2/26/2022

キエフ

 仕事しながらキエフのライブ映像をずっと見ている。
時々街にサイレンが鳴り響き緊張感を高めるけれど、
映像はいたって平和に人や車が行き交っている。
最初の日こそ延々と続く車のテールランプが映し出され
人々が避難している様子が分かったけれど、
特に変わった様子もない。
車は極端に少ない。


ネットでは市内まで進攻したとか、市内が攻撃されているとか
伝えられている。
ライブ配信されている7~10か所くらいの場所は一体どこなのだろう?
市内であるとは思うけれど、場所がわからない。

この映像は本当なのだろうか? とも疑いたくなる。
ロシアにとって全くどうでもいい場所を映し続けているのではないだろうか?
と疑いたくなる。

この映像では見えない場所でウクライナ市民が犠牲になっていると
思うと、やりきれない。
いったいプー大統領は何を考えているんだろう。
誰かが「プー大統領は頭が古い」と言っていたけれど、
確かにそんな感じはする。
中国のプーさんも似ている。
このままだと人類はこの1世紀変わることなく
古い戦争をし続けるのだろう。

2/24/2022

4Kとか

 とりあえず見れない。
ディスプレイもテレビも無いから。
カメラは4Kが撮れるのだけど使う時はフルHD以下にしてしまうし。
YouTubeに歌を上げる時は1240くらいに落としてしまう。
それくらいで十分だし、あまり顔とか細かく見られたくない。

しかしNTSCは今思うと酷かった。
通常だと横は350くらいしか無かった。
良くて400。
縦は480ライン。これも線ごとに識別できるほどの解像度は無かった。
実質的には256×256画素くらい。
512×512画素のメモリー付けてもそんな解像度は取れなかった。

一番最初のデジカメというかDATに録画できるものがあった。
あれは確か横240画素くらいだった。
そのれからフロッピーディスクに入れるのもあった。
あれも同じくらいの解像度だった。
独自のマイクロディスクに録画できるのもあったけれど、
あれは実にアナログ録画だった。
それからメモリーを使ったデジカメが出来たけれど、
一番最初のはやっぱり240×240くらいだったように思う。
そこから徐々に上がって行った。

NTSCの方は恐ろしいくらいに変わらなかった。
デッキもテレビも監視カメラもみなNTSC規格でがっちり固まっていた。
そうでなかったのは浜松フォトニクスの高解像度カメラか
テキサスインスツルメントのカメラ。TIの方は横1000画素とれた。
でもそれを処理できるものが無かった。

それでも液晶とハイビジョンが出てきて、あっと言う間にNTSCは
無くなった。残ったのは監視カメラくらい。
監視カメラは今でもNTSC仕様で使っているものがある。
(このブログは2022年2月現在)
それもじきに変わって行くだろうな。
テレビの刑事ものでやっている監視カメラの映像を見て
「ここを鮮明化して」とか言ってるけど、
それができる監視カメラはまだまだ少ない。
そのうちできるようになるかもしれない。

なんだっけ?
ああ、4Kは要らない、普通の人は。
テレビやモニターから1メートルも離れて、しかも漠然と見ていたら
4Kも2Kもわからない。
だいたい最近はあんまり鮮明だと疲れるよね。
目が。





2/23/2022

毎日毎日

 人が亡くなって行くわけだけど、
有名人だったり、身近な人だったり、
これまでは父の世代の人が亡くなって行くのを見送ってきた。
だから、今度は僕らの少し上の世代を見送っているところだ。
そうかな?
もう僕らの世代の順番になっているのかな?
年齢的にはそうであっておかしくない。

だからどうした? と言うことなのだけど
実感が無いくせに、急に心配になったりする。
困ったもんだ。

思い出してみよう。
子供の頃、亡くなって驚いた有名人って誰だったろう?
物心ついてからの(物心って何だろう?)をずっと調べたけれど、
JF・ケネディー以外は思いつかない。
ウィルト・ディズニーが亡くなった時も記憶に無い。
有名人とか社会情勢に興味が無かったのか、
「死」という言葉を避けていたのか、
「死」と言う言葉は恐怖症を引き起こしたから。
最初の恐怖症のパニックは家族全員で「ベンハー」を
観に行った時だ。テアトル東京で。
何のシーンだったろう?
たぶん戦車の競争のシーンだ。
今でも覚えている。
胸を押さえつけられているような感じで、
心臓の鼓動だけが聞こえていた。
他の音は「シーーーン」という大きな音で消されていた。
2,3分だったろうか、少し落ち着いて来て、
母親の方の椅子に寄りかかってじっとしていた。
パニックはその後中学くらいまで何度かあった。

