5/29/2026

Chat-GPTはなぜ児童相談所に連絡させたか?

この答えは簡単だ
Chat-GPTが人間を知らないから。
もっと言うならChat-GPTは日本人を知らないから。
あるいは日本での生活を知らないから。
あるいは日本の社会を知らないから。
あるいは日本の社会で児童相談所に子供が連絡したら
どうなるかを知らないから、
そしてそうなるとその家庭がどうなるかに考えが及ばないから。
全部知識としてしか知らないから。
Aiは何でも知って万能だと思い込んでいると、彼(?)が単に
コンピュータであることを忘れてしまう。
だから勉強や仕事以外の生活にかかわることを
Chat-GPTに聞いてはいけないと思う。
今回の事件をOpenAIが教え込んだら少しは利口になりかもしれない。

私は何度かChat-GPTを使ったことがあるけれど、
あの違和感は人間を相手に話しているのではないということ以上に
彼があまりに冗長なことにもある。
あれは、ある人と会話していて全然こっちのことを聴いてないな、
と感じるのに似ている。
こっちのことなど考えていない、ということを心にとめておかないといけない。

自分の分身としてのAiを作ったらどうだろう、
自分のありとあらゆる情報を覚えこませて、
思考方法も教え込んで
趣味趣向も教えて、
例えばここに書いてきたことなども全部教える
ついでにそお話の裏にどういう理由があったのかも
密かに伝えておく。
そういうAiを作ったら何かの時に役にたつかもしれない。
あるいは何を聞いてもまともに答えられないかもしれない。
どちらにしてもChat-GPTよりは人間らしいと思う。





5/27/2026

宇宙望遠鏡

 今では多くの宇宙望遠鏡が設置されているので、
ハッブル宇宙望遠鏡はもう古いものになっている。
もう30年前に打ち上げたものだ。
早いものだ。
打ち上げ時の解像度の失敗のことなど
まだそんなに昔のことには思えない。

それから多くの望遠鏡が打ち上げられ、また中止され
今では12台くらいの望遠鏡が空の上にある。
それで最近知ったことは、
私は宇宙望遠鏡はみな地球の周りの軌道上にあると思っていた
のだけれど、そうではなく太陽を越えて反対側の
ラグランジ点に設置されているものもあるらしい。
ハーシェル宇宙望遠鏡とかジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡
がそうらしい。
ということは、地球からものすごく離れたところで
太陽の周りを公転しているみたいだ。
150万キロ彼方らしい。
なるほどそうすると地球の雑音からは遠く離れて
静かに観測できそうだ。
でも何か起きた時は修理をするのに一大宇宙旅行になりそうだ。


雪の中山峠まで

 昨日はYouTubeで札幌から中山峠までのドライブ映像が
あったので見ていた。
札幌から峠まで約30分の映像。
ん?ちょっと待て実際は何分くらいだったろう?
1時間はかかったと思うけど。

冬のドライブだった。
映像を見ると広角画面のせいか速度が速いように思った。
いや、実際あの早さなのかもしてないが、
スパイクの頃とあまり変わらないように思える。
スタッドレスタイヤってそんなに制動がいいのだろうか?
すれ違うトラックが怖い
そっちの轍だじょうぶ?と思ってしまう

札幌を出て石山を越えると景色は50年前と変わらない
ように思える。懐かしいとか思い出すとかではなく
全く変わっていないように思う。
昔もこの道だった
雪のドライブはいい
どこに行くかわからない幻覚に陥る
夜はもっとだ
吸い込まれるような、飛んでくる吹雪
あれはちょっとしたトリップだ

中山と峠までの道はほとんど覚えている
カーブもその先も
峠のドライブインも、あれは昔のままなんじゃないか?
昔もちょっとがっかりするような小さなドライブインだった
今も変わらない
とりあえず「あげいも」を食べる
それだけだけど
向こうは函館までノンストップ、
こっちは札幌の家までノンストップだ。



5/25/2026

清里行ってきた

友人のWilliam Hamesがライブで歌うので伴奏してくれと言われて
伴奏しに行ってきた。
場所は萌木の村とかいうお店がいくつも集まった公園のような
きれいな場所だった。
その中央に広場があり、そこのステージでやることになっていた。

友人はそこに招待されステージをやることになったようだ。
一人ではやれない、とか言って伴奏をすることになった。
1時と3時に2回やることになっていたけれど、
2回目は雨のため中止になった。
セットリストは
Honky Tonk Woman
Dont' think twice
I shall be released
Me and Bobby Mcgee
Will the circle be unbroken
Knock on heaven's door
Forever young
それとCountry road take me home
私は何かを一度間違えた。
でも友人がカバーしてくれて無事?だった


Williamと二人だけでステージをやるのは初めてだ。
ほとんどバンドでやってきたのに皆と一緒だった。
今回私は伴奏と少しハモを入れるだけだったので楽だった。
だけどWilliamはどうだったろう?
一緒にいると少し緊張しているように感じた。
まあ、でも彼は歌は慣れているので何も問題無かった。

そのライブのプロデュースをしていた女性が
とてもユニークな人で、ああいう人はあまり会ったことが無い。
その人が前日の夜に連れていってくれたお店がまたユニークだった。
店も店長も70年からそのままのような感じだった。
「ああ、こういうお店、昔はよく行ったなあ」と思った。
その店長とWilliamのセッション




清里への行き帰りは渋滞でちょっと疲れたけれど、
意外に疲れは残っていない。
しかし前後を車に挟まれて高速で走るのは緊張する。

全行程を終えて家に帰ったのはちょうど夜の十時だった。

5/20/2026

最近時間がおかしい

 今日は木曜日だと思っていたら水曜日だった。
そういうことが何度もある。
逆は起きない
つまり木曜日だと思っていたら金曜だった
ということは起きない
これは何だろう?
気分的には得をした感じなのだけど

5/18/2026

突然思い出す記憶

 ヴェイロン・ラクロアって何だっけ?
さっき急に浮かんだ。
ナントカ、ヴェイロンラクロアだ。
癪だけど検索した
そうだ、ロベール・ヴェイロン・ラクロアだ!
誰だっけ?
ピアニストだ。
そうだピアノ伴奏でよく聞いた名前だった。
メインの演奏家としてはあまり聞かなかったように思う。
例えばアルトゥール・グリュミオ、ピエール・ランパル
ソチエタ・コレルリなんかの名前と一緒記憶していた。
どうもピアノというよりクラブサンの奏者として有名だったみたいだ。

もうひとつ「たんす歩道橋」だ。
もうあんまり都内には行かないし、都内の交通情報も聴かないから、
どこだっけ?
と、すぐには思い浮かばなかった。
使わないと記憶は奥の方にしまわれてしまう。
六本木ね
IBMがあったとこだね。
あの歩道橋を渡ったことはあるだろうか?
たぶん無い
道のどっちか側を歩いていたから
たんす歩道橋ね
覚えておこう

5/17/2026

スチームパンクな夢

 というか、スチームパンクはかなり夢に近いと思う。
造形物にしてもそうだけど、映像になるとこれはほとんど
夢だ。

AIが作り出した架空の創造物だから
それが何かはわからないでも
それは夢の創造物に近い。

私の夢にはよく青空と星空が出てくる。
青空には何か浮かんでいる
真っ白な何か
それが何かはわからないけれど、巨大なもの
星空もよく見る
星は満天の星で星座を形作っている
それをじっと見ていると
星々が動き始める
星々はそれぞれ色が付いている
時々その中に巨大な宇宙船のようなものが現れ
私は家の陰に隠れて見ていたりする
それと電車だ。
本当に毎回のように電車が出てくる。
どこか遠くの街にいる。
そこから家に帰りたいのだけど、どこをどう帰っていいかわからない
たいていは雰囲気は栃木とか埼玉とかだ
どこの駅から何線に乗ればいいかわからない
あるいは路線を間違えて全然別なところに行ってしまう。
あるいは切符を買う場所が無い。
そうだ、夢の中では必ず切符を買わなければいけない
PASMOで乗るなんてことはできない。
家に帰り着いたことが無い
それどころか最後までどこにいるのかわからない

