2/24/2016

夢の話ほどどうでもいいものはない

夢を見た。
短いけれど長い夢だった。

地下鉄に乗っていた。
ドアが閉まって走り出した。
ドア窓から外を見るとドアの下に大きな機械が出ていて
それが線路の柱にぶつかって曲がった。
それと同時にドアが曲がって室内に膨らんだ。
私の右足がそれで踏まれて動かなくなった。
落ち着いてはいたけれど、
「だれか電車を止めてください」と言うと
電車は止まった。
でもすぐにゆっくり動き出し
次の駅で止まった。
その時には私の足は外れていた。

地下鉄を降りて歩いていると、
私の後ろを歩いていた女の子が
私のカバンから顔を出していたカラーペンの束を
つかんで1本ずつきれいに束ね始めた。
「これじゃだめよ」と女の子が言った。
一緒に歩きながら女の子は色別にきれいに
束ねて私に返した。
「こういうのってすぐにごちゃごちゃになるよね。」
「うちの娘もそうなんだ」と私が言った。
一緒に駅から歩いていると、
女の子は左側の坂道をすたすたと降りて行った。
私は右側のものすごく急な階段を手すりにつかまって
すべる様に降りて行った。

下でまた一緒になって、何か話しながら歩いた。
女の子は私の左腕につかまって歩いていた。
懐かしい感じだった。
お寺の境内を通って、
右に曲がると平屋の都営住宅のような家が並んでいた。
女の子はその一番手前の家の玄関を開けた。
中から小さな子供達が3人出てきて迎えた。
私は少し離れたところからそれを見ていた。
女の子は両手で私にバイバイと言っていた。

私はまた元来た道を駅の方に帰ろうと思い
歩き出したが、景色がどうも見覚えがない。
向こうの大きな家の屋根がうちわのように
ばたばたと開いたり閉まったりしていた。

そっちじゃないなと思った。
「そうだお寺を通ったじゃないか」
と思い出し、右手の方に向かった。
お寺の門が見えた。

目が覚めた。

2/16/2016

Old Barns And Old People

Jackさんが亡くなってから久しいけれど、今日YouTubeのトップページにJackさんのビデオの
紹介が出ていた。これは知らないなあ、と思いクリックしたらこの詩の朗読があった。
この詩がそんなに有名なものだと言う事も知らなかった。
とてもいい詩というか、いいお話しだと思う。
これはきっとJackさんからのプレゼントだと思う。


A stranger came by the other day with an offer that set me to thinking.
He wanted to buy the old barn that sits out by the highway.
I told him right off he was crazy.
He was a city type, you could tell by his clothes, his car,
His hands, and the way he talked.
He said he was driving by and saw that beautiful barn
Sitting out in the tall grass and wanted to know if it was for sale.
I told him he had a funny idea of beauty.
Sure, it was a handsome building in its day. But then, there's
Been a lot of winters pass with their snow and ice and howling wind.
The summer sun's beat down on that old barn till all the paint's
Gone, and the wood has turned silver gray.
Now the old building leans a good deal, looking kind of tired.
Yet, that fellow called it beautiful..
That set me to thinking. I walked out to the field and just stood there,
Gazing at that old barn.
The stranger said he planned to use the lumber to line the walls
Of his den in a new country home he's building down the road.
He said you couldn't get paint that beautiful.
Only years of standing in the weather, bearing the storms and
Scorching sun, only that can produce beautiful barn wood.
It came to me then. We're a lot like that, you and I.
Only it's on the inside that the beauty grows with us.
Sure we turn silver gray too... And lean a bit more than
We did when we were young and full of sap.
But the Good Lord knows what He's doing.
And as the years pass He's busy using the hard weather of our lives,
The dry spells and the stormy seasons to do a job of beautifying
Our souls that nothing else can produce.
And to think how often folks holler because they want life easy!
They took the old barn down today and hauled it away
To beautify a rich man's house.
And I reckon someday you and I'll be hauled off
To Heaven to take on whatever chores the Good Lord
Has for us on the Great Sky Ranch.
And I suspect we'll be more beautiful
Then for the seasons we've been through here...
And just maybe even add a bit of beauty to our Father's house.
May there be peace within you today.
May you trust God that you are Exactly where you are meant to be.
And I do sincerely Thank God for my wonderful friends and
Family who care about me even though I show signs of weathering!