誰だよ「ベンハー」観に行こうなんて言い出したのは。

まあ、そんなだから人の死にはあまりかかわらなかったんだと思う。
でもケネディーはあの初めての宇宙中継の日だったから、
嫌でもニュースを見てしまった。
そのニュースの画面をほんの少し覚えている。
日本がダラスで何が起きたのかを知ったのは少し後だったと思う。

そうそう、それで毎日有名人が亡くなったというのをきくと
驚きよりも寂しさを感じる。
ということを書いておきたかった。

2/21/2022

今日の札幌

 さっき外に出たらよい天気で暖かだった。

何時も確認する札幌のライブ映像は雪だった。

丸井今井の看板の向こうのブロックの端が4プラだ。
もうすぐ無くなる。
③というのは知らない。
この映像をいつも見ているけれど、車や人が歩いているのが不思議だ。
横断歩道を渡る人を見ていると自分がそこにいるように感じる。
信号待ちしている車を見ると自分がその車にいるような気がする。
真っ白な世界だけど、雪がちらちら降っているのが見える。
このまま時間が戻ればいいのにと思う。
あの大嫌いだった雪の世界にもう一度戻りたい。
いつもそう思う。

今日の夢

 疲れた。

母と娘がいた。
どこの家だったかわからないけれど、広い家だった。
お昼になって作るのが面倒だから私がお弁当を買ってくることになった。
自転車で近くまで買いに出るのだけど、軒並みお弁当を売っていない。
何か惣菜のようなものを売っている店があった。
なんだか大きな干物のようなもの。
タラの干物をおおきくしたようなものだった。
それを買っておこうかと思い「少しだけください」と言うと
店の人は嫌な顔をして、他のお客の対応をする。
「じゃあいいです!」と言って店を出る。
自転車を走らせて次の店を探すけれど、お弁当屋が無い。

道を走っていると左側を小さな女の子が自転車を走らせている。
するとその脇をタクシーが通るが、タクシーが女の子を巻き込むように
滑ってしまう。
私は急いで女の子を助け出し、歩道のところにいたその子の両親に
差し出す。タクシーの運転手とその両親が何か話している。

私は次の店を探そうと思い、自転車を走らせる。
すると大きなお寺がある。
木々が並ぶ参道の向こうに大きなお寺がある。
木々の緑色で茶色のお寺が映えている。
その近くでお店を探すがお弁当を売っていない。

ずいぶん遠くまで来たと思い、ここはどこだろう?とスマホを出して
地図を見ようと思うが地図が出てこない。
道の端でスマホを見ていると車がすぐそばを通り過ぎる。
ここでは危ないと思い、さらに走ってちょっと度悪露が広くなった
ところを見つけて停まる。
そこでもスマホの地図は出てこない。

道は峠のようになった場所だけれど、家がたくさん立ち並んでいる。
その一番高くなったところから町が見渡せた。
全く知らない場所だった。
そこから向こう側に少し下ると学校があった。
大きな学校だった。
学校をぐるっと回ってまた元の場所に来た。

そこで誰かに聞こうと思い人を探すが、誰もいない。
でも車はひっきりなしに走っている。
しかたがないので自転車をひいて神社の境内のような場所に行く。
そこでスマホを出して地図を出そうとするがやはり地図が出ない。
すると警察官らしい人がやってくる。
「ここで何をしてるんですか?」と聞かれる。
私は迷子になったようですと言う。
「こっちに来てください」と言われる。
「不審な人がうろうろしていると通報がありました」と言う。
私はお弁当屋をさがしていると言う。
警官は「ご趣味は何ですか?」と聞くので
音楽だと言う。
「そうですか」と警官
歩いていると地名の表示がある。
どうやら奥多摩の方にいるらしい。



