまり思い出せないけど、
子供の時に何かで黄疸が出たことがあった。
あれは何だったんだろう?
とてもだるかったのを子供だったのに覚えている。

あとは歯かな?
受験の年にひどい状態になって日赤で4人がかりで手術された。
バッファリンを死ぬほど飲んだけど効かなかったので
病院に行ったら脳まで行くかもしれないと言われて手術した。

あとは?
腕の手術かな?
病気じゃないけど、子供の時の骨折が元で腕の尺骨神経が
だめになってきたので手術した。
東大病院だった。 って話は確か前に書いた。

心筋梗塞もどきになったなあ。
夜中に猛烈に背中が痛くなって病院に行った。
ニトロをもらった。
それ以降1度だけ痛くなったけどそれっきりだ。

メニエル氏病は生まれつきかも。
最後の大きな発作は45歳くらいの時だった。
それ以降は無い。

あとは?
緑内障も生まれつき。
変化なし。

内科に行って何か見つかったっていうのは無いなあ。
それよりまた検査に行った方がいいぞ(自分)
ずいぶん見てもらっていないから

ところで病気かな?

2/15/2020

悪い予想は起こらない?

子供の頃からのジンクスで、悪いことを予想するとそのようにはならない、
というのがあって、起こって欲しくないことを真剣にそれが起こったように
予想すると、その起こってほしくないことは決して起きなかった。
それはずいぶん大人になるまで可能だった。
でも40歳も過ぎるとそれはもう効かなくなった。

最近は悪い「予感」は必ず起きるようになった。
どこかに出かけていて、
「あれ?ひょっとしてあれはああなっているんじゃないだろうか?」
と悪い予感があると必ずその通りのことが起きるようになった。
必ずだ。
言い換えると「悪い予知ができる」ということかもしれない。

このところいやな予感がする。
このコロナウイルスが中国で猛威を振るうようになった頃、
「すでに都内は感染者が数十万人いるんじゃないか」
という予感。
今日になってやっと一般の人の感染が発見された。
でもほとんどの人は検査してないんだから、
感染してるかどうかもわからない。
たぶんもう遅い。
そういう予感がする。

この予感は当たらないでほしい。


2/12/2020

体に気を付けて

よく言うけれど、どうしたらいいんだろうね
今はとりあえず出かける時はマスク。
それ以上はどうしたらいい?
人込みには行かない?
だけど電車は避けようがない。
帰ってきたら手を洗うとか?

ノムさんが亡くなったらしい。
お風呂場でみつかったそうだ。
お風呂場は気を付けないといけない。
幸いアパートのお風呂は暖房が付いている。
暖めてから入ることにしよう。
問題はお風呂を上がった時で、濡れた体で脱衣場は
すごく寒い。
だからバスタオルをとって風呂場の方で体を拭くことにしている。

だから気を付けよう

それに朝が寒いね。
布団から手を伸ばしてエアコンのリモコンを付ける
それでしばらく寝てる
だいたいそのままけっこう寝てる

電話とかヤマトの配達で起こされる
電話は鳴らさないようにできるけど
配達は9時に来る
寝てるとびっくりして起こされる
(9時まで寝てるのか?! と言われそうだけど)
しかたないので、起きだして部屋に来るのを待つ
あれはけっこうストレスかも。
(もっと早く起きろ!)
あれが無ければ10時過ぎまで寝てる
みんな何時頃まで寝てるんだろう?
あ、この前松尾に会ったら6時には起きるって言ってたな。
でも彼の奥さんは僕と同じパターンだと言ってた。

夢は大体朝4時~8時くらいに見るみたいだ。







2/10/2020

眠り

最近布団の中がうれしい。
いつまでも入っていたい。
そのうち永遠に入っていることになるかもしれないけど。
昨日の夢は非常に変な夢だった。
覚えていることもできないくらい変だった。
ロジックが完全に飛んでいた。
何かがフラッシュバックした時のように。
目が覚めた瞬間はそのおかしなロジックを覚えていた
でもすぐにそれが理解できなくなり
何だったのか忘れてしまった。

その忘れてしまう感覚は
デジャヴュの時の段々薄れて行く
「これ前にあった感」に似ている。
何が前にあったと思ったのか
しばらくするとわからなくなってしまう。
あの感じだ。

夢の中でそういう感じはあまりないけれど、
時々、眠りに入る時に
自分の寝息が聞こえる時がある。
「あ、今眠ったところだった」と気が付く
でも夢に入ってしまったら
現実のことなど思いもしない。


2/09/2020

バッハがどうしたって?

