10/21/2026

60年代アメリカン・フォークソングの

 Donna Donnaだけど、当時は何も考えていなかった、
ということを思い知らされる歌のひとつだ。
牛が売られて行くかわいそうな歌、
としか思っていなかった。
だけど今、歌詞を見直してみるとこの歌は
プロテストソングあるいは民衆を扇動する歌だとわかる。

牛は市場に連れて行かれて売られてしまう。
風は力いっぱい笑っている。
もう不満を言うのはやめろ、
一体誰が牛になれと言ったんだ!
なぜツバメのように誇りを持って
空を飛ぶ翼を持たないんだ!
風は力いっぱい笑っている

という歌なんですね。
牛は市民であり、ノンポリであり
ツバメは不条理な制約から解放された人達だ。

言われるがままに市場に連れて行かれて
売られるなんてやめて
自由になろう

という歌。
これを市場に売られるかわいそうな牛の歌、
と解釈するには
力いっぱい笑っている「風」はあまりにも非情だし、
なんでツバメにならないんだ、というのも
無理な話だ。

今思うにジョーン・バエズがこの歌を英語に翻訳して
歌ったことを私は何も気が付いていなかった。
これが羊だったら違ってきただろうな

あの当時の歌にはそんなのがたくさんある




10/20/2026

三鷹のもう一つの映画館

 オスカーのほかに三鷹東映劇場があった。
普通は「東映」と呼んでいた。
三鷹駅南口を下りてまっすぐ行き、
桜通りの交差点を左に行って50メートルくらい行った
右側にあった。
記憶では桜通りから少し入ったところにあった。
桜通りから間口の広い自転車置き場のような広場
があり、そこの奥に映画館の入り口があったと思う。
赤丸が東映、緑が第六小学校、青丸が家。


1957年の航空写真に写っている。
ここで小学校の時、映画を観た。
何の映画だったかはっきり思い出せない。
だけどとても悲しい映画だったのは覚えている。
だからたぶん「24の瞳」じゃないだろうか?
学校からみんなで歩いて行った。
今しらべたら1.5キロくらいあった。
東映はオスカーよりもずっと大きな映画館だった。
写真でも体育館みたいな屋根が見える。
三鷹としては大スクリーンだったと思う。
その他にここで映画を観た記憶は無い。

10/19/2026

斎藤君のこと

 斎藤君と連絡が取れたみたいだ。
望月が斎藤君と電話で話したそうだ。
一応、元気だったみたい。
今は福井の施設にいるらしい。

斎藤君と最後に話したのはたぶん1999年頃だったと思う。
斎藤君はとても静かな人でギターとマンドリンをやっていた。
青山のスタジオのCD作成にも参加してくれた。
ああ、その前の鎌倉山にも参加してくれていたと思う。
それから馬場ちゃんの追悼録音の作成にも参加した。
その他いろいろ参加してくれた。
それに何よりも、私の数少ないハングで飛んでいるところを
撮ってくれた。あれはとても貴重だ。

斎藤君は今は足が不自由みたいだ。
もう一度会いたい人だ。

10/18/2026

大学のクラブのホームページ

「青山シンギングフォーク」という名前のクラブだった。
そのホームページをここと同じGoogleで作ったのだけど、
 もう10年くらい前だろうか?
その時使っていたメールは今は存在しない。パスワードは
わかるけど、ログインできるだろうか?
花輪君が亡くなったことを書いておきたかった。

それでなんだかんだ、やっていたら昔のメールアドレスで
ログインすることができた。よかった。
新しい連絡用メールを設定したので今後は大丈夫?だと思う。

すごいと思うのはGoogle Bloggerは10年ほっといても消えないということ。
どこかのジオシティーは酷かった。
あれはローマの図書館を燃やしたのに匹敵するね。
あれで多くのサブカルチャー的情報が失われたと思う。
あれが残っていれば初期のインターネットやパソコン通信の
歴史が確認できたと思う。

それでクラブのホームページだけど、今や誰も気にもかけて
いないと思うけれど、まだ健在だということを知らしめたい。
誰に?
ASFの後継者のAFWはインスタの方でまだ情報を流している。
だからこっちもまだ死ぬわけにはいかない。



10/16/2026

高尾山

高尾山というのは小学校の5年くらいに行ったのが最初だ と思う。
一番最近は2020年頃みたいだ。
何度登ったかわからないくらい。
中学の時は、ああ中学の時は3回くらい登った。
そのうち1回は生物部の活動だった。
あと2回は確か下から走って頂上まで登った。
すごく元気だった。
でも高尾山ってどんな山だろう?と考えた時
山の形が浮かばない。
まあ、御岳山も同じだけど。
「高尾山行こう!」と言って友達と行ったけど、
せいぜい高尾山口駅くらいしか思い浮かんでいなかった
と思う。
まだ「箱根行こう!」の方が景色を浮かべることができる。
高尾山については確かキンシオでもやっていた。
八王子のあたりに行って町の人に聞いてもよくわからない。
なんかだいたいあの辺の山くらいにしかわからなかったと思う。