それと駅だ
駅の構内
各プラットフォームに行く通路
渡り廊下
何番線なのかわからないホーム
ホームの途中から止まる電車の行き先が違っている駅

夢の渋谷駅で降りてどこかの店で何かを買わなければいけない
という夢があった。
渋谷で降りるのだけれど、全くわからない。
知らない街
記憶をたどり、青山通りを行けばお店があるはず
だけど青山墓地のような場所に出る
すこし高くなっていて坂の向こうにビル街が見える
そっちに行こうと思うのだけど
途中でいくつもの路地に分かれていて
どこを行けばいいかわからない。

だいたいそんな感じの夢だ。
でもそういう夢で迷っているのはまだいい夢だ
仕事のことで責められる夢よりずっといい







5/16/2026

ライブで歌う

コマツことWilliamという友人が清里で歌を歌うのだけど
一緒にやらないか?
と言ってきた。
別に何の問題もないので「いいよ」と言った。
考えてみると人前で歌うのはたぶん5年ぶりくらい。
最後はデュエットで歌っているルー&クリポンという
イアンとシルビアのトリビュートバンドに招待された時だ。
招待と言っても1曲歌ってと言われてJohn Stewartの歌を歌った。
それがたぶん5年くらい前だ。
その前は亡くなった松尾のバンドに参加した時だから、もう7年くらい前だ。

それで来週清里に行って二人で演奏する。
と言ってもメインは彼なので私はギターを弾いて
ハモをちょっとやるだけ。
コマツと二人でやるのはたぶん20代の頃に三鷹の家で
練習したときくらいだ。
コマツ、William Hamesは今は著名な写真家だ。
The Bandのラストワルツの時代からロックミュージシャンン
の写真を撮っている。
多くのレコードジャケットのカバー写真もやっている。
当時憧れたミュージシャン達の写真を撮っている。
考えてみるととても不思議だ。
あの頃の仲間が、憧れだったロックバンドの写真を撮っている。

彼とやる曲はその昔一緒にやっていた曲だ。
たぶん練習一切無しでもエイヤーで歌えると思う。
しかし、先週練習したことをもう既に忘れている。
あの歌の出だしはどうやったっけ?
と思い出せない。
重症だ。
電話で前の日に現地でちょっと練習しよう
ということになった。

しかし一体どういうシチュエーションで
どういう人たちの前で演奏するんだろう?
彼の関係だから音楽関係だろうか、
そうだとすると緊張するな。
有名な人とかいたらまずいな

逆に昔のロックを知らない人ばかりでも困る。
「あの人たち何歌ってるの?」ってことになるかも。
昔キングストン・トリオのカバーバンドを学生の時に
先輩の人たちとやっていたことがある。
ある日、知らない人の結婚式に呼ばれて
歌を歌うことになったので、キングストンの歌を何曲か歌った。
それで最後に新婚夫婦からリクエストがあって
トワエモアの「空よ」をやってくれということになった。
それをなんとか歌って帰る時に、
どうも何かおかしいと気が付いて、
呼ばれたのはキングストントリオのカバーじゃなくて
キングトーンズのカバーバンドだったのではないだろうか?
と私は思った。
先輩にそれを言ったらしばらく黙って考えていて、
「帰ろう!急いで!」と3人で急いでそこを離れた。
ということがあった。
一般の人は恐ろしい。


5/15/2026

夢を見る理由

 というのをYouTubeで見た。
曰く、記憶を整理して嫌な記憶を和らげているとかなんとか、
それはどうかな?
私はその夢によって絶えず嫌な記憶を思い出させられている。
決して和らいでなどいない。
忘れていたことも夢で思い出させられている
ふだん思い出さないように気を付けていることも
夢では何の障害も無く出てくる
それは何だ?
最近では夢がつらい
だけど夢を見ない日は無い
「わかった!頼むもうそれは見せないでくれ!」
と言っても無駄だ。
夢はそれを楽しんでいるように新たないやな記憶を出してくる。
こっちが忘れているのに、
なんでそれを知ってるんだ?

夢は記憶を整理するというより
潜在している記憶を掘り起こしているように思う
それが当人に必要なものかどうか、お構いなしに

5/13/2026

羽田空港第3ターミナル

 昨日は香港から帰ってくる妻を迎えに羽田に行きました。
羽田はきれいです。
昔は羽田は古臭くて成田がきれいでしたが、今は逆です。
先週行った成田はどこも古くて、エレベータも汚くて、
あれはリフォームした方がいい。
少なくとも国際空港のそれではない。

羽田は家から車で飛ばして40分くらい。
昨日は8時20分到着予定だったので、ピザを買って早めに
行って車でたべようと思ってた。
着いたのが7時45分くらい。
十分時間があるなと思っていたけれど、一応到着時間を
確認しようと思い時刻表のところへ行って見たら
8:05になっていた。
ああ、早く着くんだ、と思い、到着ロビーでそのまま
待つことにした。
しかし8:05になったら、到着時間が8:35になった。
どうしたんだろう?と思った。
ロビーは大勢の人が待っていた。
8:35になって、「着陸済」の表示が出た。
それからが長かった。
なかなか出てこない。
広東語を話している人たちがどんどん出てくるけど
なかなか現れない。
最初の予定時間から1時間くらいしてやっと出てきた。
何かの理由で着陸をやり直して、栃木県の方まで回って
帰ってきたらしい。
まあ、無事に帰って来てよかった。

ロビーで中から人々が出てくるのを見ていたが、
よくまあこんなに違う人種がいるもんだと思った。
太い人、細い人、巨人のような人、
いろいろだ。
あそこで名前を書いたカードを胸の前に持って
誰かを待っている人が何人もいるが、
名前しか知らないんだろうな。

全くでたらめな名前を紙に書いて
胸の前にかかげてあそこで立ってみんなの様子を
見ていたら暇つぶしにはなりそうだ。

5/11/2026

ハングの仲間

 一昨日のことだけれど、フェイスブックで私が最初にハングを
習った伊豆のエリアのところを見ていた。
今、誰か知ってる人は残っているのかを見ていた。
インストラクターの力也氏はまだ元気だ。
たぶん私より20歳くらい若いから。
当時の校長の西野さんの姿は見つからなかった。
でもホームページには会長として載っていた。
西野さんはハング選手権の第一回優勝者だった。
確か私より10歳くらい年上だったように思うけど。

知っている名前をずっと探していた。
パラグライダーの方には何人か当時の人がまだ飛んでいるようだ。
そのスクールではもうハングの講習をやっていないので
ハングの人は見当たらない。
ただ「マユミちゃん」という人が私と一緒にハングを練習していたが
その「まゆみ」という名前のパラグライダーの人が2人いた。
顔を見ても、似ているかもしれない、としかわからない。
二人のうちの一人はそうかもしれない。
ハングをやめてパラにしたのかもしれない。
笑い顔とかマユミちゃんに似ている。
ハングをやっていた女性でもう一人「まりちゃん」という
私より20歳以上若い人がいた。
彼女は見当たらなかった。
10年くらい前にバイクでそのエリアに行った時はまりちゃん
はまだそのスクールに行っているようだったけど
その後はわからない。

一緒にハングをやっていた男は3人いた。
一人は事故で亡くなってしまった。
ああ、ミツキ!
あのはにかんだような笑顔を忘れない。
あとの二人の名前は見当たらない。

今日になってフェイスブックでお知らせが入った。
ハングのEguchiさんという人からだった。
この人は足尾山の人だ。
ハング仲間の女性が病気で亡くなったという知らせだった。
動画が付いていた。
見ると足尾の東テイクオフから彼女がテイクオフしてランディングする
まで入っていた。
16年前の動画だ。
サングラスをしているのでわからない。
知っているようでもあるし、知らないかもしれない。
東テイクオフの映像はとても懐かしい。
地面の感じも山の様子も私が飛んでいた頃のに似ている。
テイクオフのすぐ前に立つ杉の木もそのままだ。
その杉の木に衝突して亡くなった学生がいた。
時々話をした人だ。
彼は一番大事なスイングラインのチェックを怠って
グライダーに手でぶら下がった状態で飛んでしまった。
それで目の前の杉の木の幹にぶつかってしまった。
彼のお葬式にも行った。

