4/30/2024

映画のエキストラ

 私はあまり乗り気じゃなかったのだけど妻が応募したので行ってきた。
その映画のタイトルとか詳細はまだわからない。
ある音楽ライブのシーンの撮影。
俳優陣は寺尾聡さんとディーン・フジオカ、佐藤栞里、石倉三郎、
松坂桃李、松坂慶子、三宅裕司さん他。
2日にわたる撮影だったので2日とも同じ服装で行かないといけなかった。
2日目に来ていない人がいて急遽代役でカツラをかぶされていた人もいた。

しかし「待ち」時間が長い。
1日目はライブ会場に入るまで3時間以上待たされた。
会場はブルーノートのような感じにセットされていて、
私たちは3列目くらいのテーブル席だった。
座れて良かった。
あとの人は後ろの立ち見席の役割だった。
そこで寺尾さんが歌を歌うシーンの撮影。
ディーン・フジオカは非常にサービス精神のある人で
待ちの時はほとんど話をしてくれた。
やり直しはほとんど無かったけれど、同じシーンを別アングルで
何度も撮影する。その都度同じことをしないといけない。
・・・でも写っているかどうかは不明。

2日目は寺尾さんのバンド(そうそうたるメンバー)が生演奏をして
それに合わせて寺尾さんが歌を歌った。
歌は同じ歌2曲を何度も設定を変えて撮る。
これは非常に面白かった。
音が良かったせいもあるけれど、全然飽きない。
待ちの時間があると寺尾さんが勝手に関係ない歌を歌い出し
バンドも一緒になって1曲演奏してしまったりした。
助監督さんはあきれていた。

この日の最後のシーンは観客席の撮影だった。
私たちのテーブルの隣のテーブルに松坂慶子さんが座り
そのすぐ後ろに松坂桃李や石倉さんらがいて、
妻は松坂慶子さんと50センチも離れていなかったので
あれはたぶん一緒に写っていたと思う。
私は妻の隣席だったけれどたぶんセーフだったと思う。

ほとんどの俳優さんがその日で撮影終了だったので
舞台挨拶が見れてよかった。

私たちは座っているだけだったから良かったけれど、
立ち見役の人は疲れたと思う。
朝8時から夕方6時過ぎまでだから。
途中昼休みが約50分くらい。

俳優さんから「差し入れがありましたー」とアナウンスが何度も
あったけれどエキストラには基本的にまわってこない。
でも松坂慶子さんからのお茶のペットボトルは回ってきた。
私はやらなかったけれど、階段途中に「誰さんからの差し入れ」
と書かれたお菓子や食べ物がたくさん置いてあったのを
勝ってに持って行った人もいた。

長い2日間だったけれど、
もうやりたくない。


4/29/2024

夢はいつも変だ

 変な夢を見た。
長い夢だったけれど断片的にしか覚えていない。

私は彼女とホテルの部屋にいた。
しかしそこには彼女の友人2人もいた。
彼女はその友人と話をしている。
私は二人っきりになりたかったのにと腹を立てる。
非常に苛立った。
そして私は外に出てしまう。
彼女も何か言いながら一緒に歩くが私はまだ怒っている。
そうだ部屋に荷物があった、と思い出し荷物を取りに行く。
荷物は一抱えもある透明なプラスチックのケース。
下にキャスターが付いているのでそれを転がしながら
車のところまで持って行こうと思う。

道路を押してあるいて行くと古本屋がある。
そこでプラスチックのケースの中を開けると古い本が
詰まっている。その本を店の主人が一つずつ見て関心している。
「この本に書かれているのは私の父のことだ・・」とか言う。
他の大きな本にも興味があるらしい。
ああ、この本達は父が残したものだった。と思い出す。

「いくらになるか計算しましょう」と主人が言う。
私は初めは売るつもりは無かったけれど、
売れるなら売ってしまおう、と思う。
しばらくして主人が「時間がかかるので明日お知らせします」と言う。
なんで明日なんだ?と思いながら、仕方ないので家に帰ろうと思う。
彼女も一緒だ。

店を出ると崖の上で向こうは海と島が見えている。
島はかなり近くにそびえるようにある。
その島に大きな波がかぶさる様に立っている。
海は濃紺で波がしらは白、遠くの空は水色だ。
「ああ、きれいだなあ~」と思う。

後ろに向き直ると空の上に星が無数に見える。
しかもその星々は星座の形に花のようなものが並んでいる。
「あの花はどうして空の上にあるんだろう?」と思う。
空は黒く、星は白く、その花はクリーム色だ。

道を歩いて行くが家がどこだったかわからない。
確かこの道だ。
と家が立ち並んだ間を歩いて行く。
家々は昭和の文化住宅のような家だ。
(三鷹の住宅をデフォルメしたような感じだ)
道はますますわからなくなる。
夢の中で記憶をたどっている。

次のシーンは仕事場(会社)のシーンだった。

4/28/2024

怖い?

