7/30/2013

私の音楽ー12 バンド

高校の頃は前に書いたけれど、古いアメリカンフォークを2人でやっていた。
マイク・シーガー、ピーと・シーガー、ウッディ・ガスリー、シスコ・ヒューストンのような歌手の歌を歌っていた。

大学に入ってすぐにフォークソングクラブ(ASF Aoyama Singing Folk)に入った。

最初は一人でアパラチアン・マウンテンミュージックのような曲をやっていた。他にそういう曲をやる人はいなかった。



そのうち先輩がキングストントリオのバンドを組もうと言ってきて、私も好きなバンドだったので始めることにした。
一人(ボブ・シェーン役)は同じクラブの先輩だった。もう一人(ニック・レイノルズ役)は別の学校の人だった。 

このバンドは1年ほど続けた。
私はジョン・スチュワート役だったのでバンジョーとギターを弾いた。3人で色々なコンサートに出た。このバンドはとても楽しかった。ニュー・フロンティアズの瀬戸さんにも会って一緒に食事したりした。

1年間3人で活動して、私は同学年の2人とCS&Nのカバーバンドをやることにした。
 
 
主にCS&Nの曲をカバーするだけだった。このバンドはあまり楽しくなかった。
惰性で1年やった。 このバンドもいろいろなコンサートに出たが、あまり覚えていない。
覚えているのは豊島公会堂の観客がほとんどゼロだったコンサート。
このコンサートには「なぎらけんいち」さんや本田路津子さんも出ていた。

そのほかクラブでは女性と二人で歌っていたこともあった。イアンとシルビアの曲を何曲かやったと思う。

2年の終りだったろうか、3年の頃だったろうか、同じクラブのWilliamと一緒にクラブをやめることにした。Williamと私はそれまでにも一緒に音楽を作っていた。今からすると幼稚な音楽だが、当時は自分達で録音して音楽を作るということはとても面白かった。
オープンリールデッキを改造してエコーがかかるようにしたり、ミキサーを自作したり、エレキのイフェクターを作ったりして、そういう音を作ることが面白くて色々試していた。

Williamは藤沢に住んでいたので、藤沢でコンサートをやろうということになり、市民会館で最初のコンサートを開いた。私達の他にもいくつかのグループが出た。
その時はザ・バンドやザ・バーズなどの曲をカバーして演奏した。
その後何度か湘南でコンサートをやった。

私たちが湘南で活動していた頃、元の学校のクラブでは分裂騒ぎがあったらしい。
私はその時の詳細を知らないが、分裂したグループがクラブの設立メンバーに対して何がしかの問題提起をしたらしい。それによって何故か分裂組が元のクラブ名を名乗り、設立組があたらしいクラブを作ることになったらしい。
その時に私とWilliamと他のメンバーは分裂したグループの仲間と思われたらしく、その後ずっと私達にたいして謂れの無い差別感があった。



私とWillamとメンバーはレコードを作った。最初に作ったレコードはビニル盤だった。
鎌倉の知人宅に泊り込み何週間かかけて録音した。私たちは全員ヒッピーのような風貌だったので鎌倉山の人には怪しい人間と思われたのだろう。警察官が訪れることもあった。
しかし隣家がちょっと離れていたので、ドラムやエレキを鳴らしてもそれほど騒音でもなかったかもしれない。実際はわからないが。


このころは最高に面白かったし、楽しかった。
学校もサボっていたので一年留年することになってしまったが、この数年間は人生の中でもとても大切な時代だ。