2/14/2016

やはり時間というものは無いのではないだろうか。という寝言の続き

時間というのはやはり只の概念でしかないと思う。
確かに物理では時間を含む公式、法則がある。
しかしあれは時間という概念を計る時計が示す数字によって
変化する事象を数値化しただけではないだろうか。

例えばt1からt2まで速度vで、どこまで位置が移動するか?
というのは時計がt1からt2に変わるまでにどこまで移動するか
ということだけれど、t1からt2は時間の流れだろうか。
「流れ」と考えるとt1はt2から見て「過去」ということになる。
しかし時間t2になった時t1の時点の状態はもう無い。
時間をt2からt1に戻すと考えるのは思考の上だけのことだ。
t1の状態はこの世のどこにも残っていない。

たぶん時間とか過去とか未来というのは幻想だと思う。
過去は記憶の中にしかない。
あるいは映像や音の記録のなかにしかない。
記憶も記録も状態の変化を記録したものでしかない。
決して時間を記録しているわけではない。

あるのは「今」という瞬間だけだ。
今は放っておくと色々なものが変化する。
ほっておくとあるものは拡散し、あるいはエントロピーは増大し、
量子の存在確率は変化する。
そのほっておく度合いの尺度として時間がある。

数式上は時間をt2からt1に戻せばそのものがt1であった状態に戻るが、
それは数値上のことであり、時間が戻ったわけではない。
数式上は時間を戻すとエントロピーは減少するけれど、本当は
時間の数値を逆にしてもエントロピーは増大するのではないだろうか。

前にも書いたけれど、シュレディンガー方程式が正しく、また時間対象
であったとすると、t2からt1に戻しても元には戻らない。
逆向きにしても状態は正の方向と変わらない変化をするのではないだろうか。

その前に、「時間」というのは幻影であり、あるいは頭の中の概念でしか
ないのではないだろうか。
と改めて思う。