8/08/2013

高度1200メートルへ その1

要するに私が一人でたどり着いた一番高い高さだった。
ハングのことも忘れないうちに書いておこうと思う。

空を飛ぼうと思ったのは、結局ノイマンさんの話が元だったように思う。
ノイマンさんはマイクロフォンで有名なあの会社の社長さんだった。
ソアラーを自分で飛ばしていて、その話が実に面白かったからだ。

その話から15年後、伊豆の大池という場所にあるフライングスクールに通うことにした。
なぜそこにしたのか理由がよくわからないが、そこにして良かったと今思う。
スカイスポーツの中で自分で動力無しで”飛べる”(落ちるのではなく)のはハンググライダーとパラグライダーだけだ。あとは何がしかの動力、助力が必要だ。

パラで山から飛べるようになるのは1ヶ月くらい、ハングは1年と聞かされていた。
どちらかを選ぶわけだが、全く考える余地無くハングにした。
機体と飛行姿勢を考えてそう決めた。


大池というのは山の中腹にある盆地のような場所だ。
そこに練習バーンと200mと300mのテイクオフがあった。
練習バーンは上の写真の場所だ。約30メートルの処から斜面を駆け下りる感じだ。
下から見ているとたいした高さには見えないが、この場所に実際に立つと見え方は全く違う。
下の写真が上から見た景色。


ハングやパラは向かい風か無風状態でないと飛べない。一般的な会話では「追い風」は調子がいいことを意味するが、ハングやパラでは「追い風」は最悪の状態だ。

だから、一日のほとんどは良い風を待っている状態だ。
それはどこのスクール(エリア)でも同じだ。
良い風が来ない日は飛べない。片道3時間かけて行っても飛べない時は飛べない。

ハングの場合、約20キロから25キロくらいの重さの機体をかついでこの斜面を何往復も上り下りする。真夏はまさに地獄のような労働だ。
でも誰もやめようとはしない。
皆早く山から飛ぼうと思っているからだ。
ハングの場合、夏も経験するが真冬の練習も経験することになる。王道はありえない。


私と同時期にハンググライダーを練習していた人が6人いた。他の多くの人はパラグライダーだった。だからハングの練習をしていた一団はちょっと特異な存在だったかもしれない。
私のほか、Mariちゃん、Mayumiちゃん、Mitsuki、Tsuji君、もう一人あまりこない人がいた。
この時40歳だった私はもちろん一番年上で他の人は20台だった。

30メートルのテイクオフでも皆トランシーバを付けて飛ぶ。
インストラクターが着地するであろう場所に立って無線で全ての指示を与えてくれる。
その状況を再現するとこんな感じだ。



インストラクター(以下イ): そっちの風はどうですかー? こっちは結構いい風入ってます。
                  よければいつでもいいですよ。

私(以下ワ): 大丈夫そうです。

イ:  じゃあ、行ってみましょう!

わ:  (無線ではなく) 行きまーーす!  

私は走り始める。 機体の先端を見ながらとにかく走る。
風が機体を持ち上げて、足が空回りするが、走るのは止めない。

完全に機体が浮くと眼下に見える景色は違って見える。
たぶん人間は慣れないうちはあんな風に見えるのだろう。
全てが魚眼レンズを通して見ているように見える。
飛んでいる自分の周りは大きくゆがんで見える。

30メートルからの飛行ではそんなに長い飛行時間ではない。
せいぜい数十秒だと思う。
その間にハングの姿勢制御を学ばなければいけない。

降りたらまた機体を担いで斜面を登る。
それを1年間くりかえした。

大池(今井浜フライングスクール)の校長の西野さんは第一回日本ハンググライダー選手権の優勝者だ。とてもお世話になった。
その息子さんの力也氏が私の先生だった。年齢差は20以上だったと思う。若くて元気な人だ。
とてもお世話になった。
私はスカイスポーツのスクールをいくつも知っているが、今井浜ほどアットホームな雰囲気で皆が楽しんでいるところを他に知らない。