5/24/2019

時は金なり

前にも書いたけれど、時間は流れたり進んだりしない。
もちろん戻ることも無いし、止まることもない。
なぜなら時間は「動作」や「動き」や「流れ」ではないから。
時間はただここにあり絶えず浪費している。
浪費と言ったのはエントロピーの意味で。
ただただ浪費が増大して行く。
この場でじっと浪費して行く。

そういう意味で「時は金なり」というのは名言だと思う。
誰もがベクトル量だと思い込んでいる「時」を「金」という「価値」
あるいは「価値があると思われている”物”」と同等だと言っている。

金は流れたり進んだりしない。
ただここにあって使われるのを待っている。
あるいはいつの間にか無くなっている。
いつのまにか浪費していて、戻ることはない(かぁ?まあうちではない)。

金がいつのまにか無くなるように時もいつの間にか無くなっている。
ま、そんなもんだろう。