初めて見たレ・ミゼラブルは舞台だった。相方に誘われて見に行った。
私はそれまでこの話を知らなかった。断片的には知っていたが、全てを知らなかった。
初めて観たときストーリーはあまり印象に残らなかったけれど、劇中の曲は覚えた。
その後、舞台や映画を観たがラストシーンでは涙を禁じ得なかった。
最後に全員の合唱で歌われるDo You Hear the People Singは完全に69年に重なる。
あの舞台や映画を観た同年齢の人達もそう思ったのではないだろうか。
あの歌というよりもバリケードと学生という設定がそう思わせるのかもしれないが、
当時デモや集会でよく歌ったワルシャワ労働歌を思い起こさせた。
Who will be strong and stand with me?
Beyond the barricade
Is there a world you long to see?
Then join in the fight
That will give you the right to be free!
起て同胞よ 行け闘いに
聖なる血にまみれよ
砦の上に我らが世界
築き固めよ勇ましく
もののべさんの病院は「武蔵野・三鷹東大闘争救援会」という活動をしていた。
東大に限らず学生運動で怪我をした人の治療もしていた。
また催涙ガスが軍用の毒ガスに匹敵する猛毒であることなどを訴えていた。
逮捕され拘置所や刑務所にいた学生への援助もしていた。予備校生であった私も
何度か差し入れに行った。
もののべさんの病院には怪我をした学生がいつもいた。怪我をした女子大生がいた。
かわいらしい感じの女性だった。
寝ている場所を移動する時に男二人で彼女を抱きかかえて移動させた。
私は女性を抱きかかえたのはその時が生まれて初めてだったと思う。
催涙弾の水平撃ちを頭に受けて頭が陥没した学生がいた。
彼の傍に座って何か話をしたのを覚えている。場所は病院の中ではなかったかもしれない。
私が話していることはわかっているようだったが、彼は言葉が思うように出てこないようだった。
その病院にはいつも学生がいた。あまりにいつもたむろしているので、もののべさんが怒った
ことがあった。「お前ら何もしないでここに居るなら出てゆけ!」というようなことを言っていたと思う。
そこにはセクトも組織もなかった。中核の人がいた(火星ちゃんと呼ばれていたかな)、また革マル、ブントの人もいた。日中友好協会の人もいた。神学大の人や**重工の人や高校生もいた。
たぶん当時、そんな場所は日本中探してもあそこしかなかったと思う。
もののべさんには活動以外のことでも相談に乗っていただき、とてもお世話になった。