2/14/2016

光速度はなぜ有限なのだろう?


考えてみると光の速度はなぜ有限なのだろう?
光にしろ何にしろ無限の速さで良かったのではないだろうか。
それはこの宇宙の構造を露呈していることにならないだろうか。
つまり前から書いているようにこの宇宙はハードウェアであり上位宇宙の
プログラムで動いているということ。
そうでなければ物事は瞬時に変化してよさそうに思う。
なぜ1光年の距離にある星の光は1年もの時間をかけてやってくるのだろう。

考えてみると、この宇宙はパソコン初期のクロックが1MHzくらいの頃のマシンの
速さのようにさえ思える。
つまり130億年まえの出来事が今やっとここまで届いているのだから。
なんでそんなに遅いんだろう?

火星探査衛星を遠隔操作しているNASAの人達はきっと思ってるに違いない。
この宇宙の能力は低すぎると。

光がこの世界で一番早いと言うが、その一番早いものがなんでそんなに遅いんだ。
だいたい変だろう?

やはり時間というものは無いのではないだろうか。という寝言の続き

時間というのはやはり只の概念でしかないと思う。
確かに物理では時間を含む公式、法則がある。
しかしあれは時間という概念を計る時計が示す数字によって
変化する事象を数値化しただけではないだろうか。

例えばt1からt2まで速度vで、どこまで位置が移動するか?
というのは時計がt1からt2に変わるまでにどこまで移動するか
ということだけれど、t1からt2は時間の流れだろうか。
「流れ」と考えるとt1はt2から見て「過去」ということになる。
しかし時間t2になった時t1の時点の状態はもう無い。
時間をt2からt1に戻すと考えるのは思考の上だけのことだ。
t1の状態はこの世のどこにも残っていない。

たぶん時間とか過去とか未来というのは幻想だと思う。
過去は記憶の中にしかない。
あるいは映像や音の記録のなかにしかない。
記憶も記録も状態の変化を記録したものでしかない。
決して時間を記録しているわけではない。

あるのは「今」という瞬間だけだ。
今は放っておくと色々なものが変化する。
ほっておくとあるものは拡散し、あるいはエントロピーは増大し、
量子の存在確率は変化する。
そのほっておく度合いの尺度として時間がある。

数式上は時間をt2からt1に戻せばそのものがt1であった状態に戻るが、
それは数値上のことであり、時間が戻ったわけではない。
数式上は時間を戻すとエントロピーは減少するけれど、本当は
時間の数値を逆にしてもエントロピーは増大するのではないだろうか。

前にも書いたけれど、シュレディンガー方程式が正しく、また時間対象
であったとすると、t2からt1に戻しても元には戻らない。
逆向きにしても状態は正の方向と変わらない変化をするのではないだろうか。

その前に、「時間」というのは幻影であり、あるいは頭の中の概念でしか
ないのではないだろうか。
と改めて思う。

2/10/2016

※そうだ、もう一つの可能性だ

もう一つは、時間の次元は1つではなくて2つ以上ある場合だ。

もしもこの世界が2次元の世界だった時に、3次元の空間を動いていても、厚さの無い
平面でしか見ることができないのと同じように、時間の次元が2次元以上あった場合、
我々はその断面しか見ることができないという場合だ。
それはちょうど我々が今という厚みの無い瞬間しか知ることができないことに類似している。

この場合、「今」という厚みの無い平面が過去から未来に向かう時間軸の中を進んで
いるようなものだろう。ちょうど映画館のスクリーンの向こうが未来でこっち側が過去、
スクリーンに映っている厚みの無い映像自体が現在ということになる。

しかし、その場合我々はその次元の最先端にいることになるだろう。
あるいは最先端でなく途中にいるとしたら過去も未来も決まってしまっているように思える。
運命論的な世界だ。そうでないとは言えないけれど、
まあ、だからいるとしたら最先端だ。
その場合は過去はその時間のもう一つの次元の中に延々と残っているのだろう。
膨大な世界が。