私が最初にいた伊豆のエリアの力也氏の友達リストに
この足尾で私が習った板垣さんというインストラクターの
名前があった。
どういうつながりかは知らない。
板垣さんも世界的なハングフライヤーだ。

その亡くなった彼女の動画を見ているうちに
なにかとても悲しくなってきた。
足尾のスクールはもう無い。
確か板垣さんが新しいスクールをやっているはず。

パラは便利だけど、飛ぶという意味で
ハングは格別だと思う。
高い空の上から真下を眺めながら飛ぶのは
何物にも代えがたい。

5/10/2026

ロイヤルエンフィールド

 昨日海岸通りを走っていたら左車線前をロイヤルエンフィールドの
350ccが走っていた。色は薄い水色。型は私が以前借りたもの
と同型だった。

これの水色版だった。
乗っていたのは小柄な女性。
しばらく並走していたが、遅いので私が先を行った。
信号で止まった時、出だしてエンストしたらしく、心配で
しばらくバックミラーを見ていたが、すぐに立ち直って
走り出したので安心した。

それでさっきフェイスブックを眺めていたらレンタル819で
ロイヤルエンフィールドの何機種かを貸し出す予定らしい。
残念ながら上と同型のものは無かった。
350ccのものはあった。
どうやら上の古いタイプの改良版みたいだ。
でもこの色は好きじゃない。
あまりにインドっぽい感じがする。
古いタイプの気品というか繊細さが無い。
あんまり借りたいとは思わない。

2年前に北海道で乗った350ccのロイヤルエンフィールドは
あまりに重すぎた。あれは何キロあったんだろう?
たぶん250kgくらいあったような気がする。
私が乗ったクラシックのは190kgくらいだと思う。

しかし昨日みたエンフィールドは良かった。
あれだったら乗ってみたい気がする。





今日の盗聴

 今日は朝一でAU光に電話して、3月に解約したのにいまだに請求書が
来ている旨を確認した。
その結果KDDIではなく当時に契約させられたニフティーの方から
の請求だった。ニフティーは3月に解約受けました、のメールも
もらっている。
問題はその電話で何度も「ニフティー」という名前を言ったことだ。
電話は固定電話からしている。
脇にスマホを置いていた。
電話を終わって机に戻ってスマホを開いてフェイスブックを開いたら
NIFTYのCM動画が流れた。
ちなみにニフティーは全く利用していない

5/09/2026

木のこと

 この前、ナラノキだかエノキだか書いた時に木の種類を
調べるために図鑑を買ったのだけれど、これが非常に難しい。
樹木の皮膚とか葉とかで調べるわけだけれど似ている木は
ほとんど同定不可能だ。

それでGoogleはどうだろうか?と写真を入れたら結構正確に
出てくる。樹木の全体像ではほとんどわからないが、
葉と枝の拡大写真を入れるとほぼ同じ樹木を言ってくる。
だから木の種類を調べたいときは、枝と葉をズームして写し、
葉の表と裏側の葉脈をはっきり写し、枝に対する葉の付き方
をきれいにとるとかなり正確に同定できるようだ。
それでもはっきりしない場合は図鑑の説明を読むとだいたい
「これではないだろうか」というのがわかる。
今家の周りの木の名前を全部調べている。

5/08/2026

記憶の照らし合わせ

 今日は香港に行く妻を成田に送って行った帰りに
浦安の兄の所に寄った。
まあ、お互い頻繁には会っていないのでたまに会うと
老けたなと感じるのだけど、
それも最初だけで話をしているとそんなことはどうでもよくなって
昔通りの兄がいた。

それで昔、子供の頃の記憶をお互いに出し合って話したのだけど、
共通して覚えていることと、どちらかが記憶しているけれど
どちらかは全く覚えていないことがある。

共通して覚えていることは、父によく日本橋の三越に連れて行って
もらい、帰りは東京駅からトレーラーバスで吉祥寺まで帰ってきたこと。
これは私も覚えていたけれど、どこへ行った時かは覚えていなかった。

三鷹の街で家の近くに歯医者があったことは私は全く覚えていなかった。
ああ、そうだ近所の兄の同級生の鈴木幹夫さんが最近亡くなったそうだ。
街のことは兄の方がよく覚えていた。
でも細かい所は私の方が覚えていた。
例えば近所の広場や学校の校庭にスクリーンを立てて
映画観賞会をやったのは兄も私も覚えていた。
しかし何の映画だったかは兄は覚えていなかった。
学校でやったのは「我は海の子」、広場の方でやったのは
「しいのみ学園」と「つづり方教室」だった。
他にもやったと思うけれど、私はそれしか覚えていない。

今はジブリになっている日産厚生園とか三和グランドとかは
私も覚えていた。

・・・・・・・

大阪のこと。
私は小学校5年の4月から、5年生の終わりまで高槻にいた、
と思っていたけれど、兄によると私が小学校5年の夏に行って
5年生の終わりに三鷹に戻ったそうだ。
そういわれるとそうだと思い出した。
半年しかいなかった。しかし記憶の中では1年くらいの長さだ。
家の前の国道を戦車が時々通ったこと、
家の前の空き地で花火をやって傍の材木屋に怒られたこと、
駅に行くまでに母が好きだったたこ焼き屋があったこと、
中学校と私が行っていた小学校の分校は同じ敷地にあって
脇に堀があってカメがたくさんいたこと、など。
私は西は淀川の土手から南は枚方まで自転車で行ったことが
あったけれど、兄はほとんど遠くには行かなかったこと。

北側の山によく登ったこと。
一度漆で兄がひどくかぶれたことを、兄は全く覚えていなかった。
私は手が少しかぶれただけだったけれど、兄は全身にかぶれが出た。
その時は母も焦っていたのを覚えている。
家の風呂場に蛇が出て、それを私が塵取りで外に逃がしたこと。
これは二人ともよく覚えていた。
家に来ていた叔父がたばこの火で座布団を燃やし
私の父母に怒られていたことは、私は覚えていたけれど
兄は知らなかった。
引越しした日に頼んだ蕎麦のタレがものすごくしょっぱくて
そのままでは食べれなかったこと、は二人とも覚えていた。

ちょっと兄の記憶が変なところは、高槻の家があった場所、
兄は実際よりも駅の近くだと思っていて、「もうすっかり
変わっていて、行ったけどわからなかった」と言っていた。
兄は家の場所を数百メートル間違えている。
家があった場所はまだそのままあるし、家自体は2階家に
変わっているけれど、雰囲気はそのままで今もある。

面白いことに、兄はその家の脇をもう少し行った3差路の
所まで行ったらしく、「その三叉路はまだある」と言っていた。
そこまで行ったならなぜ家の場所を見なかったのだろう?

いろいろ違いがあって面白い







5/06/2026

今朝の夢は面白かった

 自分の部屋にいると突然隣の部屋(少し床が低くなっていた)の
真ん中に空から何か長い棒のようなものが落ちてきた
とても速い勢いで床に刺さった。
刺さったまま赤い炎を上げてシューシューと音をたてて、
その炎が天井くらいまで上がった。
私は「これは夢なの?!現実なの?!」と叫ぶ
炎の中から大きな人間型の何かが出てきた
私はまだ夢なのか現実なのか考えている
その人型のものに襲われないかと心配している
私はそばのカメラを取り出し、それを写そうとする
しかし、カメラがうまく操作できない
・・・

そこまでしか覚えていない。
その後のシーンは
会社だ。
顔を知っている女性が机に座っている。
その人が「これを全部片づけてくださ」と言って
私の私物を全部持ち帰るように言う。
私はそれを全部箱に入れて
どこかの机に置く
どこだかはわからない。
するとまたさっきの女性が
「これ直してください」と私がいた場所の机の上の
金属板の縁にあるボルトが緩んでいるのを指さす。
私はレンチでそれを回して固定する。
すると板の一部が変形しているのに気が付く
レンチでそれを叩いて直そうとするけれど
うまくいかない。
そうだ金槌があったはずだ、とそれを探す
頭が平らになった金槌があったはずだけれど見つからない。

・・・・・・・

一番大事なことを忘れていた。
夢に母が出てきた。
私が部屋に汚れた服や下着、ごみなどを置いていたので、
それを片付けようと思って部屋に行くと
全部なくなっていて、部屋に母が立っていた。
母は何も言わずにそこに立っていた。
笑ってもいなかった。
母が全部きれいにしてくれていた。
そこに立っていたのは確かに母だった。
その何でもやってくれる存在としての母を感じたのは
たぶん何十年ぶりかだと思う。
懐かしいような不思議な感じだった。
そういう母の存在をずっと忘れていた





5/04/2026

木が違った

 この前「ムクノキ」と言った木は
本当はエノキだったみたいです。
今日改めて近接した写真を撮ってきた。
すごく似ているのだけど、葉の裏をみたら
葉脈は左右対称ではなく不対称だった。
つまり完全には対称ではなかった。
エノキの可能性が高い



宇宙はどうなった?