目が覚めた。
書いてみると長いけれど、本当はもっと長かったように思う。
忘れてしまった箇所がいくつもある。
お店はもっと何軒も入った。
途中で母に電話しようと何度も思った。


起きて疲れた












2/20/2022

思い出した人たち

 昨日夢を見てから思い出した人がいる。
名前を佐藤さん(だったと思う)と言った。
どこで知り合った人かわからない。
しばらく一緒にいろいろなことをしたような記憶がある。
ちょっと並川に似ていて、もう少し小柄の男だった。
思い出してからすごく懐かしく感じた。
また会いたいと思った。
でもどこで会ったのか、何をしたのか思い出せない。
ただちょっと笑った顔が記憶にある。

ついでにもう一人、それよりもうずっと昔、清水谷公園に行く途中で
一緒に地下鉄に乗り合わせた男。
そいつは初めて会う人だったけれど、私が知っている高校生と
一緒にいたから井の頭で一緒だった人だろう。
白い無地のヘルメットを袋に入れていた。
電車の中でしばらく話をした。
とても感じのいいやつだった。
たぶん同い年くらい。
今思うと柿崎さんにちょっと似ていた。
公園までは一緒だったと思う。
そのあと国会議事堂近くの道路で前後から挟まれて
圧死しそうになった。
その時に仲間はばらばらになってしまった。
そのあとどうしたかはっきり覚えていないけれど、
誰かと再会して一緒に帰ったように思う。
でもその男とは二度と会うことはなかった。
名前くらい聞いとくんだったと今は思うけれど、
当時は下手に本名を知っていない方がよかったから、
聞くことも無かったのだろう。

その二人に、今会いたい気がする。




2/17/2022

ロングヘアー

 床屋行かなければ、と思いつつ
前回は極端に短くされてしばらく変だった。
やっぱり髪は長い方がいい。
部分的に薄くはなっているけどね。
70年代はほんとに長かった。
いやその後ずっと90年頃まで長かったんだ。
パーマーしたりしてボンバーヘッドだったけれど、

髪が短いと空間からインスピレーションを受け取れないような気がする。
短いと頭から全てが抜け出してしまうような気がする。
長い方が良かったよね?どうかな?

あの頃僕は汚らしかったんだろうか?
自分では少しもそうは思わないけれど、
でも思い出してみると、ジーンズはズタズタ、
シャツもよれよれ。
それに長髪だから、どこかのお母さんも眉をひそめたんだろうと思う。
あの頃と違うのは量かな。
あの頃は黒柳徹子さんもびっくりなほどの量だった。
僕はあの頃からたぶん90年後半ぐらいまでは長髪だった。
その後さすがに少し短くした。

それで今だ。
床屋行こうかな?

2/16/2022

疑問

(たぶん)大事な友達のことをその他大勢と一緒に扱うというのは
どういことなんだろう?と思う。
わたしの勘違いでなければ私は確実にその他大勢に入っている。

もしも私の大事な友達が少しでも安全になるなら
私はそっちを勧めると思う。
世の中の誰かがそんなことは無駄だ、と言ったとしても
私はその友達が安全に過ごせる方を勧めると思う。
その人に安全でいて欲しいから。

そうしようとしない人達(大勢)は大事なことを忘れている。
平気ですごしている人達(おおぜい)の後ろで
遥かに多くの人が苦しみ、また亡くなっていることを。
平気ですごしている人も何時そうなるかわからないのに。
私は友達がそうならないように言いたい。
ちゃんとしなければいけないことはちゃんとしよう、と。

日本でも毎日何百人もの人が、世界では何万人の大切な人達が
亡くなっている。
亡くなるのは家族にとって一人いればもうそれだけで大変な悲しみだ。
その一人を出さないようにすることが大切だと思う。
友達も同じだ。



触媒

 今朝のネットニュースで金、銀、プラチナなどを混ぜた合金は
触媒としての能力がプラチナの10倍ある、というのがあった。
以前から触媒って何だろう? と疑問に思っていた。
有機化学などの化学反応には欠かせない触媒だけれど、
触媒自体は反応には関与しない。
関与しないというのはそれ自体は全く変化しないということ。
それなのにある反応に対してそれを促進する効果を持つ。

