今、検索すると「卓球の選手」としか出て来ない。
というのもあまりにかわいそうなので書いておこう。
ミュンスンという少女は確か廣島にいた。
詳しいことは知らない。
廣島で原爆に遭った。
そのショックで明るいところを怖がるようになった。
その後韓国に帰るけれど、韓国では押し入れのような場所から
出ることができなくなった。
光が怖いので。
ずっと押し入れで生活したということだ。
今はもう生きてはいないと思うけれど、
その話は確かテレビのドキュメントで見た。
だからどこかに資料は残っているはず。
でも今「ミョンスン 原爆」と検索しても出て来ない。
韓国人の廣島・長崎被爆者というのはたくさんいるのだろう。
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と思っていたら、一つ検索で出てきた。
その記述も同じミョンスンという名前(仮名と書いているが)でやはり
暗い場所でしか暮らせなくなった人として書かれていた。
でもその理由が全く違っている。
私が見たテレビの方が怪しい。
彼女がそうなった理由が「梅毒」だから。
それはそもそも彼女がそういう病気をうつされるような境遇だったから。
それを日本のテレビは言えなかったのかもしれない。
それでヒロシマを持ち出したのかもしれない。
以下、勝手にコピペ
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わたしが一番印象に残っている方で、チェ・ミョンスンさんという、これは仮名ですけれども、慰安所でひどい性病にかかってしまい、梅毒があまりひどかったので戦争が終わる前に帰されます。帰って、故郷でまた女性たちがかり出されるという噂を聞くんです。当時、結婚していれば挺身隊に行かなくていい。韓国で挺身隊という言い方をすることについていろいろな批判があるんですが、実際に韓国では挺身隊という名前で認識されていました。挺身隊に女性たちが連れて行かれるというのを耳にして、とにかく紹介された人と結婚するんですね。結局梅毒が治っていなかったので、その相手に移しちゃうんです。それで彼女がどういうことをしてきた人か、夫にわかってしまい、離縁されちゃうんですが、そのときに身ごもっていたんですね。
一人でその子どもを産むんですけれども、その子が30歳を過ぎてから脳梅毒を発症する。その後、彼女は再婚して子どもを何人か産んでいますが、最初の夫との間にできた子が精神に異常をきたして、原因がわからないまま病院を回るうち何軒目かの病院で「お母さん、この子を身ごもっているときに梅毒ではありませんでしたか」といわれた。自分の性病とその子の病気との関連がわかってから、彼女は暗い部屋に閉じこもって外に出られなくなってしまった。真っ暗な部屋の中で立つことができないので這い回っていて、次女がシスターでずっと彼女が面倒をみていたみたいです。部屋にいて立ち上がらない母親にご飯などを運びながら、次女は母親にあったことをその過程でわかっていたらしいんですね。
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ソース:http://web-saiyuki.net/kenpoh/news2/ns145.html