最近バッハは聴かないねえ。
なんかもっと軽いやつ。
ドビュッシーとか。
ん?「ドビュッシー」でいいんだっけ?
ドビッシー?
調べたたろ

フランス語だとほぼ「ドビュッシー」みたいね。
英語だと「デビュシー」に近いみたいね。
ということでドビュッシー。
あ、バッハはBach.
ドイツ語だと「バッハ」に近いけど最後のハは喉で出すやつね。
英語だと「バー」としか聞こえないけど「バーㇰ」みたいですね。
アメリカとドイツで暮らした人はどういう風に発音するんだろね?



2/07/2020

バッハはピアノ曲を書いていない

最近気が付いた。
バッハの時代はまだピアノがプロトタイプだったみたいだ。
たぶんチェンバロかな?バッハが弾いてたのは。

そう考えると時代と言うのは面白いね。
バッハの時代に今のグランドピアノがあったらどんな曲を書いたろう。
絶対に想像できない。
というかグランドピアノはバッハに合わないような気もする。

ベートーヴェンにチェンバロしか無かったらああいう曲は生まれなかったと思う。
3番の交響曲の出だしとかチェンバロで思い浮かんだろうか。
1番、2番はまだチェンバロ的な感じがする。
でも3番、4番、5番とかは無理だろうな。

(それをお前が言うか? と聞こえてきたのでやめよう)

それじゃあ、電子楽器無しのピンクフロイドはどうだろう?
僕は何かとても素敵な音楽ができたような気がする。
ウマグマなんかほとんど電子楽器無しでもできそうだし。
でも電子楽器無しのタンジェリンドリームは無かったと思う。

そんなことを考えても意味が無いけれど。
でもアンプラグドのピンクフロイドは聞いてみたかった。



2/05/2020

今日は仕事で小田原に行ったので、仕事が終わった後で
海に行った。
お城の横をまっすぐ南に行くと「御幸の浜」だ。
時間がある時はよくそこに行く

何をするわけでもない
砂浜(砂利だけど)に座って海を眺めている
誰かがいることもあるけれど
だいたい誰もいない

赤い灯台のところの岩場で
釣りをしている人が一人
ずっと見ていても何かが釣れた気配は無い
ただ、何度も餌を付け替えて
遠くに針を飛ばしている。

僕はバッグからカメラと三脚を取り出して
砂利の浜辺に三脚を立てる
正面の海に太陽が反射してまぶしい
完全な逆光の海面をしばらく撮影させている
4分くらいそのまま

後ろからカップルが歩いてきて
そのまま僕の前の砂地のところまで歩いて行き
いちゃいちゃしてる
「あ、そこ今撮影してるから」
と、言えるわけもない

こういうところを誰かと一緒に
歩いたことがあったろうか?
太陽がまぶしくて
思い出せない

僕は三脚を引き抜いて
灯台の方に移動する。
灯台の脇の斜面には
よく本を読んでるおじさんがいるのだけれど
今日は居なかった

しばらく釣り人を後ろから見ていた
やはり何かが釣れてる感じがない
もくもくと餌を付け替えて
遠投してる
彼は何を釣っているのだろう?

風がとても強い
ずっと風に当たっていたから
少し疲れてしまった。

水曜日のお昼
御幸の浜を一人で歩く
一人でいたい時もある
でも一人はとても手持無沙汰
一人は大勢でいる時よりもうっとうしい
自分が・・・
誰かがそばにいれば
もっと自分になれる気がする




2/04/2020

昔は(って学生から20歳代)青い色が好きだった。
だから着るものもみなブルー系を好んで着ていた。
たぶん40を過ぎてからだろうな、
どんな色でも気にしなくなったのは。
最近は、青い色はやっぱり好きなのだけど
ブルー系のデザインのものって対象が若いよね。
だからちょっと気が引けてしまう。
特に日本では色系の服を着てる人が少ない。
なんかどうでもいい色の服を着てる。

みんな同じようなものを着てるので、
あれはいったいどこで買ってくるのかな?と思う。
たぶんヨーカドーみたいなところかな?
そういうお店があると確かに便利だけど。
みんな同じになる。
ほら、駅の広場に集まってどこかに散歩に向かう人たち。
みんな同じような服着てる。

それはそれでいいのだけど、
アメリカの服のアウトレットやセカンドハンドなんかを見ると
すごくいい色の服を売ってる。
あれほしいなと思うけれど、ちょっと勇気が無い。