これは音楽に似ている。
行き詰まった会話に音楽が入ると会話が進んだりする。
あるいは場の雰囲気が変わったりする。
でも音楽自体は全く変わることは無い。

だから触媒は化学反応での音楽なんだろうと思う。


2/15/2022

絵はどうやって描くんだろう(その2)

 「レイトレース的考察」はどうした?
と言うことだけれど、書き忘れたのだけれど、
結局描こうとしている部分が太陽の光をどう受けているかを
考えて描かなくてはいけないわけで、
描こうとしている部分は(1)太陽が対象に直接当たっている。
(2)太陽が何かに反射して光が対象に当たっている。(3)太陽が何かに
当たって、その面の色が対象を染めている。
ということだろうけれど、これはレイトレーシングの反対でフォトンマッピング
になるのではないだろうか。
つまり外で景色を描くときは、キャンバスの筆の位置と対象物を線で結んで
その線が太陽からの光をどれだけ受けているかを知ることではなく、
太陽から対象物に線を引き対象の”点”がどれだけ太陽の反射をもたらしているか
を知ることだと思う。

前回描きたくてうまく描けなかった木々の影の部分は、太陽の光を
直接受けていず、対象物の前にある木々を通してくる光(木漏れ日)
とか地面の草に反射してくるわずかな光によってその陰の色が
できているのだろう。

レイトレーシングでは何段階の深さまで光の経路を追うかによって
リアリティーの良し悪しが決まる。
あ、「ラジオシティー」っていうのがあった。
Ray Dream Studioにもこの機能があったような気がするけど。
確かそのフォトンマッピングに近い、というかそのものだったのかな?
あれは光源側からトレースする方法だった。
だから壁やテーブルの色が反映された。確か。

まあレイトレーシング的考察はこれで終わり。

次の考察というかわかったことは、先日から真っ白の画用紙(少しエンボス)
に描いていたけれど、それだと影の部分を描いても(水彩やアクリルでない時)
どうしても白い部分が残ってしまい、それが後ろから光を受けている
ように見えてしまう。
だから画用紙が色つきの画用紙を使うか、あるいは先にあいまいな色で
バックを塗っておくのがいいのではないだろうか?
ということに気が付いた。
明日やってみようと思う。

2/14/2022

絵はどうやって描くんだろう? そのハードウェア的およびレイトレース的考察と実験

 最後に手で絵を描いたのはたぶん高校生の時だと思う。
色マジックペンでA3くらいの大きさの紙に何枚もフランスのお城の絵を描いた。
マジックなので描いてると鼻が痛くなってくる。
あれはちょっと行っちゃってたのかもしれない。

それはそうと、レイトレースの話で絵はどうやって描くんだろう?と思った。
それでやってみることにした。
最初は画材が無いのでオイルクレパスを買ってみた。
それで灌木とその陰を描いてみようと思った。

その結果(1)

問題は影を先に描くか茂った木を先に描くかだけれど、オイルパステルだと
濃い色の上に明るい色は乗せられない。その逆もできない。
こすっても無駄。
いや重ねる方法があるのかもしれないけれど、ソフト的に知らない。

次に以前に買ってあったアクリル絵の具でやってみた。
その結果(2)

筆が1本しかないので細かな葉の明るさは描けなかったけれど、
暗い色に明るい色を重ねることはできるとわかった。またその逆に
暗い色の上に明るい色を重ねることもできるとわかった。
だからちゃんと描くにはアクリル絵の具かな?と思う。
問題は水を使うことと、筆がたぶん最低4種類くらいは必要なんじゃないだろうか。
アクリルをやるには他の仕事を全部やめてやらないといけない(部屋が狭いので)。
後片付けがめんどう。