それでさっきGoogle Mapsで見てみた。
しかしやっぱりよくわからない。
一連の尾根の一部らしい。

この写真の真ん中の一番上が高尾山らしい。
生まれて初めて見た。

(笑)「超」

 この「かっこ笑い」というのが使われるようになったのは
記憶では1974年頃だと思う。
たぶんそれ以前に漫画や小説では使われていた。
もっと古いと思う。
しかし一般にこれを手紙などで使うようになったのは
1974年ころからだと思う。
1975年にこれを友人宛ての手紙で使ったら、
友人が「なんだよこの(笑)って」
と書いてきたのを覚えている。
つまり少なくとも我々の仲間関係ではこの年くらいが
最初だと思う。
小節などではもっと前からこれは使われていた。
しかし小説の中では登場人物が笑ったことを表現する
手法だったと思う。

例えば
彼は別れ際こう言った
「もう会うことないだろう」(笑)
後ろを振り向かず彼は去って行った。

みたいな表現だったと思う。
その表現を当時揶揄した文章も読んだことがある。
要するに不真面目だと言っていたように思う。

一方、これを面白いと思った人が手紙や文章でこれを
冗談の意味で使い始めた。
1975年よりも少し前からだと思う。
たぶん探せばどこかから出てくると思う。
今では
(笑)を単語登録した時に w で登録することが多いので
w が(笑)の意味になってしまい。
さらにそれを複数並べて wwwwww
としたことが草が生えているようだということで、
「草」が(笑)にとって代わり
嘲笑する意味で使われるようになった。

もう一つ「超」というのがある。
「超」(チョウ)
「ちょうかわいい」とか「ちょうはやい」とか
の使い方だけど、
たぶん一般的に広まったのは1985年以降のように思う。
電車の中などで耳に入るようになったのはその頃だ。
しかしこの「ちょう」は子供のころから使っていた。
たぶん1960年ころには既に使っていた。
もちろん本来の使い方ではなく、俗語としての
使い方でだ。
あれは漫画の影響のように思うけれど
定かではない。
ちょっと待て、
思い出したけど学校で使わないようにしましょう、
とか先生が言ってたように思う。
良くない言葉として。
1960年ころには俗語として「ちょう」を子供たちが
使っていたのは確かだと思う。
それが1980年頃からまた流行り出して
しかもアクセントが変わって
「チョーかわいくね?」みたいなアクセントになった。
昔は
「ちょう」「かわいいね」と二つの節だったように思う。

10/15/2026

三鷹オスカー

 三鷹駅南口を下りて(文字通り昔は階段だったロータリーの駅側、
正面の左側に階段があった)、そのまままっすぐ南に歩くと
右手に第九書房があり、そこを過ぎてすぐ右側に映画館があった。
三鷹オスカーと言ったらしい。
その名前は大学生くらいまでは覚えていたけれど、そのあと忘れていた。
今日それを思い出したのは昔見た映画の予告編をYouTubeで
見たからだ。
その映画は「美女と液体人間」と言った。

1958年だったらしい。兄と二人でその映画館で映画を観た。
かなり鮮明にその映画は覚えている。
「日露海戦」という映画だったと思う。
あるいは「日露戦争」だったかもしれない。
子供ながらにその船のシーンは模型で撮っているとすぐわかるくらいだった。
その映画は無事に日本勝利で終わるわけだけれど、
その前か、後かに次回上映の映画の予告編をやった。
それがその「美女と液体人間」だった。
まだ子供だったから「美女」の方はなんとも思わなかったけれど、
「液体人間」というのが怖かった。
私は下を向いてみないようにしていた。
だからその映画のタイトルは「液体人間」だとずっと思ってた。
しかしさっき見たら「美女と液体人間」だったようだ。
予告編ではそれなりに露出シーンがあったようだ。
だけど私はそれも見ていない。
とにかく怖かった。
中学くらいまでトラウマになっていた。

英語版のその映画が全編みることができる。
それをちょっと見てみると、
ああ、見てしまったら怖かったろうな、と思う。
考えてみると「ターミネーター2」の液体金属人間は
これにヒントを得ているのではないかと思う。1958年だ。
液体になって下水に逃げるシーンもあったようだ。


三鷹オスカーは映画館の入り口の隣に楽器屋があった。
「ノザキ楽器店」だ。
楽器店だけれど店頭ではレコードを売っていた。
そこでマーティーロビンスのレコードを買った。
同じノザキ楽器店の吉祥寺店でアルバイトをしていた。
こっちもレコード販売が主で、2階で楽器を売っていた。
店長が高橋さんと言ったと思う。女性の川奈さんと言う人
がいた。女性があと二人いた。
アルバイトが私の他もう一人。
2階で楽器を担当していたのは思い出せないけど、
宮地さんと言ったように思う。
よく思い出したな。
50年以上前のことだ。
三鷹の方の店長の名前が出てこない。
あんまり好きな感じじゃなかったから忘れたのかも。

