函館と青森を結ぶフェリーにはいくつかあった。
国鉄の青函連絡船、東日本フェリーの青森-函館、大間-函館、
それと八戸-函館だ。
大抵の場合は八戸-函館に乗った。それが一番楽だったから。
大間は船に乗っている時間は短いが陸路をかなり走らないといけない。
それに船の上の時間が短いから体を休めることができない。
それで大間はあまり使わなかった。
この写真は1978年頃の東日本フェリーだ。
初めて北海道に行った時は国鉄の青函連絡船だった。
国鉄のフェリーはデッキに車を積むため、波止場の路上からデッキの上まで
滑り台を逆さに登るような細いスロープを登らなければいけなかった。
下の写真は、北海道を後にした時の最後のフェリーだ。
この時は初めての時と同じ国鉄の青函連絡船に乗った。
青函連絡船では車はデッキに載せられる。
国鉄の連絡線では航行中は一般乗客と同じように室内で過ごすが、
到着する時は早めに車に戻って下船の準備をする。
その緊張感が好きだった。
これが国鉄青函連絡船に乗った最後だ。
1981年2月だった。
十和田丸
まだ函館の灯が見えているうちにこの写真を撮った。
写真ではよくわからないが、この時泣いていた。
青函連絡船は函館に着く時に、北大の寮歌、「都ぞ弥生」が流れる
と小沼が言っていたが、何度か乗ったが聴いたことがなかった。
冬場は相当揺れることがあった。一度だけ横になって寝てると体が
転がりそうになるくらい揺れたことがあった。
船には弱かったので大抵はデッキで水平線を見ていたが、
その時は揺れに任せて寝ていた。
そのうち眠ってしまった。