この辺はドイツ人が多い。
ドイツの会社が多いから。
スーパーなんかで出会う彼らも素晴らしい服を着てる。
昨日は真っ赤なダウンジャケットの女性がいた。
でもデザインはちょっと日本では見たことないものだった。
シルエットが格好いい。
真っ赤だ。
男でも真っ赤なジャケットを着てたりする。
ああいうのもいいな、と思う。





2/03/2020

札幌ー東京 夢想花

何度往復したろう?
何かに記録しとけば良かった。
3分の2は車、残りは飛行機だ。
車だと(高速が無かったから)片道1日半かかった。
一人で運転だとそのくらいかかってしまう。

飛行機の中では当時は映画ではなくテレビの録画が見れた。
よく覚えている番組が3つある。

一つはNHKの自然をテーマにした番組だった。
その中でBGMに使われていた曲が喜多郎のOASISだった。
とても印象に残って、後で調べてレコードを買った。
このアルバムは1979年だったようだ。
もう札幌を離れようと考え始めた頃だ。

YAMAHAのポプコンをよくやっていた。
一つは中島みゆきの「時代」。
この時もよく覚えている。
これも後になってレコードを買ったと思う。

それと同じく円広志の「夢想花」だ。
これは1978年のグランプリだったようだ。
飛行機の天井から下がった画面でずっと見ていた。
いい歌だな、と思った。

「わってまわって」のところだけ有名になってしまったけれど、
この歌詞は天才的だと思う。

  忘れてしまいたいことが
  今の私には多すぎる
  私の記憶の中には
  笑い顔は 遠い昔
  いつの日にか あなたがくれた
  野の花がノートにありました
  そして私は蝶になり
  夢の中へとんでゆくわ


この歌詞が好きだ。
誰かがくれた手紙の中にあったクローバーの葉
を思い出す。

  素直な気持ちをあなたに
  伝えるすべを知っていたなら
  今は静かに心を閉じて
  夢の中へとんでゆくわ



2/02/2020

砦の上に・・

これは元の歌詞にも入っていたのだろうか?
と思ってちょっと検索したら、
どうも元の歌詞(ロシア語)にはそういう文言は無いみたいだ。
でも

勇ましく我らの旗を掲げよ
敵の嵐が吹き荒れようとも

というのは生かされているようだ。
この日本語歌詞を作ったのは誰だろう?と思って検索したら
鹿地亘という人らしい。
この人についてもちょっと読んでみた。
大変な人生を歩んだ人みたいだ。
この人について何か言うのは専門の人にまかせておこう。

とにかく、この「砦の上に我らの世界」という言葉を
ここに入れたのは素晴らしいと思う。
今「素晴らしい」と言うとディスられそうだけれど。
この「砦の上に」という響きは当時はとても魅力的だったし、
何か力強い語感があった。
それになにより安田講堂とシンクロするものがあった。
まあ、それが事実上最後になってしまったけれど、
あれを「砦」と思ったのは私だけではないと思う。

インターを口ずさむことはまず無いけれど、
ワルシャワ・・は時々無意識に口ずさむ。
誰かが聞いていても何の歌かわからないとは思うけど。


追記:あれ?と思って調べたら、前にレミゼのとこでこの歌について
   書いていた。でも砦のことは書いてなかった。

1/31/2020

空はどこまで行っても空

この事実は考えてみるとすごい。
今見ている空はずっとアメリカのアリゾナやユタまでつながっている。
あるいはフランスやスペインまでもつながっている。
リアルタイムで。
それは地面が途中で海になってしまうのとはちょっと違う。
ちょっとじゃなくてだいぶ違う。
まあ、いいんだけど。

その事実を踏まえると(笑)空の上の方を飛んでる飛行機も
誰にも邪魔されずにどこか遠くに行ける。
それをベンチに横になって見上げている。
飛行機は結構あっという間に見えなくなってしまう。

空飛ぶ円盤(UFOのことだから)は来ないかな、といつも思う。


1/30/2020

今日は天気も良く。。。

暖かいね。
仕事が無ければどこかに行きたい感じ。

事務所を借りていた時は、屋上まで行くと眺めが良かった。
だから時々階段を登って屋上に行った。
正確には屋上には柵があって入れなかったのだけど、
その手前ね。
そこの階段に横になって空を見ていた。
幸い誰も来ることは無かった。