10/14/2026

ネオンライト

 いつだったか、まだ私が札幌にいた頃だと思うけれど、
何かの件で藤沢だったかに行ってその帰りに
東京の友達の家に何人かで行って泊まったことがあった。
あれはなぜ行ったのか思い出せない。
ワンルームのきれいな部屋だった。
たぶんバンド(その時はもう活動していなかった)の関係か
たまたま私が札幌から帰っていたので誘ってくれたのか。
女性2人と男2人だったと思う。
ほとんど寝ずに夜を明かしたと思う。
そこで友達がレコードをいろいろかけてくれた。
そのレコードの中にクラフト・ワークがあった。
クラフト・ワークはその時初めて聞いた。
その中のネオンライトと言う曲がとても良かった。
その友達の家の窓から街の明かりが見えてきれいだった。

それがすごく印象に残ったので、札幌に帰ってから
そのレコードを買ってずっと聞いていた。
東京に戻ってからクラフト・ワークのライブにも行った。
あれは中野サンプラザだった。
おかしなコンサートだったけど知ってる曲ばかりで
楽しめた。

その「ネオンライト」は今聞くとあの時いた
友達の家を思い出す。
それと札幌のアパートから夜によく行った
ジャンプ台のあたりから見えた札幌の街の灯りを思い出す。
その二つが一緒になって
とても懐かしい。
ちょっと怖くて、ちょっとさみしい
友達と仲良かった頃を思い出す


渋谷1974

 

1974年の渋谷のハチ公前の写真というのがあった。
なんというかこれはあの時だろう?と思ってしまう。
例えば右の端にいるのは自分と友達のように思える。
そんなことはないのだろうけど、そう思いたい。
右手に交番があった。
ちょうどその前にいた。
学生の頃中の良かった友達とそこで別れた。

それっきり会っていない。
会いたいとは思ったけれど、
向こうも忙しそうだった。
込み入った話も聞いていたから。
また会おうとは言えなかった。

ずっと後になって、電話で話した時があった。
その時は田舎に帰ってお母さんと暮らしていた。
私は声を聞いて少し安心した。
精神的に不安定になっていると聞いていたから。

それからまた膨大な時間が過ぎてしまった。
周りの友達は皆行ってしまっている。
だから時々思い出す。
1974年というのはそういう年だった。



10/11/2026

10歳の時に記憶したメロディー

 このところずっと見ているOne Step Beyondだけれど、
期せずして子供の頃の記憶がよみがえった。
ストーリーは全く覚えていなかったし、どういう話だった
のかも覚えていなかった。ただエピソードの中で
幽霊の子供が「マーマー マーマー マママママーマー」
と歌うように母を呼ぶ声を覚えていた。
これにはメロディーがあった。
ただ単に平たんに言っているだけじゃなかった。
今日、ドラマを見ていて話がそこに至る前に
その声とメロディーを思い出した。
このエピソードはその後一度も見ていない。
だからあれは10歳の時の記憶だ。




Alex North's 2001

 知らなかったのだけれど、キューブリックはAlex Northと言う人に
2001のサウンドトラックの作曲を依頼していたそうだ。
それは実際には使われなかったので当人は怒ったらしい。
その人の曲はCDになっているそうだ。
YouTubeで聞くことができる。
これを聴いてみたけれど、映画音楽だ。
リゲッティやシュトラウスの音を聴いてしまった今では
ひどく安っぽい映画音楽に聞こえてしまう。
だけど、これが他の映画で使われたとしても
全く違和感なく聞いてしまうと思う。
ちゃんとした映画音楽だから。

ちょっと気になったのはストラヴィンスキーの「春の祭典」あるいは
「火の鳥」に出てきたフレーズに似たフレーズが出てきていることだ。
なんでわざわざ似せているんだろう?
ひょっとするとキューブリックが彼に
「ストラヴィンスキーのような普通のクラシックじゃない曲を・・・」
とか言ったのだろうか?
リゲッティーは普通のクラシックじゃないから、
そういうことを言っていてもおかしくはないと思う。
だけどリヒャルト・シュトラウスもヨハン・シュトラウスも
普通のクラシックだ。
(なんでどっちもシュトラウスなんだ?)
しかしツァラトゥストラはあまりにもシーンに合いすぎて
いるように思える。
ドナウの方は曲の時間から選んだのかなあ?
それにしても映像にピッタリだ。こっちは今となっては
これ以外考えられないくらいだ。

まあ、映画音楽じゃなくて良かった。と思う。






10/09/2026

硤合反応

硤合反応という漢字を見て、
これはキレート反応みたいなものか?
と思ってしまった。
 挟むという字に似てるでしょう?
でも先生の名前だった。

この反応というか鏡像体と言う話は中学の時に聞いた。
あれは「科学教室」とかいう東京都がやっていた
各学校から中学生を選出して小平の学校で皆一緒に
学校では習わないことを習うというものだった。
私はそれが面白そうだったので、先生が選出する前に
自分であれに行きたいと希望した。
その時先生は「あれは、お前、成績がすごくいい生徒が行くものだぞ」
と言った。橋本先生と言った。
皆にあまり好かれていない先生だった。
でも先生は私を選出候補に選んでくれた。
それで行くことになった。