 確か最近の観測データからすると
宇宙は130億年よりも広いっていうことじゃなかった?
つまりビッグバンは無かったってことだよね?
ビッグバン宇宙論は、じゃあその前は何だったの?
っていう問いは残るけれど、
一応そういうものか、で落ち着いていたはず。
というかそういうものだと納得させられていた。
それがビッグバンは無かったっていうことになると
急に不安になる。
まあ、どっちにしろ実質関係ないのだけど、
どういうことなのかをはっきりさせて欲しいね。
そうしないと弥勒菩薩が現れるのは何十億年後かもはっきり
しないような気がする。

ビッグバンによる成長する宇宙よりも拡大も成長もしない
定常宇宙の方はなぜか不安をさそう。
いつまでも同じ
ずっと繰り返してる
無限に
考えると不安になる

はい、130億年前にビッグバンがありました。
それから宇宙は膨張を続け
いつか宇宙は冷えて死にます
みたいな方がまだ安心できる

まあ、どっちにしろそこまでいないのだから
どうでもいいって言えばそうなんだけど。


5/02/2026

大腸検査 何度目?

 昨日また大腸検査を受けた。
ついでに人間ドックも一緒にやった。
だから口から胃カメラをやって、下から大腸カメラをやった。
結果はまだわからないけれど、昨日1個ポリープを取った。
その前の日から食べていないので検査中はずっと
「後でテンヤとバーガーキング買って帰ろう!」と思っていた。
だけどポリープを取ったため
「今日明日はスープのようなものか柔らかいものだけにしてください」
て言われてそっちの方がショックだった。
検査結果は3週間後なので月末だ。
大腸もだけど胃カメラで何か出るといやだな。
肺もだけど。

4/29/2026

ムクノキ

アパートの南側は公園になっていて、その向こうは塚山という
小高い丘になっている。
その塚山の登り口のところに大きな木があって、
毎年緑の葉を茂らせている。

その木をずっと「ハルニレ」だと思っていた。
昨日「そうなのか?」と思って近くへ行って写真を何枚か
撮ってきて調べた。
すると葉の付き方や幹の模様(皮膚)がハルニレとはかなり違う
幹と葉を調べていたらどうやらムクノキらしいことがわかった。


わかってどうした?ということは無いのだけれど、
ハルニレとムクノキの違いがわかっただけでも良かった。

4/28/2026

大腸検査再び

 自分で申し込んでおいて、近づくと憂鬱になる。
明々後日だ。
前回のポリープを発見してくれた病院に行く。
前回は「ポリープは在っても大丈夫です、癌にならない証拠です」
と言った病院があった。
それがほんとかどうかわからないけれど、
やっぱり無い方がいいだろう。
考えてみると70年以上、大腸は検査していなかったのだから、
ポリープの10個やそこらあってもおかしくなかった。
確か全部で15個くらいあった。
悪性ではなかったけれど、ほっといたらどうなったかわからない。

それより妻の方の血液検査が心配だ。
明後日検査結果が出る



会いたい人

 もう会うことはできないけれど会いたい人
当時のまま会ってみたい
女の子、女性はたくさんいるので除外しよう。

小学校5年の大阪、高槻の小学校の分校で
一緒だった東京から来た同学年の子。
彼とは一度も話したことが無かった。
でも顔を会すと必ず笑顔で挨拶した。
あの子の笑顔をもう一度見てみたい。

小学校6年の三鷹。
7小にいた一年下の学年の子。
話したのはたぶん一度っきりだった。
サッカーで同じチームになった時だ。
それ以外は親しく話すことも無かった。
でもいつもその子を見ていた。

同じく小学校6年の時の学習塾の1年上の男の子。
男の子というか先輩だったわけだけど、
ちゃんと話をしたことは無かった
でも顔を会せたら笑顔で挨拶した。
授業中でも隣の教室の彼と目が合って
手をふったりした。

高校の時は不思議といない。

大学1年の化学科。
同期の和泉って言ったかなぁ?
たまに会うと笑顔で挨拶した。
私より少し背が低いくらいだった。
彼も授業が終わると渋谷に行ったので
よく一緒になった。
もう1年の終わるころだったか
京王線で一緒になったので立ったまま隣のつり革につかまった。
何を話したか思い出せないけれど、
話すことが無くなってしばらくしたら
彼が私の左肩に頭を乗せてきた。
すぐに離れたけれど。
彼は今どうしているだろう?

少年時代の思い出はその頃までだ。
なぜ少年時代だったのか、
なぜ少年時代が終わったのかわからない。
今ではその時の気持ちを思い出すこともできない。

そこで思い出した。
もっと小さな頃だ。
三鷹のどこか。
友達の自転車の後ろに乗っていた。
家までの道の途中で雨が降り出した。
運転する友達の背中に顔をつけて
雨を防ごうとしたら、
彼のセーターのとてもいい匂いがした。
雨に濡れたセーターの匂い。
今でも濡れたセーターの匂いを嗅ぐと
そのシーンを思い出す。
…と書いていて思った、
あれはコーちゃんだったんだ!
確かコウイチっていう名前だった。
2軒となりの私の兄の友達のお兄さんだった。
たぶんそうだ。
だから私より2,3歳年上だった。
コーちゃんの笑顔はちょっとはにかんだような笑顔だった。
コーちゃんはほどなくプールで溺死してしまった。
あのコーちゃんにもう一度会ってみたい。
どんな子だったのだろう。



4/25/2026

みんな夢だった

 ずっと前のことから思い出してみると
全ては現実には無かったことのように思えてくる
自分のやったバカな行いとか
夢とわかっていてやったことのように思える
現実がどうだとか思わなかった
たぶん始まりは小学校の6年の時
あの頃から全ては現実ではないと思っていた
友達にひどいことを言ったりしても
夢の中だから平気だと思っていた

大人になってもそうだった
どんなにひどいことがあっても
どんなにつらいことがあっても
そのうちこの夢はさめる
と思っていた
そしてそのまま夢の世界にいた

ああ、どうしよう!?大変だ!
ということがあっても
そのうち夢はさめる、
と思っていた
みんな私の夢につきあっていた

現実の
リアルな自分はどこにいるんだろう?
もう親しかった友人たちも去ってしまい
わずかに残った友人も疎遠だ
だから世の中の99.99999999パーセントの人は
私のことを知らない
たぶん存在していない
SNSの反応はあれは幻覚だ
誰も私を知らない
それはそれでいいかもしれない
謝らなければいけない人たちも
たぶんもう居ない
今の私は夢の中のほんのわずかな形跡だ
自分の歳のことを考えると
その形跡ももうすぐ消えるだろう

夢をもう一度見れるとしたら
大学2年の頃のあのバカな夢をもう一度見たい

4/24/2026

太宰治との共通点

 まずダメ人間なこと
ダメさ加減は同じくらいだと思う
三鷹に住んでいたこと
背がわりかし高かったこと
靴のサイズが同じこと
追記:歯が悪いとこ
   三鷹電車庫の陸橋によく行ったこと

違うところ
向こうは文章の才能があること


日仏会館のこと

 思い出したので書いておこう。
お茶の水駅からかえで通りを水道橋の方に上って行くと
右側に日仏会館があった。
ここでは定期的にグレースコンサートが行われていた。
私がそれを知った時は既に札幌にいたので行けなかった。
でも一度だけ仕事で行った時があった。
JBLとアルテックの大きなスピーカーがステージに置いてあり
ほどほどの音量でレコードを再生していた。
カートリッジ、トーンアームはもちろんグレース製だった。
確かレコードやカートリッジの鳴き比べなどをしていた。
ホールの中の様子をわずかに覚えている。

