9/13/2025

みんなどこかに行ってしまう

 最近特にそう思う。
歳下も歳上もどんどん行ってしまう。
どうすんの?これ
稲垣足穂が歳を取り始めてから
「しまった!もっと早く会っておくんだった!」
と少年たちが歳をとるのを嘆いたことよりも
もっとずっとずっと悲しむべきレベルで時間が流れてしまう。
50歳くらいのころは「ああ、あの人が逝ってしまったなあ」
くらいにしか思わなかったのだが、
いよいよ自分の番が近くなってきた
あるいは先の方で人生が崖のように落ち込んでいるのが
見えてきたように思う。
悲しんでいる時間さえも無いかもしれない
とはいうものの日々にやらなければいけないことがあるので
それを片付けているうちに一日が終わってしまう。
考えてみると30歳の頃からずっとそれだった。
「よし!仕事はやめて自分のことをしよう!」
なんて思っただろうか?
そんなこと考える暇もなかったように思う。
だからあっと言う間だったんだ。
それでも自分の歌とか演奏とか少しは残せた
YouTubeがそれを消さない限り残るだろう、きっと。
残ったからどうなんだ? というのはあるけどね。
文豪のように作品が未来に渡って残るわけじゃない。
いや、未来に残ってどうなんだ?
という疑問はあるけれど、
何も残らずこの世からきれいさっぱり居なくなる
というのも寂しい気がする。
少なくとも今この瞬間にはそう思う。
死んでしまったらそれすら意味が無いかもしれない。

インターネットの5チャンネルあたりで良く見る
「死んだらどうなる?」という書き込みだけど、
たいてい「それは無だ!」と言うやつが現れて終わる。
だけどそこで「無だ」と言ってる事には
死後の世界を想定してそこには何もない、という意味で言ってる
と思う。つまり一応死後の世界はあることを前提にしているように思える。
だけど死後の世界というのは自分だけ居なくなった今の世界が
ずっと続いて行くという意味だ。
自分には死後のせかいだけど他の人には今まで通り続いてい行く
生きている世界だ。
死後の世界はあるか?と言えば何の疑問もなく在ると言うしかない。
死後であるのは自分いとってだけだ、
他の人にとっては今まで通り生きている世界なのだから。
とても寂しい(笑)








喜びも悲しみも

 幾年月
という映画はリアルタイムで見たことを思い出した。

私は父の手を握っていた。
映画館はとても混んでいたように思う。
何も見えなかったから。
あれは4歳の時だと思う。
映画の画面とはか全く覚えていないけれど
壮大な音楽の感じは覚えている

9/09/2025

いや違う、未知との遭遇のことを書こうと思ってたんだ

 「未知との遭遇」のあの5つの音だけど、
あれは天才的だね。
ジョン・ウイリアムズが死ぬ気で考えたのだと思う。
そして今あの映画はあの5つの音のためにあるように思う。
いや、あの映画はあの5つの音の映画だと思う。
一度聴いたら忘れないメロディーだ。

誰か(外国人)が書いていたあの音についての解説を読んだけれど、
シューベルトの「魔王」の旋律に似てるとか、リヒャルト・ストラウスの
「ばらの騎士」に似ているとか言ってるけど
5つの音なんだから、どこかの何かに「似ている」というのは
確率的に絶対あるでしょう。
そういうことじゃなくて、ジョン・ウイリアムズが3音と4音を
オクターブ降下させたこととか天才的だと思う。
オクターブ飛び上がるメロディーというのはいくらでもある。
ドヴォルザークの「母の教えたまいし歌」なんか有名だけど、
いくらでもある。
でもジョン・ウイリアムスのあのオクターブはすごく効果的だ。
特にシンセサイザーで弾いた時に効果を発揮する。

最初の「レ」は次の「ミ」の音で消えてしまうけど
3つ目の「ド」と次のオクターブ下の「ド」と
最後の「ソ」は単純かつ普遍的な「ドミソ」の和音だ。
だけどこのオクターブ下の「ド」が無いとかなり陳腐だ。
そういう意味で天才的だと思う。






9/08/2025

手塚治虫とやなせたかし

 あんな風に二人で徹夜で仕事している所を見ていたら
泣けてきた。
そういう時があったな、と思い出す。
まっちゃんと一緒に夜明けまで仕事したことがあった。
あるいは神津さんと一緒に次の日の昼まで一緒にプログラムを
組んだことがあった。
だいたい何もしゃべらない。
たまに冗談を言うくらい。
その感じがあのテレビではよく出ていた。
ほんとに手塚とやなせたかしがあんな風にやっていたかは知らない。
だけどそれはそれでいい。

徹夜明けの朝の感じを時々思い出す。
決して気持ちいいわけじゃない。
あの感じ。

徹夜で運転して朝日の中を走るのもそうだ。
あの感じ。





9/06/2025

America S&G

 どうでもいいんだけど、
いや自分だって昔はそうだったから、まあいいんだけど
一度気になったらどうしても気になってしまう。

Let us be lovers we'll marry our fortunes together

どうして「結婚しよう」という訳になってしまうのか?
まだ友達同士あるいは恋人どうしなのに
バスに乗ろうっていう時に「結婚しよう」なんて言うわけ無いだろう!
ほとんどの人が「結婚しよう」という訳を書いている、
あるいは歌っている。
ある人に至っては親切にもカンマを付けている。
Let us be lovers, we'll marry our fortunes together
おう!そしたらその後のour fortunes togetherはどうするの?

英語の和訳全般に言えることだけれど、
何か英語には日本人にはわからない特殊な物があると思い込んでる。
だからこういう訳になってしまう。
じゃあ、日本人二人のバス旅だったら最初になんて言うだろう?
とは考えない。
ここにmarryがあるから、とりえず「結婚」だ、としてしまう。

何だったかなあ?他にもそういうのがあってどうしても我慢できなかったから
言ってやったら怒った。
怒るだろうね、知らない人から文句つけられたら。
今はほら翻訳とかやってくれるのがあるから、それでやってしまうと
こうなってしまう。
GPTでやるとどうなるかは知らない。
誰かやってみて、、

それじゃあ、さっきバス乗り場で話したばかりの彼女と、
いや、ああ、もう少し付き合った彼女だったとしても、
席を隣同士にして座ったらなんていうだろう?最初に
「よろしく、恋人同士になって結婚しよう!」なんて絶対に言わない。

この歌だって冗談で「恋人同士になろう!」とは言っているけど、
「結婚しよう」なんて言ってない。
この歌の会話は彼が言っているジョークなんだ。
後の方にも出て来るけど「スパイ」の話もね。

ちょっと待って!じゃあその後の

I've got some real estate here in my bag.

はなんて訳してるんだろう?
   ある人訳:「本物の不動産がこのバッグの中に入ってる」
   別のある人訳:「ある不動産がこのバッグに入ってる」
だいたいこんな訳だ。
バッグに入る不動産って何?

まあそんな感じだね。
さっきのカンマ打っちゃってる人、
どうしてもそこで切りたかったんだろうね。
そうしないと”結婚しよう”にならないから。

「僕らの幸運を一緒にしよう」とか「運命を共にしよう」(硬いな)
とかいう訳にはならなかったんだろうね。



9/05/2025

神保町

 昨日、神保町に行ってきた。
リソグラフの画集を持って行って売ってきた。
本は大きくてすごく重い。
本屋を2、3件回ったらもう嫌になった。
15年以上前だと10万円で引き取ってくれるところがあったけれど、
さすがに今はインターネットで同じものが大量に出ているから
値段は10分の1以下だ。
一番高い金額で行ってくれたところに置いて来た。
7千円だった。
まあ、外装が少し傷んでいたからしょうがないし、
それより重いので早く解放されたかった。

また地下鉄に乗って座ったら、妙に満たされた気分だった。
希望金額には全然至らなかったのに、
それで考えてみたら持って行った本屋のおじさんと
話をしたことを思い出していた。
本の話やネットで売られている本のことなど、
3人3様に話をした。
昨日まで人と(男の大人)話すのは久しぶりだった。
どうもその話ができたことで満足できたらしい。
立ち話ではあったけれど、いろいろ話ができた。
それはとても有意義だった。

前に神保町に行ったのはいつだったか思い出せない。
たぶん10年は行ってない。
行く用事が無い。
お茶の水から靖国通りの前までは何度も行った。
楽器屋には何度も行ったから。
だけど靖国通りは越えていなかった。

