8/25/2025

アンビエント音楽

というのがYouTubeとかに多いのだけど、
「音楽」なんだろうか?
・・・ということはエレベータ音楽のとこに書いたような気もするが。
つまりシンセにきっかけになる音を与えて、それを勝手に繰り返している音に
他の音を重ねて”あたかも”曲のように仕上げているのだけれど、
”音”ではあるけれど、”音楽”だろうか?
それはまだ自分でノブを操作したりしているから”自作”ではあるけれど、
最近ではドローン・シンセとかいうのがあって、
もう勝手に音を出して”あたかも”それらしい音楽風に音を出せる。
そうなるとそれは機械のノイズでしかないのではないだろうか?

と言うのは序章なのだけれど、
アンビエント音楽という”あたかも”音楽”っぽい音は
あれは”音楽”なのだろうか?
シンセを使わずともそれらしい”音”は作れると思う。
しかし”音”だ。それは。
と書いたところで「ミュージック・コンクレート」のことを思い出した。
ミュージック・コンクレートを生み出したピエール・シェフェール自身が
後年「あれは無駄だった」とか言ってるらしいが、
作品を聴いた感じではあれは”音楽”だと思う。
楽器の音が生音に代わっただけで、あれは十分音楽のように思う。
スタンリー・キューブリックがそれを”ごみ”と言ったらしいけれど、
そういうならリゲティの「レクイエム」だって十分”ごみ”だ。
なぜリゲティーをあの映画に使った?

ドローンシンセ音楽やアンビエント音楽はゴミだが、
ミュージック・コンクレートは音楽だと思う。
あれがだめなら絵画のコラージュもゴミだ。
ポロックの絵なんかゴミ以下だ。
だけどコラージュは「絵画」だと思うし、ポロックも絵画だと思う。

なぜならそこに作者の感情や思いや行為が凝縮されているから。
ミュージック・コンクレートもそう。どの音をどういう風に組み上げるか
作者はそれを考えて構成しているから。

だけどアンビエントもドローンもほとんど機械任せだ。
あれこそ「ごみ」だと思う。

・・・ああ、アンビエントはそれでもまだ少しましかもしれない。