確かにそこでやってることはまだ学校で習っていないこととか
があった。何かの公式で黒板に書かれた数式は全くわからなかった。
それでも意味だけはわかった。
その教室だったと思うのだけど、
味の素はどうやって生まれたか?
という話があった。
なぜかよく覚えている。
味の素を作った人は昆布を何トンも煮詰めて
そこから「味」の元となる物質を抽出した。
それがL-グルタミン酸ナトリウムだった。
その人はその物質を合成しようと思った。
こうすればできるはずだという反応を考えて
それでグルタミン酸ナトリウムを作った。
しかしそれは全く美味しくなかった。
調べてみると光学鏡像体が同数混ざりあっていることがわかった。
L型とD型が半分ずつ混ざっていて、
L型はおいしいがD型はおいしくない。
それらを分離することができなかった。
ところが生物が作り出す物質は全てL型になっている。
そこでその人は微生物を利用してこの混合物から
L型だけを取り出すことに成功した。
だから最初の「味の素」は微生物の助けをかりて作っていた。

という話なのだけど、今回の硤合反応はその混合物のうちの
片方の物質をほんの少し触媒として加えると、反応はその触媒と
同じ型のものを多く生成し始め、その生成された物質がまた
触媒としてそっちの方向に反応を進め、結果として非常に純度の高い
物質を生成できる。

というものだと思う。
正確に何の物質についてかは知らないけれど、
そういう感じだと思う。

なんと硤合先生は私と同い年だ。
























10/07/2026

シャルル・ミュンシュ

 そういえばいたよね指揮者の「ミュンシュ」
と思ったのだけど、Charles Munch と言う名前を見て
なんか違うなぁ。という思いがした。
「ミュンシュ」はいいけどチャールズじゃない。
あの人は何ミュンシュと言っただろう?
とずっと考えていた。
昔の音楽雑誌などを思い出していた。
そうだ「サルル・ミュンシュ」だと思いいたった。
絶対にこう言っていた。
ベルリオーズの幻想交響曲なんかこの人以外に考えられなかった。
ところが「サルル」では検索に出てこない。
出てきたのは「シャルル」だ。
とそこでやっとわかったのはCharlesの読み方だ!
そうかチャールズさんだったんだ!
とやっとわかった。
だけど記憶にある70年代のFM放送なんかでは
絶対「サルル」と言っていたと思う。
しかも「サルル・ミュンヒュ」と誰か言っていた
とさえ思う。
明日古い音楽雑誌を調べてみよう。



500年前

 現代から500年前にもどるというショートムービーが流行っているようだ。
たまたまそのうちの1本を見た。
青年が現代の車(BMWか何か)に乗ってドライブしているうちに
500年前の世界に入り込んでしまうというもの。
当然当時の人は驚くけれど、そんなに大騒ぎはしない。
城内の大将は町の発明家を呼ぶ。
発明家と青年はすぐに仲良くなる。
お互いの技術を教えあう。
そのうち戦争が起き、発明家は青年を車が隠されている場所に
案内し、青年は城から車で逃げだす。
発明家は馬で彼を追い、青年が去ったことを確認する。
その後も発明家は何年も何年も彼が去った場所に行ってみる。
すっかり歳をとるが、彼が帰ってくることは無かった。

というなんでもない話なのだけど、とても良かった。
他の同じような動画をいくつか見たけれど、この動画が一番良かった。
エキセントリックなことは起きず、話は淡々と進んでいる。
Aiかもしれないが、特に青年がいい感じだ。
それと発明家もそれらしく好感が持てた。
ああいう体験なら青年役でも年取った発明家役でもどっちでもいいから
やりたい。




10/06/2026

皆忘れてほしい

 もう私のことを知ってる人も残り少なくなっていると思うけれど、
小学校、中学校、高校、大学、社会人1年目、社会人6年目、
社会人8年目、社会人9年目、それからその後もずっと
私を知ってる人は私のことは忘れて欲しい。
何を言ったのか、何をしたのか、何をしなかったのか
全て忘れて欲しい。

夢が辛いんだ
昔の嫌な自分が出てくる
いや、そうではなく
昔の嫌な自分を知ってる人たちが出てくるんだ
湯面も中の自分は今の自分
だから、昔の自分がどんなだったかを知ってる
その頃の自分がいた世界が再現される
それは辛い
自分のことを皆知っている世界にいる
私は申し訳ないし
皆その頃の私を知ってるから
皆が成功していても
私はそうじゃない
そんな中で言葉を探し、
皆のことを伺いながら何かしようとしている
何もできない
できるようなふりをしているけれど
何もできない
夢っていうのは、もっと楽しいものじゃないのか?
なぜいつも責めるような夢なんだ?
夢の途中で嫌になって目が覚める
タブレットを点けて、画面を見る
何を見るでもなしに
流れてくる画面を見ている
そのうちいつの間にか眠ってしまう
そしてまた無間地獄に陥る
朝までそんなことをしている