車で行こうか迷ったけどやめた。
それでしょうがなく思い本を抱えて行った。
ああ、そうだ、すごく暑かった。



9/03/2025

今度はパラの事故2件

 この一週間にパラグライダーの2つの死亡事故。
その前のソアラーの死亡事故を入れると3回続けてだ。
これまでもグライダー関係の事故は続いて起きることが多かった。

最初のパラは山沈したらしい。
13時間も木の上にいたとか。
ハングもパラも山沈(山に落ちる)、ツリーラン(木にランディング)は
普通にあったけれど、死亡事故は無かったように思う。
私の友人も5,6時間誰も気がつかずに自分で木からおりてきた人がいた。
でも仲間と一緒だったら「そういえばあいついないな」と気がつくはず。
それに13時間くらい木の上に居ても死ぬことは無い。
たぶん怪我していたのだろう。
降ろすときにそんなに焦った様子が無いので
出血ではなくどこかを打ったのだろう、きっと。

今日の事故は海に落ちた。
詳細がわからないがモーター・パラのタンデムフライトだったようだ。
モーター・パラがどうして? と思う。
見た人によると回転しながら落ちたらしい。
スパイラルダイブに陥ってしまったようだ。
問題は落ちたのが海だったということだ。
モーター・パラだから二人とも機体にハーネスごと固定されていたと思う。
そのまま海に落ちたら機体(エンジン)と一緒に沈んでしまう。
だから海や湖の近くで飛ぶときはナイフを持って飛ぶ必要がある。
ハーネスを切り離さないと泳ぐことも浮くこともできないから。
今日のパイロットの人はどうだったのだろう?
パイロットもだけどタンデムで乗っていた女性のお客さんは災難だった。
さっきのニュースでは亡くなったとは言っていなかった。
心肺停止だとか。
生還するといいのだけど。

9/01/2025

グライダーの墜落

 というニュースが今日あった。
映像を見るとすごい壊れ方だ。
このグライダーと言ってるのはソアラーだ。
大きなやつ。
それが完全にばらばらになっている。
どういう落ち方をしたのだろう?
滑空したいたならあんな壊れ方はしない。
あれはとても急な角度で落ちたようだ。

場所は利根川。
ウルトラライトプレーンとかの飛行場がある。
スカイダイビングの着地場所もある。
その川淵の草原の中みたいだ。

まだ20代の女性だったようだ。
焦ったであろうと思うといたたまれない。
だいたいソアラーって何か安全装置があるんだろうか?
まったく知らないけど、聴いたこともない。

ハングはパイロットが操縦不能になったら
手を離せば機体が勝手に水平になってどこかに着地する。
機体が壊れてもだいたいグルグル回りながらゆっくり落ちて来る。
あるいは緊急パラシュートを広げればゆっくり降りて来る。
その他の事故は大体パイロットが何かやってしまったせいだ。

だけどソアラーはパラシュートを備えているのだろうか?
体を守る装備があるのだろうか?

今調べたらパラシュートを装備するのは競技大会の時だけらしい。
通常は装備しないらしい。

何か非常の場合の装置が欲しい。



8/30/2025

駅ピアノとか・・

 駅ピアノとか街ピアノとか、いろいろなところにピアノがあって
引きたい人が弾くやつ
あれ、うるさいと思っている
全てではないけれど、だいたい90%くらいうるさい。
それは私だけかと思って妻に聞いたら
やっぱりうるさいらしい。
それで良く観察して見たのだけど、
タッチというか鍵盤をたたく強弱が無いのに気付いた。
みな一生懸命に練習した曲を弾いている。
だから一本調子なのだ。
同じく街角で弾き語りしてるおっさんも同じ
がなるように歌っている。
あれだ。
つまり指一本一本に気を遣っていない。
ばんばん弾いている。
はいよくできました!ということなのだけど、
人に聴かせる演奏じゃない。

まれに「お!」と思う演奏に出会う。
覚えているのは高校生くらいの男の子が駅で弾いていた時、
曲は知らなかったけれど、音一つ一つに気を配って弾いていた。
あの子はきっといいピアノ弾きになっただろう。

8/26/2025

1990年

 1990年にCDを作ろうという話があって、
皆集まってスタジオで歌を録音した。
私が知ってる人もいたがほとんどはWiliamのつながりだった。
この一連の写真はビデオから撮ったものなので画像が粗いけれど、
それはそれでまたいい。
(ビデオをハードコピーしたプリントが残っていた。元のビデオテープは無い)
なんで1990年だったのかわからないけれど、
おう!斉藤君だ。ほとんどこの頃以来会っていない。
なんでネクタイだったんだ?
いや、これって1990年だった?
なんかもうよくわからない。
野呂君はその後何度か会ってるような気がする。
吉野はついこの前、花輪氏の葬儀で会った。
名前が思い出せない。
ひょっとして古川氏って言ったっけ?違うかな?

この左下で笑ってる二人は全く覚えていない。
このミキサーの人はなって言ったかなあ?
先週くらいまで覚えていたんだけど。

これって相川君?
何度も見てると違う人のようにも思えてくる。


もうとにかくギターはこの人だね。
このスタジオで何日くらいやったんだろう?
最後にもう一度一人で行って何かの確認をしたような記憶があるけど。
もうあまりに遠い事でよく見えない。







8/25/2025

アンビエント音楽

というのがYouTubeとかに多いのだけど、
「音楽」なんだろうか?
・・・ということはエレベータ音楽のとこに書いたような気もするが。
つまりシンセにきっかけになる音を与えて、それを勝手に繰り返している音に
他の音を重ねて”あたかも”曲のように仕上げているのだけれど、
”音”ではあるけれど、”音楽”だろうか?
それはまだ自分でノブを操作したりしているから”自作”ではあるけれど、
最近ではドローン・シンセとかいうのがあって、
もう勝手に音を出して”あたかも”それらしい音楽風に音を出せる。
そうなるとそれは機械のノイズでしかないのではないだろうか?

と言うのは序章なのだけれど、
アンビエント音楽という”あたかも”音楽”っぽい音は
あれは”音楽”なのだろうか?
シンセを使わずともそれらしい”音”は作れると思う。
しかし”音”だ。それは。
と書いたところで「ミュージック・コンクレート」のことを思い出した。
ミュージック・コンクレートを生み出したピエール・シェフェール自身が
後年「あれは無駄だった」とか言ってるらしいが、
作品を聴いた感じではあれは”音楽”だと思う。
楽器の音が生音に代わっただけで、あれは十分音楽のように思う。
スタンリー・キューブリックがそれを”ごみ”と言ったらしいけれど、
そういうならリゲティの「レクイエム」だって十分”ごみ”だ。
なぜリゲティーをあの映画に使った?

ドローンシンセ音楽やアンビエント音楽はゴミだが、
ミュージック・コンクレートは音楽だと思う。
あれがだめなら絵画のコラージュもゴミだ。
ポロックの絵なんかゴミ以下だ。
だけどコラージュは「絵画」だと思うし、ポロックも絵画だと思う。

なぜならそこに作者の感情や思いや行為が凝縮されているから。
ミュージック・コンクレートもそう。どの音をどういう風に組み上げるか
作者はそれを考えて構成しているから。

だけどアンビエントもドローンもほとんど機械任せだ。
あれこそ「ごみ」だと思う。

・・・ああ、アンビエントはそれでもまだ少しましかもしれない。

8/23/2025

仕事は断る

 もう仕事を辞めて久しいけれど、
今でも受けている人が何人かいる。
葬儀屋さんとピアノの先生と安全管理会社と車好きの人とDJやってる人だ。
あとは居ない。
のだけれど昨日電話があった。
出なかった。
電話の相手は知っている人だけれど
電話に出ればその仕事をしなくてはいけないから。
申し訳ないけど電話には出なかった。
留守電とメールも入っていた。
どっちも出なかった。
困っているだろことはわかった。
でももうやりたくない。
面倒なのだ内容が、いくつかの曲を切り貼りして
新しい曲を作るのだけど
始めたらのめり込むから。
適当につなげればいいのだろうけど
それでは私が満足しない。

というわけでもう他の仕事はしないことにした。

8/22/2025

おしん

 今日テレビを見てたら「おしん」のことをやっていた。
驚いたことに「おしん」って1983年だったんだ!
もっと前、例えば1968年とかのような気がしていた。
「おはなはん」の次くらい。
1983年と言えばああた、結構最近でないですか。
私札幌から東京に戻って深川で暮らし始めたころだ。
え~!あの頃だったのかなあ、当時の事と「おしん」のテレビが
重ならない。
1983年は小林克己のベストヒットUSAの印象だなあ~
それとあの「おしん」はどうしても重ならない。
だいたい「おしん」って見てただろうか?
後から見たような気がするなあ。
だからかなあ?



