学校出てからやった3つの会社のことは辛いので書けない。
そしてそのあと、自宅で仕事をしていたのだけど、
あまりうまく行っていなかったので、前の会社の時に
知り合った神津さんに話をした。
そうすると神津さんも自分の会社(SE関連)をやっていて、
私にいっしょにやろう、と言ってくれた。
神津さんの会社は新宿の大京町にあった。
そこでセンサー基板や装置を作っていた。
私はしばらくそこで仕事をした。
確か他に外国人、オランダだったろうか?の人もいた。
そこで半年くらいやったろうか。
それから神津さんが独立して会社を始めようということになって、
目黒に部屋を借りた。
小さなマンションのような建物だった。
今探したけれどよくわからない「トラットリア」というのが
それかもしれない。
その屋根裏みたいな部屋で仕事をした。
2部屋あった。窓からは目黒の街が見えた。
そこに1年いただろうか?
それから神津さんの地元の長野の野池さんも一緒にやろう
ということになり、新しい場所を探した。
ちょうどテレビで川崎のKSP(神奈川サイエンスパーク)という
大きな施設で部屋を借りてベンチャーをやっているという番組が
あり、それを神津さんに言うと、そこにしようということになった。
ちょうど野池さんの知り合いの小林さんという人がKSPに関係していた。
偶然だったのだけれど、小林さんは私が前の前の会社で機械を
納品しに行った神奈川県工業試験場の担当者だった。
奇遇だった。
それでそこの1フロアーを借りて会社を始めた。
そのフロアーが確か月100万円の家賃だった。
神津さんと野池さんと私と、ソフトの砂川君と事務をやってもらう
女性の・・・名前忘れた、が最初のメンバーだった。
それから確か13人くらいまでいたような気がする。
そこで2年くらいやっただろうか、
家賃が高いので他に引っ越そうということになり、
野池さんが探したたまプラーザのビルの一室を借りた。
広さはKSPの程ではないけれど、そこそこ広かった。
そこで結構長くやった。
神津さんが隣の部屋も借りてパソコン教室をやろうと言って
一部屋借りたけれど、それはうまく行かなかった。
それでもそこで10人くらいの社員でやった。
そこは最終的に会社を解散して私がそこで私の仕事をすることになった。
野池さんを社長として二人で機械を工場に収める仕事をした。
野池さんが手広く営業をしてくれて、私がその機械を作る
という分担んだったけれど、一人ではどうしても力量が無く
結局それもやめた。
野池さんにはとてもお世話になった。
神津さんにも野池さんにも感謝しきれないくらい良くしてもらった。
そのあとは私一人でDVD作成の仕事をした。
最初の2,3年は良かった。
まだ他ではあまりやっていなかったので十分需要があった。
でもたまプラーザの家賃は月50万円くらいだったので、
もっと安いところを探そうと思い、センター南のビルを借りた。
そこは月25万だった。
そこで10年以上映像、音響関係の仕事をした。
それも見切りをつけて、最終的には自宅でできる規模にして
自宅で仕事をすることにした。
自宅のマンションでは本来そういう営業目的なことは禁止されていたけれど、
管理人さんがよくしてくれて、マンションのロビーで
仕事の打ち合わせをしても何も言われなかった。
それどころか人が2,3人来た時など、
「会議室使っていいよ」と言ってくれた。
でも管理組合や自治会がどう思っていたか知らない。
あの頃は資金繰りも大変だったけれど、
今思うと面白い時代だった。