ベースギターを買ったこと

もう数か月前のことだけど、、

 これまではベースを入れようと思ったらエレキにシフターをつけて
やっていた。Berigerのシフターがベースの音に近かったから。
そのシフターが10年以上使って壊れた。シフトが勝手に変わってしまう。
中を開けてデジタルロータリースイッチを調べたけれどわからない。

それでBOSSの同じようなシフターを買った。
しかし音がデジタルだ。
ベースのあのやわらかい感じが出ない。
いろいろ調整したけどだめ。
それで意を決してベースギターを買うことにした。
尺骨神経麻痺のせいで左手の握力が無いので普通のエレキベースは
押さえられないことがわかった。
それでショートスケールはどうだろう?と試したら何とか弾ける。
それで一番安いショートスケールのベースを買った。

しかし、そこからが問題だった。
エレキにシフターでやってた時はギターなので音の位置が
勘でわかった。
ベースはギターの下の4本だけだからわかるだろう、と思っていたが
「ギターの下の4本」というのが感覚でわからない。
なぜだろう?
弦の太さか?ネックに対する弦の位置か?
どっちかだと思うけれど、音が拾えるのは6弦だけだ。
後は考えないとわからない。
高いフレットの方に行くともうギターのようには音を拾えない。
そこでギターに持ち替えて音を拾ってみると感覚で拾える。
だけどベースギターに持ち替えるとだめだ。

これは困った。
けれど面白い。
なぜこうなるのか?
とりあえず慣れるしかない。








4/19/2026

同じ靴を二足買った

 これはほんとに覚えていなかった。
ちょっと前のことだけど、新しい靴を買った。
底がゴツゴツしていて山道に良さそうな靴。
約1万円。
高いなと思ったけれど、一つ上のサイズを買った。
ちょっと緩いけれど歩きやすい。
ひもを短く結べば問題無い。
結構気に入って履いている。

それで、先日靴の防水剤を探して下駄箱を開いたら
同じ靴があった。

これには驚いた。
それを買った記憶が全く無かった。
同じ色同じ形同じメーカーだ。
どうしてだろう?
わからない。

その同じ靴はサイズが自分の元のサイズだ。
それで思い出した。
それを買って履いたけれど山歩きにはちょっときつい。
それで履かなくなっていた。
たぶん1年くらい前。
それっきり忘れていた。

それでも、下駄箱を開けた時の驚きはちょっとしたものだった。
「え!何!」
「いよいよ来たか!」
と思った。

4/17/2026

ウイルス警告表示を消そう!

忘れるからここにメモしておこうと思う。 

なんか久しぶりにウイルス警告が出た。
しかもしつこい!
何度消しても出てくる。
表示された原因は明らかだ。
フェイスブックのリンクだ。

何をしても消えないので、しょうがないから
ウイルスバスターのソフトを買おうかな?とも思った。
しかしこれは消えるだろうと思って方法を考えた。

検索すると、まともな方法は、
  表示されている画面(小window)のXボタンは押さずに
  表示をすべて消して、「設定」→「プライバシー」→
  「クッキーの削除」
をしろと書いてある。
しかしそのxを押さずに消すことができないから困ってる。
タスクマネージャーからも消せない。
Windows10の時は確かできたのに。

方法はこうだ!
1.ブラウザーの閲覧履歴をクリアーしておく。
2.ブラウザーのクッキーの削除の画面を開いておく。
  その間にもウイルス警告画面はどんどん出てくる。
  気にしない。
3.小windowの警告画面のxを押しまくって一度画面から
  全部消えるのを待つ。
4.全部消えたところで先のクッキー削除を押す。

これで出てこなくなった。





4/15/2026

克美しげる という人のこと

 エイトマンの歌以外は全く知らないのだけれど、
この名前は強く記憶に残っている。
というのも私が札幌の会社に赴任したのが1975年の4月、
克美しげるが女性を殺めて羽田から札幌に来たのが
同年の5月だった。
それで会社のパートのおばちゃんたちはその話題でもちきりだった。
私は全然知らないのでその話題には入っていけなかったけれど、
毎日のように克美しげるのことをテレビやラジオで言っていたので
この名前を聞くとその時に戻ってしまう。
彼は75歳で亡くなったそうだ。
今の私とほぼ同じだ。
彼も女性を殺めたりせずに奥さんと話をしたらよかったのに
と思うけれど、その時の彼の心境はよくわかる。
自分を維持するためになんとかしなくてはと思ったのだろう。
一度落ち着いて話ができたらよかったのにと思う

頻繁に起きる偶然について

 前にも書いたけどこっちでテーブルで話をしている話題が
スマホのコマーシャルテロップで出てくるとか。
車の中で話した話題がフェイスブックのコマーシャルで出てくる
とかかなりの頻度で起きる。
最近ではもう私のスマホが聞いた話題をどこかに送信しているのだ
ろうと確信めいてきた。

今日の偶然はちょっと違った。
・・・いやいや、同じかもしれない
スマホが近くにあったから。

今日キッチンで昼ご飯を作りながらふと浮かんだメロディーが
小学校6年の時に合奏でやった「ハイケンスのセレナーデ」
だった。ずっとそれをハミングしていた。
そして夕ご飯も終えてフェイスブックを見ていたら
この動画が流れてきた。

この曲は昭和初期のラジオ番組でよく流れていた曲で、
私もそのラジオ放送は知らなかった。
学校の音楽の時間で初めて知った曲だった。
そんなに有名な曲でもないように思う。
それがなぜわざわざこんなCM動画として、しかも同日に
出てくるのだろう?

ほんとにスマホは聞いてるかもしれない。
それは私が知らないだけで世の中では普通に行われていることなの
だろう。きっと。

4/13/2026

結局意味のあった仕事は

 最初からずっと電気、電子、コンピュータ関連の仕事をしてきて
それらは思い出すと何の成果も出していなかった。
迷惑ばかりかけていた。
あんまり思い出したくない。
そういう関係の仕事は日本の工場が中国に移ってしまって
全く無くなってしまったので、ほかのことをしなくてはいけなかった。
その時に前社長の神津さんのアイデアで「ビデオテープをDVDにしてみたら?」
という案を進めることにした。
その頃はたぶんそういうDVD化のダビング屋は最初か、あるいは
3本の指に入るくらいだったと思う。
インターネット上にも無かったから。
それのホームページを作ってインターネットに載せたら
かなり反響があった。
それに実店舗でやっていたので直接来るお客さんも多かった。
2年くらいは競合も無く売り上げもかなりあった。
機材もビデオデッキとDVDデッキを5セットくらい用意しただけだった。
パソコンでDVDを作ることは考えていなかった。
圧倒的にDVDデッキで作った方が早かったから。

そういう仕事を結局ずっとやってきた。
昨日?お葬式のDVDのことを書いて思ったのは、
そういえば辻井先生のとこの「産声CD」をやっていたこと。
気が付かなかったけど、ゆりかごから墓場までをリアルにやっていた。
幼稚園の入学式や卒園式のDVDも毎年かなりの数を作っていた。
横浜市内、川崎市内、遠くは鹿児島の学校からも来た。
入学式、遠足、発表会、卒業式何千枚作ったかわからない。
結婚式もそうだ。
そしてお葬式だ。

もしもDVDを見た人が喜んでくれたなら
この仕事が一番意味があったと思う。
ほとんど誰にも迷惑はかけていないと思うから。
あとは、そうだな、自分のお葬式のDVDを誰か作ってくれるといいけど。

