もう一つは、時間の次元は1つではなくて2つ以上ある場合だ。
もしもこの世界が2次元の世界だった時に、3次元の空間を動いていても、厚さの無い
平面でしか見ることができないのと同じように、時間の次元が2次元以上あった場合、
我々はその断面しか見ることができないという場合だ。
それはちょうど我々が今という厚みの無い瞬間しか知ることができないことに類似している。
この場合、「今」という厚みの無い平面が過去から未来に向かう時間軸の中を進んで
いるようなものだろう。ちょうど映画館のスクリーンの向こうが未来でこっち側が過去、
スクリーンに映っている厚みの無い映像自体が現在ということになる。
しかし、その場合我々はその次元の最先端にいることになるだろう。
あるいは最先端でなく途中にいるとしたら過去も未来も決まってしまっているように思える。
運命論的な世界だ。そうでないとは言えないけれど、
まあ、だからいるとしたら最先端だ。
その場合は過去はその時間のもう一つの次元の中に延々と残っているのだろう。
膨大な世界が。
よく聞く話だけれど、「幽霊なんてのが居たとしたら、過去に一体何人の人が死んで
何人の幽霊がいるんだ?有りえないだろう」
という話があるが、YouTubeのフラクタル宇宙の映像を見ると宇宙はいくらでも入る
余裕があるように思う。
宇宙がフラクタル宇宙のようになっていたら、過去の世界もいくらでも残る余裕は
あるような気もする。