7/12/2013

小樽 1975年

小樽には数え切れないほど行ったが、何故か写真があまり無い。
しかもほとんどの写真は港を写したものだ。
小樽は何か食べに行った思いでが多い。
あそこは何て言う通りだろう。函館本線が5号線を横切るところに、
三角形の安全地帯みたいなのがある通り。
あの通りに「鍋焼きうどん」の店があった。割烹着を着た、まさにお母さんのような
感じの女性が一人でやっていた。
鍋焼きのコンロがカウンターの前にたくさん並んでいて、
その場で作ってくれた。
これはすごくおいしかった。
特に真冬によく行った。

その通りの脇に「たこ虎」というおでん屋があった。
人気のあるお店でいつも混み合っていた。
自分の食べたいものだけ頼めばいいので、金の無い身にはとても良かった。
でも、お客の食べ残したものをまたおでん鍋に戻していた。
それが普通にやっていたので、そういうものかと思っていた。

小樽を舞台にしたテレビドラマがあって、すごく印象に残っている。
確かSTVが作成したドラマで、満州から引き上げてきた老夫婦の話と
若い男女の話が同時進行で進むような話しだった。
確か時間を表示しながらドラマが進むというやり方日本で初めてだったと思う。
最後のシーンで岸壁で老夫婦が「千倉に帰ろう」と言っているシーンが
忘れられない。

ある時、いつもの様に港で写真を撮っていると、ロシア船が停泊していた。
その下で写真を撮っていたら、上から英語で声がした。
「船の写真を撮っているのか?」とか言っていた。
「そう、船とか港の写真とかを撮っている」と言うと。
「登って来いよ」というので、タラップを登って甲板に行った。
彼はユーリと言った。(下の写真左から2人目)
船の中を案内してくれて操舵室も見せてくれた。
それから彼の船室に言って話しをした。
船の名前はOsip Pyofnitskyと言うらしい。FESCO LINEという会社だとか。
1週間くらいそこに停泊してからまたロシアに戻るということだった。
その1週間のうちにもう1度彼の船室に行った。


それから彼はまたロシアに戻ったが、1年後にまた来るということだった。
その日時を教えてくれた。
1年後のその頃、ちょうど東京からYosinoたち友人が3人遊びに来たので、
一緒にそのロシア船に行ってみようということになった。
彼の船は小樽の岸壁にあった。
下から大声で呼びかけたら誰かがユーリを呼んでくれた。
それから私たちを上に上げてくれた。
しばらく話しをしたり船を案内してくれた。
上はその時の記念写真。

しかし、後できいたところ、外国船の上は外国になったらしい。
どうも入管法違反だったらしい。
幸いパトカーとか入管の人には出会わなかった。

住所を教えておいたらしばらくして絵葉書が届いた。
その後どうしているだろう。
まだこの住所にいるだろうか?
住所はUSSRだ。