 夢を見た。
朝まだ暗いうちにトイレに行く。
トイレのドアーを開けると奥に一人の女性が立っていた。
私が「誰?」と聞くとその女性は何も言わずドアーの外に出て行く。
誰だったんだろう?
見たことも無い知らない人だった。

・・・という夢だった。
以前なら大声をあげて目が覚めるところだが
今回は少しも怖いとは思わなかった。

朝方目が覚めてトイレに行くときに、
ベランダ側の窓から外の公園が見える。
まだ真っ暗で公園の街灯が3つ4つ点いている。
目を凝らして誰かいないかなぁーと探す。
この1年半、誰も見つけられなかった。
「なんでそんな怖いことしてるの?」と言われる。
でも少しも怖くない。

映画「残穢」が怖くて面白いと言うので、
先日見た。
全く怖くなかった。
まあ、そういうこともあるかもなぁ、という感じだった。
「リング」にしてもおどろおどろしいけれど、
怖いというより暗いなと思った。

映画で怖かったのは、あれだ、邦題で「ゼログラビティー」。
あの宇宙空間に回転しながら放り出されるシーン、
あれは心底怖かった。
映画は2,3回見たけれど毎回怖い。

果てしない何も無い空間に、しかも回転しながら
放り出されるなんてぞっとする。





無から生まれる

 「無」というものは「無い」と思う。
当たり前のような気がする。

つまりここのある範囲の空間に在る物、
例えば空気や塵を全部取り除いて(それは可能だと思うけれど
限度があるかもしれない)ほぼ真空になった時、
(そのほぼというのも取り除けた場合)
そこには空間だけが在る。
その空間を取り除いた時、そこには何も無くなる。
つまり空間も無くなるのだから、その空間があった場所は
一瞬にして爆縮したように1点になってしまう。
1点というのは数学的な1点だ。
大きさは無い
それを「無がある」というのは奇妙な話だ。

何を考えていたかというと、
ビッグバンの前には無が在ったとか言う人がいるから。
無が在ったというのは「何も無かった」つまり「空間も無かった」
ということになる。
しかしビッグバンが起きたということは少なくとも
空間は在ったと言うべきではないだろうか?
空間の中で星々が生まれるビッグバンが起きた。
というなら納得できる。

さっきの空気や塵を全て取り除いた空間、
例えば1メートル立米の空間には何もないわけじゃない。
何も無かったらその空間さえ存在しない。
その空間にはあらゆる物理法則や数学の法則、因果律等が
ぎっしり詰まっている。
そうでなかったらその空間の中では2つの磁石が引き合う
ことも起きないし、1+1が2にもならない。

(空間の中で1+1が2だと立証するにはどうしたらいいだろう?)

それにその1メートルの立方体の中に人間を入れたら死ぬだろう。
もしも何も無いなら死ななくてもいいはずだ。
そのままの状態で生きているだろう。
しかし人間には酸素が必要で1気圧の空気の圧力が必要で
体の水分を保つため空気中にはそれと平衡状態にある湿度が必要で
体温を保つためにある程度の室温が必要で、
また自分の居場所を確認するために光りも必要だ。
とかななんとか、もろもろが必要だ。
そういう必要条件は一体どこからくるのだろう?
もしも空間が数学的空間だけだったらそんな法則は存在しない。

この空間にはそういう法則が存在している。
その実体が何かはまだ人類は知らない。
しらないけれど、人間には計り知れない「法則」がこの空間に
あることは太古の昔から知られている。

ビッグバンを何も無い空間から作り出したのも
その法則なのだと思う。
決して無からビッグバンが生まれたわけじゃない。

4/26/2024

103   茶・黒・オレンジ

 テレビにサブウーハーを付けようと思って、サブウーハー用の
スピーカーを買ってサブウーハーのアンプを作ろうと思った。
部品は残っていたものを使うつもりだった。
それで簡単に抵抗とコンデンサーでローパスフィルターを
作ろうと思った。

思ったのだけど0.01μFって表記何だっけ?
と考えてしまった。
回路の仕事をしていた頃は何も考えずに数値はすぐにわかったはず。
しかしどうしてもわからない。
102か?103か?104か?
勘としては103だった。そうだ10X10^3 pFだ。
それで合っていたのだけど、記憶に自信がなくなった。
やっぱり使っていないものは忘れてしまうようだ。
それじゃあ10KΩは?
これは、茶・黒・オレンジだろう、とすぐわかった。
だけどその次の誤差の色って何だっけ?
これは忘れている。
調べてみてやっと思い出した。

