というのは自演できるムード音楽じゃないかと思う。
一番最初に聞いた「フォークソング」は何だったろう?
と思い出せるのは「トム・ドゥーリー」か「漕げよマイケル」か
だと思う。いずれも当時歌っていた。
歌っていたけれど意味(訳)はわからなかった。
マイケルの方は、まあ船を漕いでるんだろうな、
くらいしかわからなかったし、トム・ドゥーリーにしても
それがどんなにひどい歌詞かわからずに歌っていた。
そこからが始まりだったように思う。
「ドナドナ」「わが祖国(This land is your land)」
「花はどこへ行ったの」「雨を汚したのは誰」
「パフ」「悲惨な戦争」「ハンマー持ったら」
上げていたらきりがないけれど、
ものすごく多くの意味の分からない歌々、
それらの歌を学校で広場で舞台で公園で歌っていた。
私は意味が分からない歌はそれはそれでいいと思う。
歌一つ一つの歌詞の意味を説明しながら歌っていた人
を私は見たことが無い。
だいたいの意味とか趣旨を説明して歌っていた人は
もちろんいた。
私が仲間と歌を歌っていたのはその「歌の意味」を
歌っていたのではないような気がしている。
歌はあくまでも歌であり、その場の雰囲気を盛り上げるため
というか、自分たちの行動を鼓舞するためとか、
そういう意味だったように思う。
だから正直に言えば「歌で世界が平和になる」とは思っていなかった。
仲間と一緒に歌うことで自分たちの連帯感を強めるためとか、
一緒に歌うことで目的性をはっきりさせるとか、
そういう意味だったように思う。
(1965年から1975のことだけれど)
「じゃあみんなで反戦歌を歌おう!」というシュプレヒコール
はありえない。歌は何でも良かった。
よっぽど反動的だったりあまりに日和見的だったりした歌
以外は何でも良かった。
つまり何が言いたいかというと、反戦的だったのは人々の行動
であり、歌ではなかったということ。
だから昨今のライブやネットで盛んな弾き語りで
「これは反戦歌です」とか「ウクライナのために反戦歌を
歌います」とかいうのは違うように思う。
「反戦歌」などというのは元々存在しなかった。
「反戦する人間」がいるだけだと思う。
自分が平和を願う人間だということの
表明として平和を願う歌を作ったのではないだろうか。
「ウクライナの平和を願って赤とんぼを歌います!」
って言う方がまだ反戦歌的だと思う。
反戦歌を歌うことが反戦じゃない。
平和を願う人ならどんな歌でも反戦歌になりうる。
「500マイルという反戦歌を歌います」って言ってる人がいた。
思わず「え!どこが反戦歌なんですか?」と思ってしまった。
そういう発言が多すぎる。
正しくは「私はあの戦争に反対しています。500マイルを歌います」
じゃないだろうか。
いや、それは今始まったわけじゃない。
1960年代からそうなんだ。
反戦歌を歌うことが反戦だと思っている。
歌なんか歌ったって戦争は終わらない。
平和のために何か行動しているか?
が問題だ。
(すみませんお母さん、私は今何もしていません)
何もしないで歌だけ歌って「反戦です」って、
それでいいのか?