合法とか有害とかいうことはほっといて、
あれは一体何なのかを書こうと思う。
その前に「エル」と言われている方を書こう。
最初に発見した人は驚いたと思うけれど、
あれは人間の感覚を開放するものだと思う。
開放を解放とかくと何か思想じみてくるけれど、開放というのは
人間の思考あるいは頭脳によって制御されているものの「制御」を外してしまう
ということだ。
例えば視覚で言えば、目は恐ろしく広角なレンズでとらえているけれど、
頭脳によってそれが自然に見えるように制御されている。
あの薬はその制御を外してしまう。
だから景色は大きく歪み、人の顔は特徴が極端に強調されて見える。
近くのものも歪んだり、色が普通の時よりも鮮やかに見えたり、
輪郭部が輝いて見えたりする。
特に輪郭部はたぶん思考あるいは頭脳がアンチエイリアシングを自動で
行っていると思う。だからそれを解放すると物のエッジ部分がやけに
尖ったり、輝いて見えたりする。
手の触覚も同様で、おそらく頭脳は触覚以外の情報も加味して触った
感覚を得ているのだと思う。つまり温度や振動も考慮に入れて
感触を作っているのだと思う。
その薬によってそれをばらばらにしてしまうと、普通の感触とは
全く違った感触になる。
たとえば冷たい水はぬるぬるした生暖かい油のような感触になったり、
人の肌も触った感じがしなかったり、手を握ると細くしぼんでしまうように
思えたりする。
その感じはとても愉快であると同時に不安がとなり合わせている。
一度不安側に行ってしまうと制御がきかない。
なかなか元の感覚に戻らないのが不安になって、戻ろうとして
ビルの窓から飛び降りてしまったりする。
音もそうなのだけれど、音についてはあまり普段と変わらない。
音量調節ができないような感じはするけれど、
ある音が全く別の音に変わってしまったりはしないように思う。
そこで音についてはもう一つの「葉」の方だけれど、
葉の方は感覚ではなく人間の思考を制御している部分を開放して
しまうように思う。
例えば通常の生活の中では思い出したくないことを思い出さずに、
つらいことは考えずに、もうすっかり歳を取ったこととか、
明日の支払いをどうしようかとか、
あらゆることを考えないように制御している。
つまりレースのカーテン越しに見ていたりドアを少しだけ開けて覗いていたりしているのが普通。
あれはそれを開放してしまう。
だから人によってはbad tripになってしまう。
誰かそばにいて宥めてあげないとどんどん深く入り込んでしまう。
葉の場合はだからと言って窓から飛び降りたりはしないけれど、
不安感はひどくなる。
エルと同じように感覚も変わってくるけれど、この場合は
押さえていたものが取り除かれた感じだ。
手の感覚はいつもより鋭くなり、ものの表面を触ると違いが
はっきりわかったりする。
特に音に関しては顕著で、普段聞こえなかった部分の音が聞こえて
くる。あるいは普段聴いていたものとは全く別なものに聞こえる。
ただし、無い音が聞こえるということではない。また幻聴が聞こえる
ということでもない。
もしもそう言ってる人がいたらそれは嘘だ。
ある楽曲を聴くと、バイオリンの弦がどのように弦をこすっているのか
がわかるほどだ。その楽器を普段演奏している人はそれが顕著に
わかると思う。
その音が普段と全く違うので人によっては面白可笑しく聞こえるらしい。
音以外だけれど、例えば数学の数式を(なんでも)眺めていると
学生の頃理解していた、あるいは初めて理解できた、のと同じ
気分になる。それがほんとに理解できているのかわからないけれど、
非常に深くそのことを考えられることは事実だ。
これらの物質は「違法」のところだけで判断されているように思う。
違法だから「体に有害」なんだろう、違法だから「習慣性があるんだろう」、
違法だから「覚せい剤や麻薬に移行する」というような判断がされて
いるように思う。
違法なのはわかっている。そういう風に決めたのだから。(誰かが)
だからマスコミもその思考方法で騒いでいる。
しかし、ああいう映像が残っていると、のちに合法化された時に
笑いのネタになるだろう。
以上は若い頃に研究したもののレポート。