16進数と2進数とかも直観ではもうわからないだろう。
今はもう使われることはないだろうけれど、
Z80のコードももうほとんど忘れている。
あれは何を使っているのだろう?
ラズベリーパイ。
へえー、32ビットなんだ。
16ビットだと思ってた。

まあ、時代は変わったね





4/22/2024

ドローン音楽

 最近DTMだかDAWだかをまた始めたということは書いたけれど、
どうなんだろう?
1からコツコツ楽譜を書いて曲を作ることもできるけれど、
DAWのクリップを並べて行くだけでも音楽(らしいもの)はできる。
はい音楽です!って言ってもいいのだけれど、
どうなんだろう?

前にちょっと愚痴ったことで、ノイズ音楽や偶然の音楽とかが、
もっとプリミティブなエレベータ音楽よりも高尚なもののように
扱われているのは何故? と思ったことがある。
だってクリティカルな発振ポイントを見つけて面白そうな
音を出しているだけだ。
あるいはシンセサイザーのやはり音の共振あるいは音の発生原理
そのもののせいで音が変化するのを「音楽」だというのは
どうなの?

たぶん抽象絵画に近いものがあるのだろう。
適当にキャンバスに絵具を跳び散らかして「アート」ですって。
それに近い。というか同じだ。

しかしピカソに代表されるような抽象絵画は全く別だ。
練りに練って自分の絵を描いている。
結果的に両方を見ると同じように見えるかもしれないけれど、
全く別なものだ。と思う。

偶然性を狙った芸術は猿にでもまかせておけばいいと思う。
そうそう、今回のタイトルのドローン音楽だけど、
最近は「ドローン・シンセ」と居直ったような名前のシンセがある。
たぶん適当につまみをいじればそれっぽい環境音楽(アンビエント)
が勝手に鳴り始める。
それはもう音楽ではなくて、そのまま「環境音」なんじゃないだろうか。
自然音だ。
だからもう蜂の羽音をマイクで拾っても同じだ。

だからどうした?ということだけれど、
シンセを鳴らしているとほとんどシンセ任せなような音で
曲を作っているんじゃないか?と心配になる。
自分はこの音(音楽)にどこまで関与しているんだ?
という疑問だ。








4/21/2024

夢は夜開く

もうどうでもいいことなんだけど、
昨日車でラジオを聴いていたら「夢は夜開く」がかかった。
ああ、小林勝也さんの番組だ。
それで「十五、十六、十七と~」と歌っているのだけど、
明らかに「じゅうひち」と言っている。
前にも書いたけれど、私はごく最近まで「7」は「ひち」だと思ってた。
ずっとそう使ってきた。それを誰かに注意された。
「ひち」は”間違い”で「しち」が正しい、と。
家に帰って来て藤圭子の歌を改めて聞いてみた。
2種類聞いて、どちらも「ひち」と言っている。
これは間違いない。
ʃ
の音は聞こえない。
明らかに[ ç ]「hi」と言っている。

よくよく調べてみると、やはりある割合で「ひ」と言ってる人がいるようだ。
”決して”「ひ」は間違いではない。
ということがわかった。

だからどうした?

4/20/2024

インセプション

 今朝妻が観ていたので一緒に観ていた。
途中で思い出したのだけどこの映画はまずい。
そうだ子供が出てくるんだった。
それで途中で抜けてきた。

私の夢に子供達が出てくる。
ほとんどまだ4,5歳のままだ。
私は「ああ、良かったまだ子供だったんだよね」
と安心して抱きしめる。
そういう夢を何度も見る。
辛い



           
 











4/19/2024

Echoic memory エコーイックメモリー

 これはおもしろいなぁ。
カクテルパーティー効果を調べていてこの言葉があった。
確かになあと思う。
特に雑踏の中で、ある言葉の断片が聞こえたらそれに続く「音」を待って
先の言葉を判断する、というようなものらしい。
英語の聞き取りなんかでもそうだが、この場合はもっと時間が短い
ものを言うらしい。
たぶんある音の前後を判断しているのではないだろうか?
ある断片的な音(はっきりした音)の前にある小さな音も必要だし、
それに続く小さな音も必要だ。
これは何かに似ている。
音声圧縮などの時にやはり前後の音を参考にしながら
カレントの音を決めて行く。それに似ている。
耳の中(頭の中)でこれをやってるらしいというのは面白い。
ドラレコが衝撃の前後も録画しているのに似ている。

・・・と思うのだけど、はたしてこの解釈で合っているのか?