8/21/2025

もう一度見たい夢だった

 例によって今朝見た夢の話

私と妻はどこかに出かけるところだった。
私が少し遅れたので妻は先に出てしまった。
私が後から追ったけれどどこに居るのかわからない。
それでスマホで聞いてみようと思いスマホをとり出す。
そして藤棚のような木の下の机のところでスマホで
電話をかける。
でも出ない。
「ああ、まいったなあ、どこにいるだろう?」と焦る。
そして行っただろうと思う方に歩いて行く。
すると途中でスマホが無いことに気づく。
ああ、さっきの藤棚のところだと思い、そこへ行く。
しかし机の上に置いたはずのスマホが無い。
困った。
妻も不安に思っているだろう?と心配になる。
しかし、仕方ないので向かったと思う方に歩いて行く。
どんどん歩いて行くと知らない町に入る。
でもこっちだろう、と思いどんどん歩いて行く。
道は山道になって岩場になってくる。
細い尾根のようなところを這いながら行くと
その先で道が無くなって尖った槍の先のようになっている。
それ以上行けない。
私の後から女性があるいて来ていたようで、
引っ返して元の下の方に向かって歩いて行く。
道は片側が深い谷のようになっていて怖い。
何とか下まで降りる。
そこに工事をしている人達が休憩していた。
その一人に「ここは何県のなんというところですか?」
と聞く。
その人は「何言ってるんだ。なんでそんなこと聞くんだ?」
と取り合ってくれない。
仕方なく先を歩いて行く。
道はまた急な坂道になって来る。
上に行くと山の下に大きな湖が見える。
その向こうには山がつらなってすごくきれいだ。
カメラを持っていないことを後悔する。
ふと後ろを見るとさっきの工事をしていた人がついてきている。
「一人だと心配だからと言う。
だけどもうどっちへ行ったらいいか全くわからない。
スマホがあれば地図が出るのにと思う。
どうしようもなく不安になる。

そこで夢は終わる。
いやな夢だったけれど湖の景色をもう一度見たい。




8/20/2025

ロワールの城

 フランスにもドイツにも行ったことが無いけれど、
行ったような気がするのは父が持っていた「ロワールの旅」という
本のせいだと思う。
中学生の頃その本を父の部屋から見つけていつも見ていた。
その本にはロワールの城の写真と旅行記が書かれていた。
だからロワールの城の名前はほとんど覚えている。
父が持っていたからたぶん1960年代後期の出版だと思う。
その本を欲しいと思いメルカリとヤフオクを見たけれど無かった。
その本は日本人が書いていた。著者の名前は憶えていない。
確か今から15年ほど前にやはりヤフオクで探したことがあった。
その時はその本があった。
本の体裁で覚えていた。
その時買っておけば良かった。
今はもう出てこないだろう。

中学生の私はその写真を見てインクペンで絵を描いていた。
写真がカラーだったかどうか忘れたけれど、色分けして描いていたから
たぶんカラー写真だったと思う。
いや白黒だったかもしれない。
とにかく絵はカラーで描いていた。
何をそんなに一生懸命になって描いていたかわからないけど
とにかくたくさん描いた。
でもその後全部捨てた。
今は記憶の中にしか残っていない。
描いている時の三鷹の四畳半の部屋に太陽の光が
ガラス窓から入っていた印象が強い。

8/19/2025

計算尺のこと

 メルカリで¥1000以下で売っているので欲しくなった。
もちろん別に必要だからではない。
もう一度使ってみたいだけだ。
だいたい掛け算と割り算にしか使っていなかった。
実験室では計算尺か手回しの計算機しか許されていなかった。
謎だけど。
電卓のが便利なのに。
電卓は当時関数電卓が4万円くらいだった。
高いと言えば高い。
計算尺では加減計算をやったことがなかったと思う。
有効数字3桁で計算できるのだろうか?
という興味もある。

昨日YouTubeを見ていたらオリベッティーの27-2とかいう計算機を見つけた。
これは世界一複雑な機械と謳っているけれど、ほんとにそうかもしれない。
YouTubeでは動いてはいなかったけれど、複雑さは十分わかった。
たぶん手回し計算機の入力をキーボードにして、出力をプリンターにした
ようなものだろうと思う。
手回しの部分をモーターで回すようだ。
大きなタイプライタくらいの中に機械がびっしり詰まっている。
もう何かなんだかわからない。
だけど動かせばまだ動くような感じだった。
それが1967年だというのだけど、もうその頃は
電子式の計算機があったように思うのだけれど。
たぶんその2、3年後には電卓ができていると思う。
だからオリベッティーの寿命は非常に短かかったと思う。

それで計算尺だけど、
有効数字3桁の計算ならすごく早くできると思う。
というか数値をセットした時点で答えが時差ゼロで出ているのだから
ものすごく早い。
量子コンピュータ並みだ。
ただし手で操作する時間はかかる。
例えば7÷3だとカーソルを7に合わせて
真ん中の尺の3をそのカーソルに合わせる。
すると下のメモリの2.33あたりに1のメモリが来る。
確かそんな感じだったと思う。
対数計算もできた。主要な科学定数はすぐにセットできた。

あれはしかし、今となっては懐かしい以外に使い道が無いだろうな。




8/15/2025

宇宙に行くかもしれないという夢を見た

 私と学校時代の友達小沼の二人が宇宙に行くことになった。
小沼は元々しっかりしたやつだから宇宙に行くのも平気そうだった。
私は宇宙服を着て緊張している。
そして「ほんとうに宇宙にゆくのだろうか?」と
考えている。
気持ちが悪くなったり、
閉所が怖くなったりしたらどうしよう?
と考えている。
周りはすっかり出発の準備をしている。
私はとても怖い。
やっぱりやめよう、と思う。
小沼が笑いながら私を見ている。

そういう夢だった。

宇宙へ行くという状況を考えたことが無かった。
だから夢でそういうことになって
とても不安だった。
今考えても、絶対宇宙になんか行きたくない。
ハングで空を飛ぶのも危険だけれど、
怖いという感覚は無い。
別にどこかに閉じ込められるわけではないし、
強制的に閉じ込められるわけでもないから。
宇宙は怖い。
無限の空間が広がっているけれど
それが余計に怖い
山から空に飛びだすのとは全く違う
空も広いけれど
宇宙の広さはとても狭いように思う
身動きできない
そういうのはとても怖い





8/05/2025

シェーン

 さっきNHKの映像の世紀を見ていた。
ノルマンディー上陸のことをやっていた。
シェーンを作ったジョージ・スティーヴンスがその時カラーフィルムで
撮影していたということを知った。
そこからパリ解放と終戦を撮っていた。
彼はパリが解放された直後にパリに入ったそうだ。
そこから歓喜に沸くパリ市民やドイツ軍捕虜、
ドイツに加担していたフランス人たちが市民によって
粛清された時もジョージはそこにいた。
そしてユダヤ人を迫害したナチと同様のことをパリ市民が
ドイツ人に対して行っているのを見た。
また彼自身ナチに対しては同様の怒りを持っていたという。
そのような経験をしたジョージがのちに映画「シェーン」を
作った。

それを知るともう一度あの映画を観たくなって
アマゾンで見始めた。
しかしまだ最初の方なのにどうしようもなく泣けてきた。
あの映画を観に行ったのは小学校の6年の時だった。
新宿ミラノ座だった。
大きなスクリーンの前の方で見た。
何がだめかと言うと音楽だ。
映画が始まってすぐにあのテーマが流れる。
しかも演奏は後にレコードになったものとは異なる
映画の上でだけ流れた演奏だ。
それを聴いていたら小学生の時に一人でスクリーンの前に
座っていた時を思い出した。
まるであの時が再現された。
それでたまらなく懐かしくなった。

シェーンの映画はもう何度観たかわからない。
でも今日見たのはまるで初めて見るかのような感じがした。

だから改めてシェーンを見ることはできなかった。
最初の5分くらいしか観れなかった。

またしばらくして、忘れた頃に観てみよう。


8/04/2025

右と左の耳のこと

 前に音程が変って聞こえるということを書いたけれど、
その後はその症状は出ていない。
そのかわりに変なことに気がついた。
綿棒で耳掃除をしていて奥まで綿棒を入れて行くと
鼓膜のところでカサカサと触れた音がする
その深さが右と左で2センチくらい違う。
右の方が浅い。
左はかなり奥まで入れないとカサカサ鳴らない。
みなそうなんだろうか?
ちょっと調べたら同じ疑問の人がいたけれど
その人はもっと入口近くの形状を言っているようだ。
でも鼓膜までの深さがかなり違うのは明らかだ。
そうなると右と左の聞こえ方も違うのではないだろうか?

