7/09/2013

会社 (1)

私が働いていた会社(品川無線)は大通りの西のはずれにあった。
私を入れて3人の男の人と7人の女性社員、パートさんがいた。

この工場は東京に本社のある会社の札幌工場だった。
左の人が吉野工場長。皆は主任と呼んでいた。
この工場の全ては彼がまかされていた。
北海道品川無線

私は一応技術として雇われた形だったが、社内で必要な冶具や設備
のほとんどは吉野工場長が作っていた。私は電子回路とかアンプとか
必要な時に作ったくらいだ。
工場長には皆なんだかんだ苦情を言っていたが、すごく能力のある人
だった。今思い返すと彼が作った冶具は全て完璧だった。

私はここに座って製品のチェックをしているか、皆に混じって製品を作って
いるかだった。たぶんいつの時代にいるわけのわからない若者の
一人だったのではないだろうか。

北海道品川無線

工場長にはほんとに世話になった。奥さんも夕食を作って持ってきて
くれたりした。いま思うと、私はちゃんとお礼を言っただろうか。
工場長夫婦は今は確か九州に住んでいるのではないだろうか。

社員旅行で羊蹄山の近くの温泉に行った。
場所はほとんど覚えていないが、きれいな湧き水があったこと。
帰りに余市でぶどう狩りをしたことなど覚えている。
工場長と右端が福田さん、真ん中の2人は名前を忘れてしまった。

会社のビルの1階。
会社はこの2階にあった。
確か右手の階段を上がったところだ。
佐川ビル

工場長はいつも明るく振舞っていた。
あんまり滅入っているところをしらない。
本社からの電話でちょっと考え込んでいることは時々あった。

いつだったか、休憩室で皆でお茶を飲んでいた時、工場長が突然
胸を押さえて苦しみだした。彼の顔はみるみる紫色に変わって、
これはだめだ、と思って私は電話で救急車を呼んだ。
誰かが裏の工場長の家に奥さんを呼びに行った。
奥さんは、やけに落ち着いた感じでやってきて、
「時々なるから、大丈夫なの」とか言っていた。
でも救急車が来たので一応病院に行った。

工場長は次の日には元気に出てきて、
いつものように明るく振舞っていた。
私はあの会社のために何かできたんだろうか。
今思い出すと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。