11/28/2019

50年ってどのくらい? (1)

あえて書いていなかったけど、10月に同期会があった。
一人でも行くかどうか考えたのだけど、ひょっとしたら誰か来てるかも
と思って行くことにした。
仙川の駅前のビルの上のレストラン?か? 飲み屋みたいなレストラン。
行く前に学校に行ってみた。
工事をしていた。
歩いて行く時にも誰かが写真を撮っているのが見えた。
遠くから見てたら他にも写真を撮ってる人がいた。
きっと同期会に行く人だ、と思った。
思ったけれどどう見ても老人だ。
いや、そういう年齢なんだろう。
駅に戻る時にも何人か学校の方に向かう人(老人)をみかけた。

その前にバス停から学校までこんなに遠かったんだろうか?と思った。
商店街も商店街としてあったけれど、長いなと思った。
途中のお店は全く見覚え無い。
パン屋さんがあったはずだけど、どうも無くなっているようだった。
ずっと見て歩いたけど無かった。
あればパンを買って帰ったのに。

同期会の会場に行くとすでに10人くらい来ていた。
受付のフジシロ君は僕をわかってくれた。
中に入ると、あたりまえだけど、誰もわからない。
適当に誰かに話しかけると「いや、私も誰もわからない」と言っていた。
しかたないので壁のとこで始まるのを待っていた。
隣に女性がいた。
名札を見ても全く知らない。
「全然わからないねえ」と話しかけたら、
「うーーん、わからない」と言っていた。
しばらくその人と話していたけれど、学校で同じクラスにはならなかった
みたいだ。
そうこうしているうちに人が集まってきて(相変わらずだれもわからない)
先生もみえた。
伊東ちゃんと前島先生だ。
全部で70人来たらしい。
会食会が始まって、僕が知ってる人を何人か見つけた。
竹中と反町と秋山と臼田だ。
問題はここからで、この4人、僕はよく覚えているのに
向こうは覚えていない。
反町君は小学校から一緒だったので、さすがに名前は憶えていてくれた。
お店の部屋が2つに分かれていたので、しばらくしてから別の部屋にも
行ってみた。僕の名札を見せて「覚えている人いる?」と聞いてみた。
だれも知らないと言った。
しかしあとで名簿をみると3年で同じクラスだった人もそこに何人か
いたはず。

じゃあ、先生はどうだろう?と伊東先生のところに行った。
先生も全然僕のことは覚えていなかった。
それじゃあ、と思い、先生が授業で教えてくれた「くまのプーさん」
の副教材のことを言ってみた。
先生は驚いた様子だった。
僕らの後の教育方針で副教材は使えなくなったらしい。
それで僕がその時の授業のこと、どんな紙に書かれていたかとか、
どんな風にそのプーさんの授業をしていたかを話した。
先生は「それはうれしいことを聞いたなあ!」と言って、
学校教育の問題についていろいろ語っていた。
(・・・なぜか書けなくなったので別のページへ)