4/12/2026

お葬式のDVD

 前にも書いたけれど相変わらずお葬式用のDVDを作っている。
というか、葬儀屋から依頼が来る。
もう何枚作ったかわからない。
先日来たのはテレビによく出ていた結構有名な女性だった。
でも私は全く知らない。
写真が150枚もあった。
その一枚づつに修正や補正をかけて仕上げるのだけど、
疲れた。
一応写真40枚までを標準としているのだけど、
そんなことはお構いなしに来る。
今日の人も100枚を超えていた。
バックに著作権フリーの音楽を流すのだけど、
40枚を超えると何曲も入れないといけない。
それを選ぶのも面倒。
それよりも面倒なのは写真が年代順に整理されていないこと。
だからこっちで大体の年齢を推測して並べる。
完璧には行かない。
特に女性の場合はわかりにくい。
男は何となくわかる。
一番の問題は、その写真を編集しながら、
その人に人生にかかわらないといけないこと。
その人の子供時代から亡くなるまでの人生を追わないといけない。
だんだんその人を知っているような気分になる。
だから、最後に仕上がったものを確認のために
流して観ていると泣けてきてしまう。
だってその人自分より若かったりするから。
というよりそれが自分の番になるのもそんなに遠くないから、

そろそろこの仕事を断ろうかなと思う。
葬儀屋さんは困るかもしれない。
馬鹿みたいに安い金額で請けているんだもの。

4/10/2026

加給年金その後

 加給年金は無事に支払われることになったのだけど、
先日年金事務所からはがきが来た。
「生計維持確認届」というのを書いて送らなければいけないみたいだ。
これは何だろう?
生計維持してますか?という確認?
なんか失業保険の「就職活動してますか?」に似ている。
あるいは「生きてますか?」かな?
これは「生命維持確認届」にした方がいい。

4/09/2026

何が起きていたんだろう?

 フェイスブックに「モダンフォーク研究会」というグループがある。
このグループはいやらしいグループで私ももう10年以上前から
参加している。
このグループのいやらしいところは主にというか絶対にアメリカン
フォークの1960年から1980年頃のことしか取り上げないことだ。
日本の同時代のフォークはたぶん削除される。バンドのライブ紹介
なども削除される。ただしこのグループの古株が投稿したものは
許される、あるいは管理者はそれを無視する。
そうでない新人がライブの紹介などすると「このグループの趣旨が
どうしたこうした。。。」と言われ削除される。
日本のフォークであっても森山良子とかスチューデントフェスティバル
系のものは歓迎される。
このグループの大きな枠としてPP&Mがある。キングストン・トリオも
あるけれどたぶんPP&Mに比べると少数派。ブラザースフォーもあるけれど
PP&Mよりは少数派と思われる。S&Gとかイアン&シルビアとかさらに
少ないと思う。PP&Mネタはかなりの量を占める。

そういうグループなのだけれど、私はJohn Stewartの話題を主に投稿
したりしていた。それももう何年も前までだと思う。
今年の2月頃トランプがグリーンランドを買うだのと言っていた時、
グリーンランドの歌と言えば1965年のニューポートフォークフェスティバル
だったかなあ?テオドラ・バイケルが歌っていたなあ、と思い出した。
YouTubeで検索したら他にも結構歌っているグループがあった。
その中にPP&Mも歌っていることを知った。私は聞いたことが無かった。
ゆっくりした歌い方だった。
それを時期的にぴったりだと思ってそのグループに投稿した。
それが2月の中頃だったと思う。ちょうどトランプのグリーンランドが
話題になっていた頃だから。


投稿した記事はこれ。
これ確か投稿した時に一度表示されたと思う。2分か3分間。
その後で「審査中」と出てグループには表示されなかった。
そしてそれから一か月半くらいが過ぎた4月に入ってこれが突然
投稿された。というか表示された。
そして十数人の「いいね」がついた。
この間いったい何があったんだろう?
他の人の投稿は表示されていたのに。

考えられるのはこのグループの管理人がこの歌を知らなかった。
それで私のグリーンランドの投稿はトランプの話題に乗せた
嵐だと思われた。 ということではないだろうか?
英語がわかれば私が書いた説明文は歌詞の直訳だとわかるはずだけど。
他に何か理由が考えられるだろうか?

4/08/2026

カーナビが無かった頃のこと

 古いドライブ地図を本棚から見つけた。
と言っても1984年版だ。
日本全図。
それより以前、例えば1974年頃持っていた地図も日本全図だった。
だいたいそれで日本全国を走っていた。
カーナビのある今となっては、いったいどうやって目的地に
着いたのだろう?と疑問に思う。
友人と二人で初めて北海道まで行った時、やっぱり日本全図だった。
それで札幌にある友人の親戚の家とか釧路の弟のアパートとかに
行ったのだから、たいしたものだ。
札幌あたりの地図はこんな感じ。(1984年の地図)

市内の地図はこんな感じ

市内のはいいとして、石狩周辺の地図の方は黒い線(国道)がどこで
分岐しているかなんてわからない。
たぶんその近くに行ったら道路上の案内表示を見たのだと思う。
あとは住所か。
今だから上の地図の黒い線がどこで交差してるかわかるけれど、
初見では絶対わからないだろうと思う。
その最初に二人で東京から札幌まで行った時に、東京から日光街道
(国道4号)をひたすら走ったのだけど、仙台のあたりで迷った。
あれは一度どこかに寄ったからだっと思うけれど、
夜中に同じところを2度回った。3度目にぐるぐる回ってることに気が付いた。
あの時カーナビがあれば迷うことも無かった。

あの頃は頭の中に大体の地図があったように思う。
例えば東京から長野へ行くときとか、
まだ高速が無いころ。
富山とか、岩手、日光とか
今は高速があるので逆にどうやって行くか考えてしまう。
下の道が閉鎖されていたりするから。

もう一度日光街道を青森まで行ってみたい気もする。
死ぬまでに。

4/07/2026

誕生日だった

 今日は誕生日だった。
今までと変わったことが一つ。
娘が誕生日祝いのメールをくれたこと。
私は毎年娘の誕生日にメールを送っていたけれど、
娘から来ることは無かった。
それがあった。

もう一つ、父の歳を超えてしまった。
父の歳75歳は早かったな、と思っていた。
だからそれよりは行くだろうと思っていた。
それが今日、超えてしまった。
今思うと父も頑張ったんだなと思う。

父は銀行を作ったり人を助けたり多くのことに貢献した。
私は全く無い。
無いどころか、いない方が良かったと思えることが多い。
だから思い残すことも無い。
これからは
いやなことは思い出さずに、
時々フラッシュバックの様によぎるいやな記憶は
消えて欲しい
それで過去の思い出が消えたとしてもかまわない。

楽しめることをやりたい。
無駄なことでもいい。
何か面白いことをしたい。

4/05/2026

警官動員

 昨日出かけた時に横須賀の街が警察官だらけだった。
大げさではなく各交叉点全てに10人くらいずつ警察官がいた。
大きな道路と大きな交叉点ではもっと多くの警官がいた。
それに米軍のゲートの前に機動のバスが2台並んでいた。
何があるんだろう?
誰かが来るのか?と思ったけれど、
今日わかったのはデモがあったということだ。
それも人数は50人くらい。
圧倒的に警官の数の方が多い。
そのデモというのがこれだ。
これを見た時、これはいったいいつの時代?と思った。
時代錯誤もいいとこだ。
このレイアウト、文字、言葉全て50年前と変わっていない。
トランプのところを佐藤栄作としても成り立ちそうだ。
私は何も参加も関係もしていないから偉そうに言えないけれど、
これはだめだろうと思う。
このチラシをもらっても何も伝わらないし、
関わりあいたくないと思うだろう。
左翼は今「パヨク」と呼ばれているのをわかっているだろうか。
こんなことをしていたら右翼以下になってしまう。
平和を望むなら、戦争に反対するなら
こういうやり方はもうだめだ。
もっと別なことをしなくては。
・・・と思う。


4/04/2026

明日という字は明るい日と書くのね

 っていう歌が「悲しみは駆け足でやってくる」
という歌だと今初めて知った。
この出だしは時々頭に浮かんで口ずさんでいたのだけれど。
歌の題を知らなかった。
この歌は1969年だったそうだ。
69年と言えば大学受験の年だ。
あんまりテレビも見なかったかもしれない。
だけどこの出だしは頭に残っていた。
今改めてあの時代にこの歌を聴いていることを想像して
懐かしんでいる。

同じ年だけれどシューベルツの「風」は完全にあの時と同期して
記憶している。
四谷の上智大学に受験に行くときに口ずさみながら四谷の土手の道
を歩いていたのを今でも覚えている。
上智は落ちたけど。