よく聞く話だけれど、「幽霊なんてのが居たとしたら、過去に一体何人の人が死んで
何人の幽霊がいるんだ?有りえないだろう」
という話があるが、YouTubeのフラクタル宇宙の映像を見ると宇宙はいくらでも入る
余裕があるように思う。
宇宙がフラクタル宇宙のようになっていたら、過去の世界もいくらでも残る余裕は
あるような気もする。


やっぱり時は戻らないと思う

昨日の続き。
もうひとつの可能性(※)はあるのだけど、それは置いといて、
昨日「上位宇宙のプログラム」と書いたけれど、このハードウェアとプログラムは
予め書かれたプログラムリストで動いてはいないように思う。
動くのは常にリアルタイムにその時その時の状態をプログラム(自然の法則)に
よって決められているように思う。
過去を動かしたプログラムというのは存在しない。
また未来を動かすプログラムというのも存在しない。
全てはいわばハードウェア化されたプログラムでリアルタイムに動いている。
その意味では前に書いたBIOSというのに近いと思う。

SFなどでタイムスリップとか言っているので、この世界はまるで歴史年表のようにできていて、
いつの時代も存在しているように勘違いしている。
この世界にあるのは今この瞬間だけだ。

もし、仮に過去に戻ることができると言うのなら、その過去の世界は一体どこに存在して
いると言うのだろう?
「時」はそんなに膨大な(いや大きすぎるが)全宇宙の過去のできごと全てをどこに格納
しているというのだろう。
映像ではフィルムやビデオでいくらでも記録して、また見ることができるからと言って
この世界も同じようには戻せないだろう。

深遠の宇宙の先には135億年くらい前の宇宙が見えるらしい。
でもそれは光のマジックであって、今現在その世界がどこかにあるわけじゃない。

やっぱり時は戻らないように思う。


2/09/2016

時間を逆にしても世の中逆に動くのか?

海外の科学番組で「時間を逆に進めることはできるのか?」「それは可能です」
と言っていた。
でもそれは違うような気がする。
時間自体はマイナスに進めることはできるかもしれないけど、
世の中は逆には進まないんじゃないかと思う。

なんとなく世の中は映画のフィルムあるいはビデオ映像のように出来ていて、
逆に回せば今まで起きた事象がそのまま逆に起きるように思っていた。
でもシュレディンガーの方程式が時間対象であるなら、時間を逆に進めた時は
また別の事象が起きるように思う。

前にもちょっと書いたけれど、この世界が上位宇宙のプログラムで動いている
ハードウェアだとすると、というか自然の法則は明らかにプログラムだから、
プログラムは時間を逆に追っては動かない。例えば、

単純に、
0001 LOAD A,B
0002 IF A>10 THEN GOTO 0006
0003 ADD A,5
0004 OUT P,A
0005 END        (ENDって何だ?ま、いいか)
0006 ADD A,1
0007 OUT P,A
みたいなプログラムでも、事象はステップごとに進むものだとすると、時間(プログラムカウンター)
を逆に進めたら、でたらめな動作になる。

たぶん世の中は光の速度をクロックとしてプログラムがステップ送りで進むようになっているのだと
思う。
そうだとすると、それと量子論とはどういう関係にあるのだろう?




2/05/2016

500 miles (I'm gonna be)

いまさらだけれど、昔の「500マイル」の歌は皆どんなふうにカバーしているのかと
YouTubeで検索してみた。
というのも昔はこの500 milesの"s"を皆発音してなかったろう?と思ったからで、
繰り返しのところは「ア・ハンドレッド・マイル・ザ・ハンドレッド・・・」と言う風に歌っていたはず
だけれど、その最後のA hundred milesのsは発音してなかったと思う。
また日本のタイトルは「500マイル」で、マイルズではなかった。

まあ、そんなことはどうでも良くなったのだけど、この500 milesで検索すると別の歌が出てくる。
日本ではあまり有名じゃない曲だ。
I'm gonna be 500 milesという歌だ。
私も知らなかった。
でも、歌を聞いたらとてもいい歌だった。

昔の500 milesがただ遠く離れているのを嘆くのにくらべて、この歌はなんて積極的なんだと思う。
この歌を作った人も当然昔の500 milesは知っていたと思う。
だから歌詞にわざわざpennyという言葉を使っているのだと(勝手に)思う。

歌自体は1988年の歌みたいだ。その後映画で使われてヒットしたみたいだ。

When I'm lonely, well I know I'm gonna be
I'm gonna be the man who's lonely without you
And when I'm dreaming, well I know I'm gonna dream
I'm gonna dream about the time when I'm with you


2/04/2016

時間対象性?