10/05/2026

1915年11月14日の奇跡

 またOne step beyondの話だけれど、気になったので調べてみた。
それは1915年11月14日の22時30分に起きた奇跡のことだ。

フランス軍の兵士4人が戦闘中に空にまぶしい光が現れ、
その光を見て戦闘意欲を無くし武器を捨てて基地に戻ってしまった。
彼らは脱走兵として死刑宣告を受けた。
彼らはみな戦争中なのにそれとは関係ないシーンを見て戦争が
嫌になって基地に戻ってしまったのだった。
その光は同時刻にフランドル地方でイギリスの自動車部隊にも目撃され
また東プロイセンのロシア人歩哨によって報告された。
あるいはイタリア歩兵中隊の作戦行動を中断させた。
またイギリスの海峡上空を飛行していた連合軍の偵察機に
よっても発見された。
同じ時刻に1000人以上の目撃が報告されている。

というものだけど、これは本当だったら面白いと思って、
この日付時刻 November 14, 1915 22:30 で検索してみた。
すると何件かヒットした。
しかしいずれもこのドラマOne step beyondを見た人の話で
同じようにこの話は事実だろうか?と疑問を持った人達だった。
その大元の事実を述べている人はいなかった。
これは単に当時の出来事をネットから見える形で載せていない、
ということかもしれないけれど、
恐らく創作だろうな。
関連するとしたら1915年のクリスマスに例のクリスマスの奇跡
が起きていて、これは事実だから。
それにインスピレーションを得て使った話だろう。







映画を観てきた

 開示日の映画だけど、
ストーリーとかはどうでもいいけれど、気になったことは
途中で女性アナウンサーが言葉にならない言葉をしゃべるシーン、
あのしゃべり方は他の映画で無かっただろうか?
どこかで聞いたことがあるように思う。
それが思い出せない。

最近では映像を公表しても「Aiじゃないか?」
と言われてしまうから、証拠となる映像を出してきても
だれかが「Aiだ」と言えば皆はAiだと信じてしまう。
映像の信ぴょう性は著しく失われていると思う。
だからその映像が本物だと実証するにはどうしたらいいだろう?
たぶんその方法は無いかもしれない。
あらゆる可能性が示されたら誰も信じない。

だから実際に自分に降りかかってこない限り
信じることはできないだろう。
「ゴジラが東京に現れた」と言われても信じないだろうし、
東京タワーが宇宙人に壊されたと言われて映像を見せられても
信じないだろう。
だから実際にかなり大変なことが起きて、それが映像として
TVで流れても信じないかもしれない。
「あれは誰かがCGで作ったものだ」とか
「あれはAiの映像だ」とか
言って信じないだろうから、世の中はすぐにはパニックにならない。

昔アメリカでSF小説をラジオで朗読したら
みんなそれを現実に起きたことだと思って
パニックがおきたということがあったけど、
今では起きないだろう。
インターネットで「本当のことだ!」と言われても
すぐには信じないだろうね。

昔のSFでは宇宙人が現れて「人類は戦争をやめるべき」
とか言って平和裏に終わるような話があったけれど、
高度に知的な存在が現れても戦争してるだろうね。
そんなものには負けずに戦争してる。
きっとそうだ。


9/30/2026

昨日見たOne Step Beyond(世にも不思議な物語)のエピソード

 あのドラマはどこまでが本当の話かよくわからないけれど
全部作り話と思われる回とこれは実際にありそうだ
という話がごっちゃになっている。

昨日の話はサンフランシスコの大地震を予知した男の話で
結局誰も信じてくれなかったけれど、
一組の老夫婦だけは彼の話を信じて助かったという話。
話はそこでおわるのだけど、最後にナレーターが
「もう一つの物語がある」と言い
「ユタ州オグデンの鉄道電信技士が受け取ったメッセージでは
地震のことを伝え、衣料品と食料を送るように促していた。
その電報は地震の4時間前に届いたものだった。」
という話を言っている。

ほんとかどうかわからないがそういう話は好きだ。
ちょっと検索してみたがその電報に関するものは出てこなかった。
しかし当日家族宛てにおくられた電報と言うのは残っていて
自分たちが無事だと伝えている

この電報を見ると日付は入っているが
時間は入っていないようだ。
全部が同じフォーマットだったかどうかはわからないけれど、
時間が記録されていたかどうかわからない。
後から作った話かもしれない。

もうひとつ気になったのは1906年4月18日の何かの文章が
地震のことを書いているようだ。
スタンフォード大学の資料らしいから胡散臭い話ではないだろう。
地震について語ってるらしい。
しかし地震は4月19日なのになぜ4月18日の日付なのだろう?
紙面が小さくて内容がわからない。