目は右が生まれつき緑内障で上半分が見えない。
左は正常。

喉を医者に診てもらった時、2か所の病院でレントゲンを
撮ってくれてわかったのは、声帯が半分しか働いていないらしい。
半分の声帯で声を出しているらしい。
動いていないのが右か左かわからないけれど。
時々歌う声が小さいと言われるのもそのせいだろうか?

あとは内臓とかは変ってるところは無さそうだ。


8/02/2025

ご安全に

 最近は工事現場に行っていないからわからないけど、
ほんとにこういう挨拶してるのだろうか?
今仕事で受けているDVDが安全管理の映像なのだけど、
朝礼の最初の挨拶が「ご安全に」なのだ。
これはDVD製作会社の企てだろうな。
そう信じたい。
普通だと「おはようございます!では今日も一日安全に!」
だと思うけど。

それからネットでも気になるものがある、例えばYouTubeのドラレコ
だけど、投稿主は「撮影者様は・・・」と言っている。
なにか非常に気になる。
「撮影者は・・・」でいいのに。
変に媚びた言い方をしている。
同じようなのはいくらでもある。
「投稿者様」「演奏者様」
なんで「様」を付けるんだろう?
それが丁寧で礼儀正しいと思っているのだろうか?
私には非常に馬鹿にしているとしか思えないのだが。


8/01/2025

なんか調子が出ない

 いつもなら「よし!この曲をやろう」と思うと
すぐに取り掛かるのだけれど、
どうもこのところ乗らない。
なんかやってもチューニングが狂っているように聞こえて、
声も音痴に聞こえる。
だから全然乗らないし、長続きしない。

頭には完成形があるのだけど、全然そんなものにならない。
なんていうか響いてこない。
今も停滞中

こういうことは時々あるよね。
だからしばらくしてまた始めると良かったりする。
それまではダラダラしていよう

7/30/2025

楽しいこと、楽しそうなこと

 何か無いだろうか?
もうやりたいことはみんなやってしまったように思う。
例えばやりたくないことは?
スカイダイビング、バンジージャンプ、フリーフォール、
ボルダリングとかロッククライミングとか
登山一般、ラフティングとかいうやつ、
全部やりたくない。
全てハンググライダーにはかなわない。
かろうじてシュノーケリングはちょっとやりたい。
泳げないけど海の中は好きだ。
学生の時に三宅島で潜った時の海の底は綺麗だった。
すごく印象に残っている。
泳げないのによく潜ったと思う。

それくらいかな?

できればもう一度アリゾナの砂漠で一日過ごしたい。
何をするわけでもなく
乾いた砂漠を眺めていたい。

それくらいかな?

ああ、静かに降る雪の中を歩きたい。
夜だ。
人のいない街を歩きたい。
どこへということもなく

7/28/2025

太田君のこと

 今日フェイスブックで「友達かも」というので太田昇吾
という名前が出た。
おう!知ってるよ。筑波で飛んでた。
というのはいいのだけど、写真は車椅子に乗っている後ろ姿だった。
いやな予感がした。
読んでみると2023年の春に事故したみたいだ。
ハードランディングと書いてあるから着陸の時に何かあったようだ。
太田君は私が筑波に行ったころすでにプロ級のパイロットだった。
私がハング同士の衝突を起こした時、いろいろ意見を言ってくれた。
ハングは上を跳ぶ人が下にいる人に空を譲らないといけないのだけど
私のすぐ上を飛んでいた人が下から登って来た私をよけずにいたため
衝突してしまった。
そのあとで、飛行の安全についていろいろ尽力してくれた。

ある時、太田君が落ちたという声が聞こえてきた。
でも太田君はそのあと現れて、機体が折れてしまったけど、
そのまま落ちてきた。と言っていた。
ハングは折れてもグルグル回りながら落ちて来るので
速度はそんなに出ない。あまりダメージ無く降りられる。
またある時はちょっとこの強風では飛べないだろう!
という風の中、空から現れてランディングしたのには驚いた。

私が筑波に行かなくなった後も、ハングの大会で成績を上げていた。
そんな太田君が事故だとかちょっと信じられない。
頸椎をやってしまったらしい。
現在では治療法もいろいろあるようだから
なんとか回復してくれるといいけど。


せめないで

 今朝の5 時だ。
いやな夢を見た。
昔のことなのに今のように再現される。
自分がいいかげんなやつだということは
もう十分わかったから責めないでくれ
空が明るくなってきた。


7/25/2025

欲しい物リスト

 何が欲しいか?ってアマゾンのリストに並べているけれど
それを買ったことは少ない。
っていうか1万円の物はもちろん、数千円の物でも
買うかどうか考えて結局買わない。
しかしこのところ千円くらいの物をいくつか買っている。
「ほんとに必要なのか?」と思うものばかりだけど
なんか買うと嬉しくなる。来るのが楽しみ。
先日も細いロープとストッパーを買った。
窓が全開になるのを止めようと思って、
しかしロープと思って注文した物はゴム紐だった。
まあ、そういうこともある。

考えてみると数万円のものを買うには結構勇気がいる。
考えて買わずにいると全く別の所から金の必要性が出て来て
買い物は破棄になる。
そういうことを何十年も続けているように思う。
仕事をしていた時は毎月ギリギリだったから欲しい物も
買わずにいたかと言うとそうでっもない。
結構遊び道具を買ってしまった。
それでもなんとかなった。

世の中なんとかなるもんだと思う。

前にも書いたけれど、どうしようもない事態になると、
不思議なことにどこかからお金が出て来る。
これは本当に不思議だった。
借りたこともあったけれど、全部(たぶん)返した。
一番不思議だったのは差し押さえ状が来て、しょうがないので
区役所に行ったら、「財産を調べさせていただきます」
と言われて銀行や何やら調べられて、
全く記憶にない生命保険が満期になったままで
そこに結構なお金が残っていた。
区役所に払ってもだいぶ残った。
あれは奇跡かあるいは天国の誰かがやってくれたのだと思う。
他にも何度もそういう不思議なことがあった。
「生かされている」という嫌な言葉があるけれど
でもそれが一番当てはまるような気がする。

昨日メルカリを見ていて欲しいGoProがあった。
「今は節約の時だ!」と思った。
それでふと見ると売上金というのが出てきて
それで充分買える金額だった。
これは前にフェンダ-のギターを売った時の売り上げだった。
そのままになっていた。
それで迷わず買ってしまった。
そのうち着くだろう。

世の中は不思議で出来ている

7/24/2025

稲垣足穂・植草甚一・物部長興

 稲垣足穂も植草甚一も70年代から良く読んだ。
稲垣さんは76歳で亡くなって植草さんは71歳だったようだ。
どちらの人も当時はすごい爺さんだと思っていた。
だけどもう既に植草さんを追い越し、稲垣さんにあと少しだ。
どちらも明治生まれだった。
どちらの人とも会ったことはない。
本の中でだけだ。

もう一人70年代私の身近にいた爺さんが物部長興さんだ。
お間思い出すとたぶん60歳くらいだったと思うのだけど、
今の自分より歳をとっているように思えた。
最後に見かけたのが1980年頃だったと思う。
車に乗って吉祥寺を走っていたら道を歩いていたのを見かけた。
物部さんの病院はべ兵連やその他の学生運動家の集まる場所になっていた。
前に書いたと思うけれど核マルと中核が一緒にいた。
他のセクトの人もいたし、企業の運動家もいた。
物部さんは運動で怪我をした学生の治療をしたり、
催涙弾の危険性について社会に訴えていたりした。
反戦自衛官を匿い助けたのも物部さんだった。
60年代から「ちょうちんデモの会」というデモ行進を
吉祥寺から三鷹駅までやっていた。
確かまだ続いているように思う。
ちょうちんデモのメンバーはべ兵連の人や企業内の運動家の人
日中友好協会の人、高校生の運動家や
・・・
ああ、今顔を思い出した。男と女の二人だった。
女の子は可愛らしい顔立ちだった。いつも一緒にいた男の子は
細い感じのイケメンだった。二人は無着成恭さんがいた学校に通っていた。
無着さんはかろうじて昭和生まれだ。96歳まで生きたようだ。
無着さんがデモに加わったかどうか記憶に無いが、
学校では過激な発言をしていたと言っていた。
・・・大学生の運動家など雑多な人達だった。
中に物部さんがいたのでお互いが言い合いになるとかいうことは・・
無かったように思うけれど、あったような気もする。

新宿や井の頭公園や吉祥寺駅で歌を歌っていたフォークゲリラの
仲間も加わっていた。だいたい先頭でギターを弾いて歌いながら
歩いた。
外からみたら「あれは日共か?」と思われただろう。
そういう感じのデモだった。

そうか、無着さんは96まで生きたんだ。
もう少し頑張るかな。

7/22/2025

残された時間

 何をしたらいいのだろう?