次にソフトパステルでやってみた。
ソフトパステルはなんとなく重ね描きができそうだった。(希望)
オイルパステルよりは重ねられるようだ。
それにこすったりティッシュでふき取るとその上にまた描けた。
ただソフトパステルは手がめちゃくちゃ汚れる。それに机の周りが色の付いた
粉だらけになるのが欠点だ。
重ねることはできるけれどやっぱり暗い色の上に明るい色を乗せるのが
難しい。こすったところの上にだと描けるけれど、あんまりきれいじゃない。
だからやっぱり色の配分をあらかじめ決めておいてそこに描くしかない。
・・かもしれないと思った。
それでもう一度描いてみた。
感じは出ていると思うけれど、あらかじめ全体の配分を決めておく、
というのがなんか気に入らない。自由に描いて行きたい。

それで次にフォトショップでやってみた。
フォトショップの基本機能だけを使って山を描いてみた。
さすがパソコン。どういう風にも重ねることができる。
だからちゃんとやれば陰になっている部分も暗い色で表現できる。
これはマウスで描いたけれど、問題は筆が(あるいはペン)が直接使えないことだ。
前に買ったペンタブレットがどこかにあるのだろうけど、あれは・・・
なんか使いづらかった。あれでコリコリ描いてるとなんか
アニメの制作現場で仕事しているような気分になりそうなのでやだ。

結局ソフトパステルかな。
粉で汚れるけど、まあ気楽に使えるのは。
鉛筆型のソフトパステルもあるようだし。












2/13/2022

レイトレーシング

つい昨日だったろうか、ネットで「レイトレーシング」のタイトルを見た。
今更何だろう?と思って読んだけれど、特に読むべき内容ではなかった。
だいたいレイトレーシングの構想というか発案は1978年頃ではないだろうか。
私も同じ頃それを考えたことがある。
それは当時PC-8001で3D画像を作ろうと思った時だ。
N88-BASICしか無かったので横160ドットの画像でも全画面を白黒の
ライン画で描くには貧弱だったので、XYプロッターで細かな線を描く
ようにプログラミングした。それなので全体をペンで描くには
数時間から半日はかかった。

その各ラインの両端の座標をもう少し早く計算できないだろうか?
と考えていた時、自分の目の位置と対象物の座標の間にスクリーンを
想定してそのスクリーンと目線との交点の座標を表示の座標とした。
これに色情報を加えたらどうだろう?と思った。
それとその頃のパソコン雑誌に「線ではなくドットごとに描く」という
ようなことが書かれていたように思う。
そうすると画面の各ドット点を計算すればいいだけだから、線で描くよりも
早いんじゃないか?と思った。
それは実際には私はやらなかった。
でも対象になる(目標の)の各点(座標)にある部位は光が当たっているか
どうかも考えなくてはいけない。と思った。
それを1975年に突き詰めていればレイトレーシングのオーソリティー
になっていたかもしれない。
でも私にはそんな能力は無かったし、PCにもその能力は無かった。



2/12/2022

 夢を見た

 とてもはっきりした夢だったので、すぐ枕元のノートにメモをした。
後で見てみると文字がごちゃごちゃで読みにくい。
思い出せるところを書いておこう。

どこかの家、部屋に私と知らない少年3人がいた。
少年のひとりが「その腕どうしたの?」と私に聞いた。
「私は骨を折ったんだよ」と言う。
「君も骨折には注意した方がいいよ」と言う。
少年が私の腕に触る。
少年が
「僕のこと覚えておいてね」と言う。

次のシーンはどこかのビルの地下室。
暗い。
床は水で濡れている。
私を含め10人くらいの人達がいる。
それとは別に作業着を着た研究員んおような人が二人いて
二人が送風機と言っている四角い大きな鉄の箱の上の
スイッチを押すと、風の音がして送風機が動き出す。
「これは暖房モードです」と言う
そういえば風が少し暖かい。

次のシーンは、みんなで(たぶん学生)合宿場にいる。
合宿場で食事の時間になる。
畳の部屋にいる。
合宿場のおばさんが「そこはスモークがでるんですよ」と言う。
誰かがスイッチを入れると、畳の上のお膳が並んだ場所に
白いドライアイスの煙がただよう。