4/18/2024

昨日の夢

 合宿だった。
何の合宿だったのだろう?
たぶん高校生時代。
いや、それの同窓会だ。
私は無視されている。
何か発言するが無視される。
私は何もしゃべらないことにする。
私以外のところで皆楽しんでいるようだ。
いやな感じだ。
前に見た夢の場面を思い出す。(夢の中で)
(あいつは面白くない、みんなに無視される)
その会がお開きになる。
私は一人そこを去る。
次のシーンは札幌らしい。
私とオリーブと吉野と他にだれかいる。
皆でバス?を待っている。
吉野がチケットをくれる。
もうすでにオリーブは嫌いだから
私は話しかけない。
吉野が何か話しかけてくる。
私は笑って何かこたえる。
何だったか覚えていない。
いる場所は坂道の終わりの古い駅前のようなところ。
道路、広場は舗装されていない、泥道だ。
しばらく待っていると坂の上からおかしな車が
猛スピードで降りてくる。
良く農場で見る農薬の散布車の大きな感じのやつだ。
後ろに長い箱のようなものを引っ張っている。
それが広場に着くと皆それに乗り込むが
その時小学生が大勢とさっきの同窓会の人達も一緒に
乗り込んでくる。
箱の中は思ったよりもずっと広く
電車の2両分くらいある
私はその真ん中くらいに吉野の隣に座る
「これ飛行機に間に合うんだろうか?」
とわたしが言う。
吉野は「だーいじょうぶ、だいじょうぶ」
といつものように軽く言う。

間に合ったかどうか知らない。
時計を見ると4:30
外はもう少し明るいようだった。
また寝た

4/17/2024

DTM

 私はMTRで生録音で音楽を作っている。
それでずっとやってきたので慣れているというか
それが自然だと思っている。
一方DTMだけれどもう20年以上前はそれでやっていた時もあった。
STEINBERGのCubaseを使っていた。
その頃はクリップとかの概念は無く(有ったかもしれないけど使っていない)、
まあMTRとほぼ同じ使い方をしていた。
違う所はパートの入れ替えや開始終了タイミングを自由に変えられるところ、
細かな編集が画面上でできることだろうか。
たぶん当時でも音声のピッチを自動で修正できたと思う。
でも使っていなかった。
まあ、MTRと同じ使い方をしていただけだ。

それで最近DTMをやってみようと思った。
理由はドラムやパーカッションのクリップの種類がたくさんあって
それをベースに作ったらどうか?と思ったからだ。
それでDTMソフトをいろいろやってみると、
なんていうか、もう全てをソフト任せでも曲が作れることがわかった。
そうなると一体人間は何をしてるんだろう?と思う。

ドラムスのリズムを適当に選んで並べて、ベースを重ねて
ブラス、ストリングス、エレキなどのクリップをそれらしく
並べると曲としては(言わなければ)それっぽく曲に聞こえる。
少なくとも動画のバックかなにかで流す分には十分だ。

世のオリジナルの曲なんかも半分くらいはそんな風に
作っているのではないだろうか?と思ってしまう。
別にベースが弾ける必要も無いしドラムをたたく場所も要らない、
少なくても歌う声は要るだろうと思うけれど、
それだって歌詞を入れれば歌ってくれるアプリもある。
そうなると音楽っていうものの存在が怪しくなる。

前から思っていたのだが公の場で流れているBGMというか
環境音楽というかエレベータ音楽と言うかを良く聞いてみると
人間性が感じられない。
あれ、たぶんそういう自動ソフトで作っているんじゃないか?
と思う。
他にもそういうものはたくさんあると思う。
音楽はやっぱり手作りであって欲しいと思う。

そんなわけでDTMで曲を作ってみよう!
と思う。


4/16/2024

パスタとデジャヴと夢

 このブログを見ている人が最低4人いるようだ。
つまり最低4人で多い時は十数人。
その4人の人2人くらいまではわかるけどあとはわからない。
と言うのも自分からここを教えた人が2人だから。
こんなねえ、単に自分の記憶と記録と思い付きを書いただけのブログ
を読んでいるとは本当にわけがわからない。
だいたいタイトル文句を検索してもここは出てこない。
よっぽど300回くらい深く検索したらでるかもしれないけど。

そう、それが何の問題があるかというと、
ひょっとしたら私は誰かがここを読んでいることを意識して
書かなくてはいけないのだろうか?ということ。
でもそんなことはしない。
消えてしまうと困るので公開はしている。
だからって誰かが読むことを意識して書くとFBみたいになってしまう。
・・・ので、やらない。