何の計画も無かったのだけど、ぼんやりとは思っていた。
たぶん「何か自分の音楽を作りたい」そう思っていたはずだ。
毎日何かやろうと思っているのだけど
何もできない。

絵を描くのは好きだった。
だから何か絵を描くのもいいかも。

小説とかは全くだめだろう。
そういう方面にはむいていないように思う。

写真?
写真もむいてない。
写真を撮るのは好きだけれど、
それっぽい写真を撮るのは好きじゃない。
何の変哲もない写真が好きだ。
そういうのをまとめてみるか?

一時期焼き物もいいなと思った。
だけどたぶん1週間で飽きると思う。
盆栽? やだね。

やっぱり音楽になるのかな?

フライングスクールのこと

 40歳の時ハングをやろうと思ってスクールに通った。
伊豆の先端近くの山の上だった。
それから30年、FBにそこのページを見つけて見ていた。
誰か知ってる人は写っていないだろうか?と
しかし誰も知らない。
2019年まで見たけれど知ってる人は力也氏一人だけだった。

そこのスクールは校長の西野さんが作ったもので、
西野さんは日本の第1回ハンググライダー選手権の優勝者だった。
西野さんの息子が力也、当時20くらいだったのではと思う。

写真、特に宴会をやっている写真を細かくみたけれど、
わかったのは力也だけだった。
他にこれはマユミちゃんかな?と思わせる人がいたが、
マユミちゃんも当時20代だったから今20代の顔はしていないだろう。

写真を見ながら名前を思い出していた。
西野さん:校長
力也:インストラクター
ふじまきさん:パラのインストラクター、のちに力也と結婚した
マリちゃん:ハングをやっていた。たぶん当時1番若かったから19歳ぐらい。
マユミちゃん:ハングをやっていた。たぶん20代そこそこ
つじ君:最初の頃ハングをやっていた。やはり20そこそこだったと思う。
    だんだん会うことがなくなって、来なくなった。
みつき:ハングをやっていた。私が始めた頃すでに山から飛んでいた。
    みつき、つじ君、マリちゃん、マユミちゃんと私がハングの
    仲間だった。
    彼は、10年くらい前だろうか?海岸にランディングする時
    防波堤に激突して亡くなった。
    クールな感じの男だった。会った時は20代前半だったろうか。
マーちゃん:ハングのベテラン。時々スクールに現れて練習を手伝って
      くれたりした。彼は丹那で主に飛んでいたようだ。
      時々話をした。
大友さん:パラをやっていた。飛べない時に山にヤマイモを掘りに行ったり
     した。伊豆からの帰りは車2台並んで途中まで一緒だった。
竹内さん:パラをやっていた。彼はスクールの手伝いをしていたのかな。
     細い感じの男だった。
     よく話をした明るい人だったけど、良く考えたら詳しくしらない。
マツナガさん:パラをやっていた。確か清水の方の病院の女医先生だった。
       当時私と同い年くらいだったと思う。だから今はもう
       高齢だと思う。軽い話をよくした。

他に名前を忘れたけど会うと必ず挨拶して話をした人がいた。
彼女はパラをやっていた。
顔を少し覚えている。30歳くらいだったと思う。
今思うに、何で名前を思い出せないんだろう?
そういえばどこから来てたのかも知らない。
なんてことだ。

7/14/2025

ジジイの問題

 もう今更だけど、SNSでのジジイの問題はコメントをくれるのはいいが、
本題とは関係ない話、自分の知識を書いてくる。
どう返事していいかもわからない。
あるいは自慢話、こちらの話を受けて自分の自慢話をする。
同年代のジジイはほんとにこれが多い。
仕事でも人の話なんか聞いていなかったのだろう。

と、SNSの話ならいいのだが、私の友人にもそれがいる。
ある時私が蒸気機関車のピストンがやけに小さいことに気が付いて、
「あのピストンであのデカイ車体を動かしてるんだぜ」
と話を持って行ったら、
「それ、僕はもうずっと前から知ってた。模型作ったし」
と言う。
しかしそれでは話はそこで終わってしまう。
そうじゃなくて私は、あの動輪全部を動かすだけの力が
あの小さなピストンにあるのはすごいね。
という話をしたかったわけで、あんたの自慢話を聞きたかったわけじゃない。

それで、考えた。
そういうお前は? と
いやいや、自分もそうなのか?
考えるといろいろ思い出す。
別の友人が新しいスポーツカーを買ったと言ってきた時、
私は確か「スポーツカーっていうのは、これこれこうで・・・」
ってうんちくを言ってた。確かにあれは私だ。
違うだろう!!
あの時は「へえ、すごいね!それでどんな感じ?」
とかいうべきところだろう!
どうしようもないやつだ。

妻と話をしたのだけど、
女性の集まりは話が永遠に終わらない。と
男の方はどうだろう?と考えると、
ひとしきり自慢話が終わると、次は知識自慢
それが終わるともう無い。
なんとも寂しい。
そうじゃない話のできる人と語り合いたい。








7/10/2025

テキサス

 暇だから延々とフェイスブックを見ているのだけど、
テキサスのフラッシュフラッドの犠牲になった子供たちの
写真が頻繁に出てくる。
これが辛い。
なんでこんな子供が?とそのつど涙が出る
それが多すぎる。
なんでこんなにたくさんの小さな子供がと思う。
最初はcareとか押していたのだけどもうそれもできない。
どうしても自分の子供の顔に見えてしまう。

明日退院

 長かった囚人生活もやっと終わる。
この病室は四人部屋だ。
私は窓側。
入り口の左側に85歳の男の人。
その人はとても静か。
だけど夜中に毎晩看護師さんが来る。
よくわからないけど、聞こえて来る声を聞いていると
オムツが溢れてしまうようだ。
それでシーツを変えたり着替えたりしているようだ。
毎日だからなんとかならないかと思うけど。
どこが悪いのかはわからない。
私の向かい側の窓側の人も80半ばくらいだろうか。
この人は何をするにもうるさい。
カーテンの開け閉めとかゆっくりやればしずかなのに、
食べる時がまたうるさい。
すする音や食べる音ゲップ、みんなうるさい。
それを5日間聞いてきた。
最初は閉口した。「音出すなよ!」と思っていた。
今日になって分かったのだけど、
彼は歩くのが不自由のようだ。
何の病気かわからないけど、呼吸器系に問題があるのかもしれない。
あんな風に息をしながら食べるのには理由があるのだろう。
彼は眠るととても静かだ。
私のとなりに昨日入ってきた偉そうなおっさんのいびきに比べたら
死んでるように静かだ。
その静かな人が昨日夜中に寝言と歌を歌い始めて驚いた。
何の歌かはわからなかったけれど
はっきりとしたメロディーで歌っていた。
寝ながらあんなにしっかり歌えるのだろうか?