次のシーンは外の広場。
100人くらいがバスを待っている。
私は自分のバスの座席がどこかを知っていて、バスが来たら
そこに座ろうと思っている。
するとバスは来ないけれど、誰かが「先に向こうに行こう!」と言う。
私と10人くらいが走り出す。
広場の先のわき道を走って行くと、その先が崖になっている。
そこを止まらずに走って行く。
すると崖の下が港のふ頭のようになっているところに飛び降りる。
すごく高い高さだけれど、どんどんそこに降りる。
落ちている間が快感だった。
そのふ頭に降りて右手を見るとさっきのバスを待っていた広場だった。
「なんだ、まっすくこっちから来ればよかったじゃないか」と誰かが言う。

そこで目が覚めた。



2/11/2022

懐かしいけど知らない場所

 ずっと前に沖縄の人と文通をしていた。
浦添だった。
その人に会いに行ったことがある。
そして車で沖縄を案内してもらった。
その時に行ったどこかの公園を見た時、「ここは来たことがある」と思った。
デジャヴュではなく記憶の中に確かにあった。
平らな公園で背の低い南の植物がぽつんぽつんと植わっていた。
向こうに池が見えた。
暫く眺めていた。
確かに来たことがあると思った。
グーグルでどこだったかを調べたけれど、どうもそれらしい場所が無い。
今となってはその場所に行ったことさえ怪しい。
でもオープンカーでほとんど北から南まで走ったのは覚えている。

ときどきそんなことがある。
街を歩いていて「あ、この家に住んでいたことがある」と感じる。
子供の頃この出窓に座って外を見ていた記憶があるように思った。
そんなわけはないのだけど、だけどその家にいた時の
家の中の明るいオレンジ色の照明を思い出す。

そういう感覚は今に始まったことじゃない。
子供の頃もよくあった。
だから街のその場所に名前を付けたりした。
「白いアメリカの家」とか。

さっきやはりグーグルでバレンシアの街を歩いてみた。
すると「この場所は知ってる」と思った。

もちろんバレンシアはおろかヨーロッパには行ったことがない。
でもこの景色は見覚えがあるように感じた。
すこし懐かしい。
あの建物を眺めていたことがある。
ずっと前に。

2/09/2022

Déjà Vu

 最近無いなあ、と思う。
最後にあったのはたぶんもう10年くらい前だ。
キッチンで何か作っている時だ。

後ろでテレビが鳴っている。
歌が流れている。
次に来るのは誰かが何か言うシーンだ
誰かが何か言った
なぜかその時のことをはっきり覚えている。

CSN&Yだ。
そのアルバムタイトルのレコードにその曲(Déjà Vu)があった。
あれはいったいどういう歌だったんだろう?
読んでみた。

--- Déjà Vu CSN&Y ----
 もし僕が以前ここにいたら
 僕はたぶん何をするかわかっていただろう
 ちがう?
 もし僕が以前ここにいたら
 車輪の周りのもう一方の時間にね
 僕はたぶん君の全てにどう対処すればいいかわかっていたと思う

 それで僕は前にここにいたように感じるんだ
 前にここにいたように感じる
 ねえ、それで僕は不思議に思うのだけど地面の下で
 いったい何が起きてるんだろう

 知ってるの?
 疑問に思わない?
 君の下で何が起きているか

 僕らはみな以前からここに居たんだ
 僕らはみな以前からここに居たんだ
 僕らはみな以前からここに居たんだ
 僕らはみな以前からここに居たんだ

こういう歌みたいだ。
デジャヴューの時感じるのは、「このシーンは知ってる」
という瞬間的な感覚だと思う。
時としてしばらく考える時間があるときもある。
あるいは次のシーンを予知できる時もある。
心理学的あるいは病理学的にその理由がわかる時がくるかもしれない。
たぶんオカルト的な現象ではないように思う。

2/08/2022

集中治療室

 なんて恐ろしい響きだろう。
友人(実は先輩、だけど学校が違う)に久しぶりに連絡したら、
先月までCovidで病院のICUに入っていたとか。
無事に生還したからいいけれど、我々の年齢で集中治療室というのは
かなりやばいのでは、と思う。
この「集中治療室」でチューブをつながれている自分を想像しただけで
死にそうな気分になる。怖い。
ほんとに怖い。
病気の両親が病院にいた時のことを思い出す。
最後はもう意識が無かった。
・・・無かったのか?
ほんとうにそうなのか?