空の写真も撮った。
その写真を貼ろうと思って探してたら
その日付を見て怖くなってきた。
・・・のでやめた。

このアパート(マンション)の屋上は出られないんだよね。
今まで防災委員として3回は屋上に上がったことがあるけど、
周りに柵が無いので非常時でも屋上には上がれないんだって。
それでも非常時には上がれるようにした方がいいと思うけど。

それでここの屋上からは、確かに眺めはいいけれど
周りがみんなビルだから解放感があまりない。
前の事務所は前が川と空き地、その向こうが公園だったから
眺めは良かった。
季節を感じることができた。

眺めのいい屋上はいいね。


マスクマン

あまり、というかマスクはほとんどしないのだけど、
昨日は都内に行かないといけなかったのでマスクをして行った。
息苦しいね。
特に電車の中。
でも周りの人もマスクしてる人が多い。
我慢してつけてる。
なんかの効果を期待して。

1/26/2020

泣いてしまう

もうなんでもかんでも泣いてしまう。

今朝は長野オリンピックのジャンプの映像を流していた。
それは特に泣かなかったのだけど、
その後に荒川静香のスケートのシーンが流れた。
これは見ていてなぜかわからないけれど
涙が出てきた。
すごく美しいと思った。
今までスケートなんか見ても、というか見なかった。
誰かが見てたら一緒に見ることはあったけれど、
それだけを見ることは無かった。
あったかもしれないけど感動とかしなかった。
それが今日の10分くらいの映像で泣けた。

それだけじゃない。
もう思い出せないけど、
なんでもかんでもジイーンと来てしまう。
困ったもんだ。


1/24/2020

雪をみたい

この前ちょっと雪が降ったね。
ミゾレだったけど。
僕の靴は黒靴と街歩き用の靴。
のみ。
もう1つあったオフロード仕様の靴は
でかくて恰好悪いということで、捨てた。
でもあれ、ごついけど歩くのには良かった。

それで、ミゾレね。
スーパーの前のタイルで思いっきり滑った。
死ぬかと思った。
でも転ばなかった。
よく見ると街歩き用の靴は裏は模様がついてるだけ。
滑るようにできてるとしか思えない。

それでね、またごつい靴を買ったんだ。
雨の日に公園まで歩いてみたら、すばらしい。
全然滑らないし、歩きやすい。
玄関に置きっぱなしにすると捨てられそうだから。
あとで片付けようと思う。

雪が何だっけ?
ああ、雪を見に行きたいな。
という話。
北海道は遠いから群馬とか長野とか電車で行けるとこ。
でも、その元気があるかなぁ。

雪まつりの前に札幌に行ったのはいつだったろう?
あの寒さは良かった。
あの時は特に防寒ウェアじゃなかった。
なんかいつも着てる茶色のコートだった。
それでもなんとか大丈夫だったな。
またいつか雪の札幌に行きたい。

1/20/2020

もっともっと前の時代に

行くことができたなら、小学5年の頃の高槻に行きたい。
きっと寂しい私がいるはず。
学校の帰りに中学生の不良に見つかって殴られたところに行って
その中学生の首を捕まえてぼこぼこにしてやる。
それから小学生の私の肩に手をやって
「元気だせよ」と泣き出しそうな小学生の私に言う。

それからあいつ(小学生の私)が山に行った時に一緒に登りたい。
それがいつだかわからないけれど、
きっとあいつは一人で登っているはずだ。

この前行った時はもうすっかり様子が変わって
いったいどこから山に入ったのかもわからなかった。
だけどあの時に戻れば、絶対にわかるはず。
あのお寺の脇の崖の隙間から登ったのだから。

あいつが登っていそうな時に私も登ろう。
そして赤いイモリのいる池や漆の木のあるところを見て、
・・・漆では一度ひどい目にあった。
登って行けばあいつがいるはず。
一人で。

ちょっと待て。。。
一度誰か男の人がいた。
途中から上まで登ったことがあった。
あれは誰だ?
これを書くまで忘れていた。
何か話した。。。
何を話した?
その後どうした?
下りる時はいなかった。
一人で降りたから。
ジャケットを着ていた。
スーツだったような気もする。
あれは私だったのか?
そんな気がしてきた。