概要
1906年のサンフランシスコ地震と火災の回想を、カリフォルニア州サンフランシスコのミッション成人センターでの高齢者向けオープンハウスでランドグレーブが語った。
とあるのでのちに当時のことを語った話らしい。
それで前日のことを話しているのかもしれない。


夢日記その**

 電車に乗った。
どこか田舎の駅だった
人は大勢いた
渋谷に帰ろうとしていた
切符を買おうとしていた
すると中にいた駅員が作業をやめて外に出てきた
そして「これで乗れます」と言って切符をくれた
その人と一緒にホームで電車を待っている
するとホームの向こうから電車が入ってきた
なぜかホームの左側に入ってきた
近くに来ると電車はとても古い電車で
茶色で、まるで昭和初期の中央線のようだった
その一番前の車両の一番前のドアから入る
中は人でいっぱい
私は端の方に寄るけれど
さっきの駅員さんと離れてしまう
そのうちどこかの駅に着く
どこだかわからないけれどそこで降りる
大きなホールのような、デパートの1階のような
天井の高い広いところにいる
外にでようと思う
向こうに広い階段がありみなそこを歩いて行くらしい
そこに行くとガラスの扉があり
そこを出ると間の抜けた階段のようなものがある
それが下の道路まで続いている
ビルの4階くらいの高さがある
大きな梯子のような状態で
そこを1段ずつ飛び越えるように降りていく
隣に女性がいてやはり一緒にその梯子のような階段を
下りて行く
無事に下まで降りた時にその女性と顔を見合わせて笑う
全く知らない人だ
私のシャツの胸のポケットにカードがいくつか入っている
出してみるとPASMOが入っている
「なんだ、これで電車に乗れたじゃん」
と思う

今回の夢の見どころ:
梯子のような階段を下りて行く時
飛びながら階段を下りる感覚が気持ちよかった
あれが現実だったら絶対にできない

9/29/2026

最後のシンセじゃないだろうか?

 これまで数多くのシンセサイザーあるいはキーボードを買った。
一番最初はWAVEのキットだった。
アナログのシンセだったけれどデジタルのシーケンサーが別売
されていてそれも買った。
それからシンセではなく電子オルガンを買った。
重くて大きくて高かった。
それからKORGのMS-20を買った。
札幌にいた時のことだ。
東京に移ってからYAMAHAの初期のシンセを買った・
名前も覚えていない。
それからKORGのPOLY Sixだ。
POLYsixはよく遊んだ。
その後はだいぶ間が開いて、
α-Junoなんかいいなと思っていたけれど買わなかった。
もうずっと経ってからYAMAHAのEOSを買った。
あれはまだ息子のところにあるはず。
それからNovasionのMININOVAだ。
あれは面白かった。
でもアルぺジエータのタイミングが合わなかった。
どうやっても合わない。
それでいやになった。
それからYAMAHAのmx49を買った。
これはとてもいいシンセだった。
数年後にそれを売ってRolandのJunoDiを買った。
それをずっと使ってた。

それも飽きたのでJuno Diを売って、またYAMAHAのmm6
というのを中古で買った。
それを使っていたが、一部機能が良くなかった。
それで前に売ったYAMAHAのmx49をまた中古で買った。
mx49は2度目だけれど、結局これが一番いいかもしれない。





9/24/2026

今朝の夢

 面白かったので書いておこう

上野駅だと思う。
とてもごちゃごちゃした街で私は駅を探している。
大きな建物で人が大勢出入りしているところがあったので
そこが駅だろうと思ってその建物に入るけれど、
改札が見つからない。
切符売り場も見つからない。何度も出たり入ったりして
外の方も歩いたけど切符売り場が無い。
その景色はカラーなのだけどとてもごちゃごちゃしている。
スマホを出して地図を見ようとするけれど、
よく見えない。
しかたなくその建物を出て、記憶の中で秋葉原の方に
歩いて行く。
広い坂道を人々と一緒に下って行く
途中から突然コンクリートの堀のようなところに出て
その堀の端にある細い、とても細い道を歩く
両側はビルが建っているが、両脇の下はかなり高さがある
その道を平気でどんどん歩いて行く。
最後の所は滑り降りる。
かなりの高さを落ちるように降りる

そこは秋葉原と思われる広い道の上
道の両側にビルが立ち並んでいるが
窓も壁も破壊されているようで、廃墟のような
街並みが続いている。
私はカメラでその荒廃した景色を撮りながらあるく。
(あのカメラで撮った画像、欲しい)
すると左の広場のあたりに人が大勢いて、
何かを叫びながらまるでデモ隊のようにうねうねと
歩き回っている。
まるで大きな芋虫のようだ。
何を叫んでいるんだろうと聞いてみると
「赤!赤!赤!・・」と言っている
なんで赤なんだろう、と思っていると
誰かが「あれはギャンブルだ」と言う
赤のグループと他の色のグループがいる。
どちらかのグループが当たるらしい。
そっちのグループにいれば配当がもらえるらしい。
しかしその芋虫のような人の群れが怖くてそこを急いで通り抜ける
ちょうど秋葉原の駅のところに来た
そこでまた改札を探すのだけどやはり無い
人はたくさん歩いていて、まるで駅のようなのだけど
切符売り場も改札も無い。
つまりホームに行くところがない。
駅の中は広い空間があるだけで
そこを人々が大勢あるいている