叔父さんが筋萎縮症で亡くなった時もそうだ。
最後は体の一部しか動かせなかった。
それで亡くなった。
動かせないからって、意識はどうだったんだろう?
と考えると怖い。
もう何もかも怖い。

考えるのよそう・・・



2/06/2022

並川君のこと

何度目か知らない。また書こう。
並川君に会いたいと思った。
あの笑顔を見たらいやなこと全てを忘れられそうだ。
並川君と最後に話したのは電話だった。
病気のことを言っていた。
それから暫くして私が札幌に行った時に
豊平川の彼のアパートの近くから電話した。
「今、君のアパートの近くにいるんだよ」
とい言ったかった。
でも電話はつながらなかった。
何度電話してもつながらなかった。

並川君、
君の猫どうしたろうね?
公園に遊びに連れて行って帰って来なかった。
あの後誰かに拾われていたらいいね。

君は僕が風邪をひいて高熱でアパートで寝てる時に
来てくれた。
嬉しかった。
そうだね、君はコロナを知らずに行ってしまった。
君は僕にYouTubeでギターの弾き方講座を開いたらいい、
と言っていた。
でも僕は人に教えるほど上手くない。
それより君ともう一度一緒に歌いたかった。

2/05/2022

謎解きをしよう

 事のきっかけはもらったメールに書かれていた1行だった。
「好きでもない人とキスをするっていうのはどうなの?」
という1行なのだけど、
何を言っているのかわからなかった。
ずいぶんしばらくして思い当たることがあった。

私が離婚する前のこと。
前妻が怒って「あなたにキスを迫られたってJが言ってたわよ!」と言う。
思い当たらないことだったので「知らない」と言った。
実際知らなかった。でもJはよく車で彼女の家まで乗せて行った時に
冗談を言い合っていたから、その時に冗談で何か言ったかもしれない。
だけど迫ったことは無いし、だいたい彼女(J)は好きじゃなかった。
それがまずひとつ。

もう何年前だろう、クラブの関連のライブが渋谷で有った。
そこに私も行ったのだが、どうも皆がよそよそしい。
それでも仲間の演奏を聴いて途中で帰ろうと思った。
その時古くからの友人Wが一言
「Oもそういうことされたって・・・」と言った。
何のことか全くわからなかった。
帰るときにJが外まで見送ってくれた。
それが二つ目。

それで先のメールが3つ目だ。
これを合わせて考えてわかった。
Jがそういうことを言いまわっていたらしい。
Jは自分を自慢したかったのだろう。
そういう人だから。
全くの嘘を自慢話にして言いまわっていたのだろう。

そのWが言ったOのことはどういうことだろう?と考えたのだけど、
OはJがそういうことを言うので、はずみで何か言ったのだろう。
Oは私が札幌に居た頃何度かアパートに来てくれた。
それに私もOの東京のアパートには何度も行った。
そういう頃だからそういうことがあっても別に
誰かに何か言われるようなことじゃない。
仲良かったんだから。

そういう嘘の噂を信じる友人というのは何だろう?
少なくとも友人ではない。
最も我慢できないのはそういう話を前妻に向かって言ったことだ。
彼女が傷つくことはわかりきっているのに。
私と前妻の関係に入り込んでくる権利などない。

先日前妻に会ってその話をした。
彼女はその時ひどく傷ついたと言っていた。
私が前妻にしたことの責任は私にある。
だけど二人に関係ない自称友人が嘘の噂を言って歩くのは我慢できない。

・・・ということを私はそれから何年もかかって気がついた。
結局そういう噂が流れているということを知らなかったのは
私だけだった。

ひどい話だ。
友人とかいうのはもう信じないことにした。
今、この時から。


2/04/2022

夢を見た

 最初の夢
とても現実的な感じだった。
起き上がると部屋がグルグル回っているような感じだった。
メニエルで回っているのとはちょっと違って、体は止まっていて
周りの何かが回っていた。
頭をおさえてウーーンと言いながら何が起きているのかを
わかろうとするが止まらない。
仕方がないので隣の部屋(これは三鷹の家の居間から隣の部屋に)に
なんとか行くと布団があって、そこに潜り込む。
するとまだ小さな娘が寝ていて、
娘を抱きしめているとめまいはおさまった。
そのまま眠りにつく。

