12/26/2018

再開

することにした。

3か月くらいかな?
何も書いていなかった。

Billさんが亡くなってメールが来なくなった。
九州の並川ももうずっと連絡が来ないし、とれない。
僕が声を聞きたい人はみんな連絡できない。
・・・「できない」のだよ。

あと数日で2018年という信じがたい遠い年代も終わり
さらに遠くの2019年になるらしい。
もう自分がどこから来たかも思い出せない。
2019年という年は全く覚えがない。
2018年は記憶にあった。
というよりも遠い昔のどこかの年とつながっていた。

つまり2019年は全くのエッジ(edge)だ。
この先は何も無い。
深い谷に向かって足を踏み出すインディアナ・ジョーンズのように
何も無い空間に足を踏み出せるのか?
ま、足を踏み出さないと後ろは無いからね。

じゃあ、もう一度1970年に戻って考えてみよう。
確か「1999年の大晦日にはみんなでどこかに集まろう」とかいうことを
言ったように思う。
それは実現できなかったけれど、40歳になった時にはみんな集まって
CDを作ったことがあった。
でもその時、その先のことはどこまで思い描いていただろう?
2001年が未来だった頃だから、当然2010年のことなど考えていなかった。
2018年は全く想定外の事象だった。
津波で原発が止まったようなものだ。

昭和が終わった時、どこかで集まってバカ話をしたように思う。
でもそれから平成がこんなに早く終わるとは思わなかった。
ただの年号だ。
そうは思うけれど、やっと慣れ親しんだ「平成」が終わるのは切ない。
次の年号はふざけた年号がいい。
たぶんそのふざけた年号に僕は死ぬ。
あるいは全く予想もできない出来事でその新年号は数年で終わるかもしれない。
それもまた面白い。
でも天皇は死なないでほしい。

今の天皇は自分の中では「皇太子」の印象が強い。
というか今でも皇太子のように思える。
昭和天皇は父に似ているところがある。
だから2度父を失った気がする。

だから今の皇太子だか天皇だかは死なないでほしい。
4年おきに年号を変えたらいい。
そうすれば西暦との相性もいいし、オリンピックとも相性がいい。