7/27/2013

私の音楽-10 1971年8月6日 箱根の3

私達がいた場所から少しステージにに近づくと地面はステージに向かって登り坂になっていた。
そのため普通に座ることができなかった。また私達よりも後ろに方は反対にステージに向かって下り坂になっていた。私達がいた場所はちょうど谷になっていて横になっても転がることがなかった。


そのコンサートに来ていた人達の3分の1はピンクフロイドを知らなかったのではないだろうか、と思わせることがいくつもあった。私達の後ろのグループは5人くらいの男女だったが、終始おしゃべりをしていた。しかも非常にとんちんかんな内容だった。私達の右隣のグループはその中の一人はピンクフロイドを知っているようだったが他のメンバーは知らなかったようだ。
そういう私達のメンバーもPink Floydの名前は知っていたと思うが、私以外は曲は知らなかったようだ。次の曲が始まっているのに「これ始まっているの?」と聞かれた。

Atom Heart Motherの次の曲はGreen is the Colorだった。アルバムMOREからの曲だ。
隣のグループの人が「あれ?これどこかで聴いたことある」と言っていた。
ギルモアのちょっとハスキーな声が谷に響き渡った。
"Hevy hung the canoppy of blue", あの第一声は忘れられない。
彼の声が形を持って湖の方に流れて行くように思えた。
そのまま切れ目無く"Careful with that axe Eugine"につながる。
ベースの低音が盛り上がる中、ロジャーの絶叫が響き渡った。

次の曲はEchoesという曲だった。たぶん曲名をそう紹介したのは箱根が始めてだと思う。
ピアノの単音から始まる曲だが、いつ始まったのかわからない曲だった。
まだMeddleのアルバムが出ていなかったので、この曲を知ってる人は少なかったと思う。

しかし、この曲こそ箱根アフロディーテを伝説にさせた曲だと思う。
会場は雲の流れから、霧のようなものが流れ込んで来て会場全体を包んでいた。
その時の歌詞は今のような海をイメージさせるものではなく宇宙をテーマにした歌詞だった。
私はずっと雲の流れと霧の流れを眺めながら聴いていた。

Pink Floydは数多くのライブを行っているが屋外はきわめて少ない。しかも箱根のようなオープンな環境で演奏したことはたぶん他には無いと思う。
確かライブはCymbalineで終りだったと思う。
もうすっかり暗くなっていたと思う。

コンサートが終わって、元箱根まで歩いて、そこからバスで箱根湯本まで帰ったが、
バスは長だの列だった。歩いて帰ろうか、という案もあったが、それをするにはあまりに疲れていた。
やっと乗ったバスの中も混んでいてつり革につかまりながら眠りそうだった。

その後友人達とどこで別れたか覚えていない。
面白いことに箱根から数ヶ月して一緒に行ったRyuさんと渋谷を歩いていたら、箱根で隣にいたグループの男を見つけた。そこで少し話をした。

箱根の録音テープは、知り合い何人かにダビングしてあげたが、その時に「海賊版屋には売らないで欲しい」と言って4人くらいに渡したが、いつのまにかブートが出ていた。
なにかすごく残念な気持ちがした。