最も長時間飛んだのは冬だった。
テイクオフしてから1時間ちょっと飛んでいた。その時のことをメモを見ながら思い出してみる。
テイクオフは11時くらいだった。寒い曇り空だったが日が差し始めていたので、皆次々と出て行った。私はゆっくりと機体を組みながら皆が次々出て行くのを横目で見ていた。
実は機体を組み上げる作業は自分にとっては大事なことだった。儀式に近いかもしれない。
それに早く飛びたい気持ちを落ち着かせるのにも必要な時間だった。
機体を組み上げて、私も列に並んで何番目かに飛んだ。
いつもの様に左側の尾根に向かって飛んだ。いつも上げているあたりまでくるとバリオ(高度計)が強い上昇音を上げ始めた。 そこで機体をターンさせながら上昇するのだが曜日によって回す方向が決まっていた。その日は左だった。
機体を回している時は、体をベースバーの端近くに寄せて、なおベースバーを押し出すようにする。
その日のサーマル(上昇気流)によって程度は違うが、その日はそれほど強いものではなかった。
だいたい800メートルあたりを上下しながら、尾根からテイクオフの真上、パラのテイクオフの真上、パラのランディングの真上、そしてまたさっきの尾根の上。
これを何度か繰り返していた。
降りた時は1時間以上経っていた。
しかし、その時もう40歳代後半だったので、それ以上は無理だと実感した。
この写真は板敷のテイクオフ
me on the take-off at Itajiki
最も高く飛んだ日も冬だった。
大体いつもと同じコースで飛んでいた。
その日はちょっと寒かったが、雲は薄く、太陽が見えていた。テイクオフした時は空気が冷たくアップライトを素手で持つととても冷たかった。
いつもの尾根のあたりまでくると空気の暖かさを感じた。ほんのわずかだが下から来る空気が暖かだった。それと同時にバリオは強い上昇音を立てはじめた。
機体は回転するごとにどんどん上昇して行った。結局場所を変わることなくその場所で1200メートルまで上昇したのを確認した。
私の機体は上の写真のバディーという機体だった。前淵のみダブルになっていた。
1200メートルで周りをみると同じ位の高さを飛んでいたハングが数機、あとは皆自分よりも下だった。
しばらく尾根とテイクオフ上空を回っていた。1200まで上げたら筑波の方にも行けそうだなと思った。学生は皆筑波山まで行って帰ってきた経験があった。
しかし私にはその勇気は無かった。
足尾山のあたりで飛んでいるだけで十分だった。
1200mというのはこんな感じではなかったろうか。
(この写真は私のものではない。クレームがあれば削除します)