まあ、とにかくあの山に行って小学生の私に会って
元気づけてやりたい。




あの時代へ

もしもあの時代--1975年---が今もう一度訪れたら
僕は何をしよう?
あの時代?
そう、あの頃あの時、

渋谷のマックスロードに行ってあの大きなテーブルに座って
たっぷりのコーヒーを注文して、
窓の外を眺めていると、
コマツやモチが君と一緒にやってきて、
大きな砂時計のあるテーブルに並んで座って
「よう!どうしてる?」とか言いながら
コマツは新しいセーラムのタバコの口を切って
1本を僕にくれる。
火をつけるとあの香とちょっとハッカの冷たい空気が肺に入って来る
コマツはレコードを抱えていて、それをテーブルに広げて
僕に見せる。
「今度この曲をやろう」と言ってThe Bandのジャケットを裏返して
曲を指さす。
僕は「へえー、いいね」と言う。
「これ歌詞カードは無いね」と言うと
コマツは「あ、それはもうとってあるから」と、少し自慢げに言う。
モチはそれを聞いて「はは」と笑う。
君はほかのジャケットを手にとって眺めている。
君とオリーブとジュンが入り口から入ってきてテーブルに加わる。
それから大きなリュックを背負った君もやってきて、
もうすっかりにぎやかになってしまう。
店の小さなスピーカーからコルトレーンのサックスが流れている。

お店のカウンターの向こうにいたタヌが
「あんたたちそこでなにしてるのよ~!」と
大きな声で叫んでいる。
「私もそこに行く~」とテーブルに加わる。

これからどっか行こうか?
と僕が言う。
コマツが「いい~ですねえ~、行きましょう」と言うと
皆立ち上がって外に出る。
外の歩道に停めてあったVWのマイクロバスに皆乗り込む
「とりあえず湘南行こう!」と僕が言う。
運転も僕だから文句は言わせない。

湘南の海が見えて来るまで車の中で
僕らは知っている歌をとめどなく歌い続ける
モチとコマツがその辺にあった腐ったギターを鳴らしている
ヨシノがハーモニカでせつないハーモニーを付けている

茅ケ崎の海に着いたら車を浜辺に乗り入れて、
皆で海をバックに記念写真を撮る
みんな馬鹿な格好をして写真に収まる
「この写真、いつ見るんだよ」と誰かが言う

いつか、いつか
こんなことがあったんだって
思う時が来るかもしれない









1/18/2020

我アルカディアにもあり (の3)

世の美術評論家の人は良く考えてみてほしい。
「プッサンはこの絵に死のイメージを隠した」とか、
「骸骨が死を示している」とか、
勝手なことを言ってますねえ。

まず本人が自伝の中で、そうではなく
ここに眠る者はアリカディアでも生きる、
という意味で書いていると言っているのに、
なぜ他の人がそうではなく死だ、とか言っているのだろう。

日本のサイトでも誰一人疑問も無く、
これは死を意味するものと「解釈」している。
たぶん正確には「そのように言われているから自分もそう解釈する」
ということなんだと思う。

もしもこれを読んで「馬鹿言うな」という人がいたら、
一度懐疑的に他の人の評論を読んでみてほしい。
どこにその根拠があるのか探してほしい。

・・・と思う

もちろん私は(前に書いたように)天国を信じていますから
当然アルカディアに於いても生きていると思います。
こればかりはわからないけど。
でももし墓石に書いてもらえるなら
「我天国にもあり」と書いてほしい。

1/17/2020

我アルカディアにもあり (の続き)


それでこれがmemento moriだというはっきりした理由がわからない。 わからないけれど、この言葉はプッサンの2つの絵画に出てくるらしい。 両方ともプッサンだ。 前にも書いたけれどこの言葉がmemento moriだと言ってるのは誰か知らない 解釈者なのだ。プッサン本人が言ってるわけじゃない。 プッサン本人が書いてるのは絵画の中で「我アルカディアにもあり」と書いているだけだ。 もう一つ考えたのだけど、どこかに実際にこの石碑があるのだろうか? ということだけど、検索しても出てこない。 たぶん、これは架空の石碑なのだろう。 検索で出てくるこの石碑はプッサンにインスパイアーされて作られたものらしい。
Wikiを見たらそれらしい原因がわかってきた。 これと同じタイトルの絵(墓碑にこの文字が書かれている絵画)はプッサンの 他にもあって Et in Arcadia ego (also known as The Arcadian Shepherds) is a painting by the Italian Baroque artist Giovanni Francesco Barbieri (Guercino), from c. 1618–1622. It is now on display in the Galleria 
同じタイトルでこの絵を描いてる。 この髑髏の下に確かに同じ文字が書かれている。
墓碑にそこに眠る人物の思いを書いたのはもっと古く古代ローマのVirgilius の詩の中に出てくるらしい。全文英語訳が読めるけど面倒なので読んでいない。 それでこのBarbieriの絵画にも髑髏の下にこの文字が書かれているだけで 「死はアルカディアにもある」とは言っていない。 しかし、この絵画(Barbieri)を観た人はこの髑髏から類推してしまうのは 簡単なように思える。
 たぶん後世の評論家がそのイメージを作ったように思う。
じゃあプッサンはどういう思いだったのか? ということがプッサンの自伝の中に書かれているらしい。 それによると 「ここに眠る者はアルカディアに於いても生きる」という意味だと はっきり書かれているようだ。 つまり自分を含めた死者はアルカディアでも生きることができる。 という意味だと思う。 「死はアルカディア・・」云々よりもずっと自然だし 描いた本人が言っているのだから確かだ。 ・・・と思う

