5/11/2020

それからのこと

それから僕は一人でやってきた。
1981年まで、
札幌で
もう世の中がデジタルの時代に入るところだったから
そういう仕事をしたいと思って東京の会社の雑誌の求人や、東京の新聞を1日遅れてで
配達してもらって求人先を探した。
30歳からの中途採用だったけれど、僕は全然気にせず連絡をとりまくった。
幸いアナログ技術とプログラミングは少しわかったからそれで押した。
秋葉原のマイコン関連会社、今でいえばパソコン関連の会社、が東京に戻ったら
面接してくれるということで、東京にもどることにした。

そこからのことを話すにはちょっと時間が必要だ。
なぜなら僕はいろいろな人に迷惑をかけ、いろいろな人から援助を受け、
色々な人を裏切り、自分勝手なことばかりしてきたから。
それを書くには勇気が必要だ。

たぶん1981年から1994年まではほんとにその当時の自分を
思い出したくない。
いやそれ以降もいろいろあって、仕事の話を書くのはとても辛い。
僕が死ぬまで書けないかもしれない。
知っているのは一緒に仕事をしていた野池さんだけだ。
野池さんは僕を許してくれるだろうか。
ずっとそれを考えている。

仕事のことはそういうわけでなかなか書けない。