10/04/2025

原子心母とクレイジー・ダイアモンド

 1970年の10月5日にPink FloydのAtom Heart Motherが
リリースされた。それからちょうど55年目が明日だ。
さっきどこかのFBにシド・バレットのことが投稿されていた。
彼が亡くなる6カ月前にファンが彼の家を訪ねたことがある。
と書かれていた。
そういうこともあっただろうな、と思う。

その投稿に気になるコメントがあった。
その記事がすぐにいなくなってしまったので正確には書けないが、

シドがいたらああいう素晴らしい音楽はできなかっただろう。
彼はバンドの足手まといだったのだから。

という内容だった。
そうだろうか? 確かに彼の音楽性は他のメンバーとは異なっていた。
原子心母以降の音楽にシドが入る余地は無かったと思う。
しかし問題は彼の存在そのものなのだ。
彼の存在がその後の音楽全てに影をおとしている。
それは誰も否定できないはずだ。

ある日バンドの練習のためスタジオに車で向かう途中
誰かが「今日はシドを拾うのはやめよう」と言った。
その日からバンドにシドは居なかった。
誰がそう言ったかは明記されていないが、その時の状況
からしてロジャーだと思う。
デイブはまだバンドの新人だったのだから。
シドの代わりにデイブがメンバーになったようなものだし、
リックもニックもそんな非情なことは言わないだろう。

その時からバンドはシドに対して負い目を持つことになる。
シドは確かに薬中だったし精神状態もおかしかった。
しかしそんなにひどいやり方でバンドから外されるとは
思っていなかっただろう。
バンドの練習に一人だけ呼ばれなかったら、どんなに悲しんだろう。

思うに音楽性などよりも彼の存在がバンドには必要だったと思う。
演奏も歌も歌わないにしても、そこに彼がいて欲しかった、のだと思う。
そうすれば彼の悲しみをずっと後まで引きずることもなかっただろう。
そして、その後のバンドの曲の歌詞にはシドが幽霊のように現れる。

ある日バンドの練習スタジオに予告も無しにシドが来たことがあった。
シドはドラッグによって以前の姿を全くとどめておらず、
最初にスタジオに入ったロジャーもその人が誰かわからず、
デイブに彼は誰かを訪ねたそうだ。
デイブはそれがシドだと伝えた。
ロジャーはそのあとずっと涙が止まらなかった。
シドは何も言わずにスタジオを出て行った。

恐らくそのシドの姿はメンバー全員の心の中に残ったと思う。
だからピンク・フロイドの音楽にはシド居るし、
シドが必要だったんだと思う。