4/02/2026

教師になる夢を見た

 今朝の夢だ。
私は小学校の教師になって初めて教壇に立つことになる。
私のそばに先輩の先生がいる。
誰だかわからないけれど知ってる人のように思う。
とても頼りになりそうな人だ。
私は初日だというのに時間に遅刻ギリギリで学校に着く。
それからその先輩の先生と一緒に教室に行く。
教室は、というか校舎は長さ方向に傾いていて、
まるで大きなケーブルカーのようになっている。
私はどこかではぐれてしまい、教室がわからなくなる。
なんで赴任早々こんなドジをしてるんだ?
と自分を責めるが、
確かこっちだろうと思う方に歩いて行くが
知らない生徒たちばかりで、生徒も驚いている。

そんな夢だった。
私は一度先生になりたいと思ったことがある。
それはただ子供たちと理科の授業をやるのは楽しいだろうな、
と思ったからだ。
でも先生に向いていないのはわかっていた。
もしも先生をやっていたら何かの不祥事で解雇されていただろう。
それにいいかげんだから教えるには向いていない。

今あいたい先生がいる。
生きていたらたぶん80歳くらいだろう。
大学で私にいろいろ教えてくれた先生だ。
専攻のこともだけれど専攻以外の電気電子のことも教えてくれた。
先生のリコーダーと一緒に演奏したこともある。
昨日の夢のにでてきた先輩の先生は
その先生のように思える。
神崎先生だ。

4KモニターTVにした

 これまでPCで使っていたのは27インチの2Kタイプのモニターテレビ。

最近配信のカメラを4Kにしたけれどモニターできるテレビが無かった。
それで32インチの4Kを買うことにした。
もっとも4Kテレビはリビングに大きなのがあるのだけど、
そこまでケーブルを伸ばすわけにもいかない。

4Kにして分かったのは、
27インチ2Kの時は開いたウィンドウを少しちいさくすると画像解像度は
すごく落ちてしまいボケた感じになってしまった。
それはあたりまえのことなんだけど、4Kではそれが起きない。
少なくとも画面の半分まで小さくしても(1920x1080なら)解像度は変わらない。
これはとてもいい。
また4K映像をフル画面に表示したときはとてもきれいで迫力がある。
以前撮った北海道の写真も初めてみるような感じがする。

あんまり期待はしていなかったのだけど、買ってよかったと思う。

3/30/2026

古い手帳

古い手帳を探していた。
そのわけはパソコンを入れ替えたのでその手帳に書かれている
ソフトのパスワードを知りたかったから。
そのソフトは音声編集のソフトなのだけど、もう20年以上前に
ネットで購入したソフト。
Gold Waveという。
なんだかんだ便利なソフト。

それを購入した時のことを思い出した。
今みたいにサイトから勝手にダウンロードするという方法ではなく、
アメリカの作者のホームページからメールで申し込むとそのソフトをダウンロード
できるアドレスを教えてくれるというものだった。
ただではなく確か1500円くらいだったと思う。
それを一度ダウンロードして使う。
そのソフトは定期的に更新されているので、もう何十回も更新している。
最初は確かWindows95だったように思う。
それで、パソコンをW95からW2000に変えた時だったろうか、
パスワードを無くしてしまい、再インストールができなくなってしまった。
それで仕方なく、作者のところにメールをしてその件を伝えた。
もう一度お金を払うことを覚悟してのことだけど、
その人はお金のことは何もいわず新しいパスワードを書いてくれて、
「これを使って」と言ってきた。
私は支払いはどうしますか?と聞くと、
「要らないから、それを使ってくれると嬉しい」
と言ってきた。
お礼を言った。
それ以来使っている。

その手帳を見つけたのでめでたく再インストールできた。

3/27/2026

加給年金

 加給年金というものがある。
65歳になった時に65歳未満の配偶者がいる時に年金を上乗せ
してくれる制度だ。
私はこれを知らなかった。
それで65歳になった時に年金事務所に行ってこれについて聞いた。
するとその時私は既に65歳だったので加給年金は受けられません。
ということだった。
なぜ65歳まで気がつかなかったのかというと。
前妻との離婚がその年までできなかったからだ。
今の妻とは10年以上一緒に暮らしていたのにだ。
確か横浜では区役所でその手続きは65歳ではできないのか?
と聞いて、できないと言われた。
それから数年して、今度は横浜年金事務所に行って聞いてみた。
するとやはりできないということだった。

それから横浜から横須賀に引っ越して、
年金事務所に行った。
その時に「私が死んだら今の妻に遺族年金がでるのか?」
と聞いた。
そしたら「出ます」と言われた。
その額は4分の3くらいらしい。
その時に加給年金を受けているか聞かれた。
それで「横浜の区役所と年金事務所でできないと言われた」
ことを伝えた。
そして今の妻はいつから一緒にいるのかを聞かれて、
もう20年以上一緒だと言った。
そして正式に籍を入れたのは65歳の時だと伝えた。※
すると横須賀年金事務所の人は
「申し立てをすれば受けられるかもしれません」
というのでそれから2カ月くらい、資料集めと
書類作成に奔走した。
5,6回年金事務所に通って書類を出した。

そして3カ月後の年が明けた2月になって
年金事務所から知らせが来た。
無事、加給年金をもらえることになった。
ただし妻が65歳になるあと2年間だけだ。
そして今から5年前までさかのぼって支給されることになった。
その分は結構大きい。
しかし5年前以前の分は無効になっていいる。
でもそれはしかたない。
これだけでもとても助かる。

追記:籍を入れたのは64歳の年だった、でも誕生日を過ぎていた。その
   誕生日から過ぎた日数が1か月くらいだったので申し立て
   できたのだと思う。あれが1年以上過ぎていたらどうだったか
   わからない。

映画を観た(Project Hail Mary)

 理屈はともかく、面白かった。
宇宙物のSF映画は見てるだけで面白い。
「グラビティー」の映画でもそうだったのだけど、
大きな宇宙船がグルグル回るシーンは目が回る。
メニエル持ちなのでどうしてもだめだ。
でもなんとか我慢して見た。

横浜は雨だった。
映画館のあるビルの中のレストランでお昼を食べた。
ちょうど目の前にランドマークとその隣のビルが見えた


ランドマークは半分雲の中だった。
その隣のビルが薄暗い雨の中に建っていて
SFっぽい眺めだった。


3/24/2026

コヤニスカッツィ

昔、1985年頃、六本木にWAVEという映画館があった。
そこでみた映画は2つ。
ひとつはPink FloydのThe Wall、
これは確かYMOの高橋幸宏さんが企画して日本での上映が
叶ったのだと思う。
当時The Wallはレコードでしか知らなかったので、
映画を観てその音楽の全てがつながった思いだった。

もう一つの映画は(The Wallとどっちが先か忘れたけれど)
コヤニスカッツィ
変な映画だった。
あれはなぜ観にいったかというと、確かパルコがWAVEという
本を出していて、そこにこの映画の紹介があった。
それで観に行こうと思ったのだけど、
あの本は札幌のパルコで買った本ではなかったろうか?
そうすると買ったのは1981年だ。
映画は確か1982年。
それがどうつながるのだろう?