駅が見つからないので、脇の喫茶店に入ろうと思う
その店の入り口を見つけると、
そこにテーブルがある
そこで一息ついていると
誰かが「それはいいですねえ」と話しかけてくる。
60歳くらいのおじさんだ
何が?と思うと私がカバンに入れていた彫り物を見ている
いったいいつその彫り物が入ったのかわからないけど
そのおじさんは私がそれを作ったと思っている
そして、「あなたにこれを差し上げましょう」
と言って額に入った絵画をくれる
画風は洋風の古風な油絵だ
なぜそれをくれたのかわからないけれど、
私は何か人に認められたような気になっている


結局、電車には乗れずに目が覚めた
いつもなら駅のホームに行くとこまではちゃんと行けるのに
今回はホームにたどり着けなかった








「ミステリーゾーン」と「世にも不思議な物語」

 子供の頃見たテレビドラマにこの2つがあった。
フェイスブックの投稿を見ていてこの2つのドラマを混同して
いる人が多いことがわかった。
「世にも不思議な物語」は原題が「One step beyond」
でナレーションがジョン・ニューランド。
「ミステリーゾーン」は「The twilight zone」
でナレーションはロッド・サーリング。
子供のころこの「世にも不思議な物語」が怖かった。
怖かったのであまり見ていなかった。
でもいくつかの話は覚えている。

例えばある男の人が病気になり病室のベッドで熱で幻想を見る。
彼は砂漠にいて砂漠をさまよっている。
死にそうになっているところを誰かに助けられる。
しかしその人も砂漠で迷子になってさまよっていた。
男は死にそうになりながらも自分のことを彼に話す。
そして死んでしまう。
一方病室でも男は瀕死の状態だったけれど結局死んでしまう。
その死因は渇きだった。
男が死んでしばらくしてある人が男の家を訪ねてくる。
その人は砂漠でさまよっている時にその男の人に出会った。
そして一緒に助け合いながら砂漠をさまよったけれど、
男は死んでしまった、という話をする。
かなりあいまいな記憶だけどそんな話だった。

それからエンゼルヘアーの話も面白かった。
ある朝町が真っ白な毛というか糸でおおわれてしまう。
その糸は触ると消えてしまう。
またしばらくするとみな消えてしまう。
そういう現象がアメリカの各地で見られた。
という話。

あるいは、ある夫婦が出かけていたけれど、家に帰る。
家のドアーを開けると階段の上から男女が口論しながら
下りてきて、そのままドアーから出て行ってしまう。
後を追うがどこにもその二人はいない。

そんな話だった。
とにかく音楽が怖かった。








9/23/2026

夢に出てきたヴィム・ヴェンダース

 だいたい私はこの人の映画をほとんど見ていない。
その人が夢の中に出てきた。
何かおかしなパフォーマンスをして部屋の中を歩いていた。
その人がヴィム・ヴェンダースとわかったのは、誰かが彼を
そう呼んでいたから。
私はもちろんどんな人か知らない。
見た映画は確か「パーフェクトデイズ」とかいう日本が舞台
の映画だ。それについては前に書いたように思う。
つまりそれしか知らないのに、なんで夢にでてくるのか。
ああ、ちょっと待って、パリテキサスもそうだっけ?
じゃあ2本観ている。
でも監督のことなど全く知らないし、なんで私の夢に出てくるのか。

ああ、それからあれだ、いつものように「ああ、電話番号聞いておくんだった」
っていうのがあった。まあ、電話番号聞いても夢の中ではスマホをうまく
使えない。画面がギラギラしてよく見えない。
それから一緒にいたのにどこかに行ってしまう。
それはある程度現実を反映しているように思うけれど、
彼女はこちらのことを全然意識していなくて、
いつも見失ってしまう。
現実でもよっぽど見ていないと見失ってしまう。
それが夢の中でも再現される。
だから電話あるいはメールを送ろうとしても
うまく送れない。

電車やバスの行き先がわからない、と言うのはいつもだけど
今思うにとても面白い夢だと思う。
ヴィムヴェンダースの夢はいつのまにかバス乗っているシーンに
なって、娘が一緒に乗っている。なぜかバスの中に布団が敷いてあって、
娘と一緒に布団に入っている。
娘はまだ中学生くらいだった。
とてもかわいい。
その感じが目が覚めても残っていて辛い

