4/30/2022

親殺しのパラドックス

 タイムトラベルという概念に関して一番大きな間違いは、
時間が連続したものだと仮定してることだと前に書いたと思う。
歴史年表を開いて1180年だかの鎌倉幕府に行って潰して来よう!
と思っても、時間をマイナス方向に842年戻したとしても
そこに鎌倉幕府があるかどうかわからない。

これは非常に簡単な原理なのでちょっと考えれば明らかだ。
例えば今手に持ったサイコロを振って何が出るかはわからない。
というかある確率で出る数字がきまる。
ではまず手の中のサイコロの目が3が見えていたとして、
それを振って5が出たとする。
3を見てから振り始めて5が出るまで10秒だったとする。
では仮に5が出た瞬間に時間を10秒戻したとする。
歴史の教科書ではサイコロは手に戻り3の目が見える、
はずだけれど、そうはならない。
なぜなら5が出たサイコロを戻して3になるとは限らないから。
5の目が出てから時間をマイナス方向に移動させても
やはり同じようにある確率でしかサイコロの目は出ない。
1かもしれないし6かもしれない。

同じように仮に今時間を842年分マイナス方向に動かしても
鎌倉幕府が創立されていたかどうかはわからない。
とんでもない歴史になっているかもしれない。
つまり歴史が今につながっているかどうかは歴史年表の上のこと
でしかない。

親殺しのパラドックスなど元から在りえないことだ。
それどころか時間を戻しても親がいるかどうかもわからないし、
私がどこまで存在できるかどうかも不明だ。
ひょっとするとマイナス2秒前(後)に事故で死んでいた(る)かもしれない。
この世は未来も過去も確率的でしか言えない。