その人たちとも今日でお別れだ。
もう二度と会うこともないだろう。




7/09/2025

時間の続き

 病院で暇だから時間とどういうものか考えてみた。
一番いいたとえはルームランナーだと思う。
絶えず動いているルームランナーの上ではとにかく走るしかない。
後ろ向きに走ることはできない。
走っていても動いているわけではない。
同じ位置ではしっている。
時間はこういうものだと思う。
走ってきた道があるわけでも、走る先があるわけでもない。
同じ場所にいるだけだ。
それじゃあ何がルームランナーを動かしているかというと
それがエントロピーだと思う。

時間という幻影は幻の方向性はある。
走ってる人は年を取るわけだから、あたかも後ろに若い自分がいて
前には年取った自分を感じるだろうから。

時間のこと

 何度目か忘れたけれど時間について書こう
病院で暇だろうからと、入院する前にブックオフでニュートンの
特集号を何冊か買っておいた。それらは入院一日目で読んでしまった。
時間の特集をしたものを読んだけれど、
「時間は存在しない」と言っておきながら、後のほうで
「過去に戻る方法」とか書いていて一貫性がない。
前にも書いたけど、時間というのは幻影だと思う。
今、この瞬間しか存在しない。
少し過去も少し未来も、遠い未来も遠い過去も存在しない。
時計ができて時間という幻影ができたのかもしれない。
1秒間に物がある距離移動するとか、
そうすると1秒後にはここまでいどうするとか、
そういう考えができると当然時間は流れていると思うだろう。
しかしそれは幻影だ。
死んだ人が天国に行くという考えと同じだ。

このあたかも時間が起こしていると思える「変化」は
一体何が起こしているのだろうか?と考えると
それはエントロピーだろうと思う。
エントロピーが変化を起こしている。
エントロピーは絶えず増大する。
つまり時間が進んだように思わせる。
エントロピーは決して自然には減少しない。
だから時間を戻すことはできない。

7/08/2025

卒業証書

 そんなものがあったろうか?
何か騒いでいるけど。
見た記憶がない。
高校までは確かある。
だいたい「君卒業したの?」と聞かれると自信がない。
5年やってるけど最後どうした?
卒業式は行かなかった。
私が卒業したかどうかは学校に聞くしかない。
面倒だからどこかの卒業証書をコピーして偽造するかもしれない。
そんなもんだろう。
ばれたら「ああ、すみません」だろうな。

しかし本当に自信がない。

入院

 日曜日から入院している。
というのも大腸にポリープがたくさん見つかって
その小さいものは二か所の病院で取ってもらったのだけど
大きなものが残っていてそれが癌になる可能性がある
ということで取ることにした。
それが大きな病院でないとできないとかで
横浜市大病院のある八景島のそばにいる。
手術は昨日終わった。
眠りにつく瞬間を覚えておこうと思いずっと
注意していたけれど、気が付いたのは病室のベッドだった。
ずっと昔に全身麻酔で手術した時は、その瞬間を
おぼえていた。
手術台のある部屋の電気が真っ白に光って
その後は、病室に向う廊下の天井だった。

そんなわけで、日曜日から何も食べていない。
それよりも、ずっと点滴がぶらさがっているのがうっとうしい。

6/28/2025

「君が代」の話

聞くところによると小学校の音楽に授業で
先生が校歌のプリントを配りそれを音楽の教科書の
「君が代」のページに貼る様に指示したそうだ。
私の時代にはそういうことは無かった。
何時頃までそれをやっていたか定かではないが
1990年生まれの人が小学校でやったと言っているので
2000年頃まではやっていたのだろうか?
それ以降のことはわからない。

私も一応左翼の翼の根元の方の小さな1枚のつもりだが、
この話を聞いた時「それはダメだろう!」と思った。
「君が代」云々の前にそのやり方は戦時中の軍のやりかた
を彷彿とさせる。
目障りだから紙で覆うというのは全く愚行だ。
それを日教組が指示しているとしたら頭がいかれてる。

もしも君が代に問題があるなら、
君が代を見せることで問題意識を持たせるべきだろう。

・・・と思ったりする
 

6/24/2025

子供の頃信じていた間違い

 って言うのは数多い。
さっき思い出したこと。
一番速いのは何か? っていうことを良く友達と話した。
結論として頭で考えたことが一番速い、
ということになったと思う。
たとえば何かが光ったらそれに反応して機械が動く、
とかだけど、どんな速い機械でも
頭で「光った!」と反応するのがずっと早い。
ほとんど瞬間だから。

ということだけど、今だからわかるけど
目から脳まで信号が届くのには結構時間がかかっているはずだ。
一瞬どころかミリ秒単位でかかっているように思う。

6/18/2025

デジャヴュなこと

 今に始まったことではないのだけど、
何かしている時に頭の片隅に映像が浮かび
「あれ?これいつだっけ?」と思うことがある
昨日はキッチンでタマネギを切っているときに
ずいぶん前に見た(ここの)家の夢を思い出した
都筑に住んでいた時はとにかく家が狭かった。
せまいところに3人、あるいは4人で暮らしていたから
よく広い家にいる夢を見た
使っていない部屋があったりした
そこの部屋をみつけて
「ああ、この部屋を自分の部屋にしよう」と思う
その時の部屋の感じと窓からの太陽の光
それが今いるこの家の感じだった
その夢を思い出した

タマネギを切りながら
頭の隅にはっきりとその光景を思い出した

6/12/2025

思い出したこと

どうもこの前からちらちらと女性の顔が浮かぶ。 
それが誰だったのかわからなかったのだけど、思い出した。
「つみきみほ」という女優だ。
その名前を直接思い出したわけじゃない
思い出した断片を調べてみたらその名前だった

だけど記憶していてちらちらと浮かんできていたのは
彼女の写真だった。
笑ってはいないが静かな目つきの清純な感じだった
その写真?を私は持っていた。
それをどこで撮ったのか思い出せなかった。
またどうしてそれを持っていたのか?わからなかった

それで誰だかわからないその記憶の中の人を想い出そうとしたら
ひとつの映画を思い出した。
「桜の園」という映画だ。
「そうだあの映画の中の人だ」と思い出し
映画の配役を見ていて「つみきみほ」だと思い出した。
そうだ!それだ!
と思い、アマゾンプライムビデオで検索したら無料で全編
見れる物があったのでそれを見た。
しかし、その映画に出て来る彼女の顔と記憶のそれとでは
かなり違いがある。
私の記憶の中の写真の顔は出てこない。
だけど彼女であることは確かだ。

それで彼女の名前で画像検索したけれど、記憶の中の
顔は出てこない。
何処かの映画だろうと調べていたら、突然思い出した。
映画じゃない!テレビだ!
それで彼女の出ていたテレビ番組名を調べてみた。
ところがかなりたくさんの番組に出ている。
順々に調べていたら記憶に引っ掛かったものがあった。
片岡鶴太郎だ。一緒に出ていた。
それで「説教強盗」という短編のドラマだとわかった。

そこまでわかるとかなり鮮明に思い出した。
昔(1991年らしい)ドラマを見ていて彼女が気になって
ポラロイドカメラでテレビを写した。
その写真だった。
あのポラロイドまだあるだろうか?
そのドラマもVHSで残っているらしい。
オークションにあったけれど高くて買う気はおきない。
またどこかでみる機会があるだろう。
その時になんで写真を撮ったのかわかるだろうきっと

追記:
写真が見つかった。
これはビデオプリンターで出力したものだ。

そのビデオプリンターってどういうものだったろう?
思い出せない
検索しても出てくるのは見覚えの無い物ばかりだ。
家に持っていたはずなんだけど
葉書サイズの印画紙をどこかにセットして印刷するものだった はず





ドラマの内容は全く忘れた。












謎の現象

 ひょっとすると謎ではないのかもしれないけれど、
以前妻と手例を見ていて不思議に思う現象があった。
それは二人ともテレビを見ながらスマホを見ていた時のこと。
私がテレビ画面の何かの商品を話題にして話しかけた。
彼女は相変わらずスマホをずっと眺めていた。
しばらく(たぶん数分)したら私のスマホ画面にその話題にした商品が
ポップアップした。
あれ?と思ったけれどその時はあまり気にしなかった。
そして全く別の日に今度はテレビは付けていない状況で
お葬式のCMについて話をした。
すると数分後にそのCMのポップアップがスマホに出た。
これは絶対おかしいと思い妻にその話をした。
すると「なんかそういうことあるらしいわよ」と言う。

また、私がずっとメール交換をしている人がいるのだけれど、
その人とのメールの内容で私が高校時代の久美子さんという女性の
ことを書き、先日行ったライブの女性シンガーも久美子さんだった、
ということを書いた。
するとそのメール相手は「私の従妹も久美子っていう名前なの」と
いうことを書いて来た。
それから1週間もたたないうちにフェイスブックに
「知り合いかも、**久美子さん、・・」
というFBからのメッセージが来た。