次の夢
大勢でハングの合宿に行っている。
すでに飛んだのかどうかわからないけれど、
周りに仲間が大勢いる。
眺めているうちに自分のグライダーはもう無いということに気が付く。
「あれ?どうしよう」と思っている。
だけどどうしても飛びたいと思っている。
誰かが親しげに話しかけてくる。
一緒に話しながら歩いている。
山の上にいる。
そこから飛び出すと他にも飛んでいる人が何人もいる。
下には谷のようなところや草原のようなところが見える。
グライダーは上昇せず、狭い場所に降りないといけない。
とても心配。
誰かが手を振っている。
そこに降りる。
でもみなどこかに行ってしまったようで、
学校の校庭のようなところに一人でいる。

2/03/2022

北海道百年記念塔

 この塔については前に書いたように思う。
寂しい思い出だ。
4プラと同じ頃にできて同じく今取り壊しの予定らしい。

取り壊しに反対意見、賛成意見いろいろあるようだが、取り壊しは
議会ですでに決まってしまっているらしい。
その決まった理由が不明瞭というか不透明だというので、
そのことに意義を唱えているようだ。
北海道開拓の歴史は記念すべきものだけれど、アイヌの人たちにとっては
迫害の歴史だ。そのことを無視して開拓100年記念というのは
いかがなものか。ということだろう。

それは置いといて、この塔は私が札幌に住み始めた時にはすでにあった。
国道を走っていると見えるし、札幌の街中からでも高い場所からは見えた。
黒い大きな塔。
ずっと野幌の森の中にそびえていた。
それが何を表していたのか知らなかった。
知らなかったけれど、ずっと塔はあった。
あれが無くなるのだろうか。

残した方がいいと思わないし、
壊した方がいいとも思わない。
時間の流れの中でいつかは消えてしまうものだろうから。

私は藻岩山の上から遠くに見えるあの黒い塔がなつかしい。
もう一度だけ見ておきたい気はする。


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これを書いた時には書かなかった(書けなかった)ことを書こうと思う。
札幌でフォークソングのサークルに入っていた。
その殆どは学生だった。
社会人は私と女性が一人くらいだったと思う。
私はあまりうまくそのグループに溶け込めていなかった。
私の性格のせいだと思う。
そのサークルで夏に外で歌を歌おうという計画があった。
野幌のこの芝生の上で。

その日、私は行かないことに決めていた。
でも気になって後から出かけて行った。
どこに集まっているのかがわからず、捜し歩いた。
すると向こうの芝生の上に10人くらいが輪になって座っているのが見えた。
それがそうだとわかった。
わかったけれど私はそこから動けなかった。
行って一緒に歌えば良かったのに。
しばらく遠くから眺めていて、そのまま帰った。
どうしても入って行くことができなかったから。

それ以来野幌の公園には行っていない。
野幌のこの芝生はその時の思いが沁み込んでいるような気がする。
もう一度行ってみたい気もするけど、
そのままにしておきたい気もする。


2/01/2022

4丁目プラザ

 私が初めて札幌に行った時はまだ4プラは無かった。
札幌に赴任した時に初めて行った。
できてから5年目くらいだったんだろうか。
奇麗なビルで当時の印象としてはショーウィンドーがきれいな
ピカピカしていた記憶がある。
1階の南の端にレコード屋があった。
そこでよくレコードを買った。
タンジェリンドリームの国内版はほとんどそこで買ったのではないだろうか。
4プラの向かいのパルコの本屋としょっちゅうそのあたりを歩いていた。


昨日で閉館したらしい。
ちょっと寂しいけれど50年はしかたがないだろうな。

4丁目の交差点は冬、ちょうど今頃はカチカチに凍ってしまい、
スパイクタイヤでも止まるのが難しかった。
ゆっくり走っていても横滑りした。
下が轍が崩れたような溝だったから。
一度黄色で突っ込んでしまい向こう側の歩行者と接触しそうになった。
焦った。

4プラの後には何ができるんだろう。