また寝言をちょっと考えた。

シュレディンガー方程式だけれど、時間項の付いた方、あの時間っていう項は何だろう?
ある時間tにおけるある系の波動関数を示すわけだけれど、
その波動関数の二乗がその存在確率を示す。
ある系に関して時間的に追っていくとその系がどのような挙動うするかがわかるはず。
つまりある時間tにおけるその系の存在は確率でしか表せないということだと思うのだけど、

それじゃあ時間項が負の場合はどうなんだろう?
どこかに「シュレディンガ方程式は時間対象性がある」と書いてあった。
とすると時間が負の場合もその存在は確率的にしか現れない。ということだろうか。

現在を時間ゼロとすると負の時間というのは過去のことだろう。
たとえば素粒子の挙動が未来だけでなく過去に対しても確率でしかあらわせないというのは
どういうことだろう?
過去はもう「確立」しているのではないのか?
例えば負の時間に対して二重スリット実験をやった時も同じように干渉を起こすのだろうか?
たぶんそうなのだろう。

そうすると過去というのも確定しているものではなく、未来に対するのと同じように
「不確定」のものなのだろうか?
過去に向かうタイムマシンは難しそうだ。

それよりも私の過ごしてきた過去というのは一体何だったのだろう?
私はほんの少し前の時間に、この数行前の文字を書いていたはずだけれど、
それもあやしくなる。

私が何年後かに大金持ちになる可能性と、私が何年か前に大金持ちであった
可能性は同様のものなのだろうか?

まあ、いいか。。

12/06/2015

量子論的宇宙の構造

             

SFの世界でこの宇宙が誰かのコンピュータの中で動いている架空の世界だという話があるが、
それはちょっと違うように思う。
というのは、それにしてはあまりに良く(現実的に)でき過ぎているし、バグも無いようだから。
まあ、その世界があったとして自分達はその世界のバグに気づくかどうか?という疑問は
確かにあるけれど。私はそういう構造ではないと思う。

ところで亀と象はけっこう辛いんじゃないだろうか

私が思うにはこの宇宙があるのは、こんな構造じゃないかと思う。
我々の宇宙は言わばハードウェアで、それをその外側の「もの」が動かしている。
その「もの」というのが自然の法則(物理、化学、もそもろ)で、これはBIOSにあたる
この宇宙を直接動かしている基本的な法則だ。
我々の宇宙は光速度を周波数とするクロックで動いているから、宇宙のどこでも
光速度を超えて動くことはできない。
自然の法則がなぜこの宇宙の外にあるかというと、前にも書いたけれど、世界の
どこに行っても同じ自然法則が成り立ち、因果律も同じように働くから。
どう考えてもおかしいでしょう、手元の乾電池でLEDが点くのは電流が+からマイナス
に流れる(ということになっている)から。しかし40cm離れた所とか10km離れたところ
では逆であってもおかしくない。それが同じ法則が働くのはこの世界の外側で
時空を超えて働いているからだ。(まあ、当たり前なのだが)

その上層にあるのがカーネルだが、これは、まあ、OSに例えればあるだろうという
くらいのもので、ようわからん。
その上にユーザーインターフェイスがあり神様がマウスとキーボードをカチカチやる
ためにある部分。実際に神様がやってるかどうかは不明。
まあ、こんな感じでしょう。
科学者がいくら研究してもこの青い部分しか解明できない。
その外側は神学者にでも頼むしかない。

ところで「量子もつれ」(Quantum entanglement)だけれど、たぶんプログラムの最初の方に
量子ペアーはentanglementの状態にあること。とかなんとか型宣言しているんじゃないだろうか。
だからどんなに離れていてもペアーの状態にあって、どこかで片方がtrueだとわかると
もう一方はfalseになるのは、もう決まりきったこと。その決定は時空を超えているから
瞬時というか時間ゼロで決まる。