久美子っていう話はフェイスブックではしていないし、
メール(電子メール、 独自のアドレス)の中でしかしていない。
なぜわかったんだろう?
と考えると、メールの内容を読んで何かの参考にしているのだろうと思う。
先のテレビの話は文字ではなく言葉でしか言っていない。
だから私のスマホ(アンドロイド)か妻のスマホ(iPhone)のどちらか
あるいは両方が話を聞いているとしか思えない。

よく聞く話だけれど、
「今私が言ったのと同じことテレビ画面で言ってた」
っていうのもひょっとすると偶然ではなく
人の話を聞いていたのかもしれないと思うようになった。






6/02/2025

1980年の私がスマートフォンを見つけたら

 ちょっと考えてみた。
1980年だからね。
1970年だともう全くわからないだろうね。
80年だともうCDも見てるし、HPの電卓とかプログラムできるものもあった。
だけどこのツルツルの平らなガラスか?っていうのはどうだろう?
とりあえずさわってみてツルツルだと確認するだろうな。
つまり何か押すところは無い。
次にサイドだけど、押せそうな部分がいくつかあるから押すだろうね。
押すと画面が明るく光るからびっくりするだろうね。
しかも小さな文字が出て来る。
当時ここまで小さな文字の表示器は無かったと思う。
電卓のセグメント表示くらいかな?
とりあえず私はHP電卓のLEDセグメント以上に小さな表示器
を知らなかったと思う。
だからたぶん「この文字は印刷されているのだろう」と思うだろう。
そして画面背景の白く光ってる部分はどう思ったろう?
テレビ画面は白い画面は出せたけれど、この薄さのCRTは無理だ。
FLの平面照明はあったような気がするが、こんなに白く明るくはなかった。
だから特殊な蛍光管がどこかに仕込まれていると思うだろう。
そうこうしているうちに着信があって振動し始めたらどうだろう?
かなり焦ると思う。
爆発すると思うかもしれない。
とりあえず2,3メートル飛びのくと思う。

鳴りやんでから見に行くと画面に「・・・着信がありました」とか表示される。
そこでやっとこれは電話か無線機だろうと思うだろう。
でもセキュリティーのパスワードを請求されたらそこで
だめだろうな。
それ以上なんともできない。

仮にパスワード無しで立ち上がったとして、
あと何ができるだろう?
スワイプはおろか画面タッチ操作が出てくるのは確か85年頃だ。
だからアイコンに触るとアクセスできるということに気がつくのは
時間がかかるだろうな。
何かのアイコンにふれてアプリが立ちあがって初めてその意味が
わかるかもしれない。

だいたいアプリという概念が無かった。
オブジェクトだってもう少し後だ。
当時のパソコンは自分でコマンドを打ち込まなければいけなかった。
それでも画面に電話のマークがあることには気がつくだろう。
それに触れてプーという音とテンキーがでたら電話ができるらしい
ことはわかるはずだ。
どこかに電話してみて、昔の受話器のように持つことはできるだろう。
そしてこの小さな薄い板が電話機だとわかるだろう。

しかし、インターネットはまだ無いから・・・
いやちょっとまて、スマホの信号に対応した電話回線が無いから
電話はできないだろうな。
むしろスマホがパルス出力できて電話回線につなぐことができないとだめだ。
このUSB-Cのコネンクターのとこに旧一般電話回線用のUSBアダプター
をつけないといけない。

そんなものは無い。
だんだんばからしくなってきたからやめよう。


















5/28/2025

夢を見た

朝方夢を見た。
短い夢だった。
たぶん1分くらい

会社の事務所が変わった
新しい事務所に引っ越した最初の日
部屋に入ると机がいくつか並んでいて
新しいビルなのでみなピカピカだ
机の向こうはまだ何も無いフロアーだけ
結構広い
そこを取り囲んでガラス窓というかガラスの壁が3方を囲んでいる
ガラスの向こうは街が眼下に見える
たぶん20階くらいの高さだ
太陽の光が部屋に満ちていてまぶしいくらいだ
私はまるで新入社員のように恐る恐る机に向かうと
神津さん(社長)が机に座っていて
「そこだよ」と神津さんの隣の机を指さす
その机の上に段ボール箱が乗っていて
その中に前の事務所の私の私物が入っている

そこで目が覚めた
とても懐かしい感覚がした
そうだ、神津さんと会社を始めた時だ
目黒の屋根裏部屋のような部屋だった。
まどから太陽の光が差し込んでいて
部屋はきれいで明るかった
部屋は3階だったけれど
あれのデフォルメだ

考えてみると神様のような人だった神津さんは
鉄道会社の御曹司なのにわざわざ自分で会社をやっていた
根っからの技術屋だった。
その人が私と二人で会社をやろうと言ってくれた
最初は2人だったけれど、最後は15人くらい社員がいた。
そこで解散した。
私はまた一人で仕事を始めた。
だけどあの時神津さんがいなかったらどうなっていたことやら。
ほんとうに世話になった人だ。

5/22/2025

なぜ不思議に思わなかったのだろう?

 この前まで高校の数学の本を読んでいたけれど、
ちょっと飽きてきたので今度は高校の化学の本を読んでいる。
化学も数学に負けず、改めて考えてしまうことが結構ある。
一番面白いと思ったのは物質の原子量だ。
例えばリチウム(Li)の原子量は6.941だ。
私は当時、この数字が整数でないことを疑問に思わなかった。
「まあ、計ってみるとそういう値なんだろう」としか思わなかったと思う。
だけど普通に考えたら整数でないとおかしい。
陽子と中性子の数の和なのだから。
陽子3個+中性子3個で原子量は6だ。
同位体があるから中性子が4個のものは原子量7だ。
これの存在比に基づく平均値が6.941になる。
同位体はこのくらいの比率で存在するからそれぞれを
足して平均するとこういう値になる。・・・ということで
納得していいのだろうか? とは思わなかったのだろうか。
いやそんなことは1mmも思わなかった。
原子量と言っているのにそんな適当な数字でいいのだろうか?
と思って欲しかった。
そう、つまり原子量6のやつと原子量7のやつを別々に
計算して最終的に存在比で、現実的にはこういう値になります。
とか(むだな)計算をして欲しかった。

このことだけを考えても、高校の勉強はただ覚えて、
何も疑問も持たずに解法だけを学んできたと言えるだろう。


5/16/2025

花輪が亡くなった

 突然だったな。
ついこの前電話で話したばかりだったから。
お通夜にも行った。
学校のクラブの連中15人ばかりと居酒屋で大騒ぎした。
ジジババが大迷惑だったと思う。

花輪は初めて会ったときから真面目なやつだった。
学校ではそんなに親しかったわけじゃないけれど、
笑った顔を思い出す。
彼も三鷹だった。
三鷹の北口方面。
なぜか一度彼の家に行ったことがあった。
あれはなんで行ったんだろう?
思い出せない。
電車では一緒に帰った記憶はあまりない
だけど何度かは一緒に帰ったと思う

もう4,5年メール交換をしている当時一志さんという名前だった人
がやはり三鷹だった。2年下だったので話したことは無かった。
その人がもうずっとメールをくれる。
一志さんは三鷹だったので私がクラブを抜けた後、
花輪と三鷹まで一緒に帰っていたそうだ。
この辺のつながりはちょっと不思議だ。
彼女にも花輪が亡くなったことを伝えた。

花輪はコンガを送ってくれることになっていた。
先日お通夜で奥さんが、宅配の伝票を貼ったままになっているので
送ってもいいですか?と聞かれた
ぜひ送ってください、と言ったが。
そういう場だったので、着払いにしてくださいとか
手が空いた時でいつでも結構です、とか
言えずじまいだった。
申し訳ない。

お通夜は葬儀場がマスク着用だったので
みんなマスクをしていた。
白髪でマスクをすると誰が誰だか全くわからない
「ああ!」と挨拶したのは式が終わってからだ。

その後居酒屋で飲み食いしたのだけど
案の定話をしたかった吉野はその前に姿を消した
いつものことだ
もうずっとそうだった


5/05/2025

横須賀中央で事故

 今日の夜から妻が旅行に行くので昼は一緒に食事しようと思って、
近くの鳥ぎんに行こうと思った。
行ってみたら予約客でいっぱいだった。
それですぐに折り返して横須賀中央の鳥ぎんへ向かった。
その間たぶん数分だと思う。