昨日お昼にパスタ料理を作っていた。
キッチンでフライパンに入れた具材とパスタを混ぜていた。
その瞬間「あ、これは夢のシーンだ」とわかった。
今から3年くらい前、まだ横浜にいた時に見た夢だ。
その夢ははっきり覚えている。
「広い、あたらしいキッチンはいいねえ~」と言いながら
パスタを混ぜていた。
そのシーンだ。
「ああ、このシーンだったのか!」と思った。
デジャヴのように、
記憶が蘇った。
そのイメージはしばらく頭に残っていた。

何度かそういうシーンのことを書いてきたけれど、
今回のはかなりはっきりしていた。

この写真はネットにあったものだけれど、鍋の色と
トングが今使っているのと同じだ。
こういう感じのシーンだった。



4/15/2024

タナトフォビア

 知らない人は世の中のこの症状について誤解していると思う。
タナトフォビアはただ単に「死ぬことが怖い」というような
ものではない。これはパニックだ。
子供の頃に何度もなった。
何が起きているのかはわからない。
しかし頭の中で無音が鳴り響き、
見えているものすべてが怖い。
もう死がすぐそこまで来ているように思う。
これは誰にもどうにもできないことだと直感する。
とにかく恐怖しかない。
まだ小さかった頃は家まで駆け戻って
母親の膝に潜り込んでそれが過ぎ去るまで耐えた。
学校で起きた時は座り込んでいた。
友達に気づかれないように。
「大丈夫?」とか言われた時は
笑って「うん、なんでもない」って言ってごまかした。
友達が言うことに生返事をしているうちに
パニックはおさまって行った。

そのパニックが収まった後は、
とにかく「死」やそれに関することはなるべく見ない、
考えない、聞かない、と心に強く思って
一日を過ごした。
とにかく少しでもそのパニックに引っかかると
持って行かれるので、触らないようにしないといけない。

ただ単に「死ぬのが怖い」という症状ではない。

4/14/2024

フォークソングと反戦歌

 というのは自演できるムード音楽じゃないかと思う。
一番最初に聞いた「フォークソング」は何だったろう?
と思い出せるのは「トム・ドゥーリー」か「漕げよマイケル」か
だと思う。いずれも当時歌っていた。
歌っていたけれど意味(訳)はわからなかった。
マイケルの方は、まあ船を漕いでるんだろうな、
くらいしかわからなかったし、トム・ドゥーリーにしても
それがどんなにひどい歌詞かわからずに歌っていた。
そこからが始まりだったように思う。
「ドナドナ」「わが祖国(This land is your land)」
「花はどこへ行ったの」「雨を汚したのは誰」
「パフ」「悲惨な戦争」「ハンマー持ったら」
上げていたらきりがないけれど、
ものすごく多くの意味の分からない歌々、
それらの歌を学校で広場で舞台で公園で歌っていた。
私は意味が分からない歌はそれはそれでいいと思う。
歌一つ一つの歌詞の意味を説明しながら歌っていた人
を私は見たことが無い。
だいたいの意味とか趣旨を説明して歌っていた人は
もちろんいた。

私が仲間と歌を歌っていたのはその「歌の意味」を
歌っていたのではないような気がしている。
歌はあくまでも歌であり、その場の雰囲気を盛り上げるため
というか、自分たちの行動を鼓舞するためとか、
そういう意味だったように思う。
だから正直に言えば「歌で世界が平和になる」とは思っていなかった。
仲間と一緒に歌うことで自分たちの連帯感を強めるためとか、
一緒に歌うことで目的性をはっきりさせるとか、
そういう意味だったように思う。
(1965年から1975のことだけれど)

「じゃあみんなで反戦歌を歌おう!」というシュプレヒコール
はありえない。歌は何でも良かった。
よっぽど反動的だったりあまりに日和見的だったりした歌
以外は何でも良かった。
つまり何が言いたいかというと、反戦的だったのは人々の行動
であり、歌ではなかったということ。
だから昨今のライブやネットで盛んな弾き語りで
「これは反戦歌です」とか「ウクライナのために反戦歌を
歌います」とかいうのは違うように思う。
「反戦歌」などというのは元々存在しなかった。
「反戦する人間」がいるだけだと思う。
自分が平和を願う人間だということの
表明として平和を願う歌を作ったのではないだろうか。

「ウクライナの平和を願って赤とんぼを歌います!」
って言う方がまだ反戦歌的だと思う。
反戦歌を歌うことが反戦じゃない。
平和を願う人ならどんな歌でも反戦歌になりうる。

「500マイルという反戦歌を歌います」って言ってる人がいた。
思わず「え!どこが反戦歌なんですか?」と思ってしまった。
そういう発言が多すぎる。
正しくは「私はあの戦争に反対しています。500マイルを歌います」
じゃないだろうか。

いや、それは今始まったわけじゃない。
1960年代からそうなんだ。
反戦歌を歌うことが反戦だと思っている。
歌なんか歌ったって戦争は終わらない。
平和のために何か行動しているか?
が問題だ。
(すみませんお母さん、私は今何もしていません)

何もしないで歌だけ歌って「反戦です」って、
それでいいのか?