これの本来の意味は、「私は天国でも生きている」ということだろう。
それが石碑あるいは墓碑として書かれているのは納得がゆくから。

1/15/2020

なんだかすごく寒くて 我アルカディアにもあり

部屋のエアコンを最大にしている。
なんでこんなに寒いんだ?
外から帰ってきて夕食を作って食べて、
寝込んだからいけないのかも。

「我アルカディアにもあり」っていう絵があるでしょう?
(正確には アルカディアの牧人たち)
あの「我アルカディアにもあり」っていうのは日本語だけど
原語ではほんとにこう言ってるのかな?
つまり
「我アルカディアにあり」ではなくて「にもあり」なのは
どういう意味なんだろう?
誰かが言ってたように、”楽園にも死はある”という意味なの?
とすると「我」っていうのは人物ではなく「事象」だよね。
そうすると「我」っていう日本語(あるいは原語)はおかしい。
「死神」というならいいけど、
むしろ「そはアルカディアにもあり」というべき。

でも、ほんとうはどうなの?
そういう意味なの?
並び変えると別の言葉になるとか、
Et in Arcadia ego -->  I Tego Arcana Dei
あたりまえじゃない?文字を並び替えたらどうにでもなる。
それにこれが memento mori と同じ意味ってどういう裏付けがあるんだろう?
「我」を「死」だと解釈した最初の人がいるはず。
それがプッサンが言ったのならしょうがないけど。
最初にそう言ったひとになぞられて、そうなってしまったように思う。

これはひょっとすると、「我」は「幸福」という意味かもしれない。
幸福はこんなアルカディアにもあるんだ。という意味。
あるいは「孤独」とか。
その方が意味が合う。
「我一人」の「我」。
桃源郷にも孤独はあるんだ、と。

まあ、どうでもいいんだけど、
この石板に書かれた意味を「死はアルカディアにもある」と
解釈するのには疑問が残る。
ともともと誰かがそう言っただけで、ネットの力で広く広まってしまって
そうなってしまったような気がする。

註:なんでまたアルカディアの話かというとさっき「アルカディア」っていう
  わけのわからない映画を観たから。

1/13/2020

Lucky (映画「ラッキー」)

という映画をさっきアマゾンで観た。
全然期待もしていなかったし見る気もなかったのだけど、
勝手に始まるものでつい見てしまった。
「みてしまった」というのは正しい。
これはとてもいい映画だった。
うっかりしていたら泣いていたかもしれない。

90歳くらいの男の話なのだけど、
「現実主義は物だ」という話あたりから物語は始まる。
というか彼は現実主義なのだ。
その彼が少し変わる、という話なのだけれど、
途中で出てくる話が私が子供の頃に経験したのと同じで驚いた。
私はそのことを人にはあまり言っていないのだけど、
私が11歳くらいの頃から死の恐怖パニックに時々襲われた。
それと同じことを彼は言っていた。

「思い出していたんだ。
 俺が12か13だったころのことを。
理由は忘れたがビューラ叔母さんの家にいた。
 突然不安に襲われパニックになり
 死ぬほど怖かった
 急に暗闇以外 何もないと思えてね。。。」

このパニックのことを他人から聞いたことが無かったからほんとに驚いた。
これだけでもこの映画を観る価値があった。

この映画は中で使われている音楽と歌がまた素晴らしかった。
この主演のおじさんも自分で歌を歌っている。
YouTubeにその歌があった。

映画は最後でバーの知人たちと口論になる。
彼は
「みんななくなる。
 無になるんだ。」
と言う。
そこで最初とちょっと違うのは
「無」にたいしてどうしたらいいか?
と言うと、
彼は「微笑むんだ」と言う。
これはなんて素晴らしい言葉だろうと思う。