横須賀中央に向かう道に入ったら車列が止まってしまった。
みんなUターンしている。
私も先まで行ってUターンしたら、その先に車が5台以上
道路の真ん中に止まっていた。
バスやバイクもいた。
帰ってきてニュースを見たら8台がからむ事故だったらしい。
ほんの数分の差だった。
直接横須賀中央の鳥ぎんに向かっていたらちょうどだったと思う。
飲酒運転の暴走だったらしい。
あぶなかった


4/30/2025

病院行ってきた

 結局この前のポリープのことでほっといたら病院から電話が来た。
来るように言われた。
行くとこの前の検査で見つかった大きなポリープは手術した方がいいと。
それで横浜市立大学を紹介されて行ってきた。
確か30年くらい前に目のこと(緑内障)で行ったことがあった。
その時は知り合いの先生がいたので紹介状も無しで行った。
今回は横須賀のタワークリニックという病院からの紹介状だった。

先生と話をした。
タワークリニックはポリープは取った方がいいと、しかし
歯科大学の先生は癌じゃないので取る必要が無い、と言っていたことを
伝えて、どう判断したらいいかを聴いた。
横浜市大の先生は「とらなくてもいい理由が無い」ときっぱり言って
とる方を勧めてくれたので取ることにした。
6月に手術だ。

その30年前の緑内障のことだけれど、
生まれつきのようで進行はしていない。
時々自分でも調べている。
さっきたまたま見た写真
だけれど、この月の右下の星を見つめると左上の星は見えない。
目を動かすと見える。
それで最初動画だと思った。
後から左上が見えてきているのだと思った。
だけどこれは緑内障で見えない部分があるための現象だ。
時々こういうことがある。




4/17/2025

駐車した場所

 を間違えて他の車の駐車料金を払ってしまった、という話がネットに
載っていたが、それはいつも注意している。
駐車場所の番号も気を付けている。
ということで思い出したことがある。
たぶん80年前半だったと思うけれど、御茶ノ水の神保町、靖国通りに
車を駐車して(路上駐車)本屋に本を買いに行った。
神保町の交差点からも見えるところだった。
当時はまだ路上駐車に今ほど厳しくなかったから、それは普通だった。
それで本屋から戻ってみると車が無い!
あれ?と思って少し先まで見たけれど無い。
「ああ、持って行かれたか!」と思って一ツ橋の方の交番に行った。
「持って行かれたみたいなんですが、どこに行ったかわかりますか?」
と聞いた。
すると、その日は駐禁の取り締まりはしていないとのこと。
「場所、間違えたんじゃないの?」と言われた。
しかたないのでまた神保町の交差点まで行った。
するとなぜか目の前に自分の車があった。
すごくよく見える所に置いてあった。
ちょっと驚いて車の周りを見たけれど異常はなかった。
今でもあれは不思議な出来事だと思う。


4/12/2025

パーフェクト・デイズ

 ヴィム・ヴェンダース監督のこの映画を観た。
何も起きないのがいい。
全編を通して出来事と言えるものは3つくらいしかない。
ほとんど知り合いでもない女の子から突然頬にキスされる。
トイレの壁の隙間に〇☓ゲームの紙を見つける。
前妻との再会。
それ以外はどうでもいい。
「ああ、観てしまった」感は否めない。
何だっけ前に見た洋画で同じようなのがあった。
ここにも書いた。
忘れた。
何だっけ?過去の記事を探せばわかるのだけど
面倒だ。
パリ・テキサスだって同じようなものだ。
あれは最後のところに失望した。
何も無くて良かったのに。
「ああ、観てしまった」と思った。

それでPerfect daysのその3つの出来事の内
一番良かったのは、
〇☓ゲームも良かったけれど、
一番は女の子のキスだ。
これはちょっと衝撃だった。
たぶん0.3秒くらいのシーンなんだろうけど、
思わず再生を戻して見直してしまった。
あれはいい。
その後、それについて何の続きも無いのがいい。
その一瞬で終わりだ。
あのあと何かその展開があったら台無しだったと思う。
その続きは主人公の微笑みだけだった。




4/05/2025

耳の続き

 原因と思われることがわかった。
音が小さくなると音程が高く聞こえるということは、
耳の音を感じる繊毛が老化して先端部、つまり小さな音を聴く部分
の柔軟度が落ちているのだと思う。
つまり先端が固くなっている。
だから同じ長さでも高く振動してしまう。
そういうことなんだと思う。
テンポが速くなる理由はわからない。
これは耳だけでなく、脳の方の問題だろう。

明日は誕生日だ。
何度目だ?
75回目だ。
明日からめでたく後期高齢者だ。
なんかいいことあるのか?



3/23/2025

耳鼻科には行かなかった

 どうもいろいろなことを合わせて考えると、
今に始まったことではないとわかってきた。

まず最初の疑問は、ピンクフロイドのThe Great Gig In The Skyの
一番最後のところ。音がフェードアウトしていくところ。
最後のところで音程が少し上がってまた元に戻る。
これは皆全員がそういうふうに聞こえるだろうか?
今再度確認したけれど確実に少し上がってまた戻っている。
そのことをずっと以前に掲示板で聞いてみたことがある。
だけど誰もそういうふうには聞こえない、ということだった。
だけどそうなんだろうか?
こんなにはっきりと音程が変っているのに。
もしそれが私だけそう聞こえるというのなら、それを認めよう。

次はヘッドフォンだ。
ヘッドフォンを両耳した状態で何かの曲を演奏して録音する。
それを聴いてみる。
最初から最後の近くまでは全く違和感なく聞こえる。
問題は最後のところだ。
フェードアウトして音が消える直前、やはり音程がわずかに上がる。
この場合は戻らない。
上がったまま終わる。

それを今度は録音しないで、例えばギターのストラムでジャランと弾いて
余韻を聴く。
するとやはり音が消える直前で音程が少し上がる。
これは音がある程度大きい場合は起きない。
音が小さい場合に起きるようだ。
ギターの1弦をピーーンと弾いてみても同じだ。
音が小さくフェードするところで上がる。

ひょっとするとこれは今に始まったことではないように思う。
ずっと以前から、気がつかなかっただけなのではないだろうか?
もうずっと以前にギターをマイクを通しておとを聴いていた時、
音が消えかけた時に音程が上がるので、ギターのネックを押さえてしまった、
と思ったことがある。
あの時すでにこの症状があったように思う。

この症状は大きな音で(ヘッドフォン)で聴いていた後に
起きやすい。つまり耳への音のダメージでこれが起きるようだ。
もうあまり耳を酷使するのは良くないということか。
ロックバンドのライブなどはだめだろうな。

もう一つの症状、テンポが速く聞こえるというもの。
これは不思議としか言いようがない。
音程の方は、まあそういうこともあるか、とは思う。
でもテンポが変わるのは理解できない。
理解できないけれど、右耳だけで聴いてみると確かにテンポが速くなる。
それって、時間がおかしくなってない?と思う。

つまり音程が高く聞こえるためにテンポが速くなったように聞こえる、
ということなのかもしれないが、リズムをとりながら聴いても
確かにテンポが速いのだ。
これは不思議な感覚だ。
幻聴、幻覚の一種かもしれない。
経験したことが無いときっと理解できないだろう。
例えば絶対にありえない物が目の前に現れた時の感覚だ。
それを手で触って見てもそこに確かにある。
しかし絶対にあり得ない物なのだ。
あり得ない音や声が聞こえる時、耳をすまして良く聴いても
確かに聴こえる。だけどその音の元はそこには無い。
そういう時の感覚だ。

テンポが速く聞こえるのも、早くなっているわけがないのに、
左からの音は正しいリズム(テンポ)で聴こえるのに、
右耳からは早いテンポで聴こえる。
アシッドでもやればそういうこともあるかもしれないけれど、
そんなものはもう遥か昔のことだ。
ひょっとするとフラッシュバックなのか?
いやそれは無いだろう。
呼吸も心拍も視野も正常だ。
ただ右耳だけがおかしい。

右耳だけテンポが速くなるということは、
右耳の音の処理、認識が遅いということだろう。
なぜ右耳で聴いた時だけ音の処理、認識が遅いのだろう?

タイムマシンがあって、自分の時間の流れが少しずつゆっくりになったら、
外界の時間の流れはどんどん早くなって行く。
つまり自分は1秒しか経っていないのに、
外では数時間が過ぎている。
そういう状態なのだろう、きっと、耳と頭の中では。

これはやはり脳の問題だ。