5/19/2019

高槻

ちょっと関西に行ってきた。
用事が終わってからいろいろ散歩したのだけど、
高槻に行ってみた。
高槻は新快速で新大阪まで1駅だから帰りにいくことにした。

小学5年の1年間だけ住んでいた。
その頃は高槻あたりに住宅が増えてきた頃だった。

今回行ってみたら街が変わってしまって、ほとんどどこに行っていいのか
わからなかった。
JRの高槻駅から阪急の高槻駅(今は高槻市駅)の方に行こうと思のだけど、
どの道筋を行ったらいいのかわからない。
でもスマホに頼るのはしゃくだから記憶で行く。

不思議なもので方向性の記憶だけは確かなようで、ちゃんと市駅についた。
そこから線路伝いに京都方向に行くと踏切があったのだけど、今は
高架になっていて踏切は無い。
しかも昔あった道が無い。
それで国道沿いに行くことにして、程なく住んでいた家の場所にたどりついた。
敷地は同じだったけれど家は2階家に建て替えられていた。
そのあたりの家の並びもおなじだった。
家の前に小さな小川(どぶがわ)が流れていたのだけどそれはそのままあった。

そこから小学校まで行こうと思った。
今は家がびっしりと建っていて、昔の道がわからない。
それでも方向感覚だけで、なんとかたどり着いた。

私が通っていたのは分校(大沢分校って言ったかな?)だった。
本校から少し離れた場所にあった。
もうずっと前にも一度来たことがあったけれど、その時はもう少し
当時のものが残っていたようにおもうけれど、
今回はまったく公園になってしまっていた。
子供たちが大勢遊んでいて親たちもいた。

私はその公園の昔校舎だったあたりのベンチに座って想像した。
すると不思議なもので当時の景色がだんだん浮かんでくる。
昔は少し小山になっていた場所、今は平らになって草原になっていた、
そこで友達と横になって空を眺めたことがあった。
横になってあんな風に空と雲を見たのはたぶんその時が初めてだ。

そんな風に思い出していたら、すごくリアルに当時の様子が見えたように思えた。
あの沈没したタイタニックの船室が徐々に輝きだして当時の船室になる、あのシーン
のように。
確かに私はあの小学5年の時のあの場所にいた。
それを感じられただけでもあそこに行ってよかったと思った。

公園の中で「大沢分校跡」とかいう記述が無いか探したけれど、
元のお城のことしか書かれていなかった。
分校があった時は確かまだ軍が使っていた倉庫みたいなのがあったように思うけど。

そこから反対側に国道に出る道があったと思い、そっちへ行ってみた。
もう木々や家並みも変わっているのですぐにはわからなかったけれど、
確かにここだと思うところがあった。

今あるお寺の近くで同級生5人くらいで歩きながら話したのを覚えている。
確か転向して学校に行った最初の日だ。
友達の関西弁が全くわからなかった。
わからなかったからはっきり覚えている。
「なあ~お前のこれかんしぇいのぅ~」とか
「あしたのかえりしな**に行ってみーひん?」
今ならわかるけれどまったく初めての関西弁で、しかも当時は今よりも
ずっと泥臭い関西弁だったから、わからないことが多かった。
だいたい先生が「X]を「エッキュス」というもので、何を言ってるんだろう?
と思った。
先生も濃厚な関西弁だった。

そんなことを思い出しながら歩いていた。