大体の日本人の唯物論者は「死んだら無になる」
「何にもなくなるだけだ」
というけれど、
彼はそれに対して無に微笑むと言う。
この発想は無かった。

映画の最後のシーンで彼は砂漠のサボテンを見て歩くが、
サボテンを見上げた顔で、
全くのカメラ目線で微笑む。
これには不覚にも微笑んでしまった。








1/11/2020

カナリア

って聞くとなぜか寂しい感じになるのはなぜだろう?
飼ったことも無いのに。
カナリアのイメージは

女性

家に一人

寂しい

静か

そんな感じかな

他の鳥ではそんな気分は生まれない
あの童謡のせいだろうか
だとするとすごい影響力だ

1/10/2020

美術館で思ったこと

最後に美術館に行ってから3年はたってるように思う。
横浜美術館はたぶん10年ぶりくらいだ。
そこに行ってきた。
メインはルノアール展だったけれど、そっちは行かずに収蔵品展というか
何か横浜にちなんだ展示をやっていたのでそっちに行った。
こういう展示は最近はカメラ撮影もOKになったようだ。

古い写真がけっこうあって面白かった。
古い写真はどうしてその写真を撮ったのだろうと想像すると面白い。
たぶん我々が今何か写真を撮ろうと思って探し出した情景と同じだ。
けれど昔の写真には(今もそうだけれど)故意にその情景を設定して
その写真を撮っているものがある。
そういうものはあまり面白くない。
偶然性があった方がいい。

絵画も良かった。
昭和初期の絵は面白い。
堂本 尚郎の絵が良かった。

大きな絵でしばらくみとれていた。
この人はどんな人なんだろうと思って検索したら写真があった。
なんて格好いいんだろう。
それにほかの絵を見てもどれもいい。
今度どこかで個展があったら行ってみたい。

それから横浜の昔の絵地図というか鳥観図があった。
大きな絵でそれもずっと見ていた。
いろいろ見て回って3時間くらい美術館にいた。

あんまりほかの人のことは気にしないのだけれど、
やっぱり解説のプレートだけ見て次に行ってしまう人が多い。
何を見ているんだろう?と思う。

美術館はいい。
時間が止まっている。
絵を見ていようが椅子に座っていようがかまわない。
戻ってもだれも文句を言わないのがいい。
音が無いのもいい。

あそこでBGMがかかっていたら台無しだ。
でも今更ながらなんでBGMが無いんだろう?
なにかあっても良さそうだし、
誰も気が付かないかもしれない。







1/06/2020

雲海

さっきNHKで富士山をやっていて思い出した。
雲海を見た。
あれはいつだったろう?
たぶん中学か高校だ。
皆で山道を歩いているときに見えた。
僕はもう少し見ていたかったのだけれど、列がどんどん行ってしまうので
たぶん見たのは10秒くらいだ。
そのシーンを思い出した。
左から右の方に皆が歩いていて、木々が抜けた正面に雲海が見えた。
空は晴れていなかった。
『雲だ』と心の中で言った。
少し怖かった。

そういう山にいつ行ったのだろう?
大山からはああいうのは見えない。
箱根かなあ。
あるいは御岳山とかかな。

それ以降、雲海ってどこかで見ただろうか。
北海道では何度か見た。
乗鞍でも見た。
あとは記憶にない。
だからやっぱり学生の時だと思う。

いや、ちがう。
空は晴れていた。
太陽の光で雲が輝いていたから。

1/05/2020

仕事はじめ

そんな夢ばかり見ていてどうするんだ?
いや、別に好きで見てるわけじゃないので、、
昨日の夢もけっこうおもしろかったのだけど、今忘れた。
さっきまでは確かに覚えていたのに。
きっかけがあれば思い出すかもしれない。

今日はとてもいい天気だ。
久しぶりに散歩に行ってこようかな。
日曜日の夜はスタジオも空いてるだろうから
夜はスタジオに行ってこようかな。



1/04/2020

初悪夢

今朝の夢はひどかった。

家族で水族館に行くところだった。
私はみなを車に乗せて水族館に行った。
近くの駐車場(民家の庭のようなところ)に車を停めて
水族館まで歩いて行った。
水族館はちょっと古ぼけていて、床が水浸しだ。
そこを歩いて行くが展示がほとんど中止されていて、
見るものがない。
暗い館内を歩いて行くといつの間にか皆と離れてしまった。
どこにいるのだろう?と探すがみつからない。
それで、こんなところにはもういないだろうと考え
一度外に出ることにした。
そとに出るがそこにもいない。
私は電話をかけようとして携帯を出すが、画面で電話番号が
どこに記録されているかわからない。
しかたないので名前をいれようとするが上手くゆかない。

