8/21/2013

秋葉原

秋葉原で10年以上仕事をした。
札幌から東京に戻った最初の会社は今の秋月、昔の信越電気の隣のビルにあった。

生まれて初めて秋葉原に行ったのはたぶん小学校の4年の時だ。
だから昭和35年だと思う。そのときは隣の交通博物館に行ったときだと思う。
秋葉原の印象はほとんど無い。
秋葉の近くの神田に科学教材者という会社があって、理科実験の道具や模型部品を売っていた。
そこへは何度か行った記憶がある。

秋葉原によく行くようになったのはまだオーディオ全盛の1970年前だと思う。
大型店も少なく、小さなお店がたくさんあった。そのほとんどがオーディオ関係だった。
無くなってしまったがラジオ会館脇の路地にはスピーカー専門のお店がいくつかあった。
店頭に丸いあなのあいた木の箱がおいてあり、欲しいスピーカーの音を聞きたいと言うと
そのスピーカーを丸い穴の上に置いて音を出してくれた。径30センチくらいのスピーカーも鳴らしていた。

ダイアトーンやパイオニア、DENONなどの他にアシダボックスという安めのスピーカーが人気があった。あのころはまだスピーカーボックスはおおきなものが多く、スピーカー屋はスピーカーボックスで埋まっていた。

録音もまだテープの時代で、オープンリールテープも現役だった。
新しいテープは高いので、放送局放出のテープも売っていた。つぎはぎだらけだったが一応使えた。前に録音されていた音は消されていなかったので音楽や朗読がそのまま残っていた。
いま考えると中には貴重な録音もあったかもしれない。

TVやFM受信機(ラジオ)をものらるからステレオに変換するユニットも売られていた。
大体が金属のケースむき出しで多少の知識がないと取り付けられなかった。
まだ真空管の時代だったけれど、半導体はすごい勢いで入ってきた。

私が秋葉原の会社に入った時は、ちょうどアナログレコードからCDに変わった時で、
ほぼ同時くらいにマイコンからパソコンが生まれた頃だった。

電子部品のお店がほとんどだった時から、パソコンショップが増えてきたのは、NECのPC-8001やシャープのMZ-80、AppleIIなどが流行り始めたころからだった。
AppleIIのコンパチを扱った店が多かった。またAppleII用のフロッピードライブなどもものすごい数が売られていた。

日本ではNECのPC-8001シリーズからPC-9801のシリーズに変わり、日本国内のパソコンはほとんどがNECだった。工場で使われるコンピュータもほとんどNECだった。
そのころのパソコンは256色しか表現できなかった。しかも640×240画素程度の粗い画面だった。
パソコンゲームもみなその貧弱な画面でやっていた。

海外ではIBM-PCが主流だった。
それをマニアが改造して非常に高機能なものにしていた。
その頃出たゲームソフト(たとえばフライトシミュレータやツームレイダーなど)の画面はNECがおもちゃに見えるくらいに鮮明だった。しかも動きもリアルだった。
そこからNECパソコンがDos-V機やWindowsマシンに変わるのは早かった。

早かったが、初期のWindowsにはまだBASICで動くモードがついていた。
考えてみるとこれは便利だった。簡単にI/Oのテストができたし、テストプログラムをBASICでその場で作って試してみることができた。
I/O(BUS関係)もその後のWindowsとは違い勝手に拡張基盤を使って簡単に作ることができた。

ソフマップが秋葉原にできた頃から普通の電機屋さんがパソコンショップに変わって行ったように思う。電子部品専門店やジャンク屋はどんどん無くなってしまった。
その後は、パソコンショップがゲームソフトやメディアショップに変わって行き、
今はなんだかわからないお店ばかりだ。

そんな中ですごいと思うのは「ミスタードーナッツ」だ。
たぶん1980年より前からあるのではないだろうか。
あそこだけは変わらない。