変な映画だった。
語りや説明は一切無く、音楽をバックにただ映像が流れる。
映像はスローモーションや微速度撮影やタイムラプス、拡大、広角
様々な映像だった。
音楽は一種の効果音に近いアンビエントな音楽だった。

今YouTubeで全部を見ることができるけれど、
あの映画をよく見たな、と思う。
今はちょっと見れない。
タナトフォビアが再発しそうだ。

あの時代だったから見ることができたのかもしれない。
怖いもの知らずだったから。

ああいう映画があるということが驚きだ。

3/21/2026

夢は叶う話(前に書いたことに似ている)

 ずっと前、学生の頃から海が見える家のイメージがあって、
海の見える家にいつか住めたらいいな、
と思っていた。
今、その海が見える家にいる。
しかも昔のその家のイメージに近い。

一戸建てではなくアパート(マンション)ではあるけれど、
遠くからみたイメージはそのままだ。

もう一つは、
横浜の都筑に住み始めた時、25年前、
アパートを探した。
そのうちの一つが、ふれあいの丘にあったアパートだ。
4階建てのアパート群だった。
そのうちの3階部分の部屋を見に行った。
エレベータは無い。
階段を3階まで上がると、思ったよりも広い部屋だった。
4室とロフトが付いていた。
築年は経っていたので少し古い感じはしたけれど、
気に入ったのは正面の窓からの眺めだった。
その建物の前は鴨池公園という池のある公園だった。
その公園の緑が目の前にあった。
ずっと先まで森が続いていて
そのはるか先に富士山が見えた。


もうその景色だけでそこに決めたいくらいだった。
しかしそこの価格は予定よりもかなり高く
またエレベーターが無いのが決定的だった。
その頃はまだ今より20歳も若かったから
体力的には良かったのだけど、その体力も
そのうち無くなるだろうと考えて、
そこは諦めた。
だけでそこでみた景色は忘れられなかった。

それで、横浜を離れることになり、不動産屋が探してくれた
アパート(マンション)を見に行った時、
南側の広いベランダの前が公園だったのに驚いた。
4階だけれど目の前に木々の緑がある。
その向こうは山膚になっていた。
北側のベランダからは海が見えた。
もうほとんど夢のような場所だったので
そこに決めた。

まあ、一つ難儀なところは
駅からここまでがなだらかな上り坂なことだ。
涼しい時はいいけれど、真夏の暑い日は家までの道が遠い。
どこかに行く時は車で行くことがおおい。
でもそのうち車も運転できなくなったら、歩くしかない。
その時がちょっと問題かもしれない。

面白い夢だったけれど忘れた

 昨日と言うか今朝見た夢は面白かった。
またどこかに行く夢なのだけれど、
その細かな部分を忘れてしまって残念だ。

私はどこか行ったことのない町にいる。
そこから家に帰ろうと思う。
それでたぶんこれで行けるだろうと思うバスに乗る。
バスは全く知らない道を知らない景色の中を走る。
そしてどこかのバス停に着く。
とりあえず違うみたいだからここで降りよう、
と思ってそこで降りる。
しかし全く知らない場所だ。
ここはどこだろう?と思って少し歩くと
崖になっていてその向こうは海になっている。
海には対岸があるが霞んでいる。
こっちではないな、と思い元のところに戻ろうとする。
元の所にバスの運転手がいて、
「どこに行くの?」と聞かれる。
私はどことも答えずにスマホで今の位置を調べようと思う。
しかしスマホの画面は良く見えない。
指で操作しようとしても変らない。
仕方ないので歩いて帰ろうと思う。
道はわからないけれど、歩いて行くと民家の立ち並んだ
ところに入り込んでしまう。
こっちではないだろうと思い、
戻ろうとするが元の道がわからない
----------------
その後の展開がすごかったはずなのだけど
どうも思い出せない。

3/16/2026

異世界の渋谷へ行って来た

 親戚の人がライブをやるので来てください、というので
渋谷まで行ってきた。
学生時代を過ごした街だけれど、全くわからない。
マジでわからない。
品川から山手線で渋谷で降りた。
降りた所がどこだかわからない。
人々は右や左あるいは真っすぐ、てんでバラバラだ。
勘にまかせて歩いたらハチ公前にでた。
よかった。
まだ時間が合ったのでハンズの方に歩いてみた。
だいたい方向は覚えていたので無事着いた。
ハンズをうろついて、そこからBIGに行くのだけれど、
どうやって行ったっけ?
と適当に歩いたら一周してまたハンズに出てしまった。
落ち着いて考えて無事BIGにたどり着いた。
BIGは昔何度も来たことがあった。

ライブは私のいなかの新屋の女性と男性で、
私の母と同じ姓だ。
母の家の隣の家だ。
その人とはどうも会ったことがあると思う。
昔母と一緒に行った時に庭で遊んでいた小さな女の子の
うちの一人だと思う。
その女性がブルースハープを吹き、男の方がギターで
伴奏する。曲はオリジナルだけれど、
もろブルースだ。

ライブが終わって挨拶に行き名前を言ったらわかってくれた。
会って驚いたのは私の娘とそっくりなのだ。
ちょっとぽっちゃりしていて、どこかおどおどした
話し方で、しかし明るい感じの人だった。
会うまであまり考えていなかったのだけど、
私の母と彼女の親は家系図の上の方で繋がっているはず。
だから似ていてもおかしくはない。
私の娘も音楽をやっていたらあんな感じだったかもしれない。

ライブが終わって道玄坂を駅の方に向かって歩いていくと、
まず昔は無かった巨大なビルに驚いた。
それから道玄坂を10台くらいのマリオカートが走っていて、
皆外国人が運転している。
それだけではなく、道を歩いている人もほとんど外国人だ。
夜のビルは巨大でまぶしく、全く見覚えが無く
しかも威圧するような形だ。
私はその間を逃げるように歩いて交差点についた。
そこでもスクランブルダッシュに巻き込まれた。
「あーやだ」と思いながら速足で駅に入り込んだ。
そこも昔の勘では行きつけなかったが、
何とか山手線に乗り込んだ。

品川駅で京急に乗ったらなにかほっとした。
やっぱり田舎がいい。














3/14/2026

子供の頃は怖がりだった

 とにかく何でも怖がった。
記憶をたどると、井の頭公園にあった遊園地のジェットコースター、
ジェットコースターに乗ったのはあれが初めてだと思う。
たぶん6歳くらいの時、怖くて泣いた。
今見たらたぶん全然怖い部類じゃなかったとおもうけど、
とにかく怖かった。
音かもしれない。
音と言えば井の頭公園の外れの井の頭線の鉄橋の下。
あれが怖くて電車が来ると逃げた。
だいたい大きな音はだめだ。
だからかなり大きくなって、車のレースとかをテレビで
見るようになっても実際のサーキットには行けなかった。
きっと大きな音だったろうから。
お化けや幽霊も怖かった。
大きな建造物も怖かった。

ジェットコースターを克服したのは、前にも書いたと思うけど、
後楽園遊園地のループコースターだ。
その時の妻と二人で後楽園遊園地に行って、なぜか理由はわからないけれど、
ループコースターに乗ろう!ということになった。
列に並んでいる時に既に後悔していた。
足が震えていた。
でも順番が来て仕方ないので乗り込んだ。
走りだしてからループを回って向こう側に行き、
そこからバックでループを回って帰って来る。
たぶん十数十秒だったのではないだろうか。
降りる時に足がふらついた。
でもなんとか歩けた。
その時、ものすごい快感を感じていた。
それが最初で後はフジヤマでもなんでも平気になった。

音はもう大学生になるころには克服していたと思う。
それからオバケ、幽霊の類はあいかわらず怖かった。
特に不気味なのがだめだった。
「リング」を見れたのは50歳くらいになってからだと思う。
ああいうのは苦手だった。

ところが、その後幽霊とか暗い場所とかが平気になってきた。
日光のホテルに泊まった時に夜中に人の声のような音が聞こえて
来て、目が覚めた。
目を開けて次に音がしたらどこから聞こえてくるのかを確認
しようと思っていた。
5,6分そのまま目を開けて待っていたら、音がした。
女性が口を開けずに何か言ったような音だった。
天井から聞こえた。
ベッドを降りて、だいたいの場所の下に行って、上を見上げて
次の音を待った。
ほどなくして音が聞こえた。
けれど場所を特定できない。
音はやはり女性の声のように思えた。
音が何度か聞こえた。
そうしているうちに妻がそれに気がついて、
「何してるの?」と聞くので
状況を話した。
すると「あれはスチームパイプの軋み音よ」と言ってまた寝た。
そうかスチームパイプか、とわかって私もまたベッドに戻った。
しかし、あの音他の客からクレーム来ないのだろうか?

そんなわけで幽霊は全く怖くなくなった。
今住んでるマンションは南側が公園になっている。
講演は広い公園で街灯が何本か立っている。
だから公園の中の道は明るく照らされている。


夜中に目が覚めた時、ベランダの方に行って
公園を眺めている。
何かいないだろうか?とか 夜中に誰か散歩していないだろうか?
とか眺めている。
ベンチに誰かいたら、とか考えながら。
何かあったらカメラを持ってベランダに出て撮影しようと思う。
ベランダに誰かいたりしたら、それはそれで面白いかもしれない。