3/08/2024

友達のこと

 札幌からずっと友達だった並川が数年前に亡くなった。
もう一度会いたい唯一の友達だ。
彼とはどこで出会ったのか思い出してみた。
確か札幌コミュニティーセンターでやっていたフォークソングの
集まりでだったと思う。
思うが、なぜ並川だったのだろう?
他に大勢メンバーはいたのに。
それが思い出せない。
最初はグループでやってたから、一緒にグループを作らないか?
とどちらかが言ったのだと思う。
いや、私はそんなことは言わないから並川から言ってきたのだろう。
他に女性が3人。
トッピ(後の並川のパートナー)とヒゲちゃんともう一人(名前を
思い出せない)。
全部で5人のグループだった。
並川は九州の人だった。
札幌大に行っていた。
トッピは奥尻の人、ヒゲちゃんは福島だった。
もう一人は全く思い出せない。
NSPの歌等を練習したのは覚えている。

並川は何度か私のアパートに来た。
私も並川のアパートには何度か行った。
彼のアパートは豊平川の向こう岸の、当時ポテト料理をだしていた
レストランの近くだった。
並川は猫を飼っていた(らしい)がある日公園に連れて行ったら
姿が見えなくなってそれっきりだった。
その話を彼は面白、悲しく話した。
笑いながら泣いていた彼が忘れられない。

私はあのフォークの集まりでは嫌われていたと思う。
偉そうなことばかり言っていたから。
だけど並川はそんなことは気にもせず付き合ってくれた。
彼はアルバイトで道路工事をやっていた。
仕事途中に私の職場に車でやってきたこともあった。
彼はいつもおおらかで声が大きかった。
男二人でドライブに行ったこともあった。

ある時夜に彼がアパートに来た。
そして話をしたりギターを弾いたりしていたら、
彼が突然「俺ねえ、トッピに告白したんよ」と言い出した。
彼はとても嬉しそうにその話をした。
私も彼の嬉しそうな顔を見ながら話を聞いた。
ポット式のストーブがブオーと音を立てていた。
だからあれは冬だったんだ。

それからしばらくしてフォークの集まりのコンサートが
江別市民会館でやることになった。
私たち5人も出ることになった。
前にも書いたけれど、吹雪の夜だった。
たぶん車で行ったのだと思うけれど、どうやって行ったのか
思い出せない。
「あの素晴らしい愛をもう一度」とNSPの「さよなら」をやった
のは覚えているあともう1曲やったと思うけれど覚えていない。
窓の外に光がもれて吹雪が荒れ狂っているを覚えている。

その後のことを覚えていない。
あの野幌自然公園の集まりがその後だったと思う。
並川は大学を出て四国に帰ることになった。
どこかでお別れをしただろうか?
それも覚えていない。
あの頃の私は薄情だったように思う。

札幌に一人残された感があった。
それで私も東京に帰ろうという気になったのだと思う。
1日遅れの朝日新聞を配達してもらい、仕事先を探した。
適当な何社かに連絡をとり面接して欲しいと問い合わせた。
しかし「こっちに帰って来てからまた連絡してください」
というのがほとんどだった。
その中で1社だけ「じゃあ来てみてください」という会社
があった。
そこは当時黎明期だったパソコン(マイコン)を作っている
会社だった。
面接をしてOKだったけれど、「じゃあすぐに東京に来てください」と
言われた。
それで急だったけれどその次の年の春から採用ということになった。

それから、最初がその会社、次に技術者仲間で会社を作った。それが
2番目の会社。それからそれをやめて3番目の会社を作った。
それも上手くゆかず、仕事で知り合った人と二人で会社を作った。
そこまで最初から4年しか経っていない。
その会社は最盛期社員が15人くらいいた。
その会社の時に仕事の途中で並川に会いに行った。
トッピと小さな子供が一緒だった。
少なくとも並川は暖かく迎えてくれた。
あとでトッピに聞いたらその時のことは覚えていないらしい。

その後並川とは電話は手紙で連宅していた。
数年して彼は佐賀に移った。
それから彼の仕事の関係で東京に来た時に、横浜の家に寄ってくれた。
あれは嬉しかった。
たぶんその後は実際には会っていないと思う。
それから10年以上経ってしまった。
でも電話では話をしていた。
彼の独特の訛りが好きだった。

それでいつだったか札幌に行った時に彼の住んでいた豊平川の
近くから彼に電話をした。
しかし出なかった。
その前から病気だったということは本人から話を聞いていた。
「入院したかな?」というくらいにしか思わなかった。

しばらくして彼の友人(私が仕事の世話を少しした)から電話が
あって、彼が亡くなったことを知った。
泣いた。
電話で話しながら泣いた。

だめだ書けない