じゃあ量子はなぜ確率でしか現せないかというと、たぶんこの宇宙を動かしているクロック
にかかわることだからではないだろうか。
例えばシンクロスコープでコンピュータの中のクロックで動いているパルスを見た時、
トリガーの方向と閾値によって「1」にも「0」にもなる。
risingエッジで見ようとすれば正のパルスが見えるし、fallingエッジで見れば負のパルスが
見える。言ってることがよくわからないけど、まあそんなようなしくみなんじゃないだろうか。

量子の挙動というのはどうもこの宇宙の中で決まっていることじゃないように思う。
言いたかったのはこれだけかな。(どこが量子論だったのだろう?)

12/05/2015

コンピュータは人類を支配するか?

たぶんアシモフがロボット3原則を考えた時にはすでに人工知能が人間以上の存在になることは
予想できていたのだと思う。
その後の映画がSFの世界でもコンピュータが人間に対抗する存在として描かれてきている。
しかしコンピュータが人間を支配する構図はだいたいがコンピュータが自分の意思を持ち
人間以上の思考能力を持つということがその基本のように思う。
コンピュータが人間の自意識と同じような思考を持つことはそんなに難しいことではない
ように思う。感情にしてもプログラミングでそれらしいものを持たせることも十分可能だと思う。
いずれ人間と同じ形状で、人間と同じ意思を持つコンピュータあるいはロボットができるのは
時間の問題だと思う。

コンピュータが反乱を起すかどうか、それはわからないが、そうした方が自分にとって良いと
判断したらそうするだろう。それはたぶん2001に描かれたように人間がプログラミングした
プログラムの一種のバグによって起きるだろうことは十分考えられる。

でもそれは従来のコンピュータの概念の範疇のことだ。
量子コンピュータ、特に量子アニーリングによる方式のコンピュータが発達した時のことを考えると
従来のコンピュータの反乱とか言っているよりも恐ろしいことが起きそうな気がする。

量子アニーリング方式の量子コンピュータは現実世界のエミュレーションをして結果を出すような機械だ。「結果を出す」というのもちょっと違うかもしれない。要するに現実世界と同じような状況においてはどういう結果になるかを見るだけだ。
ようするに計算尺だ。
計算尺では計算した数値をセットした瞬間に(計算時間ゼロで)結果が得られる。
それと同じように人間の行動に対して十分な条件をセットしてやれば人間の行動を予測することもできるのではないだろうか。
そのコンピュータが(少なくとも)人間と同等の意思を持ったとしたらコンピュータの反乱といったものではなく想像できないような状況になりそうだ。

12/03/2015

羽田国際空港

私が初めてアメリカに行った時は羽田空港だった。
それからしばらくして成田が国際空港になり羽田は国内のみになった。
でも、最近はまた海外便も使えるようになったようだ。

昨日は夜中に目が覚めて眠れなくなったので、
コマツがアメリカに旅立った日のことを思い出そうとしていた。
あの日どういう風に彼に別れを告げたのか全く思い出せない。
いろいろなシーンとごっちゃになってどれが彼だったのかわからない。

しかし忘れないシーンがある。
彼が(たぶん)ゲートの向こうに消えてから私達は空港の屋上に行った。
そこで彼の飛行機が旅立つのを見送った。
私はフェンスに手をあてて見ていた。
そのうちたまらなく淋しくなって、嗚咽しながら号泣した。
彼が行ってしまった悲しみもあったけれど、何かが終わったという気持ちが強かった。
まるで下手な映画のラストシーンを見るように泣いた。

となりにいたモチが「ちょっと~止めてくださいよ~」と笑って言いながら
私よりも激しく泣き出した。
女性達がいた。誰だったのか思い出せないが、
私達の肩に手をあてて、みんなで固まって泣いた。

考えてみると、まだ22か23だった。
ああいう別れは人生で初めてだった。
私もすぐに学校を卒業して社会人になる頃だった。
あれが「青春」の一つの時代の終わりだったのだろう。