4/13/2024

擬態

 今住んでいるのが山なので虫たちがいるのだけど、
先日ナナフシをみつけた。
ナナフシはそれなりの木の枝に居れば周囲に溶け込んでしまう
わけだけれど、先日見たのは大きな幹にへばりついていて
一見してそれとわかる姿だった。
つまりあまり擬態が効果を発揮していなかった。

いつだったかテレビのドキュメント番組でやはり森に住む虫の
擬態をやっていたのだけど、その擬態がちょっと不思議で
木の下の人間が見るとまるで別の物に見えるという擬態だった。
それが何だったかはっきり覚えていないのだが、
木の下にいる人間が見た時に限ってその形に見える、
という擬態だった。
つまりその擬態は人間がどう見ているかを知っていないと
できない擬態だった。
それを見た時不思議に思った。
なぜか「彼」は人間がどう見ているのかを知っている。
どう擬態すればそういう風に見えるようにできるのかを
「彼」は知っている。
これはとても不思議なことではないだろうか。

今では擬態は長い年月をかけた淘汰の結果、ではないという
のが通説になりつつあるらしい。
つまりそういう風に進化したわけではないらしい。
もっと早い時間でそういう進化ができるような遺伝子が
存在するらしい。
スーパー遺伝子によって擬態ができるようになったらしい。

それはそれでいいけれど、なぜ”外から見た時に”
”そういう風に見える”ことがわかるのだろう?
そっちの方が不思議だ。

私が他人からどういう風に見えるのか私にはわからない。
またどうすればイケメン風に見えるのかその術を知らない。


4/11/2024

野辺山の電波天文台

 前に行ったことがあったような気がしていた。
でも行ってみるとたぶん初めての場所だった。
まず、記憶の方だけれど道に車を停めてそこから遠くのパラボラ
を見たような気がした。

しかし行ってみると近くの道からそのパラボラは見えなかった。
いや、見えたけれどちゃんと大きくは見えなかった。
だからその記憶は怪しい。
怪しいけれど八ヶ岳の周辺を車で走ったのは覚えている。
真冬に山の方に向かって走っていたら、
途中で雪で車が動けなくなった。
なんとかそこを抜け出して雪の無い道に戻ったことがあった。
あれは八ヶ岳だ。
だからその時に野辺山のパラボラを見たかもしれない。
あまりに遠いことだ。

巨大なパラボラはグーグーと音を立てて回転したり向きを変えたり
していた。どこで動かしているのかわからなかった。
真下で見ているとその大きさといかにも重そうな機械が
動くのはちょっと怖い。
2010だったかでアメリカの電波望遠鏡が出てきたのを思い出した。

その場で実際に動いているのを見ると、
「これほんとにやってるんだ」と思った。
映像でみているだけではどこか遠くのおとぎの国でやっている
ような気がしたけど、ほんとにこれで見ているんだ、と感心した。
昼間だったけれど電波望遠鏡は夜でなくても観測できるから
実際に何か見ていたのかもしれない。

光学望遠鏡は調布の東京天文台や堂平山の天文台で見ていたから
イメージしやすかったけれど、電波望遠鏡は初めてだ。
敷地内にはこれより少し小型の物が数基とさらに小さな物が
十数基?あったけれど、あれも全体で一つの望遠鏡を構成する
のだろう。

しばし現実から逃れることができた。

4/07/2024

誕生日

 今年も誕生日が来た。
74回目だよ。
フェイスブックに30人近いHappy Birthday!が来た。
全部に一応返事を書かないといけない。
その面倒くささはもう諦めた。
問題は返信していない人がいないか?だ。
だいたいFBは全ての書き込みを一度に出してくれない。
小出しに出すから何人かは別枠で出てくる。
それを見忘れたら大変。
非常に気を遣う。
だいたい日本と外国では1日ずれるから
遅れて入って来る分がけっこうある。
結構あると言っても「友達」何千人も登録されている人
は大変だろうけど、友達は100人くらいにしているから
たいしたことは無い。
たいしたことはないけど何十人かはあるので
それが面倒だ。