9/17/2026

秋葉原2008

 この年に秋葉原・無差別殺傷事件が起きた。
私はもう既に横浜の都筑区の方に住んでいた。
私は58歳だった。
今日フェイスブックにその事件の時の写真について
いちゃもんを付けていた人がいたので、私もその事件の
ことをもう一度読んでみた。
それであの時亡くなった7人の人はどういう人達だったのか
を知った。
その7人の中で一番年配の方は74歳だった。
中村勝彦さんというその人は息子さんと秋葉原に来ていて
あの事件に巻き込まれた。
元は医者だったそうだ。
息子さんが心臓マッサージを行ったそうだが、亡くなって
しまった。
74歳で突然あのような形で死ななければならなかったのは
さぞかし残念だったと思う。今の私とそれほど違わない年齢だ。

あの殺傷事件が起きた場所は秋葉原の一番メインとなる交叉点
のあたりだ。我々は日通ビル前の交差点とよんでいたところだ。
その場所で私も事故を目撃している。
朝の出勤時に昭和通りの方から交叉点を若松通商の方に
横断歩道を渡っていた。もう既に歩行者信号は赤になっていて
私と後ろの何人かは走って渡っていた。
私が渡り終えた時、私の後ろで何かがぶつかる音がした。
振り返ると人が宙を飛んでいた。
郵便局の車が一番左車線を走ってきて信号が青だったので
そのままの勢いで交叉点に入ってきて、私の後ろの人を
はねてしまったようだ。
その人は日通ビルの前まで飛ばされていた。
そのあと交通は止まって人々が飛ばされた人を
見ていたがその人は動かなかった。
しばらく見ていたが私は会社に急いだのでその後はわからない。

それと同じ場所だった。
秋葉原の時代はそれほど好きではなかったけれど、
あの交差点はいい印象が無い。

9/16/2026

昭和25年

 私が生まれた年の出来事を読んでいた。
あまり面白い出来事は無い。
朝鮮戦争とか赤狩りのニュースが多い。
その中で「噂の皇居前広場」という漫画が"卑猥"として
警察に摘発されたという事件。
漫画は1枚で皇居前広場で繰り広げられていた
男女の行為を漫画にしたものだ。
と言っても漫画はたわいもないものだ。


面白いのはそこではなく、
この記事は偶然みつけたものなのだけれど、
この漫画を描いたのは漫画家の横山泰三と言う人。
そのお兄さんがふくちゃんの横山隆一。
確かこの人昔鎌倉で私達と一緒になにかやった人のお父さんのはず。
コマツの友人のはず。
偶然にしては面白い。


9/12/2026

Great Gig in the Sky

ピアノを弾ける人にとっては超やさしい曲だと思うのだけど、
 苦戦してる。
今までピアノが入る曲は主に右手のみで、低音部が入る曲は
2度録音していた。右手で手音部を弾いて。
どうせ左手は指を広げることができないし、
親指と人差し指、中指しかまともに動かないから。
左手を一緒に弾く練習をして来なかった。

それで、人生の最後に1曲ぐらい両手で弾きたいから、
練習している。
今のとこ最初の5小節くらいまでやっと弾ける。
ちゃんとではない。
えっちらおっちら弾く。
でも両手で弾けると気持ちがいい。

たぶん全部を弾けるようになるのは来年までかかる。
まあ、誕生日くらいまでには完成させたいと思う。


9/08/2026

耳がね

 前から気になっていたのだけど、
例えばPink FloydのGreat Gig in the Skyの最後3:33の所
音が消えて行くところで音程がわずかに上がって下がる。
レコードによって多少時間の違いはあるかもしれないけど
とにかく音が消えるところで音程が上がって下がる。
これは確かだと思う。

しかし問題は、そうでない音、
例えばピアノの中央のドとかを弾いて、音が消えるところ
を聞いていると音程が上がる。
上がって下がるのではなく、わずかに上がる。
これはどうやら私の耳がおかしいみたいだ。
なぜおかしいとわかるかと言うと
音が徐々に消えて行くような音を聞いた時
消えかかる最後のところで音程がわずかに上がる。
音源は同じでそれを何度も聴いてみると、
上がる時と上がらない時があるから。

意識して「上がらない」という意識で聴くと上がらない。
あたかも耳の奥に力を込めて上がるのを抑えているように感じる。
そうではなく、なるがままに聴いているとわずかに上がる。

とても気持ち悪い。
恐らく前にも書いたかもしれないけれど、
鼓膜が老化して小さな音の振動が高めに振動してしまうのではないだろうか?
あるいは同じ振動数だけれど、鼓膜がそれを少し高めの音として
とらえてしまうのではないだろうか?

今のところそれの弊害はないのだけれど、
曲の最後をフェードアウトするときに時々音程が上がって
いるように思うことがある。
そういう時はもう一度音程が上がらないように意識して
聞き直す。
実際には上がっているはずがないのだから、
別に確認しなくても大丈夫なのだけれど、
上がっていないことを確認しないと気持ちが悪い。

でも、ひょっとして皆もそう聞こえていたらどうしよう?