「無」というものは「無い」と思う。
当たり前のような気がする。
つまりここのある範囲の空間に在る物、
例えば空気や塵を全部取り除いて(それは可能だと思うけれど
限度があるかもしれない)ほぼ真空になった時、
(そのほぼというのも取り除けた場合)
そこには空間だけが在る。
その空間を取り除いた時、そこには何も無くなる。
つまり空間も無くなるのだから、その空間があった場所は
一瞬にして爆縮したように1点になってしまう。
1点というのは数学的な1点だ。
大きさは無い
それを「無がある」というのは奇妙な話だ。
何を考えていたかというと、
ビッグバンの前には無が在ったとか言う人がいるから。
無が在ったというのは「何も無かった」つまり「空間も無かった」
ということになる。
しかしビッグバンが起きたということは少なくとも
空間は在ったと言うべきではないだろうか?
空間の中で星々が生まれるビッグバンが起きた。
というなら納得できる。
さっきの空気や塵を全て取り除いた空間、
例えば1メートル立米の空間には何もないわけじゃない。
何も無かったらその空間さえ存在しない。
その空間にはあらゆる物理法則や数学の法則、因果律等が
ぎっしり詰まっている。
そうでなかったらその空間の中では2つの磁石が引き合う
ことも起きないし、1+1が2にもならない。
(空間の中で1+1が2だと立証するにはどうしたらいいだろう?)
それにその1メートルの立方体の中に人間を入れたら死ぬだろう。
もしも何も無いなら死ななくてもいいはずだ。
そのままの状態で生きているだろう。
しかし人間には酸素が必要で1気圧の空気の圧力が必要で
体の水分を保つため空気中にはそれと平衡状態にある湿度が必要で
体温を保つためにある程度の室温が必要で、
また自分の居場所を確認するために光りも必要だ。
とかななんとか、もろもろが必要だ。
そういう必要条件は一体どこからくるのだろう?
もしも空間が数学的空間だけだったらそんな法則は存在しない。
この空間にはそういう法則が存在している。
その実体が何かはまだ人類は知らない。
しらないけれど、人間には計り知れない「法則」がこの空間に
あることは太古の昔から知られている。
ビッグバンを何も無い空間から作り出したのも
その法則なのだと思う。
決して無からビッグバンが生まれたわけじゃない。