一度落ち着こうと思いそこにあったベンチに座ろうと思い
ベンチに近づくと、そこにいた女性が叫び声をあげた。
「びっくりしたー!」と言っている。
私は驚かすつもりはなかったと言い訳をする。
ベンチにカバンを置いて、あらためて携帯で電話をかけようと思った。
携帯の名前を押すとすぐに出た。
「どこにいるの!?」と言うと、
「レストラン。あなたの分もたのんでる」という。
そこで電話は切れて何も聞こえなくなった。

もういいや車に戻ろうと怒りながら駐車場まで行く。
途中の道が干上がった小川のように窪地になっていて
そこに1台の車がはまり込んで動けなくなっていた。
その車はオープンカーなのでみなその上を歩いて越えていた。
そこを通って駐車場に行き車に乗り込んで走らせる。
どこへ行く宛もなく怒りだけがあった。
そこで目が覚めた。
その怒りがずっと残っていた。

いやな夢だった。



2020初夢

とても長い夢だった。
思い出そうとすると端から忘れて行く。
最初の方が全く思い出せない。
その感触だけ残っている。

私は刀(長さ40センチくらい)を持っている。
なぜかはわからない。
そんなものを持っていて誰かに見られたら警察に通報される。
そう思いその刀を持って遠くに行こうと思う。
街はずれだろうか灌木のある坂道を下りて行く。
先がカーブになっている。大きく曲がってヘアピンカーブのようになっている。
向こうから人が来る。
ちょうどヘアピンの角で出会う。
その人も刀を持っている。
だけどその人は強盗だとわかる。
私は気づかれないように刀を体の脇にして通り過ぎる。

歩いて行くが、このままではだめだと思い、
近くの家に入る。
大きなテーブルがあるのでその上に刀を置いて、
そのまま逃げようと思い、奥の出口から外に出る。
するとそこは裏庭のようになっていて、地面には芝のような草が
奇麗に生えている。そこで子供が2人遊んでいる。
その先は柵があって鉄条網のフェンスになっていて、そこから先へは行けない。

こっちからは逃げられないと思い、元のテーブルの部屋に戻る。
刀を隠そうと思い、折りたたむことにする。
刀は思いのほか薄くて4つくらいに折りたたむことができた。
折りたたんだ刀を本棚の隙間に隠した。

それから外に出るとそこは会社になっている。
パソコンにつなぐ機会を作っている。
それを調べているとそこの社長が
「集荷できるものがあったら出荷してくれ」と言う。
私は出荷できる何台かを見ている。
**4000という型番の機械がある。
なんの機械かわからないけれど、それをチェックしている。

・・・・・・

わけのわからない初夢だった。

1/01/2020

今年最後の夢日記

初夢の反対は何だろう?
終夢?
・・と書こうと思ったら、忘れ始めていることに気が付いた。
今朝はとてもはっきり覚えていたのに。
思い出しながら書こう。

写真を撮っていた。
ちょっとした丘の上の道。
赤土でちょっとぬかるんでいる。
道の左側は崖になっていて、その向こうは広々とした平原とそこにある町が
広がっていた。
丘の突き出したところから写真を撮ったらきっといい写真が撮れそうだったので
道の端の方に行こうとしたら道の路肩が崩れ始めて
私は座り込むようにしりもちをついてなんとか落ちるのを食い止めた。
でもズボンと両手が泥だらけになってしまった。

その道を歩いて行くと屋根のある旧機影所のようなところがあった。
そこの脇に水道の蛇口があったので、
ちかくにいた人に断って手とズボンの泥をあらい落とした。
きれいになったときに、カメラを持っていないことに気が付いた。
あわててさっきの場所に戻るけれどカメラは無い。
(いつもの夢なら前の場所に戻れることはないのだけど、今日の夢は
 元の場所に戻れた)

近くに事務所?があり、そこの人にカメラの忘れ物はないか聞くと、
「ああ、あったよ一眼レフのやつ、こっちにあるから」と言って
案内されたが私のカメラは一眼レフじゃない。
「それは違います」と言って元の道を歩き始めた。

・・・だめだ、ここまでしか思い出せない。。。