12/31/2018

死ぬかと思った

昨日の夜中に腹痛と吐き気でどうしようもなくなった。
トイレに行ってしばらくしても良くならない。
座り込んでトイレの座るところに頭を置いて20分くらいそのまま
静かにしていた。だれも来なかった。
30分もすると少し良くなってきたので、ベッドに戻ってしばらく座っていた。
猫が来てスリスリしてきた。
頭をなでていたらだいぶ気分がよくなった。
一時はこのまま死ぬかと思った。
父が病院のベッドで言っていたことを思い出した。
「この吐き気さえなければいいのだけど・・・」
僕の目を見ながら言っていた。
その気持ちが良くわかった。

しかしなにが原因なんだろう?と考えてみた。
昨日は、午後に渋谷でラーメンを食べた後は特に何も食べず、
夜はウイスキー入りのチョコレートをたべて、その後ココアを飲んだ。
これかもしれないと思った。
マグカップにミルクを入れてそこにココアを山盛り4杯くらい入れて飲んだ。
それしか考えられない。
カカオアレルギーとかいうのがあるらしい。
症状がそのままだ。
突然出るらしい。
しばらくチョコレートが食べられないのがつらい。

12/30/2018

ピンク・フロイドの夏

っていうテーマは前にも書いた気がする。

2021年の8月6日はアフロディーテからちょうど50年目の夏だ。
50年というのはすごい。
僕が生まれる50年前というのはパリ万博があった年らしい。
何の感慨も無いけれど。
箱根のあの場所には何度も行っているけれどその後はきれいな緑の庭になっていて
あの当時の雰囲気は全く残っていない。

今日も寒い。
夏だ。
少しだけ夏が欲しい。
そうだSUMMER 68だ。
ということは彼らの夏から今年は50年目だったんだ。

Would you like to say something before you leave?
Perhaps you'd care to state exactly how you feel
We say goodbye before we've said hello

2021年の50年後のあの夏まであと2年とちょっと。
生きてるかなぁ?

12/26/2018

再開

することにした。

3か月くらいかな?
何も書いていなかった。

Billさんが亡くなってメールが来なくなった。
九州の並川ももうずっと連絡が来ないし、とれない。
僕が声を聞きたい人はみんな連絡できない。
・・・「できない」のだよ。

あと数日で2018年という信じがたい遠い年代も終わり
さらに遠くの2019年になるらしい。
もう自分がどこから来たかも思い出せない。
2019年という年は全く覚えがない。
2018年は記憶にあった。
というよりも遠い昔のどこかの年とつながっていた。

つまり2019年は全くのエッジ(edge)だ。
この先は何も無い。
深い谷に向かって足を踏み出すインディアナ・ジョーンズのように
何も無い空間に足を踏み出せるのか?
ま、足を踏み出さないと後ろは無いからね。

じゃあ、もう一度1970年に戻って考えてみよう。
確か「1999年の大晦日にはみんなでどこかに集まろう」とかいうことを
言ったように思う。
それは実現できなかったけれど、40歳になった時にはみんな集まって
CDを作ったことがあった。
でもその時、その先のことはどこまで思い描いていただろう?
2001年が未来だった頃だから、当然2010年のことなど考えていなかった。
2018年は全く想定外の事象だった。
津波で原発が止まったようなものだ。

昭和が終わった時、どこかで集まってバカ話をしたように思う。
でもそれから平成がこんなに早く終わるとは思わなかった。
ただの年号だ。
そうは思うけれど、やっと慣れ親しんだ「平成」が終わるのは切ない。
次の年号はふざけた年号がいい。
たぶんそのふざけた年号に僕は死ぬ。
あるいは全く予想もできない出来事でその新年号は数年で終わるかもしれない。
それもまた面白い。
でも天皇は死なないでほしい。

今の天皇は自分の中では「皇太子」の印象が強い。
というか今でも皇太子のように思える。
昭和天皇は父に似ているところがある。
だから2度父を失った気がする。

だから今の皇太子だか天皇だかは死なないでほしい。
4年おきに年号を変えたらいい。
そうすれば西暦との相性もいいし、オリンピックとも相性がいい。