4/06/2024

ケーブル類

 仕事を止めたので要らなくなったケーブル類を処分した。
しかしまだなんだかんだこれだけある。(写真)
その前に事務所をたたんだ時にもこの写真以上のケーブル類
を処分した。それなのにまだ要らないものを処分しても
こんなにある。
1本ずつ確認したけど、いつか使うかもしれないと思うものばかりだ。
なので捨てられない。
ほんとに捨てられないものなのか?
疑問だけど、捨てられない。
一番下左は私の持ってるペダル。
これしかない。


4/04/2024

momentary lapse of reason

 Pink Floydのアルバムタイトルだけど、その症状は以前に
一度経験していた。
30歳になる前に車で兄の家に行くとき、幹線道路から
脇道に曲がる時、曲がったとたんに今どこを走っているか
わからなくなった。「ここどこだ?」という感じだった。
でもそれは一瞬で、すぐに今いる状況はわかった。
だけどその一瞬の空白の感覚をよく覚えている。

最近は例えば書棚の前に来たけれど、何しに来たか
わからないという症状は良くある。
それもたぶんその症状に近いんじゃないかと思う。
でもその場合「何しに」というところはなかなか思い出せない。

あるいはある漢字を見ているとその漢字が何の字か
わからなくなることがある。ゲシュタルトなんちゃらという
症状なのだけど、それは若い頃から気が付いていた。
理由はわからないけれど人は漢字を映像で覚えているのかも
しれないような気がする。漢字を見ているとその映像と
漢字の意味が分離してしまうのではないだろうか。

あるいは、例えば役所で書類に住所とか書いているときに
非常に簡単な漢字を思い出せなくなることがある。
それも若い頃からあった。
それは何故だろう?

momentary lapse of reasonというのは、直訳すると
「一時的な理由の欠如」ということだろう。
これに対応する日本語はあるだろうか?
reasonを「理性」と訳している人もいるけれど、理性と
言うと何か意味をはぐらかしているように思える。
たぶん、何かをした時にその理由がわからないということ
だと思う。
このタイトル、邦題は「鬱」だけれど、それもちょっと
違うように思う。
何かをした時になぜそれをしたのかわからない、
という症状のことだと思う。
彼ら(ピンク)にとってそれに相当する状況は2回あった。
いや、3回かもしれない。
1回目はシドを追い出したこと。(原因はロジャー?)
2回目は観客につばを吐いたこと。(原因はロジャー)
3回目はロジャーがバンドを抜けたこと。(原因はロジャーか?)
3回目の原因はわからない。
ひょっとするとロジャー以外の3人がロジャーを拒否した
のかもしれない。
問題は1回目だ。
色々読んでみたけれど、なぜロジャーがその日皆が乗った
車でシドを迎えに行かなかったのかわからない。
書かれていることを読むとロジャーが「行かなくていい」
と言ったように書かれている。
でも他の3人はどうだったのかわからない。

だけど私にはその時のシドの気持ちがよくわかる。
どんなにうろたえて、どんなに不安で、
どんなに悲しかったか。
「お前はいらない」と言われた気持ちがだ。

それを「momentary lapse of reason」と言われたって
受け入れるわけにはいかない。



4/03/2024

軍艦

 私は好きではない。
ところが私が住んでいるあたりからは横須賀湾に停泊している
軍艦が良く見える。
だから山の上とかで写真を撮ってる人の大半はこの軍艦を
撮るのが目的だ。私は全然その方には興味が無いのだけど
やっぱり山の上で山桜の写真をズームレンズで撮っていると
当然軍艦を撮っているのだろう、と思われる。
先日など全然知らない人が突然「先週はすごかったですよ、
田浦の方の入り江から****が入ってきて・・・
どうしたこうした・・・」と話し始めた。
「ああ、誤解してるな」とは思うけれどかわいそうなので
「そうですか!」とか返事しといた。
なんでこんなに軍艦が好きな人が多いんだろう。

私はその横須賀の海の景色のライブ配信をしているのだけど、
当然そこには軍艦が数隻写り込んでしまう。
まあ気にしないでやっているのだけど。

昨日だかその前だかに横須賀の海に停泊している航空母艦の
上をドローンで飛んで撮影している映像が問題になっていた。
上を飛んで甲板上を写していた。
私の所のカメラも最大にズームアップするとかなり細かな
部分も写してしまう。人の顔が判別できるくらいまではできる。
それはかなり問題なんじゃないだろうか?
それどころか軍艦の配置状況や動きがリアルタイムでわかる。
それはかなり問題だと思うのだけど。。。
そのドローンの問題がどうなるかによっては配信を止めた
方がいいかもしれない。無駄に何か言われるのはやだ。

