バイクの免許を取ろうと思ったのは32歳の時だ。
なぜそう思ったのか忘れてしまった。
会社が終わってから会社の50ccで自動車学校まで通った。
私が入学した時私以外はほとんど高校生だった。その外25歳くらいの女性と私よりかなり年配の男性が一人いた。つまり私達3人以外は高校生だった。
バイクはKawasakiの400ccでかなり重かった。
卒業試験まではかなりすんなりだったが、一度だけバイクをフェンスに乗り上げてしまったことがあった。バイクを押して転回させようとした時、アクセルを思い切り開けてしまった。
驚いて左手を開いてしまい、その瞬間バイクは教習場のフェンスを駆け上って行った。
幸い誰も怪我しなかった。バイクも無事だった。
卒業試験は同じ時に受けた高校生は全て受かった。25歳の女性もOKだった。
私の番になり急ブレーキも一本橋もOKだった。しかしスラロームでパイロンをひっかけてしまった。
一番簡単なところで落ちてしまった。
その時落ちたのは結局、私だけだった。
数週間後やっと免許を取得した。
免許をとってさっそくバイクを買った。Suzukiのアメリカンだった。
その頃は江東区の湾岸は全て空き地だった。13号地も今のお台場のあたりもビッグサイトのあたりも全部空き地だった。しかも空き地は区画されていて道路はちゃんと舗装されていた。
そこは車は来ないのでバイクの練習にはもってこいだった。
毎週末はバイクがたくさん来ていた。時々白バイのおまわりさんも来ていた。初めて白バイを見た時は取り締まりに来たのだと思った。しかし彼も一緒になってバイクを傾けて練習していた。
その頃会社に入ってきた元自衛官がいた。彼はCB250に乗っていた。
一緒にツーリングに行こうということになり、乗鞍岳まで行くことにした。当時は3000メートルまで自動車で登ることができた。
彼はとにかく止まらなかった。走り始めると止めない限りどこまでも走り続けた。往路は高速を降りてから乗鞍の上まで止まらなかった。さすがに帰りは途中で2回は休憩するように言ったので、
何度か止まった。
こっちは33歳、向こうは20歳そこそこの自衛官上がり。とても太刀打ちできなかった。
それからしばらくしてバイクを辞めた。雨の交差点でスリップしてちょっと怪我したのが理由と言えば理由だ。
去年(2012年)の夏、約30年ぶりでバイクに乗った。
バイクはレンタルバイクを借りた。
ロイヤル・エンフィールドの350cc単気筒だ。
茅ヶ崎で借りて伊豆を一周しようと思った。7月23日、真夏だった。
炎天下の運転を予想して通気性、耐熱性のジャケットを買って着て行った。これはすごい効果があった。とりあえず走っている間は暑さを感じなかった。
レンタルバイク屋で「30年ぶりなんだけど」という話をしたら店員が笑っていた。
「もう少し乗りやすいスクーターにしたら?」と言われたが、ギヤ付きでないと意味が無かった。
バイク屋から国道に出る時は、ほんとうに30年ぶりにバイクを走らせる瞬間だった。
車が来ていないことを確認して、アクセルを強めに開けて、クラッチをつないだ。
バイクは大きくノックしたが無理やりつないで国道に入った。それ以降は非常に安定して運転し易いバイクだと思った。お尻に伝わるシングルのエンジンの振動が気持ち良かった。
朝一で小田原から伊豆に入り、伊豆半島の先端付近にあるスカイスポーツのスクールまでとりあえず走った。ロイヤル・エンフィールドは重かったけれど、低い回転でも力のある走りをしてくれた。
ビデオカメラをバイクのフレームに付けて撮影しようとしたが、振動が強くてすぐにカメラが外れてしまって撮影できなかった。
スカイスポーツのスクールは山の中の盆地にある。下でビールの6本パックを買い、腰に固定して山を登った。山と言っても舗装されているのでバイクは気持ちよく登って行った。
スクールは昔のままだった。知っているインストラクターに挨拶してビールを渡し、テイクオフまでバイクで上がる許可をもらった。
そこは私有地みたいなものだったので、ヘルメットをとってノーヘルで走った。
気持ちよかった。
途中で校長に会った。私のことをちゃんと覚えていてくれた。
テイクオフからは海が見え稲取や伊豆諸島も見えた。
パラグライダーで飛んでいる人に中にも私を覚えていてくれた人がいた。
しばらく山の上にいてから帰路についた。
帰りは海沿いの道をずっと走り、気持ちの良いツーリングだった。
バイクは一度のトラブルも無く帰ることができた。
今年もあれをまたやりたい。