7/22/2013

私の音楽ー5 70年

高校3年になった頃は世の中は70年安保の喧騒の中にあった。
その10年前の60年安保の時は安保が10年間継続するということで死者(樺美智子さん)
まで出していたが、その条約が今度は永遠に継続されるというこで70年安保は絶対に
阻止しなければいけないという人たちと、当時日本が加担していたベトナム戦争への反対
運動と大学内の不正を正そうという動きの全てが重なって大きな動きになった時代だった。

高校3年の同級生にMという男(通称ブー)がいた。かれは非常に頭の良い男で成績も良かった。
しかし彼はなにかというと先生、学校に反発していた。私にはその理由がわからなかった。
しかしいつかのホームルームの時だったろうか、彼が言っていることが正しいと思えた。
それまで反戦とか安保とかいう言葉は自分とは関係ないものだと思っていた。
その時から私は彼と話すようになった。
彼は私をある場所に連れていってくれた。そこは井之頭公園の裏手の病院だった。
そこには学生や社会人の人たちがいて何か準備していた。
これからデモに行くということだった。

私も誘われて一緒に行くことにした。
デモは「ベトナム反戦ちょうちんデモの会」と言うデモで、吉祥寺から三鷹駅までをデモ
するものだった。
当時は学生運動のデモ、労働団体のデモ、政党系のデモ、ベ平連のデモなどがあったが
このデモはそのどれにも属さなかった。「もののべながおき」さんというお医者さんが始めた
ものだった。そのためそのデモには民青系(共産党系)以外の色々な人が加わっていた。
確か中核系の人と革マル系の人も一緒にいたと思う。

デモは歌を歌いながらゆっくりと歩くだけだった。その歌を先頭で歌っていたのがジロー
だった。ジローはブーともまた違った考えを持っていたと思う。二人が言い合っているのを
何度か見たことがある。
デモは暗くなって始まったが、その前に井の頭公園の音楽堂で歌を歌うのが常だった。


ステージのところは今と少し違うように思う。
ステージのすぐ下からベンチが並んでいたように思う。
ジローは沢山の歌を知っていた。いわゆる反戦歌もそのほかの歌も知っていた。
また彼の声はよく通る声だった。
彼が歌う横で私もギターを弾き一緒に歌った。
それはいわゆる新宿西口広場でのフォークゲリラ集会よりもずっと前だったように思う。

私達は吉祥寺駅でも歌った。歌ったと言ってもすぐに駅員に追い出されたが、何曲かは
歌えた。今は変わってしまったが、井の頭線から国鉄の改札に降りる階段の下のちょっと
広くなったところだ。

新宿西口でフォーク集会が行われるようになっても私達はすぐには参加しなかったように
思う。自分達はい主に吉祥寺・武蔵野を拠点にして活動していた。
ちょうちんデモの会は穏やかなデモだったが、確かジローの発案で自分達の旗を作ろう
ということになった。旗は真っ黒でそこに「西部戦線」と白で大きく書いた旗だった。
黒はどこのセクト、団体にも加わっていないという意味で、ヘルメットも黒だった。

その旗とメットでいくつかの集会に出かけた。その頃病院の隣の明星学園の生徒も
メンバーに加わっていた。彼らは高校生だったと思うが、ひょっとすると中学生だった
のかもしれない。男の子と女の子が一緒にいた。黒旗はたいていその男の子が持って
いた。ベ平連のデモには参加したことがなかったけれど、いつかの6月15日のデモに
参加した時、議事堂の近くの道路で前後を機動隊に挟まれて、圧死しそうになったこと
があった。その時も黒旗が一緒だったと思う。

東大が陥落した日、予備校生だった私は明治大学の校舎の中にいた。予備校闘争とか
言って討論会を行っていたグループにいた。そこで「東大に行ってみるか?」とか「行かない」
とか言い合っているだけだった。

西口広場に機動隊が入った日は覚えている。
そうなることは目に見えていたが、フォーク集会はいつのまにか学生運動に利用される形で
学生の集会、デモが行われるようになった。
機動隊が来たということで地上に逃げた。逃げた時に途中で靴を片方無くしてしまった。
ビルの陰でどうしようかと思っていたら、新聞記者が私の靴を持って来てくれた。

西口が広場でなくなってもジローは歌うことをやめなかった。みつかるとすぐに警官に
追い払われたが、それでも歩きながら歌っていた。

時間関係がわからなくなってしまったが、日比谷野音で高石友也が「フォークゲリラコンサート」
をやるというポスターだったかビラだったかを見つけて、確かジローの発案で、その
コンサートに行って話をしよう。ということになった。
その時は西口でフォークゲリラをやっていた人たちも一緒だった。

その時は私が西部戦線の黒旗を持ち、高石友也のステージに乗り込んだ。
当然のことだが全ての観衆のブーイングが私達に向けられた。
会場の後ろに確か「フォークゲリラ・・・コンサート」という垂れ幕がかかっていたと思う。
ジローがそれについて「なぜフォークゲリラ」なのかを高石友也に問いただしていた。
私の位置からははっきり話が聞こえてこなかったが、「わかったあれは降ろそう」
という意味のことを言っていたと思う。
その後はよく覚えていないが全観衆の帰れコールで私達はステージを降りたと思う。

ジローはいつからか、集会で「友よ」を歌うとき、
「夜明けは来ない~、夜明けはこない~」と歌うようになった。
私も一緒に歌った。


ジローがよく歌っていた歌の旋律だけを覚えていて、その歌が何なのか
インターネットが普及してからやっとわかった。
「思い出しておくれ」という歌だ。原曲はフィルオクス。
この歌をジローは軽快なリズムで歌った。

「思い出しておくれ、僕を・・」という歌詞は
ジローが私に歌っているように思える。