どう見えるんだろうね。
このコロナの流行とかウクライナの戦争とか。
2000年台の歴史年表の22年のところには
「コロナ」と「ウクライナ」の文字が入ることは確かだろうな。
オーム事件のことを思い出すとある種の哀愁を帯びた思い出として
感じるのと同じように、あるとき本格的老人になった自分は
コロナを昔の思い出として思い出すだろうか。
あるいは「あの時はそうだったねえ」と誰かと語り合うことがあるだろうか。
そんなことがあるといいけれど、
そういう時は来ない、ということも考えてしまう。
「止まなかった雨は無い」というけれど、
今まではそうだったかもしれないけど、
もう絶対止まない雨が降るかもしれない。
金星の雲の下みたいに。
そんなことを考えてしまう。