今はマンションの大規模修繕で景色が見えない。
7月にはそれが終わる。
それまでに何か問題になったら海はやめて山でも
写そうかと思う。

昔だったらもっとガンガン軍艦を写して問題になるのを
楽しみにしていたと思うけれど、今はそんな元気は無い。



4/02/2024

無知

 というか知らないこと、知らされないことは怖いと思う。
今朝も栃木県への移住の話題をやっていた。
やっぱり単身で60万円の補助、夫婦だったら100万円とか
いう話をしていた。確かにそうなんだけど、
その時に年齢のことは言っていなかったように思う。
また自分から申請しないと自治体からは何も言ってこないこと、
それにたぶんその番組を見ていたほとんどは
高齢者だと思う。朝の時間だから、
高齢者がそれを見て、私の様に、「おう、安い物件がある」
と思って、「補助金もでるのか」とか思うかもしれない。
それで買ってしまったが最後、その人が死んだ後が大変だ。
自治体は不動産を買い上げてくれないし、登記を抹消しても
くれない、自治体に譲ることもできない。
価値の無い物件は買取業者もゼロ円でも買い取ってくれない。
つまり未来永劫にわたり税金を払わないといけない。
運よく「相続放棄」の裁判で通ったならいいけれど、
そのつもりが「財産放棄」の手続きだったら、
目もあてられない。
越後湯沢なんかも危ないなあ。

とかなんとか、怖いことを平気で注釈無しに放送していた。

いや、たぶん私も誤解しているところがあるかもしれないし、
知らないこともたくさんあるかもしれない。
「安い」とか「簡単に」とかが危ないな

4/01/2024

家は買えない

 私は父から土地を相続した。
かなりの広さがあるけれど、まわりは農業をしている人が多い
ような土地だった。
そこに大きな総合病院が建っていた。
その病院の駐車場として病院に土地を貸していた。
だから毎年いくらかのお金が入ってきていた。
私が離婚した際にどうしてもまとまったお金が必要になり、
その土地を売ることにした。
親戚は皆猛反対だった。
それを契機に十数年家族親戚とは疎遠になってしまった。

土地を売る際に不動産屋と周りの土地の所有者の立ち合いで
土地の境界を確認するわけだけど、
みな父の知りあいなわけで、その人達が私を見る目がとても鋭く
直視できなかった。
ようするに「何で次男のお前が土地を売るんだ?!」ということだ。
それでもなんとか不動産屋の陰に隠れて確認を済ませて
売買契約をした。
住宅地としては使えない土地だったので数千万にしかならなかった。

そのお金も結局ほとんど向こうの家族に送っていた。
私の方で使ったのはマンションの購入時の頭金400万と
仕事で必要だった500万くらいだ。
もちろん細かな買い物はしたけれど、
お金は15年もたなかった。
そんなわけで「それみたことか」という声は聞こえてきた
訳だけれど、そのお金でなんとかその時代を過ごすことができた。

売った相手は埼玉で駐車場の管理会社をしている人だった。
だからそのうちの総合病院の駐車場の管理をして病院からも収入を得る
ことが目的だったと思う。
ところがしばらくしてからその総合病院が移転することになったらしい。
そうするとその土地は全く意味が無くなってしまった。
宅地に使える土地であれば住宅やマンションを建てることも
できたと思うけれど、それができないということは、
今一体そこはどうしているのだろう?

夢の移住計画だけれど、家を買うのはやはり無理なようだ。
いや買うとしたら人気のある土地で利便性が高い将来性のある家だ。
私が望んでいる辺鄙な場所の別荘みたいなものは、
買うことは非常にたやすい。
下手すると向こうからお土産持って売りに来るかもしれない。
一度買ったら最後、私が死んだ時にその土地は残された物が
「永遠に!」その管理をしなくてはいけない。
つまり固定資産税と管理費を永遠に払い続けなくてはいけない。

どうもいろいろ調べると価値の無い土地を手放す(放棄する)
方法は事実上無いようだ。
一つだけ考えられるのは私が死んだら「3カ月以内に」
全ての相続を放棄することのようだ。
まあ、私の場合他に相続する価値のある物は無いから
全てを相続放棄してもOKだと思う。
だけど、それにしても3カ月以内に処理できなければいけない。

つまりそういう家を買うと非常に面倒なことになるらしい。
そうなるとうかつに夢の別荘住まいと言うの現実的じゃない。
バブル期に別荘とか買った人はその後どうしているんだろう?
と思ったらその土地を受け継いだ人が登記していないようだ。
それで所有者不明の家がたくさんできてしまい、
壊そうにも壊せないということになっているらしい。
登記はしていなくても相続税は払い続けなくてはいけないようだ。
だけどほんとは登記しなくてはいけない。

ということで家を買うのは面倒なことになりそうだから
止めよう